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施設入所中の知的障害児に現れた不適応行動に関するカウンセリングアプローチ

高橋潔

項目 内容
転載元 特殊教育学研究(日本特殊教育学会発行)、1994年

中度遅滞を示す17歳の知的障害児が入所施設内のクラス異動を契機に、盗み、拒食、無断外出などの不適応行動を示した。これらの行動改善を目的に、カウンセリングアプローチによる関わりを行った。各々の不適応行動は、依存、顕示、反抗、拒否、自暴自棄という内面変化を背景に変容していったと解釈された。また、知的障害児に対するカウンセリングアプローチの効果は、ケースの言語能力・情緒発達と関連して限界が論じられ、生活療法的な環境調整との併用が有効であることが示唆された。

キー・ワード:入所施設、 不適応行動、 カウンセリングアプローチ

1. はじめに

施設入所児・者が示す行動問題をとらえる時、重篤な知的障害や精神症状のみ起因しているとはいえない場合がある。すなわち、施設生活の適応につまづいた二次的反応とも呼ぶべき「問題」行動のあることが経験則で語られてきた (日本精神薄弱者愛護協会、1983 6))。時に、この二次的な適応障害への取り組みはケースの内面洞察を深めると同時に施設処遇の妥当性を吟味する指標ともなり得る (Klader、1965 4))といわれている。施設入所の効果は非常に複雑であり、長い間、「精神遅滞」と施設入所の要因とを分離させる努力が続けられてきた (Zigler and Balla、1982 10))。施設入所の影響は、個人の施設入所前の生活経験、及び、問題にしている特定の施設に依存する事が例証されているため、主に縦断的研究方法による接近が選択されてきた。本研究もこの視点に立つ。

ここでは、17歳の男子が更生施設相当クラスから入所授産相当クラスへ園内異動した直後の約6ヶ月間で見せたいくつかの適応上の行動問題とその対応を整理し、その経過についてカウンセリングアプローチの視点から考察を加える。

2. 事例の概要

1. 本児:

A男。1973年12月生まれの男児で、精神薄弱施設に入所時は13歳(中学校心障学級2年に在籍)であった。

2. 家族構成と入所事由:

実父(1943年5月生まれ)は運転手をしていたが、難治性疾患に罹患し、長期にわたる入院のまま、1984年に協議離婚した。以来、実母(1949年2月生まれ)は生活保護を受けながら本児と妹(1979年6月生まれ)を療育することになった。母親の情緒不安は強く、職場でのトラブルも多かった。帰宅後本児や妹にヒステリックに暴力をふるうことも繰り返された。本児は母親を慕ってはいるがその動揺に振り回されてしまい、過度に依存的で、意思表現や社会性の成長が阻害されているとの判定を受けた。「母親から別れて暮らすことで母親との関係の改善を図り、社会的自立に向けての援助を得ること(入所事調書)」をねらい、1987年7月措置入所が決まった。

3. 生育歴・教育歴:

胎生期は特に異常はなかった。出生時体重3150g、分娩所要時間13時間。幼児期はたびたび発熱したが、ひきつけを起こすことはなかった。人工栄養。哺乳力は弱かった。生後3ヵ月時、転居時の騒ぎで押し入れ上段から転落した。頚定時期は不明。斜頚でマッサージに通院した。離乳食がスムーズに進まなかった。あやしても笑いが少なく、反応の乏しい子であった。つかまり立ちは1歳前後、始歩は1歳4ヵ月。足を引きずって歩くのでレントゲン検査を受けたが異常はないといわれた。初語は2歳半ごろ。2歳10ヵ月で言葉の遅れを主訴に児童相談所に来所。心理判定でIQ76(鈴木ビネー)。生活訓練会に参加した。5歳時、保育園に入園。小学校4年生時、母親の入院のため1ヵ月間妹と共に児童相談所に一時保護入所。中学から心障学級に入級した。

4. 性格・行動:

調書によれば「性格はおとなしく、母親に対しては強迫的なほど依存的であり、承認を求める部分が大きいが歪みはない。従って、対人関係も比較的良好につくることができる。言葉の中でも本児の優しい気持ちがうかがえる。反面、自分の主張を母親に反対してまで通すことはなく、意思を自分から相手に伝えることが少ない。母親から暴力的な仕打ちを受け続けていたが甘えたい気持ちのほうが強く、現在までのところ、反抗的なところは見られていない」という状況で入所してきた。

5. 知能判定:

8歳時IQ58(鈴木ビネー)。12歳5ヵ月時IQ48(田中ビネー)。知能障害は中度遅滞と判定された。

6. 問題の経過:

施設入所後、筆者の担当するクラスに異動してくるまでの4年間の問題経過を振り返ってみる。

1) 入所1年目:

担任に対してはどちらかというと依存的だったが、機嫌の良いおしゃべりが多い状態からスタートした。他児とのふざけっこやちょっかいの出し合いも活発だったが、2学期半ばより自己抑制をすることが課題となり、本人にも求められるようになった。時期を同じくして、爪かみが現れた。

2) 2年目:

担任の目を意識しながら、担任のいない陰で他児に命令をしていたり、小突いたり、私物を隠したりという行動が目立ち、表情も暗くなりがちであった。また、担任からの依頼に対しても素直に聞き入れないことが多くなってきた。一方で、自分より年下のメンバーに対しては保護的になるなど、年長意識も芽生えた。

3) 3年目:

繰り返し同じ質問やあいさつをするなど、職員にかまって欲しいという自己顕示欲行為が増えてきた。クラス集団を意識し始め、班長になりたいという希望も自ら表現できるようになった。身辺面では、ほぼ自立しており、個別の指導は必要としなかった。

4) 4年目:

担任から離し、単独での役割行動を増やしていったところ、他児や担任の私物を隠したり、金銭を持ち出す行為が現れはじめた。単独行動を制限し、金品の管理を強めていった。2学期半からは、「ごはん減らして」の訴えが多く、食事量が減少してきた。頭痛た腹痛、発熱を訴えることも一ヵ月に1回程度見られるようになってきた。年度末にはライターを持ち出し2回のボヤ騒ぎを起こした。

3. 個別対応の方針

1. アプローチの選択

筆者らは文書とカンファレスにより前クラス担任から引き継いだ。本児の言語理解力及び表現力を健常男児のおよそ4、5歳レベルとみなし、高度な抽象概念さえ使わないように配慮していけば日常会話での支障はほとんど感じられなかった。勧善懲悪のドラマ好きといった5歳児に類似した興味・関心も観察された。問題解決に当たり、面接法を主体にしたカウンセリングアプローチを採ることが可能と判断された。個別の面接場面は、日常生活指導を担当しているクラス担任がクラス集団からわずかな時間だけ本児を切り離して特設した。

導入期の5月中旬までは他の異動メンバーと同じ日常生活指導を行った。導入期指導の方針は、自我発達段階を考慮した日常生活指導 (高橋、1990 9))に準拠し、自己選択・自己決定の表現を促すべく、主に、主体性を育む段階の内容を指導計画に組み込んだ。

2. カウンセリングアプローチにおける留意

引き起こされた問題行動の質によって危機介入のねらいは異なっていたが、各時期に共通して、(1) 複数担任が交代制勤務で接することを前提としているため、受容的態度で毎回の面接の終結を図り、以後のラポートに悪影響を引きずらせないこと。(2) 個別対応の過程を職員間でオープンにし、対応の効果を客観的にフィードバックしながら進めていく。そのためには、本児にかかわる複数の担任(クラス、作業担任、関係する指導係長)の間での諸記録の公開と、カンファレンス(スーパーヴァイザーとして指導課長、指導次長を含む)を欠かさずチームアプローチをとっていくこと、などを留意点とした。

なお、考察における分析の対象となった記録は、(1) クラス全体のグループ(ワーク)レコード、(2) 個別指導計画に沿ったケース(ワーク)レコード、(3) 特別行動記録としての特設場面でのカウンセリングのエピソード記録、及び、(4) カンファレンスの議事録である。

4. 問題と対応の経過

1. クラス異動

当園全体のクラス編成は2部門に分かれている。入所ケースは、デイケアの日課・作業部門と、朝とナイトケアの日常生活指導部門の2つのクラスに同時に所属することになる。本児が入所して5年目(1991年度)の4月、これまでの作業学習のデイケアクラス(木工部)を卒業し、職業指導に準じた授産作業クラス(ハンカチ折り作業)に移籍することになって、工賃をもらう経済生活に入った。同時に、日常生活指導クラスも筆者担任の入所授産施設担当のクラスに異動した。

2. 第1期: 盗みが頻発した時期(4月半ばから5月半ばまで)

授産作業クラスでは、ガーゼハンカチの縫製工程後の独特な折り方の手作業の指導を中心に進めた。4月中旬の導入段階では、作業担任が本児の背後からついて、手を取りながら動作伝達を続けていった。本児の手先の器用さからすれば、当初は数時間で、遅くとも数日あれば動作習得するものと予想されていたが、実際に本児が介添えなしで折れるようになるまでには約1ヵ月を要した。そしてこの期間に、まず初めの行動問題である盗みが現れた。以下<>は事実経過。(1)=(11)は筆者とのやりとりの特徴的なエピソード記録の抜粋。Tは担任の略記である。

<4/22 :授産の給料日にクラスのB男の給料袋が紛失する>

B男の動線からはどこかに落としてしまうということは考えにくく、盗難以外の可能性は薄いと思われた。翌日の昼休みにクラス全体に向けてB男の給料袋の所在を問うた時、担任の視線を避けるようなA男の動揺が観察された。クラス担任間でミーティングをもった後、A男への個別対応を開始した。カウンセリングの方針は、他人の持ち物を盗み、隠してしまうことの非を教えるだけでなく、本当のことを担任に素直に話せるという関係づくりに重点が置かれ、あくまでも事実を究明するためにじっくり時間をかけて本人と話し合うことにした。

(1)(4/24):
夜、就床前の自由時間で。この時点では盗難に関する確定的な証拠は皆無なので、A男が本当のことを離す時とそうでない時の話し方との間にどれだけの違いがあるか、確かめることにした。そのために、こちらが聞き出したい事柄の中に、双方が認識している明らかな事実を混在させながら聞くことにした。
T
「初めてのお給料が出て良かったね。お疲れ様。がんばっているA男君、好きだなあ」
A男
「ぼくもせんせいのこと、すき」
T
「ありがとう、先生も嘘をつかないから、A男君も嘘をつかないで話してね」
A男
「なんのこと?」
T
「前のクラスにいた時のことだけど、外出で持っていったお金より多く買い物をしたことがあったね。あれはどうしたのかな?(この件に関してはA男の持ち出しが確認されている)」
A男
「・・・きんこのなかからもってきた」
T
「そう。この前、グループ室でC男君のおやつを勝手に食べたのは?あれもA男君?(これは別のメンバーがやったことが確認されている)」
A男
「ちがいます。あれはD男です。ぼくはたべていません。」
T
「そうか。ごめん。B男君の給料袋、どこにあるか知ってる?」
A男
「・・・しらない。ぼくはとってないよ」

自分が関与していないことに関しては、きちんと視線を合わせ、自信を持って言ってくることがわかった。しかし、それ以外では、口ごもったり、視線を避けるように感じた。さらに、投影的な応答ができるよう第三者のこととして聞いてみた。

T
「B男君、落としたのかなあ?」
A男
「おとしたんだよ」
T
「B男君はどこに落としたと思う?」
A男
「くさむらかな?」
T
「草むらに落としたのを誰か拾っていったんだな?A男君、見た?」
A男
「みてませんよ」
T
「でも、どこかに持って行った?」
A男
「すこしだけもっていった」
T
「どこに落ちていたか教えてくれる?」
A男
「いいよ」

A男の言葉を受けて、本児とともに現場付近を捜すが見つからない。長時間になり、探し始めてからはA男の言葉の信憑性が薄れてくるのがわかった。ただし、前言でA男の関与が示唆された。

(2) (4/26):
夜の集まりの後。担当直入に、T 「どこにある?」と聞くが、全否定。しかし、T 「一緒に探そう!」には乗ってくる。結局見つからず、T 「今日はここまで」と打ち切ると、 A男 「また、あしたもおはなしいいですか?」と個別対応を求めてくる。本児の表情の緩み方から、事実を隠し通すことよりも、こうした個別の話し合いをもつことの方に魅力が生じていることが感じられた。
(3) (4/27):
夜の集まりで、クラス全員に向かって、T 「B男君の給料の件では、みんなに心配をかけましたが、結局見つからなかったので、先生が立て替えることにします」と、表向きに終結宣言をする。すかさず、 A男 「チェッ!」と小さく舌打ちして残念がっているのが見えた。

<5/3 :帰省直前の準備で、以前に隠していたと思われる現金7200円をトイレから持ち出すところを発見、没収。母親が迎えにきている状況でそれ以上は追求できず>

<5/11 :他クラス職員が非常階段下のダンボール箱を処分しようとした時に、その間からB男の給料袋を見つける。開封してあったが、金額は全額そろっている>

(4) (5/12):
夜の集まり後。クラス担任間でカンファレンスをもった後、A男との話し合いを決める。
「今日は嘘を言わないで本当のことを話して下さい」
A男
「・・・」
「B男君の給料袋が出てきました。どこに置いたのか教えて下さい」
A男
「はい。ごめんなさい。ぼくです」
「じゃあ、案内してくれるね?」
A男
「はい」

(とTを連れて行き、給料袋の見つかった正確な場所を示す)

<ところがその翌日(5/13)のクラス外出後、今度は指導員室の机の中に入れておいたE男の財布から4000円が紛失する。同行したA男に再び挙動不審なところがある>

(5) (5/13):
昨日に続く今日の件だけに、担任も戸惑いを隠せない。しかし、A男 「なんでぼくばかりうたがうんですか?」に始まったやりとりも、E男君がデパートでおとすのをみました」、「おとしたのをひろってデパートにおいてきました」に変わり、「おとしたのをがくえんにもってきました」になる。何ヵ所か一緒に捜すが見つからず、話しの打ち切りは強い抵抗を示すという、前回と同じパターンになった。以後、5/15、5/16と話し合いを続ける。
(6) (5/17):
3日目になって、A男 「はい、みつかったよ」と手際よく私物の空き缶から千円札4枚を出してくる。さばさばした表情で、一件落着したことに満足した様子でもあった。
この件を契機に、カウンセリングだけでなく、次の3点に関してのマネージメントを強化することにした。第一は、現金の管理で、給料袋の引き継ぎや外出時の財布に対する職員の注意だけでなく、大型金庫による二重管理や残金照会の徹底などが義務づけられることになった。第二は、私物管理で、これまで自主管理にさせておいた本児のロッカー整理を担任と一緒に行うことにした。第三は行動のマネージメントで、担任の視野外になる場面を最小限にし、授産への出勤・退勤時などは担任が必ず行動を共にすることを取り決めた。また、これまで余り重視してこなかった、就床前の日記つけを個別対応の時間として毎日確保することを担任間で確認した。
5月下旬からは、金銭の盗みはなくなった。代わりに、今度はクラスで用意してあるおやつを持ち出し隠れて食べてしまう行為が現れ、ほぼ連日その対応に追われることになった。カンファレンスでは、本児の行為は前クラスの時と同じ傾向にあり、対象が金銭から食べ物へと転化したに過ぎず、欲求不満状態には変化がないのではないと危惧された。また、問題が出たときのかかわりの印象が普段に比べると強すぎるので、逆に問題行為を強化している面はないか。問題が出た時はむしろ淡々と接し、普段の何気ないかかわりの印象を強めてはどうか、という意見が出された。

3. 第2期: 拒食が3ヵ月間続いた時期(7月上旬から9月下旬まで)

その時々の個別対応や菓子類の置き場所の工夫などで7月上旬には隠れ食べはなくなった。本児も『かってにとらない。かってにたべない』という言葉を呪文のように繰り返し自分に言い聞かせていた。1日が終わると「きょうはがんばってがまんしたよ」「かってにたべなかったよ」と担任に報告してくれるようになったが、かなり意識過剰になっている様子も感じられた。おやつだけでなく三度の食事量そのものまでが減っていったのはこの頃からであり、同時期に授産の作業量も漸減していった。7月中旬には食べる前に自分で盛りつけ量を減らすことが習慣化してしまう。しかし、この時点では、促せばそのやり取りで何とか食べてくれるという状況にあった。

(7) (7/3):
朝食時。A男、食事に盛りつけ量を減らす。T 「このくらいなら大丈夫、もう少し頑張って」と言うと、急に、 A男 「イヤ!あたまいたい。おなかいたい」と返答してくる。T 「静養したら?」と席を外して休むことを勧めると、 A男 「だいじょうぶ。いまのはうそです」と態度を変え、結局全量食べる。
この間、いったんは影をひそめていた金銭のトラブルが再発した。

<7/7 :外出先で再びB男の財布から現金を抜き取って買い物をした様子。帰寮後、時間を長くかけず、手短に問いただすとすぐに認める。 寝る前の日記 「ごめんなさい。おみせ(から)もってきました」とスムーズに書く>

<8/13 :帰省で持ち帰る荷物の中から現金2100円が発見される。卒園生との接触があった場面で抜き取った様子。卒園生の紛失した金額と合致する。帰省が自分だけ遅くなってつまらなかったから、と素直に認める>

<8/22 :自分の給料袋を持ち帰る時に11000円を抜き取って隠した様子。T 「袋からお金抜いた?」と聞くと、 A男 「ごめんなさい。とった」とすぐに言葉が出る。ハンカチ作業用のビニール袋に入れ、トイレの掃除用具置き場に隠していたことがわかる>

9月に入ると、どの担任がかかわっても食べることを拒否し始めた。この1ヵ月で体重は11キロ近く減少し、頬がげっそりとこけてきた。以前は、減らす量の方が少なかったが、この時期は食べる量がほんのひと口ふた口という状況になっていた。クラス担任でカンファレンスをもち、本児の状態を拒食症状と判断し、食事にかかわる一切の干渉を排除していく方針を決めた。減らしたいという要求は受け、本人の思い通りの量になるまで減らし、食べたくない時には無理強いすることをやめた。この対応方針の変更により何より健康状態が心配されたが、本人は食べられないながらも緊張がほどけて明るくなるように感じられた。また、作業担任によるカウンセリングも並行して開始されたが、やはり、食べることに関しては無反応であった。

4. 第3期: 無断外出という手段に訴えた時期(9月下旬)

(8) (9/19):
朝の配膳時。T 「(A男の視線が配膳台の上にある厚焼き卵に注がれているのに気づき)つまみ食いしないで頑張ろうね」とひと声かける。 A男 「うん」とひと声かける。A男 「うん」と返事はしたものの、しばらくして確かめると口をもぐもぐ動かし、片手の中にかじった残りの厚焼き卵が出てきた。 T 「つまみ食いするのだったら配膳の役割は結構だから、自分の部屋で休んでいて下さい」と伝えた。その場から離れることに抵抗感を示していたA男だったが、 T 「明日の配膳ではつまみ食いはしないように頑張ってね。今日はもういいです」と繰り返すとあっさり食堂を出て行った。この直後からA男は行方不明になった。関係職員が捜索活動に移って約2時間後、地元警察防犯課より電話連絡が入った。園から約10キロ離れたガソリンスタンドで保護され、通報があったとのこと。当日は台風が接近していた暴風雨の天候で、A男はびしょ濡れの服を取り替え、寒さに震えながら担任の到着を待っていた。この日以降、担任の視野外になるときは必ず2担任制をとることにしたが、その隙を突いて園外に出ていこうとフェイントをかけるようになり、一時も目が離せなくなった。
(9) (9/23):
夕食前。再三の無断外出のため、休日の外出希望を中止する。残留したA男と話そうと居室に入ると、本人はベッドで毛布にくるまっている。近づくと足で蹴り上げ、 A男 「でていけ!はなしたくない!」と強い拒絶を示した。
(10) (9/24):
夕食を強く拒否し、出ていこうとして荒れていたが夜の集まりに参加してもらう。クラスメンバーの中にも心配していた者が多く、ことの顛末を担任から全員に伝えることにする。すでに周知のことだったが、敢えてA男の名前は伏せ、「~こういう人がいました」という言い方をしていく。事実をひとつ話すごとに、 T 「みんなはどう思う?どうしたら良いだろう。何か良いアイデアありませんか?」と全員に問いかけていった。ひと通りの話が終わると、黙って聞いていたA男が突然立ち上がり、「みんな、ごめんなさい。もうでていくっていいません。D男くん、ごはんはこんでくれてありがとう。こんどからはなしをちゃんときいてやります。がいしゅつにもいけるようしっかりやります」と、小声ながらも言葉に詰まらずに話し通したので全員で拍手する。集まりが終わって担任と二人きりになり、 T 「明日は給料日。今度は大丈夫かな?」と念を押すと、大きな声で「だいじょうぶ!」と笑顔が戻る。
翌日の給料はトラブルなく持ち帰ることができた。以後、金銭にまつわるトラブルは出ていない。
(11) (9/26):
担任からの連絡で、心配された母親が来園。昼食場面に入られ、食の進まないA男をしきりに励まして帰られる。この日をきっかけに食欲が戻っていく。夜の電話プロで、母に、「明日からもりもり食べて太ったらビデオを録画しておいてあげるから」と言われ、大喜び。部屋に戻り、献立表を見ながら、 A男 「これすきなのにたべなくてもったいなかったなあ。こんどはおかわりなんばいしようかな?」と、その夜は、約3ヵ月ぶりに食事に関する明るくはしゃいだおしゃべりが続いた。
以後、拒食症状は完全に消失し、10月の時点で元の体重(60kg)に戻っている。

5.考察

1. A男の不適応行動の変容について

Zigler and Balla(1982 10))によれば、施設入所前に多くの社会的な剥奪を経験してきた子供ほど、入所後の支持的な大人の社会強化に対する反応(いわゆる依存的現象)が大きいとされる。担任に対して極度に依存的であったり、生活技能の高さに比べ自律的行動がとりにくかったA男の入所後の状況も、父親不在による思春期以降の母子関係の不安定さがその背景になっていたと推察される。入所後4年間の問題経過をみても、依存要求の強い、神経症的傾向の高い性格がうかがえるが、母親・家庭からの分離生活・集団生活に入ったことにより、その不安定さがしだいに増幅されていった様子がわかる。新たなクラスへの異動にあたり、本児を初め周囲の期待は大きかったが、結果的には、自己意識の成長をもたらす契機にはなり得なかったといえる。

第1期では、自立への不安から、逆にそれまでの行動パターンに固執させ、「問題」行為を再現させてしまったことが考えられる。一方ではその行為をきっかけに担任との濃密な個別接触(1)が始まった。しかし、このカウンセリングアプローチは、行為の善悪に気づかせるよりも、A男から見れば自分を支えるための個別対応として映り、かえって依存欲求が充足されていくことになった(2)。(3)の終結宣言は再び本児の中に欲求不満を呼び起こし、自らでいったん区切りをつけた後(4)、新たな材料を持ち出してきた(5)。しかも、その動機は一向に解消されないまま、第2期の拒食を迎えることになる。拒食のきっかけは、「盗食」の否定が余りに意識されすぎ、「食べること」への否定全般に広がって、内面化されたものと考えられる。井上・横井・京鳩・赤垣・岡 (1991 2))は、拒食症の心理ダイナミクスを、自立と依存の不統合を母子関係の中に反抗手段として持ち込んでいる姿と見る。本児の拒食表現も同様に、担任に向けた自立と依存の不統合状態だったと考えられる。担任が食べさせようとすればするほど、かたくなに食事を拒否し、その反抗が自己存在のアピールでもあるかのようだった(7)。ところが、担任サイドは、食事に関する干渉を一切止めた。A男の反抗心は空を切った。盗みも早期に解決するようになって依存欲求の不安も個別には満たされないままに、第3期へと滑り落ちて行った。すなわち、どう反抗をしても手ごたえがなくなた状況で自暴自棄になり、「見捨ててほしい」というラポートを拒絶する動機でとった行動が無断外出であったと思われる(8)。この時期は担任に対する拒否反応が非常に強く、半ば抑うつ的な状態になっており、個別対応だけでは引き上げにくくなった(9)。そこで筆者はオープンカウンセリング (野田・萩、1989 7))技法を援用した。オープンカウンセリングとは一種の集団カウンセリングであり、個別場面では反発が生じて伝わりにくい行為の是非に対して集団から間接的に解決方法を提案し、個人の問題解決動機を高める接近法である。個別対応では引き上げにくい自暴自棄の段階からの脱却に必要な「勇気づけ」に大きな役割を果したといえる(10)。拒食の終結には母親の来園がきっかけになり、拒食手段が無意味化されたことによるものと考えられる(11)。本児の示した「問題」行動の消長期間はいずれも数ヵ月であったが、その意味するところは、本人と新しいクラス集団、及び、担任との関係性で引き起こされた不適応行動の変容過程であったと考えられる。

野田・萩(1989 7))によれば、競争原理が支配しているクラス集団における子供の問題行動は次の5つの型をとってエスカレートいていくという。 すなわち、1) 賞賛を求める、2) 注目を引く、3) 権力闘争をしかける、4) 復讐する、5) 無能力を誇示する、の5パターンである。新入ケースを迎えるにあたり、受容的な雰囲気づくりに努めるのが担任の役割ではあるが、24時間の集団生活の枠の中で手段を選ばず必死に自己を守らなければならなかったA男にとっては、どこのクラスも競争原理に充ちた集団と映ったにちがいない。実際、知識障害の個人差が大きく、協調原理を意識できないケースが多い場合のクラス集団はおのずと競争原理支配の性格を強める。筆者担当のクラスにA男が異動して来てからの危機的状況の進行を当てはめてみると、 それぞれは、1) クラス異動直後から盗みが始まるまで、2) 盗みが頻発し対応が始まった時期、3) 拒食の続いた時期、4) 盗みが再発し、短期に頻発した時期、5) 無断外出が繰り返された時期、に相当すると解釈することができる。こうした内面の解釈は、一連の現実対応の妥当性を高めたともいえる。入所施設における心理臨床では、個人の内面と、環境としての集団とが交互に作用し合い、変容し合う過程で「問題」が生じ、また、解決して行くという経過をたどる場合が多い。本ケースでは「問題性」がおよそどのような方向性をもって変容していくか、事前に想定することの重要性を痛感した。

2. カウンセリングアプローチの有効性について

アプローチの有効性は、対象となるケースのプロフィールによって異なってくる。本事例では、健常児のおよそ5歳のレベルの言語性があることを前提にしてカウンセリングアプローチを選択した。5歳レベルの言語性とは、中間項の存在の意識化や時間的・空間的な関係づけを基盤に、約束や集団ルールの理解などが可能になる時期とされる (下妻、1980 8))。しかしながら、本児の場合、情緒・社会性の未発達状態が顕著であることがはっきりし、自我発達の面からも主体性が確立されていないことがわかった。本児の自己決定・自己解決の力は非常に弱いと想定されたため、比較的指示的要素の強いアプローチをとらざるを得なかった。特に、盗癖が現れた時の関わりは矯正教育的になり、受容的態度が本児のセルフコントロールをかえって弱めてしまうという混乱さえ生じた。

導入期では、とかく、ラポートづくりを焦るあまり個別対応に長い時間を費やすことが多かった。しかし、いったん問題が生じた場合、(1)、(5)のような時間をかけた接触は、逆に問題行動を強化してしまう可能性が考えられた。 中村(1991 5))の指摘にあるように、むしろ、行動の動機のほうに焦点を移し、日常の言動に対して端的な接触を重ねることが効果的であることを実感した。

盗む行為の意識水準が低下し、「癖」として繰り返された状況をカウンセリングだけで改善することは難しいと思われた。盗癖に対する金銭・私物・行動のマネージメント(6)、拒食症状への対応方針の変更(7)や無断外出への担任配置(8)などは、言語性中心のカウンセリングアプローチを補完し、現実対応を進めていくための非言語的な環境調整の役割を果したといえる。これら環境調整の考え方は、生活療法・環境療法 (菅、1974 3))の枠組みで指摘されているが、施設における指導では、行動・情緒障害の改善・治療に有効なアプローチのひとつとされている (井田、1985 1))。知的障害が重く、言語による調整機能や情緒・社会性が未発達なケースに対してカウンセリングアプローチをとるときは、とくにその併用が必要であると思われた。

6.おわりに

A男は翌年度の安定期を経て一般の事業所に体験的職場実習に入るまでになった。A男とのかかわりは、不適応行動の改善を目的としたことを超えて、入所施設における個別対応とクラスマネージメントのあり方に貴重な資料を提供してくれたと思える。知的障害をもつケースへのカウンセリングアプローチの有効性を検討してきたが、その限度とそれを支えていく環境調整に関しては、今後さらに実践を蓄積していく必要性のあることが認識された。

謝辞

本事例研究をまとめるにあたり、ともにA男の指導実践に取り組んで下さった津島司郎先生、南川岳胤先生、下田尾亜也先生、高田宏先生、アドヴァイスを頂いた八田重則に対し、ここに記して感謝の意を表します。なお、本事例では本人のプライバシーを守るために、筆者の責任において若干の修正を加えてあることをお断りします。

文献

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  • 7) 野田俊作・萩昌子 (1989) クラスはよみがえる-学校教育に生かすアドラー心理学-。創元社。
  • 8) 下妻幸美 (1980) 乳幼児の発達と保育。堀江重信(編) 障害乳幼児の発達と医療、青木書店、282-284。
  • 9) 高橋潔 (1990) QOLを高めるために-自我発達段階を考慮した日常生活指導の実践と留意-。第28回全国精神薄弱施設職員研究大会発表論文集、130-131。
  • 10) Zigler,E. and Balla,D. (1982) Mental Retaedation The developmental-difference controversy. New Jersey, 田中道治・清野茂博・松村多美恵(訳) (1990)精神遅滞とはなにか 発達-差異論争上、明治図書、52-72。

主題:
施設入所中の知的障害児に現れた不適応行動に対するカウンセリングアプローチ
著者名:
高橋潔
掲載雑誌名:
特殊教育学研究
発行者:
日本特殊教育学会
発行年月:
1994年
登録する文献の種類:
研究論文
情報の分野:
社会福祉・心理学
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