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取り組み事例 

八幡 隆司 (特)ゆめ風基金 理事

はじめに

皆さん、こんにちは。私も最初だけ、手話で紹介させていただきます。

NPO法人ゆめ風基金の、名前を八幡と言います。どうぞよろしくお願いいたします。

被災地ではろうの方ともお会いするので、少しだけはしゃべれるのですが、講演や説明は無理ですので、通訳の方にお任せします。

ゆめ風基金という団体は、知られているような知られていないような、そういう団体ですが、もともとは阪神淡路大震災のときに生まれました。私も震災発生以来活動に関わっていますが、最初はチームを作るのに時間がかかりました。3ヶ月くらいは毎日、その後の2年間は障害者救援本部を作って、被災地支援に当たっていました。その過程で、あの大きな地震からすぐに回復・復興できるはずがない、5年、10年かかるのではないか、そのためには間に合わせの団体ではなく、5年、10年をしっかり支えられる団体を作ろうじゃないかとという趣旨で、ゆめ風基金は生まれました。

一番最初の呼びかけ人代表が永六輔さんでして、お陰様で基金も集まり、活動を続けさせていただいています。発足の際には、万一にもあってはならないけれど、同じような災害が再び起きたとき、皆さんから受けた恩返しができるような団体にもしていこうと考え、他の地域で災害が起きた場合に支援を行うこともテーマとしてきました。ですが、実際に最初の10年でにこんなに天変地異が起きるとは思っていませんでした。火山の噴火、豪雨、地震もいろいろあって、地震保険が一番安いというほど地震が起きないと言われていた福岡県でさえ地震が起きました。本当に災害の多い10年間でした。

発足10年目の節目を迎えるとき、私たちは、このままの支援でいいんだろうか、災害が起こってからお金や人やモノを届けるのではなく、もっと災害に備えることが必要ではないかと考えました。

新潟県中越地震での経験

新潟県の最初の地震、新潟県中越地震では現地に行って愕然としました。やはり障害者の方が避難所に行っていないのです。土曜日に地震が発生し、私も火曜日には現地入りしましたが、阪神淡路大震災のときと一緒で、体育館のようなところに行っても仕方がないとあきらめて、ほとんどの人が行っていません。

またある親子は、自分の息子が騒ぐので、かなり夜遅くなって、もう、今からだったら騒がずに寝るだろうという時間を見計らって、ようやく避難所へ行く、ということもありました。

昼間も余震がすごかったですから、みんな家にいるのも怖かったのですが、それでも昼間は自宅で何とか暮らし、我慢の生活を強いられている状態でした。

そういうことも含めて、阪神淡路大震災の教訓が全く活きていないとは言いませんが、障害者に関わる部分ではほとんど活かされていなかったので、一度理論的な部分をまとめて、その後、具体的な活動をしていこうというのが、この5年間の方針でした。

障害者市民防災提言集

そこで一番に作ったのが、「障害者市民防災提言集」です。いろんな被災地の方たちのアンケートや、また全国組織を持つ東京の団体を参考に、行政関係の制度を調べ、ちょうど避難支援ガイドラインが出てきた頃の話も含めて冊子にまとめたものです。これが最初の取り組みでした。今日もこの冊子を持参しており、500円で自ら販売をしようと、商魂たくましいことを思っています。

この提言集を作って以来、私もあちこちで、災害についていろんな障害者の方がどうなのかという話をさせていただいております。私が住んでいるのは大阪ですが、阪神淡路大震災では、大阪も部分的には豊中などかなりの揺れを感じ、被災地に指定されたので、偉そうに人に話をする前に、自分の地元である大阪がどうなってるのかということもありまして、私も地元大阪で防災の取り組みを始めるようになりました。

避難所の取り組み

今、ゆめ風基金として取り組んでいる柱は大きく3つあります。その1つが、避難所の問題です。要援護者名簿に関しては、誰と避難するかが課題になりますが、実際に「誰が」決まっても、「どこへ」が決まらないと、「あそこの避難所にみんな行ってるから行きましょう」と言われても、「あそこだけは行きたくない」「トイレも困るから」となり、先へ進みません。避難所の問題は、一番最初から我々は大きなテーマとして取り上げています。

先ほども紹介しました障害者市民防災提言集でも、避難所のところが、一番喧々諤々しましたね。「指定避難所を改善する」と書くのがいいのか、「福祉避難所として作っていく」のがいいのか。私たちも、実際に神戸のときには垂水養護学校を福祉避難所として開設し、現地で生活が難しい人には、大阪の早川福祉会館を開設し、民間レベルで取り組んだのですが、それ以外、福祉避難所については、ガイドラインが出るまでは、ほぼどこも取り組んでなかったんです。

ガイドラインが出てくるまで、福祉避難所について国が行ったのは、居住型施設に2000万円ほどお金を渡して「防災型地域交流スペース」を作る、というものでした。ガイドラインまでの福祉避難所のイメージは、夜間も人がいる特別養護老人ホームなど居住型施設や、あるいはホテルや旅館などでなかったかと思います。

今日のシンポジウムに集まった方はよくご存じだと思いますが、「避難ガイドラインを知ってますか?」とあちこちで聞いても、知らないですよね。

これに加えて、2008年6月、「福祉避難所の設置・運営に関するガイドライン」が厚生労働省から出されました。このガイドラインは、実は画期的な内容になっているというか、今までの福祉避難所のイメージとまったく違うものが書いてありました。例えば特別養護老人ホームは入居者に迷惑がかかるからあまりよくないと書いてあります。もう一点は、指定避難所を福祉避難所として活用するのはどうかと書いてあります。そのためにはその指定避難所をバックアップする拠点施設も必要だが、そのようにサテライト型にすることも必要だとあります。また、小学校区に1つの施設を指定目標とするのが望ましい、とも書いてあります。

私たちは常に指定避難所の福祉エリア化が頭にあったので、その一環として、地域の人たちと障害者たちがどうやったらつながっていくかということをテーマに考えていました。

中学生プロジェクト

もう一つの取り組みとして、「中学生プロジェクト」を行っています。総合学習の時間を使って、我々障害者団体だけでなく、日本赤十字の人や、大工さんや、詳しい人をいろいろと集めて、年間に何時間かをいただいて防災講座をします。出前講座の形です。実際にいろんな障害者の人たちの避難を、例えば校舎の3階から1階の体育館までやってみたり、盲導犬と一緒にふれあいをすることもあります。

そういうを活動ずっとしていますが、なかなか学校現場での取り組みは、思うようには広がりません。学校は予算もないですから、日程的にも、講師と学校とを調整するのは難しいんです。それ以前に、そんな講座ができたらいいねという話は何度も聞きますが、実際に我が校でやりましょうというところまでは、広まっていかないのが現状です。今現在、3校で行っていますが、4校目、5校目とは広がっていません。

城東区における調査事業などの取り組み

もう一つは、この提言集を作ったすぐ後で、ひょんなきっかけから、私が住んでいる箕面を出て、大阪市内で作業所の仕事をするようになりました。ガイドラインも出たので、すぐにでも新たな地元で何か取り組みをしたいと話しましたら、たまたま今の自立支援協議会の前身のような障害者関係団体があって、そこで防災の取り組みをしようということになったのです。まず、名簿くらいから考えようか、ということだったのですが、私のほうからは、とりあえずゆめ風基金と自立支援協議会とが一体となって、できるならやらせていただきたいと提案し、すぐに講演会や実際の調査を行っていきました。福祉避難所に関する協定があちこちにあって、城東区でも協定をつくるために、特養、デイサービス含め調査しました。

調査の結果、大阪市内での特養は、100床のうち95人ほどが常時住んでいて、5人がショートステイとなっているのに、実際にはショートステイとして50~60人が登録しています。さらにデイサービスで登録が90人、ヘルパー派遣で50~60人とのことでした。1つの施設で登録者が300人というところもあります。聞き取り調査をしてみますと、職員も被災するだろうことを考えると、普段利用しない住民が、自分たちのところへ避難してきても、それを自分たちが支援することは考えられないとのことでした。むしろ、職員が足らないので、人手を出して欲しい、応援が欲しいぐらいだ、という意見がほとんどでした。

実際、「福祉避難所協定を結びましょう、どうですか」と聞いても、城東区内で積極的に手を上げたのは、済生会という全国組織が持っている老健施設で、人手に心配がないところ1カ所だけでした。

昨年2月くらいに、福祉避難所協定に関する調査をしました。7月に、失業対策として、雇用の安定化という特別財源ができまして、うちの城東区では、「福祉避難所計画策定のための調査事業」ということで手を上げたらうまく通りました。調査員は障害当事者メンバーとその支援者の2人1組で、すべての小学校区の社会資源の調査をしました。いつも考えていることですが、市町村といっても、小学校区の間で社会資源にバラツキがあります。ですから、何々市の防災計画というのは意味がないと思っています。何々小学校区としてどうするか、それを考えていかなければと思っています。

障害当事者の調査員からは、普段は大阪の中でもバリアフリー化されている同じ道しか通らないので、こんなに自分たちが通りにくいところがあるとは知らなかったという声もありました。

それから、民生委員さんや福祉推進委員さんたちは、とにかく障害者の存在そのものを知らず、話す機会もない状況で、高齢者のことはある程度わかっているから安否確認ぐらいすぐできるけど、あなたたちの名簿はないんだから、それはできない、だからあなたたちがちゃんと考えなさい、とお叱りの声が多かったです。よく考えてみると、私たち障害者関係は、昔と比べて、ヘルパーなど福祉の専門家ばかりと関わるようになって、だんだんと一般の人と関わることが少なくなっています。

また、今の若いヘルパーさんは、防災訓練1つするにも、それは仕事ですか、仕事ではないんですか、給料が出ないなら行きません、といった具合で、なかなかボランティアチックになってくれません。

ある民生委員さんが話してくれたのですが、あるお年寄りのところを訪ねてみたら不在で、次の日もいなかった。夜は電気がついていたので行ってみたら、昼間はデイサービスに通っているとのことで、一人暮らしのお年寄りも、昔に比べてわかりにくくなっている、とのことでした。そういう実情もあります。

避難所開設訓練

もう1つ、地震が起きたのは土曜日でしたが、私が現地へ駆けつけたのは火曜日くらいで、つまり48時間以内と考えると、それまで外部からのボランティアは考えにくいです。まず48時間をどう過ごすか。それを考えたら、地域の中でどうにかしてもらわないといけません。一番身近なご近所さんとつながっていくしかないわけです。福祉避難所というイメージは小学校区の中の指定避難所です。大阪市の場合は全ての学校に車いす用のトイレもあり、段差もなく体育館まで行けます。あとは地域との関わりをどう築くかです。

それを支援するために私たちが行ったのは、避難所開設訓練です。避難所で障害者・高齢者が支援を受けるためには、我々のようなバックアップ組織も必要ですが、何より住民の意識の問題が大きいのです。学校の門の鍵は確かに町会長さんあたりが持っていますが、水がなかったら、トイレにも困ります。資料にも仮設トイレについて書いてありますが、食べるよりも出すことの方が大事で、出すことができないようでは避難所には行きたくない、ということになりかねません。障害のない方でも、プールの水を汲んで、トイレの前に置いておかないといけないなど、そこまで意識している人はいません。校門の鍵は持っていても、プールの鍵は持っていないし、どのバケツを使っていいかわからない。そういう状況で支援を受けられる筈がありません。

神戸の方がおっしゃっていましたが、「お元気ですか?大丈夫ですか?」と聞くと、みんな「大丈夫」と言うのです。風呂も入ってない、下着もない、他から見ると、困っていることはたくさんあるのに、命だけ助かっているから「大丈夫」と答える。みんなが我慢大会のような状況になっています。その状況を避けるためには、避難所開設訓練などの形で、普段から、「こういうことで困るから、こういう準備が必要」というコミュニケーションがある程度できてないと、障害者・高齢者の支援はできないと考えています。

いくつかの小中学校で、障害者団体、住民などと一体で避難所開設訓練を行いました。学校をぐるっと回って、障害者・高齢者は何が困るか話し合うグループ学習形式で行いました。最初、自治会の方は見学だけに来たと言って、受け付けでのやりとりに苦労したのですが、訓練をやってみると、いろいろな意見が出てきます。障害者の人の声がよくわかったと、好評を得ました。

それと同時に、福祉避難所を支える拠点は自立支援協議会を構成するメンバーでやらなければならないので、区民センターを拠点にしようと考えました。自分たちの福祉拠点として、区民センターを本部として開設する訓練をしようといろんな団体が集まりました。衛生班、食料班など、誰がどの担当をするのか、実際にやれるところまでやってみて、できない部分は、どういう問題があるのか1時間くらい話し合いました。障害者団体が障害者支援の拠点を作るためにはこういう課題があるということを理解できる訓練でした。地域の方が指定避難所について抱くイメージもまちまちですが、我々も避難所を自分たちで運営した経験があるわけではありません。ですが、体を動かすと、へたな説明を聞くよりもよく分かります。その時は70名くらいの参加のうち7割が当事者でしたが、体を動かすことで、避難所はこうやって開設できるということが、よく分かったと聞いています。

実際の災害時には、その区民センターがボランティアセンターになるので、あとはボランティアセンターと我々障害者救援隊との連携が、来年あたりの課題かなと思っています。来年はボランティアセンター開設訓練と一緒に、我々の障害者支援チームの開設訓練を行いたいなと考えています。その中で、どこまで共通化した部分の役割を相手に任せるかなども、試みてみたいと思います。

事例の広がりと防災ブックレットの作成

私があちこちで話すことがきっかけで、避難所開設訓練を地元の人とやってみたいとか、埼玉では障害者団体主催の一泊訓練を行いたいという話が起こっています。別に僕らが火を付けたものばかりではなく、長野県松本市では、聴覚障害の方が自分たちにわかりやすいビデオを作ろうという取り組みもされています。

少しずつですが、当事者側から防災訓練をやってみようという取り組みを進めているところが増えてきています。そこで、全国の当事者団体が中心になって行った防災訓練の事例を11ほど集め、新しいブックレットを作っているところです。(内容・注文などはゆめ風ホームページ参照)

今後の展開

行政も、障害者団体から「これはどうなってる」と突きつけられると答えられないので、なかなか話が進みません。だから結局、当事者抜きに防災計画ができているのだと思います。そうではなく、行政ができることと、我々ができることをちゃんと整理して、一緒に防災計画をつくろうよという形で進めたいと考えます。全国の中では頑張っている障害者もいますが、全般的な事例でいうと、当事者抜きに防災計画ができているところが圧倒的多数です。自分たちからやっていかないといけません。

他の国にも行きましたが、日本ほどこんなに税金でやるところは少ないです。地域コミュニティで障害者の部分が浮いてきています。無償で動くボランティアは、環境問題にはいっぱいいるのに、福祉の中で無償で動いている人が、あまりにも少なくなってしまいました。これを支えるのは防災というキーワードだと思います。我々から防災というテーマを出すことによって、障害者・高齢者・子どもも参加しやすくなり、地域のコミュニティを作り直したり、一緒にこんな取り組みをやったらいいんじゃないかと提言する、主体者になれるんじゃないかなと思っています。

どうしても行政からお金をもらうと「地域」というものが見えなくなってしまいます。今はそれを皆でよってたかって何とかしたいなと思っています。

付け加えていうと、神戸は当事者が防災訓練をあまりしないんです。なぜかというと、長田地区を見ると、震災をきっかけにすごく市民の交流活動が活発になっています。「一七市(復興支援バザー)」をはじめ、市場やお祭りなどの形ですごく交流が進んでいて、防災と言わなくても、互いの顔が見えるようになっています。これが理想的な長田地区の防災の在り方だと思っています。

なかなか一朝一夕にそうはいかないので、私たちはブックレットをはじめとする取り組みをしながら、いろいろな方々に事例を聞かせてもらい、それをあちこちに持って行き、何とか当事者団体主体でいろんな訓練をしようとか、せめて防災訓練に参加するところから始めましょうと訴えてきたいたいと思います。

簡単ですが私の報告を終わります。

 

参考 当日配布資料

ゆめ風基金の取組み

八幡 隆司 ((特)ゆめ風基金理事)

 

1.ゆめ風基金とは?

●設立経過・・・1995年の阪神淡路大震災をきっかけに、阪神への長期支援と今後の災害に備えるために設立された

●これまでの支援は

阪神大震災はもとより、北関東豪雨、トルコと台湾大地震、有珠山噴火、東海豪雨、鳥取地震、インドとエルサルバドル大地震、十勝沖地震、北陸豪雨など、累計33,058,867円

その他、被災障害者団体17ヵ所に無利子の貸し付け8850万円

●10年目を契機に災害支援に防災を加える

災害後の支援だけでは限界がある。災害による支援をできるだけ少なくするほうが、被災者は助かる。

障害者市民防災まちづくりアイデアコンテスト、障害者市民防災提言集、防災の取り組みへの助成金創設

2.災害が起こったときの障害者市民の状況と必要な支援

<1> 災害時の状況

a.阪神大震災での被災障害者市民と支援の状況

避難所は7日程度の生活の場という位置づけ

→障害者が生活できるものではない

想定された以上の災害により、避難所が人であふれ、避難生活が長期化

半壊であっても自宅にとどまる

親戚などを頼って被災地の外へ脱出

様々な支援団体が独自の支援を展開

b.新潟県中越地震・中越沖地震で状況はどう変わったのか?

●避難所に障害者が行かない事実は変わらない

●中越地震を教訓に変わった防災マニュアル

担当部局別の支援から、時系列を基にした優先順位を決めた支援へ

それでも洋式トイレが刈羽村に届いたのは48時間後

●障害者へのニーズ調査は格段に早くなった

日頃相談を行っている障害者支援センターが県における被災障害者支援センターとなる。

障害者宅を訪問心できたのは、前回の2ヶ月あまりから約1週間後に短縮

●能登の地震から正式に福祉避難所の設置がされた

c.最近頻発に台風や集中豪雨等における水害と障害者市民の被災状況

地震を想定し、水害に備えていなかったため、タオルの1枚もない避難所

避難所そのものが浸水した所がいくつもあった

3.ゆめ風基金の取組み

<1>障害者市民防災提言集とあらたな防災ブックレット作成

2006年の「障害者市民防災提言集」では障害者市民が災害時に遭遇したこと、不安に感じることを中心に現在の制度のあり方や今後に向けた提言を行った。今回のブックレットはどのような防災訓練を行えば良いのかを考える提案をまとめる。全国で取り組まれた11の事例をもとに、具体的な手法を解説すると事例編と、ゆめ風基金が考える取組を提案編として盛り込む。

<2>中学生プロジェクト

NHKテレビ『ご近所の底力』で倒れている高齢者を積極的に助け出す中学生たちのシーンを観て、災害時も頼りになるのは「昼の間に力持ちで判断力を有するのは中学生しかいない」と思い立って生まれたのが、「いのちと防災を地域で考える・中学生プロジェクト」。

昼間、地域で生活する中学生に、障害者や高齢者をはじめとする「災害時要援護者」について知ってもらい、いざというとき、助ける意識と力を身につけてもらいたい、との願いでこのプロジェクトはすすんでいる。

障害当事者はもちろん、日赤や、社協、学校の協力で、2006年は東淀川区中島中学校20人の生徒が参加、2007年は淀川区美津島中学校1年生160人が参加、2008年は東淀川区柴島中学校2年生80人が参加した。

学校と講師の日程の調整をつけるのに大変苦労をするが、うまく調整がつけば多彩な婦ログロムを展開することもできる。ただ学校に予算がない場合が多く、協力してくれる人たちの交通費を出すことにも四苦八苦しているのが現状で、防災を教育にきちんと位置づける必要性を感じている。

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<3>城東区自立支援協議会との共同による取組み

城東区の場合、自立支援協議会ができる以前から障害者支援専門部会があり、国や民生・児童委員などの災害時要援護者支援の取り組みが高まる中で、防災に取り組んでいた。

学習会や講演会などを進めていく中、自立支援協議会と衣替えした組織の中に、地域部会として防災をとりくみ続ける。

ゆめ風基金としては、理事の一員が参加していることから2008年より共催事業を展開。

2008年1月 講演会

2009年2月 防災訓練・・・障害者団体、自治会、中学生の連携による訓練

2009年7月 「福祉避難所計画策定のための調査事業」を城東区から受託される。

 

福祉避難所計画策定のための調査事業について

国の緊急雇用創出基金事業。城東区が福祉避難所計画を作成するにあたり、区の社会資源の状況や災害時要護者の状況を考えて、どのような福祉避難所計画をすればよいのかを検討するための基礎資料作成を行う。

a.基礎資料(福祉施設、福祉サービス利用者の状況)は区が提供。

b.基礎資料に基づいた施設調査、アンケート調査

c.福祉避難所設置に向けた防災訓練の実施

d.福祉避難所計画の作成

災害に備えて街再点検

城東区の福祉避難所のイメージ

○各小学校区の指定避難所に福祉エリアを設けて、障害者や高齢者が身近な避難所で避難できるようにする

○区民センターをバックアップ拠点とし、ボランティアセンター内に障害者支援のためのチームを作ると同時に、指定避難所で過ごせない人の避難所機能を設ける。

(障害者支援のチームは区内障害者関係で運営)