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問題行動を持つ知的障害者の
地域生活援助への移行を前提とした入所施設援助


渡辺勧持(愛知県コロニー 発達障害研究所)
島崎春樹、吉田とき江(社会福祉法人あさみどりの会・べにしだの家)




1. 問題の所在

知的障害者のサービスは、入所施設利用者を中心に構えてきた戦後以降の福祉から「地域で共に生活する」(障害者プラン)方向へ、大きく変わりつつある。

この日本の変化は、1950年代後半から現在に至るまで続いている欧米先進国におけるノーマリゼーション理念の実現、またその影響を受けた発展途上国のCBRの展開などの変化の中で起こっている。

この変化に伴い、欧米ではいわゆる問題行動(欧米では、Challenging Behavior【環境側にあるべき正しい対応を要求する行動】という言葉がを使われてきている)(注6)への対応も変わってきた。

知的障害者が収容施設の中で生きることを強要された時代には、施設の貧困な生活状況(職員人数の不足とそのために起こる集団処遇、個室もなく時に施錠される集団部屋、家族や親しい人々からの切り離し、施設の建物や一般の社会資源を利用できないためにおこる仕事や余暇活動の制限)は変えることができないという前提で問題行動への対応が考えられた。施設の環境に適応できず、環境を適切なものにしてほしいという要望から現れる行動(Challenging Behavior)は、施設の日課や施設の社会的・物理的環境の変更は困難であるという理由から、個人の側を変えて問題行動を低減しようとする観点で治療方法が開発された。問題行動は、「不適切な行動」「なくすべき行動」と見なされてきた。

「地域で共に生活する」という考えに立つと、このような施設生活をふつうの人が行うあたりまえの生活に戻すことが考えられ、そのなかで知的障害者への援助を考えるようになる。その場合には、個人の要求がまず尊重され、その要求に応じて援助者を増やしたり、自分の部屋をもち、家族とのつながりができ、いろいろな仕事や余暇活動を選択し、自分で決める、というふつうの生活が行われる。その環境に合わないために、適切な環境を用意してほしい(Challenging Behavior)という行動が出た場合、その要求に沿って、その人の活動や生活が再構築されていく。

欧米では、「地域で共に生活する」理念に基盤をおいたサービスは、問題行動を持っている人々にもひろがり、そのための方法がすでに多く検討されている。それらの結果は、今後日本が同じ方向に進もうとするときにいろいろな示唆を与えると思われる。一方、日本の知的障害へのサービスは、その後進性、あるいは家族機能や専門家のあり方の違いのために、逆に欧米やアジアの国々に新しい考えを提供することもあるだろう。

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2. 研究目的と方法

本研究では、「ふつうの生活」をサービスの基本にすえ、地域生活への移行を前提とした入所施設に問題行動を持つ人が入所し、生活の中でより適応的な行動が増え、適切な環境を要求する行動(Challenging Behavior)がより少なくなった場合、どのような生活条件がその変化に関与したのか、またそのような生活環境を作る場合のコストおよび制度について検討する。研究の方法は、施設の運営者が現実の問題行動への対応を行っている施設(入所更生施設「べにしだの家」)全体の運営経過および問題行動をもつ事例の報告を行い、施設運営に関与しない外部の研究者が状況を観察しつつ、欧米の研究結果との異同点を検討し、施設運営者、援助者と外部の研究者との討論によって問題行動を起こしにくくする生活環境との分析を行う。

初年度は、以下の3、4で対象施設(べにしだの家)の運営方針と実態、そこで問題行動を持った人が生活した経過を施設運営者および援助者から報告し、5で運営とは関わりを持たない外部の研究者が、今後の問題行動の分析の視点を考える参考として、施設から地域へのサービスの変化に伴う問題行動の対応方法の変化を英米の文献から検討し、それらの対応と「べにしだの家」との対応の異同点の印象を報告する。次年度より、問題行動と生活環境条件との分析および地域生活を可能にする問題行動対応への制度について提案を行う。

(渡辺勧持)

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3. 問題行動を持つ人々に「地域生活への移行」を前提として対応する入所更生施設の運営-べにしだの家の実践を通して-

べにしだの家(入所更生30人・通所授産20人の複合施設)は、年令の若い人に(出来れば10代から)入所していただき、施設機能を活用して、働く力、生活する力、他者と協調する力など、「自立して生きる力」を身につけて、地域へ送り出す拠点として設置した。

施設の目的を「地域生活への移行を前提」とする背景には、設置経営主体である社会福祉法人あさみどりの会が、(1)通所授産施設「わらび福祉園」をバックアップ施設として、三つのグループホームを設置運営し、最重度者や問題行動を持つ重度自閉症者の地域生活を実施している経験があること。(2)法人の第1号施設さわらび園が母子通園施設であり、開設当初(25年前)から保護者(両親)教育に力を入れてきて、障害児(者)の療育に保護者も共に取組む精神的風土が育っていること。(3)法人の理念が伝統的にボランティアの心を基調としていて、支援者の層が厚いこと。などの経験と資源を活用すれば、時代の趨勢が「地域福祉」の推進を求めていることもあって、障害の重い人も、問題行動を持った人も地域生活を送ることが出来ると確信できたことがある。

施設を「入れる」所ではなく、自立して「出る」所として位置づけ、それを実践していくためには、入所者の能力や発達の状況に応じた処遇内容を設定しなければならない。

べにしだの家では、開設後の経過にそって職員配置、勤務形態、保護者、ボランティアの参加等、入所者の状況に応じたサービスを考えてきた。

特に入所者の障害が予想以上に重かったこと(50人中重度者が42名、身障手帳保持者12名)、また半数が自閉症で問題行動を持つ人が多かったことから(強度行動障害の範中に入ると思われる人が13名)、初期の職員配置を厚くした。

昼間の作業場面には、利用者50名(入所30・通所20)に対し、職員18名、保護者・ボランティア2~3名配置し、ほぼ50:20で対応している。(開所当初も現在も)

夜間の対応は、入所者30名に対し開設月(平成7年9月)の宿直を夜勤1名以外に8名配置し、徐々に減らして現在は4名で対応している。また保護者(主に母親)も体験学習(職員との個別話合い、他の障害者との交流など)とボランティアを兼ねて宿泊当番を行なっている(開所当初3名→現在2名)。宿泊ボランティアは学生を中心に加わって貰っている。(表1)

施設に入所している人の精神的支えになるのは何と言っても家族である。入所時に最も重要な条件として提示したのは、家族の協力である。保護者会は父親で構成し、入所者が将来地域で生活出来る環境を整備するために、開設当初から将来の地域生活の環境づくり(グループホームの建設等)のための共同貯蓄をしたり、例えば平成8年度は4回にわたってグループホームについて研修と見学を通して認識を深める活動を展開し、物心両面で取組んでいただいている。

表1. 入所更生30人に対して夜間の対応人数(平成7年9月開所以降の経過)

平成7年 平成8年 平成9年
9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3
宿直 8 7 5 5 5 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
夜勤 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
母親 0 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 2 2 2 2 2
ボランティア 0 0 平均1名 平均2名 - -
9 11 10 10 10 9 9 10 10 10 10 10 10 10 9 9 9 9 9

母親は15~20人のグループカウンセリングでの研修や、入所者の親の宿泊当番などを通して、入所者が生活する力を身につけるための自立援助を、施設と家庭の双方で一貫して取組めるよう、情報交換と学習活動を展開している。

兄弟姉妹の会は年2回開催し、兄弟の役割についての確認や、親睦を深める活動をしている。

べにしだの家で家族援助を最も重視しているのは、法人の25年間の療育経験から、日常の家庭生活が困難な状態で、障害児(者)だけにどんな治療や教育をしても、その結果が乏しいことを体験的に認識しているからである。

問題行動をもつ人も暮らし易い環境にするためには、生活の中味や対応を限りなく「普通」にすることによって、生活の中で自然に治癒されていくのではないかと考え、本人のまわりの「人間」「場所」「活動」の環境を整えることとした。

1年半を経過して、行動障害への特別な対応はあまりしなかったのであるが、問題行動の頻度は全体的に著しく低下している。

以下は普通の生活を施設でどこまで保障出来るのか、施設開設時からの環境づくりの実験的取組みの一端を述べると共に、問題行動をもつ人2人の行動状況を紹介してみたい。

1. 人間環境について

国際障害者年の主旨の中にあるように「少数の障害者が混じっている方が健全な社会である」ことが普通の生活とすれば、多数の障害者に少数の非障害者の組合わせの施設生活は異常と言えるし、家庭で母親(等)と成人になってからも長期間密着状態にあることもまた普通でないと言えよう。

べにしだの家では、障害者本人が精神的にも物理的にも自立性が高まるまでは、処遇場面に人員を多く配置することとした。それは専門性のあるなしにかかわらず、はっきり言葉がしゃべれて、視線が送れ、受容性に富んだ人がまわりにいることによって安定するのではないかという平凡な仮説からである。

(1)家族

人間の孤独感(淋しさ)が常に癒され、安定した心でくらすためには、「愛されている自覚」のようなものが必要であり、中でも「私個人」を見ていてくれる家族の存在は、生涯に渡って必要である。強度行動障害のような行動を示す人の家族環境は、母子密着型であったり、逆に疎遠であったりして、親子の間の程よいパーソナルスペースが保持されていない場合が多く見られる。そうした場合「家族の愛」が本人にうまく伝わっていないのではないかと考えられる。

べにしだの家では、在宅時においても施設入所後も、またグループホームなどで、地域で自立生活を送るようになっても、程よい距離からしっかり視線を送り、しっかりかかわることが出来る家族を育成するために、父親・母親・兄弟姉妹のそれぞれの学習プログラムを実施することとした。

1年半の経過の中で、本人と家族(特に両親)との関係調整が機能して、行動障害の改善に繋がった事例が多く見られた。例(1)父親が意欲をもって取り組むようになり、家族全体が啓発されて本人に安心感を与える要素が増えた。例(2)母親の声かけ、スキンシップなど対応を常態化することによって、本人の異常な反応を鎮静することができた。例(3)施設活動への参加、個別・グループカウンセリング等を通して、母親の情緒が安定し、余裕をもって本人の強いこだわりにも適切に対応できるようになった。などである。

(2)職員

入所者のくらしにかかわる頻度の最も高い職員は、本人の人格を尊重する中心的存在である。また職員は、入所者のくらしのリーダーであり、モデルでもあり、また他の人(家族・ボランティア。地域住民)に対しては、知的障害者への接し方を示唆できる専門性が求められる。

べにしだの家では、職員採用に当って、年齢、性別、学歴(同じ大学は2人以内までを原則、学部は社会福祉に片よらないなど)、経歴(職歴、ボランティア歴など)の異なった職員集団を構成し、適度の緊張感で学習が継続され、異質の協力関係が構築されていくことを期待した。

開設時は未経験職員集団でもあり(経験者2名)、最重度者60%(内重症心身障害者6名)、行動障害を伴う人が50%以上であるので、昼間の職員配置は入・通所者50人に対し指導員18人全員とした。夜間は開設当初は30人の入所者に対し、夜勤者1名、宿直者8名を配置した。以後夜勤者1名、宿直者4名配置している。こうした職員配置は、家族の協力による入所者の週末帰省と、職員のボランタリズムに支えられて可能となっている。

入所者への対応は、「非指示的」「受容的」態度を基本とし、強度行動障害に対しても危険防止以外は、積極的改善策(行動療法的な手法など)は行なわないようにし、あくまでも「普通の生活」の中での自然な治癒現象が起こることを期待した。

職員の処遇技術は極めて未熟であり、数々の失敗も見られたが、多数の職員がかかわることにより、入所者一人ひとりに声がかかり、目線が行き届くことによって安心感を得られたのか、全体的に日に日に落ち着き、それぞれの行動障害の頻度が激減していった。

(3)ボランティア

普通の若者は高校から大学へ進み、また社会人となる中で豊富な友だちに恵まれ、恋人も出来、自動車を走らせ、レジャーを楽しむこともできる。それに比べ知的障害者の大部分の友だち関係や余暇時間は極めて貧しく、(知的障害者同志はコミュニケーション能力の低いこともあって真の友だち関係を維持しにくい)、常に親や先生・指導員と名の付くチェックマンに見守られて(監視されて)過ごしている場合が多い。

べにしだの家では、入所者のまわりに友だち(チェックマンでない人)としてかかわってくれるボランティアを、大学生を中心に募集した。現在18人が、毎週又は隔週宿泊して入所者と共に過ごしている(毎日PM5:00~翌朝8:30 平均2名が宿泊ボランティアとして参加)。

若くて、やさしくて、元気な人を友人として迎えると、入所者の表情がいきいきとする。そのうち好みの人、相性の良い人に出会うと、その人が来る日は「どきどき」したり「わくわく」したり、心が動き、心が元気になり、能動的になる姿を見ることができる。

昼間の主婦ボランティア、保護者の参加、実習生、見学者も入所者の心をゆさぶる資源となる。常に施設の中に新鮮な空気が流れ、職員にも、入所者にも適度の緊張感と生きがいを感じる状況があることも必要なのである。

これらの人間環境のダイナミックスが行動障害の改善にどう機能したかを数値的に表現することはむずかしいが、行動障害の要因が認知の不安や不快な人間関係などであることから考えても、明るく、積極的な人間環境にあることは、前向きな姿勢を喚起することに繋がるものと考えられる。

2. 場所の環境について

人間にとって行く場所があり、帰る場所があることは幸せである。人間は「迷子になる不安」をかかえて生きていると言える。人間の幸福の条件の中で「場所」は重要な位置を占めている。

知的障害者が施設に入所すると共同生活になり、部屋も4人部屋では個人の場所があいまいになり、たまに帰省すると家庭には本人の居場所がなくなっていたという話がある。こうした状況に置かれていることは、身の置き所の不安定な一種の「迷子不安」になるのではないかと思われる。

べにしだの家ではこうした不安をできるだけ持たないで生活出来るようにしたいと考え、家族の援助体制づくり、施設の居室の個室化などの固有の場所への配慮と、共有の場所である働く場や活動の場についても、入所者はもとよりであるが、援助する人がかかわり易いようにしたいと考えた。そのほか個人の持ち物、共通の家具や観葉植物、室内装飾などもくらしの快適さを支える。

(1)建物

べにしだの家の建物設計の中心テーマは「開放的」であり、いつでも誰でも出入り出来、窓を大きくして内外から良く見えるにし、家族やボランティアが入り易く、地域住民にも親しみを持って戴けるような建物にすることによって、とかく閉鎖的になりがちな「施設の問題」を「外化」して、普遍的で明るい場所にしたいと考えた。

  1. 働く場所
    メイン作業室は施設から離れた場所(0.6㎞、借家)に設置し、自然に地域に溶け込んでいくと共に、職場と住居を分離することによって働く意欲を高め生活にめりはりをつけるようにした。施設内の作業室も働く場として独立した雰囲気の部屋にした。いずれも一人ひとりが自分の仕事場としての認識をしっかり持てるよう配慮した。
  2. 居住の場所
    仕事から帰ってから次の朝まで過ごす場所、普通の生活では「家庭」の部分を、施設でどう設定するかは重要な課題である。何と言っても障害者ばかり数十人も一緒に生活するという異常な設定である。その中でなるべく個を大切にできるようにするために、居室は個室もしくは準個室(4人部屋が2部屋あるが壁とカーテンで個人の場所を仕切ってある)とした。また障害を持たない人もできるだけ多く生活に加わって貰えるように、職員・ボランティアの宿泊スペースを設け、援助者の個人用寝具を入れるタンスも用意した。また食事も朝食と夕食はリビングルームでとれるよう、男女それぞれに厨房と食卓テーブルを配置した。
  3. 憩・交流の場所
    まず、常に職員の誰かが居る事務室そのものが交流の場所になるように設計した。職員の個人の持ち物は個々の保管庫に整理し、机はミーティングテーブルとし、空いている時は誰でも座り易いようにした。廊下を作らないで事務室を基点にして、事務室から直接和室、談話室(厨房付喫茶室)、会議室に入れるようにした。その他ポーチやベランダに座れる場所を多く作り、3階の食堂はイベントホールとしても機能できるようにした。

(2)家具

生活に豊かさを感じ、心と身体が喜ぶための一助として、家具は重要な役割を果たす。人間の幸福の条件である「場所」は、家、部屋であると同時に、イス、机、棚などの家具でもある。

  1. イス
    イスは直接身体を受けとめてくれる重要な家具である。選定に当ってはまず座り心地が良いことが第一であるが、ほこりがたまりにくくふきやすいこと、スペースを有効に使うために大きすぎないこと、スタッキングが出来て整理し易いこと、その他場所・用途によって素材、色などを配慮して選んだ。

  2. 机は生活の営みの中心に位置している。机を中心に人が集まり言葉を交し、食事、お茶、そして書類などが置かれ、まさに生きる営みが行われる。形は用途にもよるがくつろぎの空間には円形のものを多くとり入れた。いろは明るい色彩で、事務室はホワイト、作業室ははグリーン、食堂・リビングは木目、談話室(喫茶室)、会議室はピンク系とした。
  3. ベット
    居室のベッドは人生の凡そ1/3を過す重要な場所である。ベッドを寝るだけの道具としないで、座る場所、本などを広げて遊ぶ場所など居室の中で最もプライベートなテリトリーとなるように考え、畳ベッド(2m×1m)とした。また体重の重い人がジャンプしても壊れないよう、特注して頑丈に作り、下を引き出しにして収納できるようにした。
  4. 棚・タンス
    個人の宝物を入れる場所、大事な書類を入れる場所である棚も一人ひとりにとって重要な場所である。居室のタンスは個人持ちとし本人や家族が吟味して設置された。職員・ボランティア用タンスは、大きな引き出しを個人用として50人分用意して、宿泊用のシーツ、毛布、枕が入るようにした。
    それぞれの家具の中にも、人は自分の場所を持っているのである。その他どのフロアーにも観葉植物を配置し、絵や書の額をかけるなど視覚的、感覚的にも生活実感を持てるようにした。

(3)帰る場所(家庭)

施設はどのように工夫しても家庭とはならない。入所者の意識においても施設は仮の宿であり、常に帰る場所を求めていると考えられる。もちろん施設も快適な生活を保障することが大切であり、それ相当の配慮をすればある程度くらし易さは保障できる。しかし「迷子不安」を解消できる程の心の寄り所となり得るであろうか。施設ではその人個人のためだけに人や物を存在させることはできない。

  1. 親の家
    親はその人だけのために存在し得る最大の資源であり、その親の家は「実家」と表現されるように、個人の実の家として存在することが、本人にはかりしれない程の安心を与える。親の家に行けば本人の成育歴の痕跡があり、その家固有のにおいもある、施設にくらしていても「実家」の存在は必要不可欠である。
  2. 兄弟姉妹の家
    親が亡くなった後、最も近い肉親として存在している兄弟姉妹もまた「準実家」として重要な資源である。施設に居ても連絡のたえないこと、出来ることなら引き出し1ケでもいいから兄弟姉妹の家に置いてほしいと考えている。兄弟のない人についても、親戚の誰かが個人の固有名詞で連絡してくれるなど、訪ねてくれる人を存在させたいと願っている「実家」もしくは「準実家」は、帰る場所であり建物や家具として存在することが、心の寄り所となる。

3. 活動環境について

人はどこかで「意味のない人生への不安感」を持っている。知的障害者も人格を尊重され、社会的に認知されることを望んでいる。

仕事や生活のあらゆる場面で、固有名詞で呼ばれ、依頼され、感謝される機会があると、入所者は大変満足な表情や態度を示す。また指示されて行動した時より、自分から主体的に行動した時の方がいきいきとしている。

人間が長年にわたって営んできた、昼は働き夜はくつろぐ、あたりまえの生活ができるよう援助することが、入所者のしあわせに貢献できるのではないかと考えている。

(1)作業

物心両面で生活内容を豊かにするために、昼間の活動は全員福祉的就労(授産作業)に従事することにした。

就労の場には自分の座るイス・机があり、自分の仕事がある。その中で自己の存在感を感じ、生き甲斐を感じることができる。

作業は企業の下請の仕事をしており、厳しい品質管理と納期を守るために、作業室には常に緊張感がある。その中に身を置いて仕事することにより、入所者にもその緊張感が伝わり、その雰囲気に啓発されて作業能力が向上すると共に、心が引きしまって、行動障害のある人もその状態が鎮静化していくのである。また働いたことの証しとして工賃が支給され、それで好きな物を買うことができるなどの喜びが、かなり障害の重い人にも理解できるようになると、一層作業活動はもとより生活全体が充実していくのである。

ちなみにそのことは、当法人が1982年に開設した通所授産施設「わらび福祉園」(自閉症者50~60%)で、髪の引き抜き、強烈な頭突き、頻繁な故意の大小便、強烈なつねり、かみつき、たえまない大声などの、行動障害を示す人が、作業を中心とした活動の中で次々に改善され、そのほぼ半数がグループホームで暮せる程になった15年間の実践の経験からの仮説である。

べにしだの家の作業活動は、開設から約半年間の騒然とした状況からは想像もつかないほど、いま静かに淡々と流れている。

(2)生活

施設の生活であっても、家庭と同じようにあたりまえのくらしをしてほしいと願い、生活を時間で刻む「日課」をなるべく課さないくらしを作るようにした。

作業時間(AM9:30~12:00、PM1:00~3:30)は厳守し、他の時間は個々人が自分で選択してくらす範囲をできるだけ広げるよう配慮することとした。例えば朝食は自分たちで(宿直職員も含め)作って食べる。洗濯は朝又は夜個々に行なう(家庭用洗濯機で)。入浴は入りたい時間に入る。消灯時間なし(但しPM9:00以降はなるべく自分の部屋で)、など。

べにしだの家の入所者は、障害の重いこともあるが、20数年の生い立ちの中で、指示され続けてきたのか、自分の選択肢で生きる力があまりにも弱かった。しかし1年半を経過して除々にではあるが、自分で選択して動くことのできる人が増えてきている。こうした生活形態も安定した心で暮すことの一助になっていると考えられる。

(3)余暇

べにしだの家の入所者は、余暇(または休憩)の時間に主体的に行動したり、ひとりの時間を楽しむことの出来る人は極めて少ない。職員や保護者の目線や声かけがないと、行動障害と言えるようなネガティブな行為で自己を表現し、他者に迷惑をかけることが多い。これまで余暇時間のプログラムも与えられ続けてきた人が多いのである。

べにしだの家では、ひとりの時間を安定して過せることを期待して、各個室にテレビや好きな物を持ち込むなどの配慮をしたところ、徐々にひとりで過せる人が増えてきている。また昼休みや午後の休憩時間に喫茶室を開きコーヒーなどを楽しめるようにしたところ、徐々に利用者が増えてきている(誘うことはしなくても)。土・日曜の過ごし方については、家族やボランティアの援助で個々のニーズに応えていくようにしている。このように生活の中でさりげなく本人の主体的行動を啓発していきたいと考えている。余暇時間を安定して過せることは、自立への重要な条件となる。

(島崎春樹)

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4. 「べにしだの家」における二つの事例研究-問題行動とその対応-

事例1 ガラスを割るTさん

1. H・Tさん

  • S46.2.14生(26才)女性
  • 自閉症 IQ22 身障2種3級(先天的左前腕上下1/3部欠損)

2. 問題行動の経過と対応

  • 1986年4月
    T寮(入所更生施設 自閉症98%、自閉症者施設として機能)15才の時入所~9年5ヶ月間、日課の変更があったり、職員の目が離れると、ガラス割り、服・ふとん破り、放尿、自傷(頭たたき)が頻繁に続いてきた。
  • 1995年9月 べにしだの家へ措置変更(T寮とは10年契約で入所していたため)

(1)ピカピカの新しい施設のガラスが割れていく

「開放的」をキーワードに作られたべにしだの家は、窓は大きく、外側は全面ガラスの所も多い明るい建物である。

9月の1週間の体験入所を経て、10月に全員が入所して本格的に事業を開始してから、自閉症者施設T寮(定員50名)から移ってきたTさんも活動を開始した。ガラス割り、服破り、布団やぶり、放尿、その他にも手を噛んだり頭を叩くなどの自傷や、まれには殴る噛みつくなどの他害行為もあるというその行動は多彩であり、特にガラス割り、服破り、放尿は頻繁であった。

ピカピカの施設が壊されていく。まわりの人のTさんを見る目は、いやおうなく険しいものになっていく。職員も新人ばかりでどう対応したらよいのかわからない。

何といってもガラス割りは危険を伴う行為、当初は50名の入・通所者に昼間の作業時間は18名の直接処遇職員を配置し、夜間の宿直は8名(男性4・女性4)を配置し、保護者(母親)の宿泊当番が3名入り、30名の入所者に計11名で対応し、Tさんはいつも誰かがマークしていたが、一瞬のスキをついて、昨日は1枚、今日は2枚とガラスが割れていく。

<対応>
割らせないようガードする。それでも割った時はその場で強く叱ることをくり返していたが、あまり効果はなかった。

(2)一晩に4枚割れた日

なすすべもなく1ヶ月余を過ぎて11月12日、たまたまTさんの母親の泊まり当番の日、他の入所者の部屋の入口の窓ガラスが割れてベッドの上に飛び散り、次々に割れて、今度は浴室の入口の窓ガラスの破片が、くつろいでいた入所者の頭上すれすれに落ちてきて、危険な状況になり、本人の興奮もエスカレートしそうになった。

家でもガラスを割り、前にいた施設でも10年間入所中ガラスを割り続け、2日で30枚割ったという実績を持つTさんであったが、目の前で施設のガラスを割ったのを母親が見るのは初めてで、母親はただ呆然としていた。

<対応>
Tさんをその場から別室に移し(2階の居室棟から1階の4畳の部屋に移動させる)、母親と一緒に寝て貰う。

次の日にソファベッドを購入してTさんの部屋に持ち込み、夜はTさん専属の宿直職員(女性)を配置し、Tさんを抱いたり手を握ったりして、1才から1才半の赤ちゃんに対応するようにスキンシップから入ることにした。以後2ヶ月間女子職員が交代でTさんの部屋に泊まり続けた。

昼間の作業時間(9:30~15:30)は、Tさんの横に毎日同じ職員が付き、一緒にTさんの得意な箱折り作業に取組み、食事の時も隣で職員が食べるようにして、Tさんが安心して過せる人的環境を整えていった。

母親にも週末帰省した時は、Tさんの部屋でなるべく接近して一緒に寝て貰うよう指示し、母親もこれを実行された。

(3)ガラスが割れなくなった

ようやく歩き始めた頃の赤ちゃんが、母親との距離が一定以上離れると不安になって泣くのと同じように、Tさんも夜は施錠された部屋で過さなければならなかった長年の施設生活や、週末帰省してもTさんの能力以上の行動を求めて、Tさんの気持ちを十分受容出来ない家族のなかで、Tさんは孤立していて、淋しく不安だったのではないかとの単純な仮説から、援助者との距離を近づけ、「そばに居てあげる」だけの対応であったが、その日からガラスが割れなくなった。頻繁であった服破りや放尿も減っていった。家のガラスも割れなくなった。

(4)放尿が増えた

Tさんはガラスを割らなくなり、ステキな笑顔を見せる日が多くなって安定してきたので、職員は様子を見て本人から少し距離を置くようにしていった。専属職員が、寝るまでそばに居て部屋を出ると、そのあとすぐ部屋で放尿することが多くなった。職員は本人の状態に応じて部屋に泊まったり、泊まらなかったりした。(この期間1ヶ月)

4ヶ月目から専属宿直職員を外したが、ガラス割りはなく、服破りも少なく、放尿は毎晩のようにあったが、そのまま様子を見ることにした。

<対応>
放尿への直接の対応はしなかった。

(5)服・ふとん破りが増える

入所6ヶ月頃からまた服破りが頻繁になった。上下のふとんを破り綿だけの寝床に寝ていたこともあった。服を破って本人がそれを縫うことに熱中する。または母親に縫うことを強要するという状態が続いた。

<対応>
まず本人に施設では糸と針を与えないようにする。母親は「私が縫っているととても良い顔をして喜ぶので」と言われるが、縫う回数を限定する。他の破った服は捨てるなどの助言をする。

TさんはIQ(22)の割に言語が出るので、母親はその言葉にいちいち対応しているが、意思が通じ合わないところで双方がいらいらしている様子が見られ、破った服を縫っていることで安心するような感じでもあった。

母親カウンセリングで、言語の受け答えをもっと単純化して、短い言語でしっかり伝えるように助言した。

(6)服・ふとん破りが減った

母親は来所のたびに家での状況を報告され、声かけや服破り、親戚の法事、結婚式などのイベントへの参加の有無等について助言を求められた。その都度試行錯誤しながらお互いに工夫して取り組んでいくようにした。

頻繁だった服破りが3ヶ月程続いたが、父親や母親のTさんに向き合う姿勢に迷いが少なくなり、対応に一貫性が出てきたこともあってか、Tさんの服破りや不安定な態度が減っていった。

<対応>
一方施設では7月から(開所10ヶ月目)施設から0.6㎞の所に作業所(借家)を開設し、入所者の職住分離を実現した。Tさんもその作業所に通うことになり、彼女はそのことに強い意欲を見せた。(出発時間よりかなり前から門のところに待っているなど)全体的に生活のリズムが整ってきた感じで、職員が常にTさんに目を向けていなくても、普通に過せるようになった。いぜんとして放尿は続いている(月12~13回)が、当面は全体の生活が落着くことによって自然に改善されることを期待することにした。

平成7年9月より平成9年4月までのTさんの主な問題行動の経過を表2に示した。

表2. Tさんの主な問題行動の経過(回数)
行動 年月 平成7年 平成8年 平成9年
9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4
ガラス割り 0 4 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
服・ふとん破り 7 21 4 1 1 2 6 23 11 8 1 1 7 4 2 3 3 6 5 6
放尿 3 10 3 7 12 12 16 16 18 16 13 12 15 16 13 15 13 7 11 10


*ただし平成7年9月は1週間の体験入所中

3. Tさんへの取組みの過程を通して考えられること

平成9年5月2日(開所から20ヶ月)、グループカウンセリングの場で母親は、「Tが破れた服を縫うようにいったので1枚だけと言って縫ったが、まだしつこく言うので、目の前で服を破ったら本人はしゅんとしていた」(前は縫い続けていた)。「カセットの電池がなくなったので夜の9時頃買いに行けという。ことわったら怒ってカセットを投げて壊したので、これで電池を買う必要がなくなって良かったと言ったら、しゅんとして何も言わなくなった」(前は本人の言いなりになり買いに行っていた)。「ドライブに連れていく時も、本人の気持ちを聞かないで行っていた」などと語った。

前は本人が暴れるのではないかという恐怖感で、怒らないように怒らないようにと動いていて、本人の気持ちを考えるゆとりがなかったと言われていたのが、Tさんへの対応にも自信があり、本人の気持ちを聞こうとする姿勢も出てきている。

当施設の保護者会は父親で構成しているが、Tさんの父親は一度も欠席がなく、保護者会以外でも送迎などで度々施設へ来られ、Tさんへの対応についての確認をし、Tさんの将来についても話し合っている。

Tさんの行動の改善についてはまだ緒についたばかりであるが、家族との全面的な連携と職員のボランタリズムに、他の保護者の理解と、開放的な施設の構造など、限りなく「援助的」な環境を壌成していくことによって、Tさんも本来の自分をとり戻すことができ、地域社会で、平和に暮すことが出来るようになるのではないかと考えられる。

事例2 人にかみつくK君

1. K・Tさん

  • S53.4.22生(19才)男性
  • 小頭症(両小眼球症、右瞳孔閉鎖、左白色瞳孔により視力0)
  • IQ測定不可能

2. 経過

  • 幼児期3才~6才まで母子通園施設週3日通園
  • 小・中学校は盲学校通学
  • 16才~17才まで通所授産施設通所

(1)開設時の騒然とした中での問題行動

べにしだの家の開設当初のざわざわとした中で、ひときわ高い声を出して、障害が重く動きのにぶい人をかみつきに行くK君がいた。職員が止めに入れば職員にかみつく、興奮するとなかなか治まらないので、新人職員はどうしていいのかわからなくて呆然と見ているという状態であった。

K君が怒り出すと他の人に被害が及ばないように押さえようとしても、女性職員でははねとばされてしまうので、男性職員が押さえ込んで興奮の治まるのを待つことしかできなかった。

但し中学を卒業してから1年5ヶ月間わらび福祉園(通所授産施設)に通い、同じ職員が一貫した対応をし、家庭での過ごし方にもアドバイスをして、わずかづつ改善に向かっていたので、中学生の頃の激しさに比べると頻度も怒り続ける時間も減ってきていた。

しかし他人にかみつく、ひっかく自分の頭を床や壁に血の出るまで打ちつけるという行為は、まわりに被害を及ぼすので、職員も親もかなりの緊張感を強いられた。

*昼間は居眠り夜はかみつき(開所から4ヶ月間)

K君は作業机に向かうとすぐに眠りに入ることが多い。開所当初のことであり、本人にやって貰う仕事が開拓出来ていない状態で、他に手のかかる人も多いので、職員に余裕がなかったこともあって、昼間の時間は本人の眠るにまかせていた(眠っている間は被害が他に及ばない)

夕方居住棟に戻ってからは、これまで家庭でカセットやCD、テレビなど、好きなことを好きな場所で行なっていたのが、集団生活になって思うようにならないからか、かみつき、ひっかきが起り、リビングルームのテレビの周辺に座っている、障害が重く動きの少ない人への被害が続出した。

<対応>
被害を防ぐために職員が相手をしたり、ターゲットになりそうな人を遠ざけたりするが1対1で付きっきりには出来ず、かむ行為を止めきれなかった。

(2)昼間かみつき夜はやや減少(開所から5ヶ月以降)

昼間の活動で重度・重身のグループを作り、イスに座ることすら出来ない人を座って療育器具で訓練するなどの取り組みを開始した。K君も眠りに入ろうとするのを起してプログラムに参加させようすると、猛烈に怒り出し、かん高い声を発し、かみつき、ひっかきが頻発するようになった。

<対応>
被害を防ぐために机の位置を配慮したり、怒り出した時は押さえ込んで興奮を治まるのを待ちながら、我慢することを伝えるようにした。

夕方からの居住棟では、本人の怒り出しそうな気配を感じた時は早めに声をかけたり、低いトーンのおだやかな声かけでまわりの状況を伝えて、淡々と普通の生活ができるよう働きかけていった。

生活のリズムが整い、本人の生活する力も高まってきたのか、噛む、ひっかく行為は減少していった。

(3)仕事ができるようになる(開所から10ヶ月以降)

施設のメイン作業室を外部に設置したことによって、作業空間に余裕ができ、職員の対応も上手になってきた。また作業種目も増えてK君の出来る仕事(自動車部品の組付けの一工程でプラスチックの部品に金属のキャップをはめる作業)が入ってから、座席から立つこともなく一定時間作業出来るようになった。但し眠ろうとするのを起した時は自傷・他害行為をくり返すが、前ほどの激しさはなくなった。

<対応>
職員が横に付き、根気良く付合って作業に集中出来た時はほめることなど平凡な対応で自傷・他害行為は著しく減少していった。最近は感情が高ぶった時に他の人にかみついたりしないで、自分の作業服を噛んでコントロールしている。

表3. 入所後の問題行動の経過(但し職員が見落して記録していない場合もある)
行動 平成7年 平成8年 平成9年
9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4
作業室 かみつき 眠っているこ
とが多かった
3 2 7 8 5 3 3 3 2 1 0 1 0 1 1 2
自傷 4 2 5 6 7 5 4 5 3 3 3 2 1 3 2 1
居室 かみつき かなり頻繁
(記録不備)
3 1 6 5 5 3 0 0 1 1 0 3 1 3 2 0
自傷 0 2 3 1 1 1 1 1 0 1 1 0 0 2 0 0

3. K君の成長の経過を振り返って

入所後の処遇経過を記そうとすると、これといった決定的な対応策を施した訳でもなく、常にまわりに職員やボランティアが居て、声をかけ、できるだけ普通の生活を心がけてきただけである。あえて言えばわがままいっぱいに過ごした家庭から離れてくらす体験が、本人の発達につながった部分も多いと考えられることである。

たまたまK君の場合は、3才から当法人の経営する通園施設に3年近く通園し、卒園後学校(盲学校)に行ってからもアフタケアを受け、断続的ではあるがその成長の過程にかかわり、親の活動を通して信頼関係を深めてきた。

行動障害の激しかった学校教育の9年間は、両親も暗く落込んでいることが多かったが、家族グループの仲間に励まされ、アフタケアの学童療育や作業実習、合宿や行事への参加を通して、当法人の多くの職員との接触もあり、ボランティアの支援も受けてきた。

以下は母親の話からその成長の経過をたどってみる。

(1)かみつきが始まった頃(母親の話から)

K君は小頭症という障害があって目が見えない。3才の時妹が産まれてから不安定になり、赤ちゃんの泣き声に怯え、その頃から自分の腕や服などにかみつくようになった。5才位から気に入らない事をさせられたり、子どものかん高い声や応援の歓声などを聞くと怒り出し、誰彼かまわずかみつくようになった。久しぶりに会った人が「元気!」と声をかけて手を握った途端その人の手にかみついたり、採血に行った病院で看護婦さんにかみついたり、年令を重ねると共に激しくなっていった。

10才頃になると力も強くなり、叱っても全く効果なく、かみつくだけでなく、爪を立てる、ひっかくなど体中を使って攻撃するようになった。そのうちにキャーと大声をあげて怒り、おでこを床や壁に打ちつけるなど自傷行為も頻繁になり、何度も外科へ走った。 親子で買物に行ったデパートで突然怒り出し、大声を出して暴れたりすることが多いので、買物も近くのスーパーで短時間で済ませ、帰りにお茶缶を買うのが楽しみになった。お茶缶は空になった中へ小石を入れて「カラカラ」と音をさせて楽しむので、外出の時はいつも缶を持って出るようになった。

妹の友だちが遊びに来ると、子ども同志のやりとりの声がするたびに怒ってかみつきにいこうとするので、強く注意し、母親にかみつけば頬をたたき、つねった時は手をたたくを何度もくり返して、頬も痛くて泣きながらかみついてくるのが10回位たたかれるとようやくあきらめるという状態であった。

(2)だんだんひどくなる(母親の話から)

外遊びは子どもたちの声に敏感になってしまい、親も外出が億劫で、家で大好きなカセット、CD、ビデオ、パソコンゲーム等で遊ぶことが多く、休日に家族で出かけても、子どもたちのいない、人の少ない場所を選ぶようになっていった。

お風呂は大好きだったのが、湯舟で身体をゆらゆらさせながら、お湯がピチャピチャ鳴るのを聞いているうちに、「ハンハン」と言い出して、段々エスカレートしてキャーと叫んで暴れだす。馬乗りになって大声で叱ったり、頬をたたいたり親子で大騒ぎしていた。 中学生になるとこうした暴れが1時間以上も続き、母親1人の力では押さえきれない状態で、布団に巻いて対応したり、ガムテープで両腕両足を巻いて、自分の部屋に放っておいたこともあったが、外出先では怒ってほしくないので、カセットや茶缶などを持たせて本人の思い通りにさせてしまうことが多かった。

(3)学校(盲学校)では(母親の話から)

小学校1・2年生の頃は、かみつきよりツメをたてる、ひっかくことが多く、朝や帰りの会や行事の時には、他のクラスと一緒でにぎやかになり、本人には一番苦手な時間、他の子と手をつなぐとツメをたてるので、K君には教師がマンツーマンで付いて居られ、教室にはK君を怒らせないためのカセットなどが常に用意してあり、待たせると怒るので課題などに取組む順番はいつも一番であった。

学校では教室内だけでなく、廊下、階段、トイレ、校庭と、あらゆる場面で突然怒り出し、他の子どもたちも目が見えないので、自分で身を守ることが難しく、何人もの子に被害を与えた。中学部ではおでこを打つことも頻繁で教室のガラスの補修が間に合わず、厚手のビニールが貼ってあった。

K君が暴れだすと女性の担任の力では負けてしまうので、体操用のマットでのり巻きのようにして巻いて本人があきらめるのを待つという状態であった。また学校はいろいろな考えの先生がそれぞれに対応されるのも、K君にはわかりにくかったようである。

(4)あさみどりの会のアフタケア

K君は3才の頃、当法人の経営する通園施設さわらび園に入園、幼児期の2年6ヶ月余を週3日づつ通園して療育を受けた。その当時は療育の流れから外れることもなく、リズム遊びなどは特に楽しく参加できた。

さわらび園では卒園後もアフタケアで月1回土曜日の午後学童療育を行ない、月1回は母親のグループカウンセリングを行なっている。K君母子も参加したが、学齢期になってからかみつきが出て、学童療育の場でも職員や他の子どもたちも被害を受けるようになった。親子合宿の時隣りに寝ている子にかみつき血だらけにしたこともあった。

小学校5年生からは夏休みに1週間づつ通所授産施設わらび福祉園で実習するようになった。わらび福祉園ではK君への対応について、本人を怒らせないためのカセットや缶などを持たせないで、同じ職員がかかわり、怒った時は押さえ込んで低いトーンで話しかけ、落着いた時「どうする」と本人に行動を決めさせるなど、さまざまな工夫をしながら我慢することを教えていくうちに、少しずつ怒る回数や時間が少なくなっていった。しかし学校に戻ると激しい他害行為が続き、学校も家庭も対応に最も苦慮した時期であった。

4. まとめ-K君をめぐる援助者たち-

さわらび園、わらび福祉園でのアフタケアは本人への対応より、両親の精神的バランスが崩れないよう、親への個別又はグループカウンセリングを重視してきた。また父親を中心に20家族ほどのグループを育成し、子どものライフプランを構築し、それに添って情報収集、学習、共同貯蓄、親睦などに取組んできた。K君の家族もその中の一つのグループに所属し、その取組みの成果の一つとして「べにしだの家」の開設にかかわることができ、K君の入所につながった。

幼児期から成人期まで、家族は一貫してあさみどりの会を中心とする活動に関わったことを通して、K君がどんなに荒れている時も、あさみどりの会の職員、ボランティア、グループの親たちに助けられ、励まされて前向きに元気に取り組んでくることができたのである。

K君との15余年のかかわりから、かなり難治な行動傷害を持った人も、まわりに多くの援助者を得ることによって、家族がふんばることができ、改善への道が拓けることを体験した事例の一つである。

(吉田とき江)

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5. 地域生活への移行に伴う問題行動への対応の変化(欧米の文献による)と「べにしだの家」との対応の比較

1. 入所施設から地域へ、という流れが起きたときに、問題行動の対応は欧米でどのように変化したか。
2. 地域で問題行動に対応する場合、英米の対応と「べにしだの家」の対応とではどのような異同が見られるか。
の2点を検討し、問題行動と生活環境の今後の分析への参考としたい。

1. 入所施設から地域へ、という流れに伴う欧米での問題行動の治療方法の変化

すでに述べたように、問題行動が生じた場合、その人の人的、物理的環境を変えることは困難である、という前提を容認すると、環境よりも個人を変えるさまざまな方法を考える方向に進む。収容施設が主流であった数十年の間、この入所施設の中での治療のやり方が「問題行動」の治療方法であるかのように考えられてきた。

しかし、ノーマリゼーションの理念が進み、ふつうの家に暮らすことが人の権利として尊重されるようになると、人的にも、物理的にも環境を変える動きが出てきた。そのようなサービスの理念の変化によって、問題行動を見る見方、対応の仕方がどのように変化したか、文献から簡単に箇条書きから述べたい。主たる出典は、文末の参考文献1、2、4である。

(1)問題行動の対応についての基本的な考えの変化

治療を行うときの基本的な考えが次のように変化してきた。

(a)問題行動を持つ人を地域で受けとめるという理念をはっきりともつ。
ノーマリゼーションの理念、あるいは、「地域で、ふつうの人々との関係を持ちながら、選択できる環境の中で、自己選択をしつつ、人としての尊厳をもって生活する」(O'Brien )らがあげられる。

(b)問題行動の低減を意図し直接対応する方法と同時に、あるいはそれ以上に、日常生活の中でのより多くの活動への参加を重視する。
問題行動を罰の手続き(電気ショックその他の不快刺激の使用、過剰な修正訓練(overcorrection)、タイムアウトなど)や服薬によって低減、禁止することから、さまざまな活動の場面を用意し、問題行動以外の適応行動を広げることに努力する。

(c)問題行動を低減することよりも、生活やその人の人生が豊かになることを考える。
問題行動が多少あっても、地域への参加、趣味の活動、適切な仕事など、その人の生活の質がよくなることに価値をおく。特に、その人が好きな活動への参加できる環境を作ることが重要である。

(d)問題行動の理由や対応について一人一人の生活環境との関係を重視する。
問題行動の原因について一人一人について異なる理由や対応を生活全体の中で考え、その人の要求にあわせた生活を用意する。問題行動を行動が起きた後の強化で考えるよりも、問題行動が起こる前の状況、例えば、課題の出し方、コミュニケーションの方法等を考える。

(e)問題行動がその人の生活全体と関連していることを重視し、常に生活全体の中で対応する。
問題行動が生理的、感覚的、社会的環境などの広範囲にわたる個体内あるいは環境要因と関連することを考え、食事、運動、睡眠、騒音、住宅の居住密度、日課などの幅広い生活環境を変えることとの関係を見るようにする。

(f)身体的に危機状態を招くような問題行動に対する緊急対応と本来の生活環境の改善と関係する長期におよぶ対応とを区別する。
身体保護を考慮しなければならない重度の問題行動への緊急対応と本来の長期的な視野の中でゆっくりと改善する対応策との区別をする。緊急対応の場合には、用いられる方法に対する人権擁護のシステムを用意し、その中で実施する。また、本来の対応ではサービス提供のための長期的な展望の下に行うことが必要である。

(g)生活の場から隔離して、特定の場所で治療を行うことは、有効ではない。
入所施設の中で、特別な治療プログラムを実施し、その終了後家庭やグループホームに戻す方法は、隔離された場所と家庭やグループホームとの生活(生活の日課、規則、職員や他の入居者との新しい対人関係、自分の好きな活動の制限、物理的環境の変化等)が異なるので戻った場合により適応的になるとの保証ができない。

(2)問題行動の具体的方法の変化

英米の問題行動への対応は、特に研究発表物にあらわれるものは、アメリカの行動分析理論から派生した研究が主流である。

施設から地域へ、ノーマリゼーション、インクルージョンという流れの中で問題行動への行動分析の具体的対応も、大きく変化している。

従来の問題行動の低減に用いる方法は、行動に随伴する刺激(強化刺激)を操作するものが多かった。(注4)また問題行動の生起にかかわる一人一人の個別的な環境要因よりも、その時、その場での行動の変化を効率的に引き起こすために強化スケジュールが考えられた。しかし、すでに述べたように普通の生活の中で個人の生活の快適さや成長を考え、環境要因を変えつつ、一人一人の問題行動を考えるようになると、非常に多くの変数(個体の生理的条件、行動が起こる以前の対人関係、生活環境条件、個人の生活史など)を考慮することになる。

行動分析では、これらの多くの変数、例えば、頭痛、空腹、女性の月経期間、生活日課の変更、友人との喧嘩などの対人関係等々をセッティング・イベント(Setting Event)として変数に扱い、その評価あるいは操作を検討している。

このように問題行動の原因として多要因を考え、なおかつ、それらの要因を固定化せずに柔軟に対応すればするほど、従来の環境統制のあり方を見直す動きも出ており、職員の研修も、従来のように行動を変えるための方法というより、個人の尊厳に関する理念的なことからその人の好きな活動を地域でどう広げるか等の社会的なものまで広い範囲に及んでいる。

サービスを供給するためのシステムも、施設内で問題行動の治療のための特別棟を作ったり、職員を多くして普通の家(日本で言うグループホームと似ている)で生活援助と治療をしたり、地域に特別なチームを作る(注3)などの対応をして援助している。

しかし、「べにしだの家」のような30人の入所施設の中で、問題行動をもたない知的障害者とともに、さらに親やボランティアと関与しつつ対応する文献は見あたらず、「べにしだの家」の対応はそれらのカテゴリーにいれるよりも、新しい方法として今後理論づける必要があろう。

2. 英米の状況と「べにしだの家」の対応と比較して、どのような異同点が見られるか。

(1)運営の理念

英国で、問題行動を持つ人々の対応にあげられた理念は、あたりまえの生活の実現を、という「べにしだの家」の方針とはほぼ同じといっていい。

しかしながら、英米に比較し、日本では問題行動を持つ人を地域でという動きは、始まったばかりであり、「べにしだの家」のように問題行動を持つ人々も地域で、という活動をするにはより強くその理念を維持する努力が必要があるように思われる。「べにしだの家」では、法人全体が長年にわたりその理念に基づく活動を強く進めており、かつ将来のグループホームへの移行などの展望が具体的に示されている。

(2)地域での住まい

今回比較した英国の論文では、問題行動のある人とない人が共に日本のグループホームに類似した住まいで生活するという状況が多い。

「べにしだの家」の場合には、30人定員で、15人づつに分かれて生活している。生活の援助者も通常の施設より多く、建物も個室で、家具・調度品にもふつうの生活への配慮がある。

「べにしだの家」を運営している社会福祉法人あさみどりの会では、グループホームを3カ所運営し、そこで問題行動を持つ人々への対応をすでに行っている。その異なる二つのタイプの住まいで、問題行動をもつ本人への対応、問題行動をもたない入居者へのプラスあるいはマイナスの影響、職員集団の研修などを含めて分析することが、問題行動を持つ地域生活援助を考えるときの今後の施策への重要な資料を提供することになろう。

住まいの物理的環境については、ふつうの住宅地のグループホームの英国20数例の事例報告の中で、強化ガラス、防音、電気のブレーカーなどの変更が必要に応じてなされたとの報告がある。家具調度品については、激しい使用に耐えるものでかつ美的に心地よい物にしたため、かえって高くつく場合が多かった、と述べている。

(3)仕事と問題行動

英国の問題行動を持つ人々に対応する通所施設を概観した後で、今後の方向として、a.余暇活動も含めて利用者が意味あると思う活動(valued day activities)に参加できるように。 b. 最初は問題行動を持った人だけでグループを作り社会性がついたら問題行動のない人と一緒のグループに移行するというような段階的な方法ではなく、最初から問題行動のない人の中で仕事をする。 c.人と物理的環境が相互に作用して生活を形作る観点(eco-behavioral)を重視する。 d.利用者ができるだけ多くの生活体験ができる種々のサポートが必要。 e. 専門性が、特定の建物に付与されるのではなく、個々の援助者の中にあることの認識をもつ。 f.いろいろな行動を学習でき、問題行動を低減できる効果的な方法を用いる、等があげられている。

「べにしだの家」では、施設内外に仕事の場がある。どちらも問題行動を持つ人々だけを隔離して対応することはない。また「べにしだの家」では、通所部門があり、そこでは問題行動を持った人が家庭から通っている。入所部門の問題行動を持った人々への支援と問題行動をもつ通所者および家族への支援との関係も今後の分析には重要である。

通所施設と入所施設が、同じ建物で運営されていることが、利用者の生活全体をみるときに地域とのより強い関係を生み、その結果問題行動への対応がより効果的になるのか、これからの分析が必要である。

(4)援助者

a.家族への対応

「べにしだの家」では問題行動への対応についても、あるいは将来の社会的自立についても母親、父親、兄弟の役割を重視している。

英米の文献では、親との関係、対応に親が参加する、という状況があまり見られない。しかしながら、施設入居者の親子の分離について問題が提起されており、問題行動をもつ子どもの親に対して「問題行動の対応になにが重要か」という意見調査では、(a)問題行動がなぜ起こったのかを知る (b) 家庭での日常生活がスムーズにいくように (c)コミュニケーションを深める(例えば、子どもがつらいときに動作で伝えられるような)(d)家族、兄弟、地域の人々との関係を広げる (e) 子どもが自分で活動などを選択できるように(f) 感情の興奮をエスカレートさせない工夫(自分一人になれるような場所、個室など)があげられ、そのような援助を求めている。(注5)

「べにしだの家」での親との対応は、問題行動への治療、生活の豊かさ、地域生活の可能性などの多くの問題の基底にあり、今後、その援助機能と問題行動の関係をさらにはっきり分析することが重要であろう。

b.援助者の人数と役割

ふつうのホームで問題行動のある人が暮らす場合、英国のある地区の20数カ所のケース・スタディの分析による研究では、常時、2~3人の職員が必要であると述べている。例えば、重度の自傷、器物破壊の問題行動を起こす人が3人の中度、重度の問題行動のない知的障害者と生活すると9人の職員が必要というケースがあり、平均すると、本人対職員比が施設にいたときは1:0.9、地域でのグループホームに出てからは1:3.5に変化している。破壊や自傷行動へ問題行動を持つ人の援助をしている場合、援助者の低減は、即その対応を困難にし、職員のストレスを引き起こし、退職者が出るなど深刻な状況をもたらす、と述べている。

援助者を多く必要とすることは、同じであるが、「べにしだの家」では、援助者の中に、正規職員の他、親、ボランティアが参加している特色がある。

また、英国では、ふつうの家で生活する場合、直接介護の職員、ホームのリーダー、地域の行政機関(保健局や市町村の福祉部)、心理や言語治療の専門家など、それぞれ専門性あるいは専門のレベルが異なる違う援助者の連携の問題、直接援助する人々と専門家の関係、職員の退職による異動などの問題が報告されている。

「べにしだの家」では、法人の傘下に職員のまとまりがあり、職員の研修やスーパービジョン、ケース会議などが所長、副所長などの有経験者によって日常のように行われている。この点も、日本的な展開であり、前述した親やボランティアの参加が、問題行動への対応や生活の広がりにどのような寄与をしているのか、ということと合わせて今後分析する必要があろう。

(5)入所施設での対応をどう家庭やグループホーム等の地域生活につなげるか

「べにしだの家」は、入所施設である。そこでの生活を、将来地域のグループホームや家庭での生活につなげるために、土日に家庭に戻ったり、母親のカウンセリング等の援助、父親、兄弟の関与を重要視したプログラムを実施している。これらは、従来の入所施設よりも地域生活により近いプログラムであり、それらのプログラムが家庭なりグループホームへの生活の移行にどのような効果があるかという点も今後フォローする必要がある。

(6)問題行動が起きたときの職員の対応

研究者は、問題行動が起きたときの職員の直接の対応を長期的に観察していない。全体としては、その人の生活の中で日課等によるの制限をゆるめ、自分の好きな生活の仕方(朝ゆっくり起きるなど)を尊重、一人一人に合わせて柔軟に環境側を対応、仕事場面の重視、一人になれる個室など生活全体で対応する方向にある。そのため、問題行動が起きたときにこう対応する、という対処方法が決まっているわけではないようである。今後、この具体的な分析も必要であろう。

3. 今後の分析の視点

問題行動の対応を、その人の生活が豊かになる方向へ、また地域の中で暮らせる方向へ、と考えると、これまで述べてきたように、「べにしだの家」の2事例に見られるように家族との関係や仕事や余暇活動を含めた生活全体が問題となり、問題行動の低減よりもその人の生活全体の豊かさが問われてくる。

こうした、広い広がりを持つ生活環境のどの要因が問題行動の低減と関係したか、を把握するには生活全体を視野に入れた事例を積み重ねて報告することが、現段階では必要と思われる。

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参考文献

主たる参考文献としては、下記の2冊を使用した。
1. Emerson,E.,McGill,P.,and Mansell,J.(Eds.): Severe learning disabilities and Challenging Behaviour designing high quality services. London. Chapman & Hall, 1994. 英国の現在の施策、現状が具体的にまとめられている。
2.Koegel.L.K.,Koegel R.L. & Dunlap, G.: Positive Behavioral Support including people with difficult behavior in the community. USA. Paul H. Brooks. 1996. 米国の研究。

その他の参考文献
3. Chung, M.C. and Cumella, S. (1996) A report on the challenging behavior services in an English Health Services. J. of Intellectual and Developmental Disability, Vol. 21, No. 2, 141-152 英国の地域での問題行動をおこす人々への特別チーム(Intensive Support Team, Community Support Team, Challenging Behavior Team等々と呼ばれている)の現状の調査。本文に戻る
4. Horner,R.H.,Dunlap,G.,Koegel,R.L.,Carr,E.G.,Sailor,W.,Anderson,J.,Albin,R.W., & O'Neil, R.E.(1990).Toward a technology of "nonaversive" behavioral support. Journal of The Association for Persons with Severe Handicap, 15(3),125-132. 行動分析による問題行動への対応について、従来の行動に対応する方向から、広く生活環境を考えた対応への変化が研究を住めている中心的な人々の連名で紹介されている。本文に戻る
5. Turnbull, A. and Ruef, M.(1996)Family perspectives on problem behavior. Mental Retardation, 34, No.5. 280-293 問題行動についての親の意見をまとめたもの。本文に戻る
6. 従来のproblem behavior からChallenging Behavior への呼称の変更の経過、理由については、多くの見方があり、本稿で「適切な環境を用意してほしい」という見方も筆者の意見である。このような意見は、「ここでいうチャレンジとは、地域の中でこの人々がサポートされるように不適切なサービスを改めることであり、この人々のニーズに十分対応できる一連のサービスを作りあげることである。このチャレンジに応えられるかどうかが、地域で暮らすという政策(the policy of community care)の達成の試金石である。」という意見(Emerson, E. et al.(1987): Challenging Behavior and community services: 1. Introduction and overview. Mental Handicap, Vol.15, 166-169, December)(Blunden, L. and Allen, D.(1987): Facing the Challenge, An ordinary life for people with learning difficulties and challenging behavior.King's Fund Center Project paper p.14)にも見られる。最近の用語の使われ方については、Lowe, K and Felce,D.(1995)The definition of challenging behavior in practice. British Journal of Learning Disabilities Vol.23, 118-123の研究がある。本文に戻る

(渡辺勧持)

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著者:渡辺勧持、島崎春樹、吉田とき江
題目:問題行動を持つ知的障害者の地域生活援助への移行を前提とした入所施設援助
掲載雑誌:厚生省心身障害研究 障害児(者)の治療教育法の開発に関する研究 平成9年度報告(厚生省)
発行年:1997年

文献に関する問い合わせ先:
春日井市神屋町713-8
愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所社会福祉学部
TEL:0568-88-0811(内線3507~9)