文化のある社会をつくる~障害者芸術活動支援センター@宮城の実践~

「新ノーマライゼーション」2020年2月号

障害者芸術活動支援センター@宮城(SOUP) スタッフ
柴崎由美子(しばざきゆみこ)

はじめに~実施地域の問題意識

私たちNPO法人エイブル・アート・ジャパンは、東日本大震災の発災後から、芸術文化による生きる力の取り戻しと被災した社会福祉施設の仕事の再生を掲げてネットワーク団体と支援活動に取り組み、2013年に正式に仙台市に東北事務局を開設しました。2014年度に厚生労働省による「障害者の芸術活動支援モデル事業」に応募、以後、6年間、「障害者芸術活動支援センター@宮城(以下、支援センター)」を運営しています(2018年度からは宮城県が実施主体)。

支援センター設立の際、地域の障害のある人たちや家族・支援者、また協力委員として参加した芸術・福祉・教育分野のNPO・行政・大学等の専門家の声として重視したことがあります。それは、宮城県では美術や音楽、演劇など、さまざまな芸術文化活動が精力的に行われているが、障害者の芸術活動の充実度に差があるのではないか。このような状況は、地域の芸術文化の環境として豊かといえるだろうか、ということでした。

そこで、支援センターでは、障害(バリア)から価値(バリュー)を理念にかかげ、モデル事業の柱である1.相談支援事業、2.人材育成事業、3.参加型展示会、4.ネットワークづくりの実施を基本として活動をスタートしました。

また、支援センターに親しみをもってもらうために愛称をSOUP(スウプ)と名付け、「まぜると世界はかわる」をキーコピーとして、多様な分野のセクターが交流しネットワークする、宮城型の支援センタースタイル構築をめざしています(図1)。

図1 障害者の芸術文化活動の環境の醸成
図1 障害者の芸術文化活動の環境の醸成拡大図・テキスト

以下に、支援センターが実施した事業の概略と成果を振り返りたいと思います。

人をつくる、ネットワークをつくる(2014~16年度)

(1)相談窓口の設置と相談支援研究会

支援センターの存在を知ってもらうため、初年度はミニパンフレットやウェブサイトを制作し、積極的に福祉施設の職員や芸術文化に関心のある人たちが集まりそうな研修会や展示会に出向きました。最初のころは活動の機会や人材を求める声が多く寄せられましたが、私たちが持っている情報は少なく、地域の資源も決して多くはありませんでした。支援センターとしてできることとできないことを整理し、今ここにない資源は地域のみんなでつくっていこう、そんな気持ちで対応してきました。1年目で158件、3年目には249件となり、毎年約200件の相談や情報提供に対応するようになりました。

2年目以降は公的機関にも働きかけて、「相談支援研究会」を行っています。これにより、実際に人や組織が知恵を働かせて動いたりして、未来の政策につながるようなきっかけなどが生まれました。

(2)人材育成のための研修

支援センターの事業に協力委員として関わってくださる方々の集まりである「協力委員会」では、仙台市とそれ以外の地域で、人的にもプログラムの頻度にも格差があることがたびたび指摘されてきました。そこで、とくに関心層を掘り起こしていくためのワークショップ型研修を行いました。参加者自らが気づき、現場に帰ったらその体験をもとに、行動に移すような変化を重視した研修です。毎年、宮城県の行政圏域をエリア分けの参考にして、新たな土地と場所を訪問しています。研修を通して出会った人と人とをつなぎ、障害のある当事者のニーズにはなるべく地域で対応できるように努めました。また、著作権等の権利保護に関する研修では、当団体のライセンス事業の経験をもとに、弁護士と対話型の講座「基本編」と「応用編」を実施し、3年間で42回、806人が参加しました。

(3)ネットワークづくりと参加型展示会の開催

宮城県は2011年に東日本大震災という未曽有の大災害を体験しました。ライフラインの復旧はもちろん、自分自身や家族の心身の立ち上がり、また自分たちが暮らすまちの復興を経験してきました。ここで、私たちは小さなコミュニティが集まって協働することの強さ、しなやかさ、自律性の重要性を心から再認識しました。要となる組織や団体は「ネットワークハブ」と呼ばれ、被災地で注目されました。支援センターも同じ理念や想いをもつ仲間をつなぎ、光輝かせる、すなわちネットワークハブを醸成する方法を重視しました。

結果的に、宮城県内に生まれた各地のネットワークハブは、今ではその地域になくてはならない団体に成長しました。2014年度、山元町は人口1万2,000人の小さな街でしたが、仮設住宅6か所を会場にして、「やまのもとのアート展」を開催しました。37日間に2,000人もの来場者を迎え、現在は障害と芸術文化の新しいNPOも設立され全国的に活動を発信しています。2015年度、石巻市では、「いしのまきのアート展」を開催。復興に携わる設立したばかりのNPOなどとの連携のかいもあって19会場で、32日間に5,000人の来場者を迎えました。社会福祉施設やNPOが手を結び、創作と発表の場が驚くほど増えてきています。2016年度は栗原市、山元町、石巻市の3地域で同時開催の展示会を実施し、それぞれのネットワークハブが活躍し展示会を企画・運営しました。

福祉×文化芸術×地域へのまなざし(2017~19年度)

支援センターの基盤をつくり、美術活動に関する相談支援、人材育成、参加型展示会はある一定の成果と実績がでました。一方、「舞台芸術分野」についてのノウハウが乏しいことを実感していたため、2017年度は、舞台芸術分野における情報収集、ネットワーク化、人材育成、公演会づくりに取り組みました。

ワークショップでは、県内各地で参加者と実践プログラムの経験を積み、最終的に舞台公演を2回実施しました。これにより、宮城県内にある舞台芸術分野の施設や人材、ネットワーカー、公演のつくり方など、支援センターとしてさまざまな知識や経験を得たと考えています。

2018年6月には「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」が施行されました。宮城県は、復興途上の大変な予算のなか、この支援センターを継続する方針を打ち出し実施主体になり、私たちNPOは、プロポーザルを経て支援センター業務を受託し、現在も運営するに至っています。

さらに、仙台市の文化行政にも大きな動きが生まれ始めました。2018年度に仙台市が「仙台市文化プログラム」のテーマのひとつに、「障害のある人たちの文化芸術活動を支援・推進する文化プログラム」を掲げたことです。宮城県では主に支援者育成とネットワークハブ醸成のための事業を、仙台市では主に表現活動の場づくりと文化芸術関係者とのネットワークづくりを推進しています。いわば厚労省の流れの事業は宮城県障害福祉課で、文化庁の流れの事業は仙台市文化振興課及び(公財)仙台市市民文化事業団とで実施しています(図2)。そして、支援センターは現在、「せんだい・アート・ノード・プロジェクト」(せんだいメディアテークによる)の拠点に事務所を構え、東日本大震災以後の多様な文化芸術の節点で、多彩な人材と出会い、さまざまな実験の自由を得ています。

図2 2018年度の事業の仕組み
図2 2018年度の事業の仕組み拡大図・テキスト

文化のある社会をつくる(2020~未来)

障害者文化芸術推進法はできましたが、日々現場の声や課題感覚に敏感でありたいと思っています。とくに社会に生じる‘障害’の概念は日々多様化しており、現行の制度では対応できないこともあるからです。

宮城県は、東日本大震災の影響により、子どもの不登校や青年のひきこもりの問題が深刻で、2020年度には県33の市町村で心のケアに関する事業が拡充していきます。実際、支援センターの事業にはひきこもり経験のある青年がボランティア活動に参加したり、オープンアトリエには障害のある児童と不登校児童がきょうだいで参加しています。また、支援センターは、在宅の障害のある人や就労と離職を繰り返している発達障害や精神障害の方たちの居場所や仲間づくりの場としても機能し、参加者の動機や背景も複雑化・多様化しています。

これからは、真の意味での生涯学習の支援ニーズにいかに応えていくか、支援センターの事業を編み直す時期と捉えています。それもまた、支援センターが発見した役割であり、障害のある人たちの芸術文化の支援の仕組みが、本当に社会的に評価される視点のひとつであると考えているからです。

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