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障害児のきょうだい達の心の健康~きょうだい達をどう健やかに育てるか~

愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所
西村辨作

項目 内容
講演年月 1995年10月 (社会福祉法人 あさみどりの会(名古屋市)の母親研修会にて)

私は愛知県コロニー発達障害研究所で、自閉症やダウン症の子どもの療育をずっと研究してきました。その療育の場に障害児の妹や弟がいつも付いてきます。また、学校が休みになると、お姉さんが付いてきます。お兄さんはあまり来ません。そしてそのときに、お姉さんがものすごく大人びていること、また、弟がちょっと不安定だという印象を持っていました。

これはどうしてだろうと以前から気になっていたのですが、私もいろいろな体験をしましたので、精神的な負荷がかかるということがどういうことなのか、少し分かるようになりました。そこで改めて、これは重要な問題だし、まだあまり先生方が取り上げていないというとで、今日お話しする『障害児のきょうだい達の心の健康』についての研究を始めました。

◎「はじめに結論をいいます」

障害児のきょうだい達で、障害児が家族にいることによって非行に走ったり、他の人を害する、例えば今でいうと『いじめ』ですが、そういう問題はまず起こりません。人に対して害を与えるような行動をするというのは、めったにないと言っていいのです。ただし、次のような問題が一般の家庭、つまり障害児がいない家庭のきょうだいと比べてみると多いというアメリカの研究の結果があります。

どういう特徴かというと、集中力がない、反抗的である、興奮しやすい、かんしゃくを起こしやすい、不満を持っている、多動である、けんかをよくする、目立ち過ぎる、多弁である、といったことです。この特徴は、幼児期にはそれほど顕著ではありませんが、小学校3、4年以降から中学生くらいまで、結構多いと言われています。

障害児が家族にいると、障害児以外のきょうだいに対するお母さんやお父さんの目の向け方とか、世話の仕方が変わってきます。それに対し、問題行動を起こして反応する子どもというのは、何とかして親の気持ちを引きつけたいと思っているわけです。しかし、そういう行動に移す子もいるし、そうでない子もいる。個人差がものすごくあります。一人ひとり、対処の仕方が違うのです。自分の不満やイラツキを表に出す子と出さない子といるわけで、出す子には親の目が届きますが、出さない子にはあまり届かないですね。だけど、どちらも同じように気持ちの負荷を感じているのです。

特に最近は、不満を表に出さない子どもが、思春期・青年期を過ぎ、結婚する年齢になってきたところで、破綻するということが結構あります。それまではずっと頑張ってきたのですが、突然に破綻してしまうのです。だから、表に出さないという子どもも、気持ちの上で負荷を感じていることをキャッチしてあげる必要があります。その子達はものすごく我慢強い、良い子だったのでしょうね。だけど、良い子でずっと頑張ってきて、どこかでプッツンするということがあるのです。

そこで、どうしてそうなるのかということと、どうしたらいいかということの話をします。今日の話はきょうだいの話ですけれど、大部分はお母さんの話になります。だから多分、私が今から話すことは、皆さんの気持ちを動揺させ、あるいは眠っていたものを引き起こしてしまうと思います。湖の底に沈殿していた泥とか埃みたいなものを、私がかき混ぜて浮き上げさせることになると思うのです。しかし、そこから脱却し、浄化するためにはそれが必要なことですので、見透かされているようで、いら立つことがあるかも知れませんが、正直に自分を見つめて受け止めてください。そして、その感情をご主人に話すとか、親しい友達に話す、つまり、口に出して言ってください。ためるといけないですよ。

子どもが大人になっていく途上では、さまざまな出来事が起きます。そう簡単なことではありません。障害児が家族にいて、家族の機能が変わるということは、子どもにとって精神的な負荷を起こすことになりますが、それは、子どもにとっては人間として成長するためにものすごく良いハードルとなります。少し高いハードルなのですが、それをうまく越えていくと、人を大切にし、優しく、それから困難に対してひるまずに挑戦していくタイプの人間に育っていきます。だから、そのときにプッシュしてあげる、あるいは手を引っ張ってあげるという援助を、お母さんがしてあげることが非常に大切なのです。

このことが今日のお話の結論です。

◎「神戸からの手紙」

今年(1995年)の4月、私のような児童青年精神医学会の会員のところに、神戸から『阪神大震災を体験した子どもの精神的ケアについて』という文書が送られてきました。現在、大部分の子どもは神戸に住んでいますが、他県に疎開した子どもも大勢います。疎開先で子どもに何か起きたとき、児童相談所や児童精神科の先生達に注意してほしいことが書いてありました。

『突然の大災害にあったり、様々なストレス状況に置かれると、人々は精神的失調を生じることがしばしばあります。子どもの場合には、まだ十分に精神的成長が達成されていませんので、大人以上にこのようなストレスに弱いことが予想されます。災害時にしばしば見られる子どもの精神的な症状と、それらへの対処の仕方、並びに留意点を簡単にまとめました。子どもの診察、診療をされる場合に参考にしてください』ということ、そして、症状、対処の方法について書いてありました。

あまり経験しないような大きな災害、交通事故、あるいは戦争などが起きたときに、人間の心というのはメチャメチャに痛めつけられ、心に後遺症というものが残ります。そして、それが症状として出てくるわけですが、そのことを注意して診てください、という指示です。

症状としては、例えばどういうことがあるかというと、4つあります。

一つ目は恐怖の体験を思い出して混乱するということです。例えば突然不安になったり興奮したりする、突然人が変わったようになる、突然現実にないことを言う、繰り返し悪夢を見るという恐怖体験、フラッシュバックと言いますが、頭の中にパーッとまた思い出してくるんです。

二つ目に、外に対する反応が鈍るということです。表情の動きが少なくなり、ボーッとしている、話をしなくなり引きこもる、食事を取らなかったり遊ばなくなる、全体に活動性が低下する、注意力・集中力・記憶力が低下するのです。

三つ目に、それとは逆に、気分が高まる、不眠になる、イライラしたり刺激に敏感となる、落ち着きがなくなる、つまり、興奮状態になるということです。

四つ目に、自分が悪いなどの罪悪感を持ったり、あれこれと過剰に心配をする、頭痛・腹痛・めまい・頻尿・夜尿などの身体症状がある、体の一部が動かなかったり意識消失があるなど、いわゆるヒステリー様の症状が見られることです。ヒステリー様の症状というのは、心の中の負担が体のある部分に現れたものです。

このような問題が子どもに起きる可能性がありますから、もしこのような特徴があれば、震災のことを考慮してあげてくださいという意味なのです。

また、そういう子ども達にはどのような治療をするかということが書いてあります。子どもに安心感を与えるように診察をする、子どもの話を時間をかけて共感的な態度で聞くことが必要である、できるだけ子どもが体験した事実だけでなく、それに付随した感情や気持ちをしゃべってもらう、です。そして、年齢の低い子どもや話ができなくなっている子どもの場合には、プレイセラピーや絵を描くといった方法、つまり言葉でしゃべらなくてもいい形で表現をさせるようにということが書いてあります。

また、災害に遭遇した子どもには、このような症状が出ることは珍しくないということも説明しなさいと書いています。つまりこうなっているのは君だけではないんだ、誰でも同じようになるんだということを話してくださいと書いてあります。

次に、もう少し関係が深まって、しかも子どもの気持ちが落ち着いてきたら、子どもが現在繰り返し体験している恐怖を、今の現実とは違うんだ、あんなに大きな地震はまず来ないということを分からせるようにしていく。そうやって地震の恐怖から引き離してあげるという働きかけをしてくださいと書いてあります。

この話、障害児を持つお母さん達の経験と同じではないでしょうか。そうは思いませんか。

この地震のように、安定した生活を揺さぶるような突然の災害が起きたときに子ども達がこうなるのは、人間の心の反応としてごく自然なことです。むしろ問題があるのは、否認といいますが、自分はそうはならないとがんばりすぎると、あるいは意識に昇ってこないような対処の仕方が一番危ないのです。子ども達に限らず、人間はこういう大きなショックを受けたときに様々な症状を出します。それは自然なことだしむしろ正しいことなんです。

話を元へ戻しますが、ものすごいストレスを受けて症状を出している子どもはこの地震で何を受けたかというと、二つの大きな出来事を体験しています。一つは、『恐怖の体験をした』ということです。もう一つは『何かを失う』ということです。例えば、家族・友達・親しかった人・先生・自分の家・自分の持ち物など、今の生活を目に見えない形で支えていたものが無くなってしまったんです。自分の好きなもの、大切にしていた物が、壊れた家の中にうずもれて自分の手元に帰ってこない、あるいは自分の親戚の人達が死んでしまうということを体験したのです。この二つの体験が、大きな心の負荷になっていきます。このことを頭に置いといてくださいね。

◎「心の回復の仕方」

次に、何か問題が起こったときの、心の対処の仕方、回復の仕方についてのお話をします。

ショックを受けたあと、心が回復していくとき、ある決まった段階をたどっていきます。それは目に見えないからものすごく分かりにくいものです。ところが、自分の体、例えば手を切ると、最初血がパーと出てきますよね。それからしばらくして徐々に血が固まって、出血が止り、日にちが経つとかさぶたができて、また元通りになったり、傷が大きければ傷跡が残ります。それと同じことが人の心の中でも起きて、同じような一定のステップをたどっていくのです。

例えば、体の傷になぞらえていえば、傷を受けると心の血が出てきます。そしてどこかに血がたまって悲しみが固まっていきます。小さな後遺症のようなかさぶたができて、そしてそこから回復していきます。手の傷などは非常に早く回復していきますが、しかし心の大きな傷は回復するのに1年か2年かかります。非常にゆっくりした早さで回復は進んでいくものです。

心の傷は、体の傷と同じようなみちすじたどっていくのですが、同時に、何かあると心が勝手に反応し、もがいてしまうところが違います。傷口を掻いてしまうようなことです。何とかしなくてはいけないともがいて、余計にこじれていくということがあったりします。一番いいのは、その問題に身をまかせて漂うことなのですが。

少し抽象的ですが、心の回復のみちすじを大きく3つに分けてみましょう。何か大きな精神的なショックがあって、ほんろうされて、自分が分からない時期があります。次に、落ち着きがあるけど時々恐怖を思い出してものすごく動揺するということが時々出てくる時期があります。それが段々少なくなって心に耐えられる力が付き、ごく普通に生活できるようになる時期、です。

こういった回復の途上で、何が一番の助けになるのかというと、どの時期にしろ、人の助けです。人の援助です。自分一人で何かやろうとすると、絶対に間違ってしまいます。周りの人の手助けというものが一番重要です。というのは、自分自身がその中で揺れているから、冷静な判断はできない状態にあります。だから、自分自身は時期を持たなければいけないといえます。

ストレスを受けると、誰もがそうなるというのはごく普通のことで、しかもそこにはちゃんと回復していくまでの階段があるのです。

◎「お母さんが受けた心の痛手」

最初に今日の話は子どもの話であり、お母さんの話でもあると言いましたが、それには二つ意味があります。一つはきょうだいである子どもが受けているストレスを、お母さんがもっと前に大きな形で受けているはずであり、お母さん自身がどのように回復したかということを自分で捉え直してみることが大切であるという意味です。もう一つは、家庭での子どもの養育についてのキー・パーソン、つまり中心になる人はお母さんなので、お母さんの姿勢が子どもの周りの世界の見方や捉え方にもろに影響するということに大いに気をつけていただきたいという意味です。

例えば、今から5年後2001年、15年後2010年の自分の生活ってどうだろうと想像してみて、バラ色に見えますか。子どもを育てているわけだから、先がハッピーに見えないといけないと思う。そうでないと「ハルマゲドン」なんてことを言ってしまうわけです。「将来どうなる」、「ハルマゲドン」というのはと、ものすごく下を向いていると思いませんか。斜め向いていると感じませんか。さびしいてすね。もう少し上を向かなければ。

子どもや家族が受けている心の負荷を考える土台として、まずお母さんが体験した負担をもう一度正直に考えてみましょうね。

どの家庭も、障害児の家族として出発するわけではありません。妊娠しているときに、少しは不安はあるけれど、やっぱり健康な子どもを産むということを想像しています。ところが、出生直後に診断があったり、あるいは障害の種類によっては、段々周りの子どもと差が目立ってきたり、どうも自分自身でおかしいと思ったり、いろんな焦りを感じながら、最終的には専門の機関で診断を下されて、障害を持っているということを伝えらたと思います。

私達はダウン症の子どもの療育をやっていて、時々夏にコロニーの中の施設で母子の合宿の研修会をしていました。子どもたちが寝静まってあと、夜中に大人だけあつまってお話をします。もちろんビールを飲みながらです。そこに参加したお母さんは、大体みんな心中を考えたことがあるといいました。それはあたりまえだろうと思います。心中という思いつきは非常に日本的な発想ですが、それくらいショックを受けています。多分今までの自分の人生の中で、こんなショックを受けたことはなっただろうと推測できます。

どうしてそんなに重たいのでしょうか。それは、『対象喪失』しているためです。対象というのは心の中にある自分にとって非常に大切なものをいいます。お母さんが実際に喪失する対象は二つあります。、一つは、『健常な子ども』という対象を失っています。そしてもう一つは、『健常な子どもを産めたはずの自分』というものを失っています。だから天地がひっくり返るようなものすごい混乱が出てくるのです。そしてさらに、当然のことだと自分自身に期待していた母親のイメージを失いますから、それの作り直しをやらなくてはいけないのです。だから大変なのです。先の展望が見えなくなるから心中を考える。先に希望があったらそんなことは絶対に考えないと断言できます。

ところが、周りの人からいろいろサポートをされたり、他に子どもがいたりすると、「ああ、死んではいけない」ということがチラっと頭の中をかすめます。自分をサポートしてくれる人がいる、自分がサポートしなければいけない人がいるということに気がつきます。あるいは、障害を持った子ども自身が成長発達をしていきますので、他の誰か、つまり専門の人や自分の友人に、「こういうところが伸びている」という指摘をされると、ハッと思うんです。そして非常に近視眼的になって周りを見ていた自分のもの考え方が、そこから変えられていくのです。それにはやはり一定の時間を必要とします。回復するというのは、人間の心の中にある自動的な仕組みですから、いつまでもいつまでもずーっとつらい状態にあるわけではないです。喜びが見つかってきます。いや、見つけていきます。どこからか変わっていきます。これを「日にちくすり」といいます。

今、こういう話をしましたけれど、「私は何もストレスを感じなくて、すぐに元気になった」という人がいたら、その人は今やっておかないと駄目ですよ。以前は障害児のことを母親が悩んでいたけれど、最近はどうも母親が悩まないで、おばあさんが悩むケースがあるようです。おじいさんおばあさんが一緒に付いてきて、結局おばあさんがものすごく心配してくれて、だから、お母さん自身が心配しなくてもいい場合があるかもしれません。

何かストレスを受けて、心が動揺する、混乱するということは自然の出来事ですから、それを自分の気持ちや意識に登らないようにするということは、心の安全装置が働いて、押さえ付けているということの証です。意識には登らないけど、意識の下にはあります。だから、そうしたエネルギーは、自分の体の中のどこかにたまっていきます。体がそれを受け止める場合もあるし、心がそれを受け止める場合もあります。だから、出すことです。まずはそれが一番大切です。泣くのが一番いいと思います。ひとりで声を出して、涙を流すのが一番です。

◎「お母さんの心の回復」

先天性の障害、つまり出生直後に診断される障害を持った子どもの両親20組を面接調査して、どのように回復していったかということを追跡したアメリカの研究があります。回復には5つの段階、つまり昇る階段があることが分かりました。

一番最初は、『ショックを受ける』段階。次に『事実を否認する、受け入れない』ということ。次は、『悲しみ、怒り、不安が錯綜する』時期。それから『事実を受け入れる』。そして『再起』、つまり障害をもつ子どもを育てるという新しい価値を見いだして、再び立ち上がる。この20組の両親の回復の過程というのは、回復までにかかった時間に多少の相違がありますが、同じ5つのステップをたどっています。

これは、障害を持った子どもの親達だけではなくて、先ほどいった対象喪失のできごと全般にあてはまるみちすじです。他にどういうことがあるかというと、配偶者を亡くす、仕事を失う、自分の今までの活動していた拠点や自分自身を表現していた場所を無くす、失恋、などです。自分にとって大切なものを失ったときに、人の心はこういうプロセスをたどり、人によって1年かかる人もいるし、2年かかる人もいる、あるいは反応と再起がもっと短い人もいます。

心が回復するには、こういう階段を昇っていきますので、それを飛び越してしまうのはちょっと問題があります。それはどうしてかというと、涙を流したり、くだをまいたりしながら、私たちは時間をかけて悲しむという作業をしているのです。これは、自分が再生するため、生き返るための仕事みたいなものです。これを『喪の作業』といいますが、自分に悲しみを実感させる作業をしているのです。ですから、ステップを飛び越すと、心のどこかに負のエネルギーがたまることになります。

子どもが障害をもっていたら、ふつうお母さんは喪の作業をして、子どもを育てていくということに新たな価値を見いだし、自分自身を回復して前向きに生きていくというプロセスをたどっていきます。このようなステップを自分で踏んでいないと思う人がいたら、親しい友達に話すなど、誰かに聞いてもらうと自分が見えてきますから、そういう作業をしておく必要があるでしょうね。

お母さんの話を少し長くしましたが、それには二つ意味がありました。まず、お母さんが受けたような負荷を家族全体が間接的には受けているということを、頭の中に置いておく必要があるということ、もう一つは、子どもは親の影の中で育ちますので、お母さん自身が気持ちを解決していないと、そのことが子どもに波及していくということです。

ここに、子どもがいかに親の精神的な雰囲気のもとで育っているかということをうまく表現した文章がありますので、読んでみます。『子どもは親の鏡』という題です(『心のチキン・スープ』ダイアモンド社)。子どもは一種の鏡であって、子どもという鏡に親の姿が映し出されるという意味でしょうね。

子どもは批判されて育つと人を責めることを学びます。
憎しみの中で育つと人と争うことを学びます。
恐怖の中で育つとおどおどした小心者になります。
哀れみを受けて育つと自分をかわいそうだと思うようになります。
馬鹿にされて育つと自分を表現できなくなります。
嫉妬の中で育つと人をねたむようになります。
引け目を感じながら育つと罪悪感を持つようになります。

子どもは辛抱強さを見て育つと耐えることを学びます。
正直さと公正さを見て育つと真実と誠意を学びます。
励まされて育つと自信を持つようになります。
ほめられて育つと人に感謝できるようになります。
存在を認められて育つと自分が好きになります。
努力を認められて育つと目標を持つようになります。
皆で分け合うのを見て育つと人に分け与えられるようになります。
静かな落ち着きの中で育つと平和な心を持つようになります。
安心感を与えられて育つと自分や人を信じられるようになります。
親しみに満ちた雰囲気の中で育つと生きることは楽しいことだと感じます。
周りから受け入れられて育つと世界中が愛であふれていることを知ります。

あなたの子ども達はどんな環境で育っているでしょうか。

ドキッと来ませんか。お母さんだけでなく、夫婦全体の姿勢のようなものが子どもの心の雰囲気を作り上げていきますから、まずお母さんに回復してもらうということが必要なのです。

◎「きょうだいの行動の特徴」

さて、きょうだいの話に入っていきます。ここに、小学校から中学校くらいの子どもを対象にした母親への質問紙があります。項目を読み上げていきますので、子どもを一人決めて、あるいはきょうだいがいない場合は誰か適当に頭に置いて、当てはまる場合は○をつけてください。

このごろ自殺について話すことがある。考えがまとまらないことがある。家庭での行動がよくない。食べ物のことで喧嘩する。教師や他の人が自分と対立していると思う。嘘が多い、人を信じることができない。他の人達を避けている。
かつて自殺を口にしていたことがある。考えることがゆっくりしていて遅い。他の人の指図にはむかう。自分を守るためによく嘘をつく。落ち着きのないことがよくある。しばしば軽率なことをする。楽しい気分でいることはまれである。
よく怪我をする、あるいは事故が多い。言葉がなかなか出てこない、怒りっぽいことがある。びっくりして目を覚ますことが多い。学校で他の子と仲良くできない。門限をめったに守らない。ほとんど一人で過ごしている。
よく泣いている。物覚えが悪いことがある。他人に当たり散らすことがある。よく失敗する。学校では楽しくない。警察の世話になったことがある。親友がいない。悲しい、あるいは落ち込んだ気分でいる。成績が平均を下回っている。怒ると物を投げたり壊したりする。偏食が多い。他の子どもをいじめる。4~5回家出をした。友達と1年以上付き合えない。

この中に当てはまる項目が7つ以上あると、普通の家庭と比べて多いということになります。これらは何を調べているかというと、自己破壊、思考活動、親との対立、退行的不安・幼稚さ、人との争い、非行、孤立、についてです。そして、アメリカの研究では、障害児のいる家庭の子どもは、親との争い、いさかい、非行の項目が、一般の家庭よりも高かったと報告されています。

また、性別や、障害児より上の子か下の子かで異なった特徴があります。男の子では、障害児の弟がものすごく攻撃的になったりします。境遇として分かるような気がしますね。いつも我慢させられているでしょうから。自分の要求を通すために、自分がかんしゃくを起こすか、暴れる。そうしないと障害をもつ上の子に対抗できないわけです。つまり怒りをあらわにするという方法を採るということです。

女の子だとお姉さんが、自分を押さえ、気分が抑うつ的になるという傾向があるといわれています。どうしてかというと、お姉さんの場合には、母親代わりをやらされるわけですね。いろんなことで下の子を監視をする、世話をするということをやらされる、あるいは自分からする。でもそれは、自分自身のやりたいことが制約されているということです。時間的にも制限され、自分の欲求を出さずに押さえるということを身につけてしまいます。こういう子は、ものすごく良い子のようにみえますが、子どもらしさを喪失しています。子どもの本質というものは自己中心性ですから、自分勝手にやる、自分の要求を通すというのが子どもの本当の姿です。それを早い時期から押さえ付けられていきますので、子どもらしさを喪失するのです。だからものすごく早熟で、できているんですね。お姉さんは大体そういうタイプになっていく子が多いのです。それが良いか悪いかは分かりませんが、健やかではないことは確かです。やっぱり子どもは自分の思い通りのことをやりたいわけですが、多くの場合それを押さえられる、というか自分で我慢するといったほうが正しいかもしれませんね。だからどこかにうっせきしたものが残ります。

年少の弟の場合、普通は下の子というのは甘えん坊なのに、家庭の生活では自分が上になってしまいます。だから出生順位とは違う役割の逆転があります。自分は弟なんだけど、年上の子のようなタイプになる。それは、弟の気持ちというか、自分というものを危うくすることになります。自分の位置が分からず、どうしたらいいのか迷う、自分に確信を持てない、ということが起きてきたりします。

特に特徴が顕著なのは、お姉さんと弟です。お兄さんはいろいろなタイプがあって、家族から距離を置くとか、世話をするとか、さまざまなタイプがあります。それから、下の女の子というのは、これもいろいろなタイプが出てきます。癇癪の強い子どももいますし、よく世話をする子どももいます。家族の中で自分がやらなくてはいけない役割みたいなものが、ふつうとは違ってきますので、それによってみんなかなり影響されるということがあります。

◎「青年期になってどう思っているか」

こうして育っていった子どもが、青年期を経て大人になった時点で、どのような影響を受けているか、どう考えているかという調査があります。家庭に障害を持った子どもがいて、それが自分にはどう影響しているかということを面接で調査したものです。『よかった』が45パーセント、『よくない』が45パーセント、『どちらともいえない』が10パーセントです。これは1970年のアメリカの調査です。日本はまだこんなことは全くやっていないので、私たちは20歳ぐらいの人に面接調査したいと思っています。きょうだいは親よりも障害をもつ者と関わるはずですからその人達の関わりの形は重要だと思いませんか。

よかったと言っている人は、「人間と障害に対する理解が深まった」「思いやりができた」「さまざまな偏見に対して敏感である」「自分の健康と知的な能力に感謝している」ということを主に話したそうです。

また、よくないと言った人は、罪悪感とか怒りを心の中に残しています。それは障害を持った者と、親の愛情や物を争わなければいけないということが、自分にとって罪悪感になっているのです。自分はそれが欲しいと思うけれど、障害を持っているお兄さんのことも考えなければいけない、どうしたらいいか。そのときに自分がお兄さんのことを押しのけて何かするということが罪悪感になってしまいます。しかしそれと同時に、自分の要求を通してくれなかった、かまってくれなかった、という親に対する怒りも心の底に持っています。

一番大きなことは、親が障害を持っている者をかばうことから、自分は親に拒否されている、受け入れられていなかったと感じている人たちが結構いるということです。このことは大きく人格を変にしていくということはないでしょうが、本当はもっと健やかに育っていけるはずだと思います。それを少し配慮あげる必要があるのではないか、と思うのです。

◎「母親の心の影」

それからもう一つ、調査に特徴的だったことがあります。このような研究を我々がする場合に、例えば実際に子どもがきょうだい同士でどのように遊んでいるかを観察をします。それから、普段の状態についてお母さんに質問紙に記入してもらいます。そうするとこういうことが起きたそうです。

子どもを観察すると、普通の子どものきょうだい関係と何も違いはないのに、お母さんの評価を見ると、子どもにものすごく問題があるという結果が出ました。子どもの実際の姿と親の評価にギャップが出てきたわけです。それが1つだけでなくいくつかの研究結果に表れています。

なぜそうなるのでしょう。研究したアメリカの先生が、「お母さんが、自分自身の持っている不安を投影して子どもを見ている」とうまい解釈をしています。

私は今までの話の中で、お母さんが自分自身の気持ちを解決していかないと、それは子どもに影響しますよ、ということをずっと強調して言ってきました。お母さんが心配しながら申し訳なさそうに育てていると、その影響を子どもは受ける。より正しく言えば、そういうギャップは母親の申し訳なさの反映といえます。だから親が、私たちは一生懸命やっているんだから、お前たちも頑張れ、という姿勢を示せば、それでいいことです。でも、おどおどしたり、不安を持って生きていると、子どもに対する見方も弱くなるということです。これを『投影同一視』と言います。自分の気持ちを相手も同じように持っている、と考えてしまうことです。

最初に申し上げましたように、越えなくてはいけないハードルがあると人間はむしろ成長するのであり、それは夫婦にしろ親子にしろ、家族が結束する非常にいいチャンさんになり得ます。先日、障害児を持つあるお父さんが、「チャランポランな嫁さんが、あんなに変わるとは思わなかった」と言っていました。つまり、家族が結束するわけですね。あなたはチャランポランな嫁さんでしたか。今夜はお父さんにおいしいものを食べさせてあげて、そっと体を寄せて聞いてみてください。何と答えるでしょうね。

◎「きょうだいの反応のタイプ」

私たちは、家庭の中や仲間内で問題があったとき、どう反応するかで大体4つのタイプに分かれます。自分がどれに当てはまるか考えてみると分かりやすいかも知れません。

何か問題があったときに、『責任を背負う人』は、その人は何ごとも他人に任せられずにすべて自分で責任を背負い込むのですが、実は他人に対して支配的な人です。だから人に任せられないのです。『順応する人』は、他の人との間で波風を立てないように距離を置きます。『なだめ役に回る人』は、自分の主張を通すのではなく、周囲の人の緊張を和らげることに一生懸命になります。『行動化する人』は、怒りを行動でぶつけます。この4つのタイプに大体分かれていきます。

これと同じように、子どもたちも4つのタイプに分かれていきます。最初に『親代わりする子』のタイプがあります。同じ年齢の子に比べるときょうだいに対して親の役割を担い、責任を取り、援助する度合いが高いのです。そして親の承認を求め、親も子どもに責任の分担を求め、共依存関係、つまりお互いに依存する関係を作っていきます。正当なときにも子どもは怒りを表に出さず、子どもの本性である自己中心というものを押さえ付けられて、早熟化していきます。だから自分自身の子ども時代を失うということになります。こういうタイプは、ものすごく良い子に見えるのですが、実はものすごく辛い思いをしています。人に尽くしているということが自分の価値になる生き方をとっていきます。

また『優等生になる子』も親にとってはものすごくいいんだけど、実はちょっと問題があります。不安や葛藤のはけ口を家族の人間関係ではなくて、勉強とかスポーツなどの家庭外の活動に見いだして、発揮するわけです。自分がいかに良い子かということを他の人に見せつけるには、勉強ができるとか競技会で1位になるとかは最適の方法であり、そうやって自分は障害を持っているきょうだいとは反対の極にいることを見せ示します。障害を持っているきょうだいのできないことを自分が肩代わりしてあげなくてはいけない、といつも心のどこかで思っています。我が子がこうであってくれると、親はものすごく有り難いですね。誇り高い子どもになるわけです。ところが、それは子どもとしては背伸びをしていて、足元が危うい状態にあります。

次に『退却する子』です。家族とは別の生活をしているように行動し、感じています。ごはんを食べて、学校に行かせてもらっているけれど、気持ちの上では家族と結び付かずに距離を置き、障害を持っているきょうだいのことはできるだけ気にしないようにしています。しかも問題を起こさず、ストレスを高めるような家庭の活動から退却します。近づきません。皆がどこかへ行っても自分ひとり家に残ったり、別のことをして、親もそれを黙認します。

最後に『行動化する子』、つまり自分の怒りなどを行動に表していく子どもなのです。きょうだいの世話が自分の重荷になっていることを親に気付かせるために、行動に起こします。悪いことをして、親の注意を自分に向け、敵意や憤りの感情を行動に起こしていますので、自分が受けている心の負担の素直な表現でもあるのです。だからあまり続きませんが、親が気付いてくれないとずっとやるか、ねじれていくんだろうと思います。

大体この4つのタイプに分かれてくると思いますが、お子さんはどのタイプですか。ずっと一つののタイプでいる子もいますが、変わっていく子もいますね。例えば、思春期前までは親代わりするものすごく良い子だったけど、思春期過ぎて、考え方を自分自身で捉え直すという時期になると退却するほうへと変わっていく場合もあります。まだ、どういう子がどのタイプになるかということのはっきり分からないのです。私はこれから調べていこうと思っています。

重要なのは、親代わりする子、優等生になる子というのは非常にうまく社会に適応していて、行動化する子、退却する子、家族から距離を置いている子というのは、うまく適応していないと思われがちですが、実は、皆が負担を受けているということです。それを分かってあげることが大切です。ただ、反応の仕方が違うのです。だから、どの子にも配慮は必要です。優等生だからそれで放っておけばいい、というものではないのです。特に親代わりする子どもは、青少年の時期はいいかもしれないですが、大人になってからが危ないのです。特に負担をまともに背負って生きていますので、どこかで疲れ果ててしまうのです。

◎「きょうだいへの配慮と働きかけ」

家族は精神的な共同体です。小学校に入る年齢になれば、親が走り回っているのに子どもが知らん顔をしているのは、子どもに家族の一員として疎外感を生じさせます。親は障害をもつきょうだいの問題を隠さないことが大切です。きょうだいたちの年齢に応じて障害について説明する必要があります。きょうだいたちは家族に対し自分は何ができるかを知りたいのです。きょうだいの心に障害をもつ者のことが解決されていない問題として残ると不安を醸成するでしょう。克服されておれば、人を大切にする信念が芽生えてくると思います。

シーゲルという人が『きょうだいたちのへ働きかけ』ということで、具体的な提言をしています。次のようなものです。説明をしましょう。

『ユーモアを使って生活を楽しくする』、これは日本人ではちょっと難しいなというところもありますが、自分にユーモアのセンスがないとか、もともとねくらだと思う人は、おもしろいビデオを見て、ゲラゲラ笑って、アンパン食べて、煎餅パリパリ食べて、そういうリラックスする時間を持ってください。

『きょうだいたちの世話の負担を軽くして、自分のための活動をやらせる』、『親と二人だけになる時間を与える』、これは重要です。普段やっぱりお母さんは、気持ちにしろ、注意にしろ、どうしても障害を持っている者のことばかり気にしている。自分は置いておかれているということをときどき感じるのです。だから、そうではないということをはっきり伝えなければなりません。時々時間を作って二人だけで話をするとか、小学生くらいなら膝の上に乗せて身体接触しながら、お前のことを考えているということを伝えることが絶対に必要です。そうしないと、見捨てられたという気持ちが出てきます。見捨てられているということが子どもの心が弱くなった時にパッと出てきます。だから、お前のことを心配している、気にかけている、ということを一週間に一度とか二週間に一度、あるいは必要なときに度を過ぎるくらいに、おおげさにでもいいから、伝えてあげることですね。人間にとって何が一番心にこたえるかというと、無関心でいられることです。見捨てられることです。だから、それは配慮してあげなければいけません。そのために家族全体の時間も必要ですが、親と二人だけになる時間が絶対に必要です。

それから『居室を確保し、一人になれる場所と時間を確保する』、邪魔をされない場所がいるということです。次に『対等に扱う』、これは、どうしても障害のある方をかばうようになりますので、できるだけ努力をすることと、気持ちの上でそうするということですね。『きょうだいの努力や達成をほめるように努力する』、日本人はこれが下手ですね。努力しましょうね。

『きょうだいに生じる困難な問題について相談に乗る』、子どもの方から言ってきたらもちろんそれは分かりますけれど、表情とかしぐさでも大体推測がつきます。落ち着きがないとか、何か考えていることがあるのではないかとか、そういうときに引き出してあげるということです。『問題を言い表わさせ、家族で問題を明確にする』、さっきも口に出すということを強調しましたが、口に出して言うことはストレスのエネルギーを出していることになりますし、しかもそれを誰かが受け止めてくれてるという安心感を与えますので、非常に大切なことです。だから『親は聞き上手になる』、指示だけ与えるということではなくて聞き上手になる。次に『問題をはっきりさせ、実行する』、問題がはっきりしたら、それをきちんと解決していけます。問題がはっきりしない、混沌とした状態で皆が不満を持っているということはいけません。間違っていればやり直せばいいのですから、実際に動くことですね。

それから、次は結構重要なことです。『家族外からの援助を上手に利用する』、親戚、友人、あるいは専門機関に、時々障害を持っている子どもを預けて夫婦だけでどこかへ行くということも必要だと思いますね。自分自身の休養の時間を確保することになりますが、日本人にはなかなかこれは難しいかも知れませんね。子どもをほっといて自分が楽しむということがしにくいかもしれないですね。アメリカ人などは、ベビーシッターをたのんで夫婦だけで平気でパーティーに行ったりします。家族外の援助を上手に利用するということですね。工夫と決断がいります。

それから、きょうだいたちが抱く悩みは、ここに挙げられているようなことがあります。『自分のプライバシーが侵されていると感じる』、『怒れない』、『生活を邪魔される』、『同胞(障害を持つきょうだい)が暴れる』、『いうことを聞いてくれない』、『迷子になるのではないかと心配である』、『知らない人々の言葉や視線をいやに思ったことがある』、『安全が気になる』、『親と話しているのを邪魔されたことがある』、『親から愛されているという確信がない』、だからさっき言ったように、二人だけで話すということが必要になってきますね。『同胞に対する本当の気持ちを話していいものか迷う』、本当の気持ちは言わなければいけないですね。だから邪魔されたり物を壊されたら怒るべきだし、遠慮してはいけないですね。『家庭での自分の育て方が障害を持つ者がいることによって影響されているという不安を持っている』、これには対処の仕方はいろいろあるかも知れませんね。

たくさんのことをお話ししました。最後に締めくくりになりますが、障害児をきょうだいに持つ子どもには、お母さん自身の心のありようというものが反映しますから、お父さんの協力を得て、前向きに生活していただくことが一番重要だと思います。多分子どもたちは、親の障害児に対する姿勢を見ながら、それをモデルにしてどう対処したらいいかということを考えていると思います。先程の辛抱強さを見て育つと耐えることを学ぶとか、存在を認められて育つと自分が好きになるとか、努力を認められて育つと目標を持つようになるとか、静かな落ち着きの中で育つと平和な心を持つ、自分や人を信じられるようになるとか、子どもはそのような雰囲気の中で生きているということを心に留めておいてください。ご静聴を感謝します。


文献情報

講演者:西村辨作
題目:障害児のきょうだい達の心の健康
講演年月:1995年10月 (社会福祉法人 あさみどりの会(名古屋市)の母親研修会にて)

文献に関する問い合わせ先:
愛知県春日井市神屋町713-8
愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所治療学部
西村辨作
TEL:0568-88-0811