ひと~マイライフ-耳が聴こえないからこそ今の自分がいる

「新ノーマライゼーション」2020年1月号

岩田直樹(いわたなおき)

生まれつき両耳が聴こえない。和歌山県立和歌山ろう学校卒業、大学入学をきっかけにつくば市へ。2018年、筑波技術大学総合デザイン学科卒業後、会社でデザイナーとして勤務。会社以外でも個人でデザイナーとして活動しながら、健聴者と聴覚障害者のコミュニティの問題を解決したいと奮闘中。 東京とつくばで定期的に開催されている「ろうちょ~会」(耳が聞こえないろう者と聞こえる聴者が理解を深める交流会)の運営に携わる。

僕は生まれつき両耳が聞こえません。そんな僕が、デザイナーという職種についています。なぜデザイナーになったのか。

小さい時から絵を描いたり、モノを作るなどクリエイティブなことが好きでした。完成したモノを周りに見せて反応が返ってくるのが楽しかったことを覚えています。今振り返ってみると一種の承認欲求だったかもしれません。もう1つ、絵やモノ作りをしている間は自分の世界に没入できるというか、世界を創っているかのようで楽しかった。それは高校生になっても変わらず、将来はクリエイティブなことに関わりたいと思い、デザイナーになることを夢に筑波技術大学に進学しました。

しかし、大学での生活は入学前にイメージしていたものと違い、理想と現実のギャップに苦しみました。大学を辞めようと考えていましたが、せっかく入ったのにすぐに辞めることは親に申し訳ないと思いながら、家と大学の往復をただ繰り返すだけの毎日でした。せっかく大学に入れたのに受け身のままでは変わらない。そう思い、何か自分にできることはないのかと必死に探しました。

そして、大学1年の冬、筑波大学の学生が中心になって行っている地域イベントの実行委員を募集していることを知り参加しました。それをきっかけにつくば市の人々と関わるようになりました。さまざまな人と関われば関わるほど、自分が成長していきました。そして、たまたま出会った社長と縁があって、現在その会社で働いています。

もちろん、聴覚障害者はどうしても「コミュニケーション」の壁にぶつかります。自分もそうでした。相手の言っていることがわからない。自分の言っていることが相手に伝わらない。会話が続かない。空気が気まずくなる。「相手に迷惑をかけないように」が最優先になってしまい、コミュニケーションに対して苦手意識を持ち、一時期は人に関わりたくないと思った時がありましたが、人と関わることができてよかったと思えることが何回かあり、少しずつ自信を持てるようになりました。

今は「耳が聴こえない」ことに対して感謝するようになりました。僕以外に個人でデザイナーとして活動している人はたくさんいますが、「耳が聴こえない」ことで大体の人々の印象に残ります。そして、生まれつき聴こえなくて【視覚的情報】のみで生きてきたことが、デザイナーとしての強みになるのではないかと気づきました。

視覚的情報の内容を人に伝えるためには、ビジュアルや文章などさまざまな要素が必要だと思いますが、一番大切なのは「わかりやすさ」ではないかと考えています。デザイナーは、ビジュアルや文章の力を使って情報に「まず触れてもらう」状況を作る。「わかりやすさ」は、その先の行動を左右する大事な要素です。「わかりにくい」は機会損失につながるかもしれない。「わかりやすく」するだけでその先につながることもあるはずです。当たり前のようなことですが、「わかりやすさ」はデザインの大きな強みであり、聴覚障害者は視覚的情報を見て「わかりやすい」かどうかに敏感ではないかと考えています。

「耳が聴こえない」という辛さを知っているからこそ、障害に関係なく楽しめる世界を実現させたいと思い、積極的にさまざまな活動に参加しています。その理想の世界を実現するために、デザインというクリエイティブな力を使って自分から積極的に活動するという楽しさがあります。

それが障害者として、デザイナーとして、前に進んでいく原動力になっています。

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