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発達障害リハビリテーションの実践・研究について:自己決定の援助技術を中心に

愛知県心身障害者コロニー 
発達障害研究所能力開発部
望月 昭

項目 内容
発表年月 1996年2月
備考 この原稿は、1995年の「発達障害学会」(7月28-30日慶應義塾大学)で開かれたシンポジアムⅠ“発達障害研究研究の将来と展望”での発表をまとめたものである。 「発達障害研究」第17巻4号にはこれを大会事務局が短くしたものが掲載されている。

1.自己決定・インクルージョン・リハビリテーション

 近年、障害に関わる様々な場面で「自己決定」が話題になっている。この「自己決定」という言葉自体は非常に一般的な用語であり、場面を限らず人間が生活する上で無条件にポジティブな行為として受け取られていると言ってよいであろう。
 「自己決定」は、「普通に地域で生きる」という意味でのノーマライゼーションの理念あるいはインクルージョンの目標を、対人的な関係の問題に投影したものとも言える。それは障害を持つ個人が周囲の人間との関係において、医師と患者の間の「治療関係:治す」、教師と生徒などの間の「教授関係:教える」とは異なる人間関係も保証されるということである。「治す」、「教える」という社会関係と異なる機能として、この「自己決定:本人に選択を委ねる」が保証される人間関係が提出されてきているわけである。インクルージョン(「地域の中に包み込む」)における、「包み込む」という動詞はこうした意味での社会関係を実現するための実践や行為を示していると言える。
 インクルージョン時代の「リハビリテーション」とは、そうした社会関係を実現するための、本人と周囲の人間に対して行うひとつの職業的介入である。その介入は、本人に向かって行う「援助」と、本人の「選択」した行為成立のために本人とともに他者にアピールしたり要求したりする「援護」という作業に分かれる。「自己決定」とは、“他者に強制されずに物や事を本人が「選択」する事態”と一般的には表現されます。では、知的障害を持つ個人において、この「自己決定」という社会的行為が成立しているというのはどのような条件が整った時か、その自己決定をどのように「援助」するのか、さらにそれについて社会へ向けてなすべき「援護」の内容とは具体的にどのような作業になるのか。そして、このような形でのリハビリテーションを実証的に検討していく研究活動というのは、どのようなものなのか。主に、本人選択の援助の技術的問題を中心にいくつかの研究例を紹介したい。

2.「自己決定」としての「選択」(choice-making)

要求言語から言語要求へ

 この自己決定に関連した「リハビリテーション」としては、既に約四半世紀にわたって、「要求言語行動」の研究がさかんに行われてきた(藤原, 1985;藤原・加藤, 1985)。当初のそれは従来の「教える-教わる」という教授関係の中で、基本的には、標準的能力としての(つまり ability としての)「言語」を教える為の手段として、要求場面を利用するという形であった。しかしながら、ability を対象とした「教授」や「治療」が中心の学校や治療施設においては、本人の要求自体(これは最近の表現で言えば strength に対応するだろう)を援助する、という作業は馴染まないところもあった。「療育」とよばれる、治療と教育をその主な機能として標榜してきた福祉施設などでも同様の事情があったことは言うまでもない。
 しかし、要求言語行動の日常の「般化」の問題を実証的に追っていくと、本来の個人個人の要求とその充足を二の次にして、能力としての要求言語ばかりを「教える」という関わり方では、一見獲得されたかにみえる「要求言語」もすぐに消えてしまう事が明らかにされてきた(望月・野崎・渡辺,1988)。

言語要求のひとつとしての「選択」(choice-making)

 そうした現状の中で、ノーマライゼーション理念の浸透は、要求言語に関わる実践(と研究)に対して、これは単に言葉の成立の為ではなく、本人の要求の充足そのものの手段としてみるべきであるという、発想の転換を後押しすることになった。要求言語行動の学習に関する実践・研究も、単に「教授技術」の問題だけではなく、日常環境で実際に要求できる為の「援助・援護」技術の開発の必要性も示すこととなった(松原,1995)。学校等の言語行動の「教授」場面においても、まず自己決定としての「選択(choice-making)」をプログラムの冒頭に据えていくような機運も高まったと言える(山田,1995; 加藤,1995)。
 この「選択」の基本型である“選択肢の中から選ぶ”という行動は、それ自体の形態は非常に単純である。適切な設定をすれば、この単純な形のままに社会行動(要求言語行動)を実現できることから、言葉を持たない重い知的障害を持つ人においても「自己決定」ができることを示している。これまで、他者の権利擁護に頼らざるを得ないと思われてきた重い知的障害を持っている人においても、自己権利擁護が可能なのである。

選択(choice-making)の研究

 「重度の障害を持つ個人にも選択決定ができる」という場合の「選択ができる」というのは、対象者が与えられた選択肢のどちらかに偏った分化的な反応を示すということである。つまり選択行為とその結果を繰り返し経験する中で、特定の物を他方より多く選択する、という結果が示されることである。
 例えば、Parsons と Reid(1990)は、最重度の知的障害を持つ人でも「好み」の食べ物の選択を積極的に行うことができる事を示した。例えば、ミルク入りコーヒーとブラックコーヒーをいくつかの容器に分けて繰り返し選んでもらうという手続きで、「好み」(preference)を確認するというものであった。そして、この研究では、「好み」の表明が可能であることを確認した後、その「選択機会」の形式を日常場面の食事時間などにどう適用する事ができるか、そして、個別に測られた食べ物の「好み」が、日常の食事の時間でも一貫しているか、などといった検証が進められた(Reid & Parsons,1991)。同様の研究は、「食べ物」の選択だけではなく、「作業」(Mithaug & Hanawalt,1978,Parsons, Reid, Reynolds, & Bumgarner,1990)や「余暇活動」(Dattilo & Rusch,1985)の選択についても行われている。

3.現状の研究課題

既存の選択肢を拒否する選択肢

 先に示した例は典型的な選択決定の実践研究のスタイルである。しかし、目の前にある活動や物品に対して選択的な反応ができるというだけでは、必ずしも社会的な行為としての「自己決定」が満足したとは言えない。自己決定とは、自動販売機で物を買うスキルとは違う。また社会的であるとしても、常に与えられた選択肢の範囲の中からしか選択できないのであれば、従来の支配的な社会関係と本質的には変わるところはないのであって、先に述べたようなインクルージョンを保障するような「自己決定」の社会関係とは必ずしも言えないわけである。
 社会関係としての自己決定とは、既成の選択肢を否定し新たな選択肢を提供者に要求するという反応も含むことが必要である。そこで、自己決定としての選択決定は、以下のような選択肢を必要とする。

選択機会の設定
option 1   option 2   rejection
○       ○       ●
A   +   B   +   R
否定の選択肢Rを入れる
(=選択を要求言語(mand)の場にする)
Rを入れる事で、どのように反応が変わるか?

 このRは、いわば「ないものねだり」、つまり既成の選択肢の否定、あるいは「何か新しいもの」を要求するための選択肢である。これは、他者に環境の変更を要求するという意味で本来的な「要求言語行動」(Yamamoto & Mochizuki,1988参照)であり、従来の教育(教える)や医療(治す)の人間関係の中では設定しにくいコミュニケーション内容と言える。もちろん、重い知的障害を持っている人でも、不快な刺激呈示や強制に対して、自傷などの問題行動であるとか、泣くなどの拒否的な態度や表情を示すということはよく見られる。しかし非支配的な社会関係を維持していく時、「おだやかな拒否」や「新しい選択肢の要求」の為の機会設定は不可欠なものである。
 われわれも、最重度の知的障害を持った人に余暇活動の選択をしてもらう実践研究の中でこの「拒否」の機会設定について検討した(Nozaki & Mochizuki,1995)。対象者は施設居住歴の長い成人であった。少し離れた場所にいくつかの余暇活動を表す物品を並べておき、その中から好きな物を持ってきてもらうことによって、希望する活動を表明してもらった。それまで聴覚障害の疑いもあった対象者は、このような設定をすることにより、色分けしたカセットテープを選択する行為を通して、好みの音楽ジャンルさえ表明できることが示され。この事態に、R反応の設定が導入された。具体的には、約1年間対象者がセッションの行き帰りに連絡用に持ち歩いた1冊のノートを、活動の選択肢として導入したのである。対象者は、嫌いな音楽テープや苦手な運動を表す物品しかない場合には、それを自発的に選んで、“にこやかに”その場を立ち去ることが確認された。もちろん安定した拒否反応を示すのには、それなりの時間が必要であったが、「穏やかな拒否」を通して既成の選択肢を避けるという行為を示してもらう事ができたわけである。その後、活動を選択したり、選択肢の拒否を表明する場面を、日常生活場面にも取り入れ実行できることが確認された。

選択形態と要求形式

 先に示した例は、最重度の知的障害を持つ人に対する活動選択と否定選択肢の自発的反応の可能性を確認するものであった。言語的反応レパートリーがきわめて限定された個人においても、自己決定が可能であるという事を示したものである。先にも述べたように、近年の研究はこうした重度の障害を持つ人の研究が主流である。
 では、知的障害が軽ければ、「自己決定」とは、選択肢さえ用意しておけば可能なのかというと、必ずしもそうでもはない。われわれは、先に示した Parsons & Reid(1990)の食べ物の選択に関する追試を施設に居住する成人を対象に行った。手続きは彼らのものとほぼ同じで、2品づつの食品と飲み物を少量づつ器に分けて、何回かに分けて選んでもらう。ところが、Reid & Parsons(1990)の結果のように、片方の食べ物だけを選んで「好み」を示すということがみられなかった。参加した施設居住の成人8名は、全員、示された2つの食品を交互に選ぶという「交代反応」を示してしまったのである。この交代反応は日を追っても変わらなかった。ちなみに同年齢の研究所員4名に同じ試行を行うと、こちらは Parsons & Reid(1990)同様に反応は分化した。
 施設居住者が「交代反応」をする理由についてはいくつかの事が考えられる。当人にとって、提示された2つの食品に「好み」の点で優劣をつけがたくそれゆえ積極的に両方食べた可能性もある。あるいは、「好きな物だけを選ぶ」という行動が、それぞれの個人の生活史や現状での人間関係によってできなくなっている可能性も考えられる。対象者の中に、セッションの最後に「ほんとうに、好きな方を食べていいのですか」とわざわざ確認する者がいた。この言葉は、交代反応が、われわれと彼らの間の「支配的」な人間関係を示している可能性が高いと思われる。そうであれば、まさに「リハビリテーション」が必要となる。
 そこで、自由に選択することの練習、および先のR反応(つまり「既成の選択肢」以外の選択肢を要求する設定)を経験することで、交代反応をしてしまうような関係が変化しないか、という検討が行われた。交代反応を示した聴覚障害と知的障害を持つ対象者1名に対して、「何が食べたいの?」あるいは「何をしたいの?」という質問カードのもとで、「食べ物」と「活動」に関し、具体的な選択肢が書かれたメニューカードの中から、好きな物を自分で選んで書いたり、また気に入らない場合には、「他のもの」(あるいは「他のこと」)という文字(これもメニューカードに記載されている)を記述する練習をした。「他のもの」と書いた場合には、新しい内容を書いたメニューカードが提示される。その結果、「他のもの」という文字を書いて、新たなメニューを請求する行動は確立した。こうした選択設定のもとで、対象者と約1年間、われわれはその活動につきあった。
 さて、そのような「メニューカード」を用いた選択経験が、先の「食べ物」選択の交代反応にどのような影響を及ぼしたかというと、その結果は、だいたい以下のようなものであった。再び、以前の Parsons & Reid 式の食品の対呈示のみをしてみると、対象者はあいかわらず「交代反応」しか示さなかった。次に、現物の食品の代わりに「文字カード」を置き、それを書写して要求する方式をとったがこれもあまり顕著な効果はなかった。そこで次に、1年間練習してきたメニューカード方式で尋ねた。すると、食品ペアによって異なった選択パターンを示すようになった。すなわち、カップケーキと羊羹のセットでは、「他のもの」反応が頻発すると同時に交代反応も示すセッションがあった。サラダあられと七味あられのセットについては完全偏向(サラダあられのみを連続選択)が見られ、ウーロン茶とサイダーによる飲み物セットでも、「他のもの」選択を経由した新しい飲み物(コーヒー)の要求が出ることが示された。
 これらの結果は、選択設定のスタイルによって、ある対象者の選択反応の形が異なってくることを示している。

4.新しいリハビリテーションの技術と発達観

自己決定の為の技術論

 後半の選択実験では、Parsons & Reid(1990)方式での食べ物の選択場面において生じてしまった「交代反応」を崩す設定が検討されたわけだが、「別のもの」を選択肢に含んだ「メニューカード方式」は、(1)既存の選択肢の中から一方のみを選択する、(2)「他のもの」を要求する、(3)交代反応をする、という、およそ考えつく組み合わせの選択反応パターンを生み出したことになる。これらの「選択パターン」は、供給者(実験者)からは予測のつかないものであった。もちろん、選択肢の中のどの物品を選択するかについても予測がつかなかった。「自己決定」というのは、まさに本人に聞いてみないとわからない内容を、それゆえに自らで選択してもらうという意味もある。その意味からは、この「予測不可能」な選択状況を設定できたということは、一定に成功であったと言えるであろう。
 こうした“予測できない事態が成功である”という基準は、これまでのように具体的行動目標が設定され有効な訓練スタイルが予測し得た「教授」や「治療」の作業と異なるところである。しかしこの予測不能性というものは、だからといって科学的なあるいは実証的研究からはずれるものではない。「援助」、「援護」という新しいリハビリテーションの作業機能において、どのような操作がどのような形の選択パターンのバリエーションを生み出しうるか(簡単に言えば“自由”な選択を実現するか)については、やはり実証的な研究が必要であると思われる。

自己決定から積み上げる新しい「発達観

 ノーマライゼーションあるいはインクルージョンの運動に即した新しいリハビリテーションにおいては、その具体的目標設定を決定する原則も変化する。

発達に関する概念
prestige = f(ability) 
     ability = f(age, education)
---------------------
human rights = f(strength, age)
    strength = f(choice, support)

 「発達」というものが、これまでのリハビリテーション作業に対するひとつの評価軸であった。つまり、この「発達」に対する認識も新たなものとなりつつあると思われる。そして、新しい発達観とは、「自己決定」にもとづく行動の選択肢の拡大という風に考えることができる。
 従来の「発達」は、加齢と教育に従って上昇する(そしてやがて下降する)単独能力としての ability と、それに伴ういわば「社会的地位」(prestige)の問題として捉えられていた。これに対して、新しい発達観においては、自己決定(choice)と援助によって成立する「ちから」(strength)と、社会的な意味における年齢相応の待遇によって保証される人権(human rights)の問題として捉えることになる。このように捉えられた「発達」というものは、生物学的な意味での障害(impairment)や、やはり生物学的な意味での加齢とは独立に促進することができるものである。
 従って、新しい“発達障害”のリハビリテーションにおいては、strength を単位として、そのような行為の成立とそれが拡大していくためにどのような個体と環境との関係改善が必要か、ということが、つねに具体的作業内容を決定していくものと思われる。

引用文献

1) Dattilo, J., & Rusch, F. R. (1985): Effects of choice on leisure participation for persons with severe handicaps, Journal of The Association for Pesons with Severe Handicaps, 10(4), 194-199.

2) 藤原義博(1985): 自閉症児の要求言語行動の形成に関する研究特殊教育学研究,23(3), 47-53.

3) 藤原義博・加藤哲文(1985): 重度言語遅滞児の要求言語行動における反応選択,発達障害研究, 7(1), 42-51.

4) 加藤哲文(1995): 学校教育現場における選択行動形成の意義行動分析学研究,8(1), 22-25.

5) 松原平(1995): 知的障害を持つ人に本当の要求の場はあったのか?:入所施設における「集会」の機能. 行動分析学研究, 8(1), 29-36.

6) Mithaug, D. E., & Hanawalt, D. A. (1978): The validation of procedures to assess prevocational task preferences in retarded adults. Journal of Applied Behavior Analysis, 11(1), 153-162.

7) 望月昭・野崎和子・渡辺浩志(1988): 聾精神遅滞者における要求言語行動の実現:施設職員によるプロンプト付き時間遅延操作の検討, 特殊教育学研究,26(1), 1-11.

8) Nozaki, K., & Mochizuki, A. (1995): Assessing choice-making of a person with profound mental retardation: A preliminary analysis. Jounal of The Association for Persons with Severe Handicaps, 20(3), 196-201.

9) Parsons, M. B., & Reid, D. H. (1990): Assessing food preferences among persons with profound mental retardation: Providing opportunities to   make choices. Journal of Applied Behavior Analysis, 23(2), 183-195.

10) Parsons, M. B., Reid, D. H., Reynolds, J., & Bumgarner, M. (1990): Effects of chosen versus assigned jobs on the work preference of persons with severe handicaps. Jounal of Applied Behavior Analysis, 23(2), 253-258.

11) Reid, D. H. & Parsons, M. B. (1991): Making choice a routine part of mealtimes for persons with profound mental retardation. Behavioral Residential Treatment, 6(4), 249-261.

12) 山田岩男(1995): 養護学校における自発的選択要求行動の形成. 行動分析学研究,8(1), 12-21.

13) Yamamoto, J., & Mochizuki, A. (1988): Acquisition and functinal analysis of   manding with autistic students. Journal of Applied Behavior Analysis, 21(1), 57-64.


主題・副題
発達障害リハビリテーションの実践・研究について:自己決定の援助技術を中心に

著者名・研究者名
望月 昭 (愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所)

掲載雑誌名
 この原稿は、1995年の「発達障害学会」(7月28-30日慶應義塾大学)で開かれたシンポジアムⅠ“発達障害研究研究の将来と展望”での発表をまとめたものである。 「発達障害研究」第17巻4号にはこれを大会事務局が短くしたものが掲載されている。

発行者・出版者
日本発達障害学会

巻数および頁数
第17巻4号  279頁-282頁

発表年月・発行年月
1996年2月

登録する文献の種類
(1)研究論文(雑誌掲載)

情報の分野
(1)社会福祉

キーワード

文献に関する問い合わせ先
e-mail: HGD01512@niftyserve.or.jp