音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

30年のあゆみ

日本障害者リハビリテーション協会30年、戸山サンライズ10年

NO.9


4 国際障害者年以降の活動(1981年~1993年)


(7)  国内外研修事業の実施

障害者リーダー米国留学研修派遣事業の実施

 財団法人広げよう愛の輪運動基金からの資金提供によって、国際障害者年から10年間、「完全参加と平等」の実現をめざして、障害者福祉リーダーとなろうとする人、あるいは障害者福祉分野で貢献したいと志す人の中から、毎年10名の障害者を米国に派遣、留学研修を行い、帰国後はそれぞれの分野でリーダーとして活躍されることを期待して始めたもので、名称を「ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業」といった。
 山西利夫広げよう愛の輪運動基金副理事長は、「障害者の中からリーダーたらんと決意する人々を福祉の先進国アメリカに留学してもらって、福祉のあり方を体得していただこうと発表したそもそもの動機は、May I help youという言葉であり、国際障害者年の世界標語として採用されたことを知って、ダスキン(ミスタードーナツ)は妙な符合で驚きました。これは企業集団ダスキンの合言葉だったからです。」と述べられている。


写真  壮行会
ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣生壮行会

 この派遣事業は、実行委員会を設けて、希望者の募集、選定、派遣先の決定等を行い、10年間で90名(男41名、女49名)の障害者が留学した。そして留学の第1期から、留学中の活動、帰国後のリーダー活動など、毎年の状況を報告した「自立へのはばたき」を事務局で作成、配布している。
 ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業実行委員会は以下の方々で構成された。

ミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業実行委員会

委員長  竹内 嘉巳  日本障害者リハビリテーション協会副会長
            日本肢体不自由児協会理事長
副委員長 中川 修   株式会社リバースリー代表取締役
委員   大漉 憲一  東京都心身障害者福祉センター職能科指導主査      坂口 亮   心身障害児総合医療療育センター所長
     小島 蓉子  日本女子大学文学部教授
     下田 巧   全国特殊教育推進連盟理事長
     太宰 博邦  日本障害者リハビリテーション協会会長
     花田 春兆  しののめ会代表
     松井新二郎  日本盲人社会福祉施設協議会理事長
            日本盲人職能開発センター所長
     松友 了   日本てんかん協会常務理事
     皆川 正治  全日本精神薄弱者育成会理事長
     宮城まり子  ねむの木学園長

竹内嘉巳実行委員長は10年間の事業を総括する言葉の中で、次のように述べている。
 「このミスタードーナツ障害者リーダー米国留学事業は、昭和56年春、株式会社ダスキンがミスタードーナツの事業を始めて10年になったのを記念しての事業だと聞いております。(中略)
 研修生の応募要領の第1に、『障害者の“完全参加と平等”の実現をめざして、障害を持つ人々で、障害者福祉リーダーとなろうとする人、あるいは障害者福祉分野で貢献したいと志す人の中から、障害者福祉について、その必要な知識や体験を身につけたいと望んでいる人々を米国に派遣し、留学研修を行います。帰国後は、それぞれの分野でリーダーとして活躍されることを期待するものです。』と明記したこの事業の趣旨を、どうすれぱ具体的に実行できるのか、それが私たち実行委員会の責務であるわけですが、その責務を全うするにはまず厄介な問題を三つ抱えていました。
 ミスタードーナッとしても当然のことながら、無制限にこの事業に資金を提供できるわけではなく、一応毎年度3千万円の予算枠を示されていました。毎年10名程度の研修生という目標から逆算すれば、研修生一人当たりは3百万円、これには研修先の受け入れ費用も、研修を指導するインストラクターに対する経費も含まれますから、10人全部が米国に1年間滞在することは不可能です。というわけで、実行予算を設定することが第1の仕事であり問題点でした。研修生に果たして適任者が得られるかどうかが第2の問題であり、適切な研修の場が、そして何よりも優れた適切な指導者が得られるかどうかが第3の難問でした。
 第1の財源・予算の問題は、駒井ダスキン社長のご好意で当初はプラスアルファ、以後も若干の幅を認めてもらい、研修期間も研修内容に応じて少なくとも6か月以上とすることで乗り切ることができました。
 第2の問題は、研修生の選抜に当たっての悩みで、応募者の語学力と個人的な資質・意欲とのアンバランスをどう調整して選ぶかでした。正直いって、両者を兼ね備えている人は極めて少なく、毎年のように悩まされました。それでも、研修の終わるころにはみな満足できる研修生として帰国してくれたことは幸いでした。
 第3の難問は、文字通り暗中模索のスタートでした。でも、故小池文英先生からUCLAのマーガレット・ジョーンズ博士をご紹介いただいたのが、この難問を切り抜けるきっかけでした。おかげで、ランチョ・ロス・アミーゴス病院のビル・サー氏や、カーシュナー教授といった素晴らしいインストラクターを確保できました。
 また、かねてリハ協と連携があったバークレイのCIL、松井新二郎先生のご紹介でニューヨークのIHBというふうに、米国の福祉に通暁されている実行委員の小島蓉子教授のご助言を得ながら、何とか研修先を確保できました。
 こうして、米国研修は実現に向け動き出しましたが、何といっても米国ミスタードーナツの関さんの熱心なご協力なしには、研修生の米国受け入れは動きが取れなかったでしょう。そして関さんは、その後も研修生の身近な米国での相談相手、指導者としてなくてはならない実行委員会スタッフでした。
 実行委員会が選考に当たって最も重視したのは、自立への意欲であり、全期間を通じて研修生に望んだことは、米国市民社会でのノーマライゼーションを体得してくれることであり、この米国での研修が帰国後、障害者福祉のリーダーとしての活動と自立への基盤となってくれることでした。この実行委員会の期待は、各地での彼ら彼女たちの活躍を見聞きして、決して裏切られなかったと心ひそかに私は満足しています。
 『ミスタードーナツ障害者米国研修派遣事業』は、10年間の実績を誇ってよいのではないでしょうか。重度の障害者たちが、いまでは何の不安もなくどんどん海外へ出かけていますが、10年前にはほとんど見られなかったことを思えば、この事業の波及効果も捨てたものではありません。ただ、本当の意味でのこの事業の評価は、第10期生の活動がある程度確認できるまで、もう少し時間をもつ必要がありましょう。でも、第10期生も期待してよいと思います。
 『ミスタードーナツ障害者米国研修派遣事業』の10年間にわたる事業の最後の『自立へのはばたき』を皆さんのお手元にお届けするに当たって、この素晴らしい仕事にかかわらせて下さったミスタードーナツの関係者の方々、広げよう愛の輪運動基金の駒井理事長を始めとする理事各位と事務局の皆さんに、実行委員会を代表して心から御礼を申し上げます。米国でお世話になった方方のリストを巻末に掲げて項きましたが、心から謝意を捧げたいと存じます。
 最後にこの研修事業に、『自立へのはばたき』の編集に、とご苦労かけた財団法人日本障害者リハビリテーション協会の皆さん、ありがとうございました。」

ミスタードーナッツ障害者リーダー米国留学研修派遣生名簿

氏名 出身地 所属 米国での研修先
1981年(昭和56)年 第1期生
市瀬 由紀子 東京  (株)東京録音タイプ社 インダストリアル・ホーム・フォー・ブラインド及びニューヨーク・ライトハウス
芝田 幸子 京都 京都ライトハウス点字図書館 インダストリアル・ホーム・フォー・ブラインド
山口 和彦 東京 東京都失明者更生館 インダストリアル・ホーム・フォー・ブラインド
土屋 健造 神奈川 神奈川県立ゆうかり養護学校 バークレーCIL
奥平 真砂子 富山   バークレーCIL
国井 澄枝 東京 日建工業株式会社 バークレーCIL
桑名 敦子 福島 英語塾経営 バークレーCIL
堤  美和 福岡 日本IBM福岡事業所 ウィスコンシン大学スタウト職業リハビリテーション研究所
河村 ちひろ 東京 日本てんかん協会 米国てんかん財団
加納 洋 東京   ニューヨーク・ライトハウス音楽学校
1982(昭和57)年 第2期生
佐藤 幸江 新潟 国立身体障害者リハビリテーションセンター カリフォルニア州立ろう学校リバーサイド校
福井 恵理子 青森 青森明の星高等学校(学生) カリフォルニア州立ろう学校リバーサイド校
望月 優 静岡 麓沢高校(教諭) インダストリアル・ホーム・フォー・ザ・ブラインド
尾形 潔 神奈川 保坂診療所 インダストリアル・ホーム・フォー・ザ・ブラインド
谷口 明広 石川 同志社大学大学院 バークレーCIL
勝矢 光信 東京 江戸川区役所 バークレーCIL
小柴 一貫 兵庫 白陵高等学校(教諭) バークレーCIL
森山 幸恵 福岡 北九州市社全福祉協議会 ランチョ・ロス・アミーゴス病院
飯塚 房枝 東京 荒川区立心身障害者福祉センター ランチョ・ロス・アミーゴス病院
宮田 初枝 山口   ランチョ・ロス・アミーゴス病院
1983(昭和58)年 第3期生
佐藤 宏治 福島   ランチョ・ロス・アミーゴス病院
八木 三郎 奈良 天理教協会本部 福祉課 ランチョ・ロス・アミーゴス病院
柏木 稚枝 神奈川 富士フィルム生活共同組合 ランチョ・ロス・アミーゴス病院
阿部 司 東京 日本興業銀行 バークレーCIL
安積 純子 福島   バークレーCIL
栗原 勝美 茨城 筑波大学理療科教育養成施設 インダストリアル・ホーム・フォー・ザ・ブラインド
乙川 利夫 東京 国立神戸視力障害センター インダストリアル・ホーム・フォー・ザ・ブラインド
石川 准 富山 東京大学大学院 ニューヨーク州立大学
山科 崇 京都 京都府立向日が丘養護学校 オークランド地区精神薄弱者育成会
山科 和喜子 京都 大阪市立淀商業学校 オークランド地区精神薄弱者育成会
1984(昭和59)年 第4期生
山本 一裕 東京 町田市役所 ランチョ・ロス・アミーゴス病院
今福 義明 京都 きょうと障害者行動センター バークレーCIL
芳賀 喜子 福岡 フリージャーナリスト ランチョ・ロス・アミーゴス病院
田坪 直 兵庫 兵庫県心身障害者福祉協会 バークレーCIL
樋口 恵子 東京 ヒューマンケア協会 バークレーCIL
中沢 理恵子 埼玉 共栄学園短期大学 カリフォルニア州サンタモニカ高校
伊藤 道夫 東京 日本盲人職能開発センター嘱託研究員 クリーブランド盲人福祉協会他
高瀬 礼子 東京 ファミリーホームろばの家 ランチョ・ロス・アミーゴス病院
須賀 美由紀 東京 都立武蔵野福祉作業所 バークレー・オークランド地区精神薄弱者育成会
須賀 善子 東京 自宅で活躍中 バークレー・オークランド地区精神薄弱者育成会
1985(昭和60)年 第5期生
鈴木 真由美 兵庫 自宅で活躍中 ニューヨークCIL
中野 寿子 山口 自宅で活躍中 バークレーCIL
木下 香 三重 会社員 カリフォルニア大学ノースリッジ校
森口 広恵 大阪 日本てんかん協会 米てんかん財団
望月 千稚子 静岡 米・ジョージア大学へ留学予定 ジェームズ・マディソン・メモリアル高校
清家 一雄 福岡 福岡県脊椎損傷者連合会 バークレーCIL
森川 忠彦 愛知 英語塾経営 ニューヨークIHB
松兼 功 東京 フリーライター バークレーCIL
松谷 詩子 東京 引統きペンシルバニア州立大学へ留学 ペンシルバニア州立大学
1986(昭和61)年 第6期生
吉原 登 新潟 米国ギャロデット大学留学中 カリフォルニア州立ろう学校リバーサイド校
吉村 伸 東京 (財)日本障害者リハビリテーション協会 カリフォルニア州立大学ノースリッジ校
片山 一夫 東京 筑波大学理療科教員養成施設 ニューヨークIHB
高野 弘美 東京 会社員 ニューヨークIHB
小島 律子 熊本 主婦 ランチョ・ロス・アミーゴス病院
河南 恵美子 兵庫   ランチョ・ロス・アミーゴス病院
篠原 真由美 鹿児島   バークレーCIL
塚本 哲夫 東京 地方公務員 バークレーCIL
1987(昭和62)年 第7期生
堀川 純吉 栃木 芳賀福祉事務所 ランチョ・ロス・アミーゴス病院
青山 しのぶ 東京 筑波大学付属盲学校 ミシガン盲学校
石田 眞理 神奈川 慶応義塾大学学生 ランチョ・ロス・アミーゴス病院
渡部 ゆかり 東京 バークレーCIL
星山 知之 新潟 新潟県立高田盲学校 ウェスタンミシガン大学
前田 耕治 千葉 日本IBM(株) バークレーCIL
岩井 菜穂美 福岡   バークレーCIL
松方 文 東京 桜美林大学 学生 オーストラリア、アデレード市ドーバー高校
1988(昭和63)年 第8期生
門川 紳一郎 大阪 ギャロデット大学留学中 ヘレンケラー・ナショナル・センター
小林 聡 神奈川 日本電気ソフトウェア バークレーCIL
天野 博之 愛知 栗林病院 バークレーCIL
山下 裕司 京都 同志社大学学生 バークレーCIL
佐藤 映子 東京    ペンシルバニアカレッジ・オブ・オブトメトリー
ウエスタン・ブラインド・リハビリテーションセンター
羽根 裕之 佐賀   カリフォルニア州立大学ノースリッジ校
中村 佳代 京都 乙訓若竹苑 ハワイ ラナキラ・リハビリテーションセンター
中村 千賀子 京都 主婦 ハワイ ラナキラ・リハビリテーションセンター
1989(平成元)年 第9期生
尾崎 由利子 愛知 わだちコンピューターハウス モビリティ・インターナショナル
CILコンピューター・トレーニング・プログラム
佐々木 克巳 愛知 自立の家車いすセンター バークレーCIL
川内 美彦 広島 すばる設計事務所 バークレーCIL
馬屋原 昭代 広島 広島YMCA モビリティ・インターナショナル
ランチョ・ロス・アミーゴス病院
新井 恵二 東京 東京都心身障害者福祉センター ダラス・ライトハウス
岩本 光弘 熊本 サンフランシスコ大学留学中 サンフランシスコ州立大学
関  由紀夫 北海道 国立函館視力障害センター サンフランシスコ州立大学
1990(平成2)年 第10期生
天野 善仁 徳島   バークレーCIL
井内 ちひろ 兵庫 メインストリーム協会 バークレーCIL
石田 百合 千葉 日本女子大学在学中 バークレーCIL
大杉 豊 愛知  名古屋文化学園言語訓練専門職養成学校 シアトル・セントラル・コミュニティ・カレッジ
小野 三恵 長野 辰野町立小野図書館 バークレーCIL ランチョ・ロス・アミーゴス病院
香西 和則 北海道 釧路市社会福祉協議会 バークレーCIL
佐竹 保宏 埼玉 埼玉大学大学院在学中 バークレーCIL
鈴木 ミナ 東京 筑波大学付属盲学校在学中 サン・ドメニコ高校
田上 みどり 熊本   ランチョ・ロス・アミーゴス病院
本河 純子 神奈川 日本航空株式会社 ランチョ・ロス・アミーゴス病院


障害者リハビリテーション指導者養成研修の実施

 1984(昭和59)年から始められたもので、国際協力事業団(JICA)から委託を受けて、アジア諸国から障害者リハビリテーションの関係分野で働く指導者の養成研修事業を行ってきた。第1回目の本事業が好評であったことと、アジア各国からの強い要望もあったため、以後毎年行われるようになったものである。


写真 実習の様子
実習中の研修生

 対象はアジア諸国のリハビリテーション分野の行政官をはじめ、理学療法士、作業療法士、ソーシャルワーカー、民間障害者団体代表などで、研修内容は、わが国のリハビリテーション、社会福祉、行政・雇用・地域福祉についての講義及び見学実習、各研修員それぞれの専門分野に分かれての個別研修、地方の特色あるリハビリテーション・サービスの視察、実習等である。研修期間は当初1か月であったが、2回目からは延長され、1986(昭和61)年からは、研修内容をより充実したものとするため、「専門家コース」と「障害者リーダーコース」の二つに分けて実施された。また、1989(平成元)年からは、広く世界の開発途上国も対象とされるようになった。
 第1回目の研修に参加したシスウォヨ(インドネシア、ソロリハビリテーションセンター職業訓練課長)は、レポートに次のように書いている。
 「インドネシアでは、ほとんどの人が日本を知っている。都会の人たちは、その『技術』と『ビジネス』で、しかし残念なことに、農村の人たちは第2次世界大戦に関連して日本を知り、理解しているのだ。触れてはならないことかも知れないが、将来のためにあえて正直に言おう。障害者リハビリテーションの分野では日本とのつながりはまだできていない。この分野で、お互いよい協力関係を結び、理解を深めることができれば、過去のことも消え去るのではないだろうか。私は、このような夢を実現していくことが、自分のこれからの仕事だと思っている。」
年度別の参加国、人員等は次のとおりである。

年度 期間 参加国・人員
1984(昭和59) 3.27~4.26 インドネシア3、韓国1、シンガポール2、タイ3、中国1、フィリピン3、香港1、マレーシア2 16
1985(昭和60) 10.6~11.22 インドネシア2、韓国1、シンガポール1、タイ2、中国1、フィリピン2、香港1、マレーシア1 12
1986(昭和61) (専門家コース)
9.12~10.29
(障害者リーダーコース)
10.6~11.2
インド1、インドネシア1、韓国1、シンガポール2、スリランカ1、タイ3、中国1、パキスタン1、ビルマ1、フィリピン3、香港1、マレーシア1 17
1987(昭和62) (専門家コース)
10.5~11.20
(障害者リーダーコース)
10.12~11.20
インド1、インドネシア2、韓国1、シンガポール2、スリランカ2、タイ2、中国1、ネパール1、バキスタン1、ビルマ1、フィリピン2、香港2、マレーシア2 20
1988(昭和63) (専門家コース)
9.5~11.1
(障害者リーダーコース)
8.22-10.6
インドネシア2、韓国2、ケニア1、タイ2、チリ1、ネパール1、バキスタン1、フィリピン3、ブラジル1、香港2、マレーシア2 18
1989(平成元) (専門家コース)
9.3~10.21
インドネシア1、韓国1、タイ1、チリ1、フィリピン1、ブラジル1、香港1、マレーシア1
(障害者リーダーコース)
 8.22-10.6
インドネシア1、シンガポール1、スリランカ2、タイ1、フィジー1、フィリピン2、マレーシア1
1990(平成2) (専門家コース)
9.3~10.21
インドネシア1、シンガポール1、スリランカ1、タイ2、パキスタン1、西サモア1、フィリピン1、香港1、マレーシア1、モルディブ1 11
(障害者リーダーコース)
9.24~11.11
インド1、インドネシア1、シンガポール1、スリランカ1、タイ1、タンザニア1、パキスタン1、フィジー1、フィリピン1、マレーシア1 10
1991(平成3) (専門家コース)
9.16~11.3
テーマ:授産施設の運営及び職業リハビリテーション
イラン1、インドネシア1、コスタリカ1、スリランカ1、タイ1、バキスタン1、香港1、マレーシア1
(障害者リーダーコース
)6.3~7.21
テーマ:日本における聴覚障害者の現状と課題
インドネシア1、シンガポール1、スリランカ1、タイ1、パキスタン1、フィリピン1、マレーシア1
1992(平成4) (専門家コース)
9.16~11.3
テーマ:授産施設の運営及び職業リハビリテーション
韓国1、チュニジア1、ネパール1、パキスタン1、フィリピン2、ベトナム1、香港1、マレーシア1
(障害者リーダーコース)
6.3~7.21
テーマ:日本における障害者の現状と課題
シンガポール1、タイ1、中国1、ナイジェリア1、バキスタン1、パラグァイ1、フィリピン1、マレーシア1
1993(平成5) (専門家コース)
10.4~11.21
インドネシア1、韓国1、シンガポール1、タイ1、中国1、フィリピン1、ベトナム1、香港1、マレーシア1 10
(障害者リーダーコース)
8.23~10,19
韓国1、コロンビア1、スリランカ1、タイ1、中国1、パングラディッシュ1、フィリピン1、ブルネイ1、マレーシア1、ラオス1 10

 このほか、1987(昭和62)年には、中国障害者福利基金会との日中交流研修を行った。わが国から中国へは、葛西嘉資団長(日本身体障害者スポーツ協会)以下11名が4月28日から5月7日まで、中国国内主要都市を訪問し、障害者福祉の現状を視察、研修した。中国からわが国には、王魯光団長(中国障害者福利基金会副会長)以下10名が、6月25日から7月8日まで、東京周辺並びに九州、関西において日本の障害者福祉に関する諸制度の研修と施設見学を行った。また、1989(平成元)年には、10月9日から11月22日まで、「清水基金・開発途上国福祉技術者来日研修」として、マレーシア、フィリピン、タイの各国からそれぞれ1名が来日、国立身体障害者リハビリテーションセンターにおいて研修を行った。


主題・副題:

30年のあゆみ
日本障害者リハビリテーション協会30年 戸山サンライズ10年

発行者:
財団法人日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
TEL 03-5273-0601 FAX 03-5273-1523

頁数:115頁~122頁

発行年月:平成6年11月30日