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知的障害者と教育

スウェーデン政府公文書

項目 内容
発表年 1976年
備考 学校教育庁出版物「全ての国民のための文化」(kultur at alla)より

知的障害 について

 知的障害とは特に短期間の記憶力と思考力に関わる理解力障害です。短期間の記憶力は一度にどれだけ多くの情報量が受け入れられるかを決めてしまいます。知的障害者の短期間での記憶力はあまり多くの新しい情報を受け入れることはできません。思考力は情報を加工して整理して作られます。知的障害者の思考速度は健常者よりも遅く、情報を処理して使用する思考能力が低いと言えます。

 受けた印象を形へと整える能力は段階的に発達していくと考えられています。言語能力が発達する前の段階では、体験し、記憶し、それを比較して再び思い返す能力はあっても、それを全体像としてとらえることはできないと考えられています。

 具体的な事象、出来事、感覚、必要などの観念は記憶の中に層を成して刻まれるものです。それゆえに言葉が介在しなくても、人間は経験に比例して豊かな観念の世界を持っています。シンボルマーク、つまり物事をシンボル化し、その上でマークを認識して理解する能力が成熟するのはその後です。それと同時に言語を理解し、自分の言葉を発する能力が発達していくのですから。シンボルを読んだり書いたりする能力が成熟するのは最後です。

 知的障害者の発達も、その過程に変りはありません。ただその速度は健常者よりもゆっくりです。彼らは健常者よりもその一つ一つの段階に留まる期間が長いのです。しかし彼らだって自分の持つ理解能力により、周囲の世界を理解することはできます。肉体的、感情的な発達は一般的に他の人々よりも遅いわけではありません。ですからよくあるように、成人した知的障害者を子どものように扱うべきではありません。

 知的障害者の言語発達は平均的に言語を習得している者に比べて遅いのですが、本質的には同じ段階を経て発達します。知的障害者にとって言語発達が最も困難なものであることが理解能力発達の研究によって明らかにされています。一般的に言語能力とは言語理解能力と言語表出能力と言われていますが、知的障害者は言語表出能力よりも言語理解能力の方が優っています。そのどちらも低いレベルではあるのですが。もし周りで 皆が話していることが判らないとしたら、自分の言いたいことを表現できなくても仕方がないことでしょう。もしある単語の意味をよく理解できないとしたら、その言葉は使わずに、他の言葉を使って表現しようとするのは当然のことです。

 知的障害者の語彙は少なく、そこに含まれるのは主に具体的な言葉です。知的障害を持つ人とは、外国に来た旅行者のようなものです。その人はいくつかの単語や語句は判りますが、簡単で具体的な事柄以上のものを表現することは困難です。言葉の習得が苦手な知的障害者にとっては、手話が有効なコミュニケーションの手段であることが証明されています。知的障害者の度合いは3段階に分けることができます。

 最も重度の知的障害者はA段階と呼ばれるグループに属します。具体的な現実の出来事、必要、感覚を経験し、記憶し、認識することができます。何か刺激を受けるような心象的環境や外的環境が与えられると、ある程度の単純な観念を得ることはできます。けれどもどんな形であれ言葉や画像を理解することはありません。彼らにとってコミュニケーションとは感情を表にだすこと、あるいは何らかの身振りをすることでしかないのです。

 B段階にある知的障害者は話を理解することを学び、一般的には多少なりとも話すことができます。自分の受けた印象を整理し、彼らなりに関連づけて受け止めることができます。

 具体的なものならシンボルや互いに関連しあった複数のシンボルでも理解することができます。その画像を理解する能力は年が進むにつれて知的障害者ではない人々よりも発達していきます。彼らはシンボルを主な情報手段として使っているのですから。いくつかのキーワードをマークのように理解し意味をつかむことはできますが、本質的な意味で文字を読むことはできません。

 物事の変化を理解する能力があまりないので、生活の中の変化を受け止め乗り越えていくのは大変困難なことです。数えることが困難であるため、それが壁となって例えばお金の概念を把握することができません。しかし日常的なルーティンワークであれば多くの仕事を上手くこなすことができます。また、映画、演劇、テレビ、音楽などを楽しむことができます。

 C段階にいる知的障害者は読み書きを習得することができます。また自分が経験してきた環境ならば、全体像として把握することができます。具体的な問題ならば解決し、変化を見通して対処することもできます。しかし抽象的な事柄を受け入れることはできません。(具体的:実際に起きたこととして認知できる。抽象的とは具体的の反意語。)単に読んだり計算したり、問題に対処することが苦手な部類の普通の人々と、そんなに差はありません。彼らの思考は言語によって成り立っているのですが、その基盤となるのは具体的な経験のみです。一般的に読み書きを好みません。他の人々と会話によってコミュニケーションを取ることはできますが、その語彙選択や文章構成は単純なものであることが普通です。


知的障害者とメディア

 知的障害者の主張と対策について知的障害を持つ児童(者)のための全国組織(Riksforbundet for utvecklingsstorda barn:FUB)は強く関心を示しました。これは他の障害を持つ児童(者)のためにも働いている民間団体です。1968年に知的障害者保護法が作られたことにより社会の知的障害者に対する援助は強められました。そしてさまざまな試行錯誤の結果、障害とはかなり減らせるものだということが証明されました。

 訓練校が併設されている特殊学校が建てられ、多くの子どもたちや若者たちが能力を開発して社会に適応できるようになりました。

 多くの成人した知的障害者達が自分だけの住まいや、きちんと整えられた小さな下宿に引っ越しました。これによってきちんと訓練を受け、この新しい住環境で必要な助けを受ける機会を得たのです。

 知的障害者への援助はまだまだ拡大されるべきです。彼らの親たちが知的障害の意味に関して情報を得、新たに対面する状況を乗り越えるために支援を受けることはとても大事です。知的障害を持つ子供たちにとって、早期から活発に行動し、訓練を受けることは大きな意味を持ちます。また、介護と指導を行う者はその目的にかなった教育を受けていなくてはなりません。養護教諭不足を解消することは、有資格者の介護士の不足を解消するのと同じように大変重要なことです。

 多くの成人した知的障害者は子どもたちにくらべ、現在の法律で規定された手厚い教育を受けられないでいます。多くの知的障害者が今までの知識を保ち、さらに社会適応に必要な新しい知識を得るために教育を必要としています。それゆえに成人した知的障害者へ教育を広げていくことはとても重要です。

 そのため生涯学習の一環として、学習サークルや国民高等学校、労働市場の教育、さらに地方自治体や政府の成人教育コースが整合性をもちながら並立しています。最初の3つは知的障害者も利用することができます。それに加えて学校教育庁と県会が責任を持って知的障害者に教育を与える試みが行われています。このいわゆる特殊成人学校は政府の資金によって1970年―1971年に導入されました。しかしながら政府や地方自治体による成人教育に関する法規では、成人の知的障害者に適合する特殊教育については制定されていません。

 私達はすべての成人した知的障害者たちが、通常教育に相当する教育を一般の教育予算によって受けるのは当然のことと考えています。1975年に障害教育などに関する調査が開始され、独自の基準に従って特に上記の問題に取り組むことになりました。

(U1975:19=調査No, 1975:19)

 この調査は一般教育といわゆる特殊成人学校にどのような境界線を引くかということにも焦点をあてています。知的障害者が楽しんで読める文学の数はまったく足りない状況といえます。それは子供向けの絵本についても大人向けの読みやすい本についても言えます。 

 そこで知的障害者の中には録音図書を自分の言語発達に役立て、喜ぶ人もいるに違いないと考え、録音図書の貸し出し枠拡大の試みは主に学校教育庁の管理の元で行いました。

 知的障害者の支援機器の必要性に関しては、二つの問題がもちあがりました。

 一つは知的障害者が別の障害を併合している場合です。例えばある知的障害者が身体の麻痺か視覚障害、または聴覚障害を持っていたら支援機器を使いこなせない可能性があります。しかしそれよりも大きな問題は彼らが重複した障害に対して処方された支援機器の使い方を理解できるかどうかです。説明書や広報の作成者はその点に留意して製作しなくてはなりません。時には特にある個人を対象に適したものを用意することも必要です。

 このような問題はFUBが設立したALA財団(ALA=Anpassning till liv och arbete: 生活と仕事への順応)の協力を得て障害者学会(handikappinstitutet)が取りくんでいます。

 第二の問題は、知的障害者が理解力障害を持つ故に必要としているような支援機器がないということです。多くの知的障害者がそれぞれの指導者と共に下宿に住んでいるか自分のアパートに独立して住んでいます。テープレコーダーとシンプルな電子計算機があれば人的な補助の必要はかなり減少するでしょう。こちらの問題は今まであまり取り上げられてきませんでした。それどころかこの分野での研究はほとんど進んでいないように見受けられます。これは早急に取り上げられるべき問題であり、この研究が広げられることは大変重要です。まず始めに、どの支援機器が日常生活の中で役に立ち、どれだけ多くの需要があるかを決めなくてはなりません。この問題には充分な対応ができるよう、障害者学会に助成金が与えられるべきです。

 福祉法では知的障害者を、受けた教育により理解力の発達を妨げられた者、または社会の適合を妨げられた者、またはそのほかの点で一般法の一条により特別な介助が必要な者と見なしています。

 法律で制定されているような高レベルの介護を必要としないながらも、知的に問題があるため日常生活に支障をきたす人々がたくさんいます。例えていうならば、文化的な環境からは取り残されたグループなのです。前述したC段階にある知的障害者について書かれていることは、知性面で何か問題を持つ普通の人々にも言えるのです。

 このような人々は学校時代に特別学級で一般教育と特別教育とが統合された教育措置を受けています。これに値する措置は成人教育、国民高等学校や学習サークル機関にはありません。能力になんらかの障害を持つ人々はより自分の知識を広げることを望んでいるのですから、これは私達にとっては大いに不満です。この報告書の中で私達が話し合う一連の措置がこれらの人々にとってやがて大きな意味を持つことになるのです。私達が一番重要と見なしているのは国民教育機関の積極的な姿勢と図書館の機能です。

 知的障害者への支援は他の障害を持つ人々にとっても大きな意味を持ちます。知的障害者が行動障害や弱視、難聴、ろう者などの他の障害を併せ持っていることはめずらしくありません。そのような重複障害は知的障害の度合いを重くしてしまっているのです。重度の障害があると、それが他の障害をも招きよせてしまうのは、よくあることです。

 障害者へのどのような支援にも、重複障害者への支援を一緒に盛り込むべきです。それには様々な社会団体が行う支援対策がうまく組み合わされていることが必要です。

 重複障害者への措置の問題はまた別の報告書で述べたいと思います。


障害者政策委員会の報告書/ 「全ての国民のための文化」 /政府の公式報告書(SOU) /1976-20