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序文

2010年、国際育成会連盟は50周年を迎える。1960年、各国の組織は、独力では目標を達成できないことを知り、国際同盟を結成するために集結した。現在115ヶ国以上の会員とともに、創設者の期待にこたえようと努力している。

地域レベルの会員組織の多くは、知的障害者の親によって設立されたが、これは彼らの子どもが地元の学校に受け入れてもらえなかったからである。しかし親は当時、現在の私たちと同様に、自分の息子や娘が学習できること、そして彼らには教育を受ける権利があることを知っていたのである。

1960年以後、多くの変化が見られた。ほとんどの親が、自分の息子や娘が何らかの教育を受けられれば幸せであった初期の時代とは異なり、1994年のインクルージョン・インターナショナルへの名称変更は、私たちの目標が、学校を含む地域社会のあらゆる局面に知的障害者を完全参加させることである、という事実を知らしめるものであった。

私たちは1994年に、UNESCOの主催によりスペインのサラマンカで開催された「特別なニーズ教育に関する世界会議:アクセスと質(World Conference on Special Needs Education: Access and Quality)」に参加した。92ヶ国の政府が署名したサラマンカ宣言は、特別なニーズのある生徒のニーズにこたえるために、このような生徒の目標を、「教育における」インクルージョンから「インクルーシブな教育」へと変更しなければならないということを、初めて国際的に認識したものであった。私たちは、障害者権利条約(2006年)でインクルーシブな教育が権利として保障されるよう、必死に闘った。

しかし、書類上での権利の獲得は、現実とは別物である。名称変更から15年、またサラマンカでの歴史的な会議から15年がたったことを祝福しながらも、私たちは数々の矛盾した真実に直面している。インクルーシブな教育は権利であるが、世界の大半では、小学校を卒業できるのは障害児の5%に満たない。世界各地でインクルージョンの素晴らしい成功例を見ることができるが、制度上は、いまだに私たちの子どもは排除されている。障害児は家にいて家族の介護を受けているが、国の統計で計上されることはなく、出生届すら出されないことがままあり、目に見えない存在とされている。

そこでこの「特別なニーズ教育に関する世界会議:アクセスと質」を記念し、私たちは法と現実、政策と態度、知識と実践のギャップに立ち向かいたいと考えた。

75を超える国々の障害者、家族、教師、その他の支援者が、自分たちの身の上話を語ってくれた。この報告書は、彼らの体験をまとめたものである。これは現在学校へのアクセスを拒まれているすべての子どもと、インクルーシブな教育を実現するために闘ってきたすべての家族に捧げられる。これは私たちからの、行動への呼びかけである。

国際育成会連盟会長
ダイアン・リッチラー(Diane Richler)