NO-MAのこれまでとこれから

「新ノーマライゼーション」2020年2月号

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA 学芸員
山田創(やまだそう)

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(以下、NO-MA)は2004年にオープンした美術館です。「ボーダレス・アート」というコンセプトの下、障害の有無や、プロアマ、性別など、社会にあるさまざまなボーダー(境界)を超えて、「人の持つ普遍的な表現の力」を紹介する展覧会を開催してきました。アートディレクターに障害者施設のすずかけ作業所(兵庫県西宮市)に絵画クラブを創設した絵本作家のはたよしこ氏を迎えて、障害のある人や高齢者やアマチュア、また既存の美術史的文脈において類を見ない独自的な表現を行う人などによる美術作品と、現代アーティストによる美術作品を並列的に展示してきました。

このようなコンセプトを持ち、なおかつ社会福祉法人が運営する美術館という、全国でも類を見ない美術館として産声をあげてから、2020年で17年目を迎える当館ですが、その間、社会福祉法人が運営する美術館や、障害とアートに関わるイベントも増え、また文化庁や厚生労働省において関わる事業が予算化されるなど、国内ではこの分野が活発化してきたといえます。

NO-MAがいかにして創立されたかということを振り返る時、その背景として、滋賀県の社会福祉に尽力した人々の思いがあるといえます。第二次大戦終戦直後の1946年、糸賀一雄、池田太郎、田村一二が、戦災孤児や障害のある児童などの入所・教育・医療施設「近江学園」を創設します。近江学園での子どもたちの自由な粘土の造形活動が礎となり、滋賀県では障害のある人々の創作活動が盛んとなり、周囲の支援者たちがその芸術性を認めていく風土が醸成されていきました。そのような中で「障害のある人による表現を恒常的に展示できる場が必要ではないか」というニーズに応えて創設されたのがNO-MAです。戦後、滋賀県の社会福祉に尽力した人々の思いや信念が、当館に引き継がれているものといえます。

NO-MAの展覧会を企画するベースに、数々の魅力的な表現を行う作者との出会いがあります。NO-MAは開館当初から作品調査事業を進め、1年に30人程度の作者の調査を継続的に行っています。この調査の中で、全国各地の障害のある表現者たちの存在を知り、それをサポートする家族や支援者とのつながりが生まれています。このネットワークは展覧会を企画するうえでかけがえのないものであり、NO-MAを支える大きな財産だと考えています。

こうした先人たちの思いや作者たちとのネットワーク、また地域住民などさまざまな人のサポートに支えられてきたからこそ、NO-MAでは、これまで「人の持つ普遍的な表現の力」の発信に取り組むことができたと考えています。他方で、現在では、別の観点からボーダレスを見つめなおし、新たなチャレンジにも取り組んでいます。その一つが「鑑賞すること」のボーダレス化です。障害の有無にかかわらず、作品の魅力を味わうため、情報保障を充実することや、さまざまな障害の特性に合わせ、展示空間を工夫するなどして、誰もがアートに触れることができるような場づくりに挑戦しています。

NO-MAは“これまで”の財産を大切にしながら、新たなチャレンジを含む“これから”のボーダレスな環境を生み出し、その価値を発信し続けていきたいと考えています。

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