海外への支援活動-障害を超え、社会を巻き込んだ取り組みに進化~ラオスにおけるADDPの活動~

「新ノーマライゼーション」2020年2月号

特定非営利活動法人アジアの障害者活動を支援する会(ADDP) 事務局長
中村由希(なかむらゆき)

1.はじめに-ADDPの歩み-

特定非営利活動法人アジアの障害者活動を支援する会(ADDP:以下、当会)は、1992年にアジア太平洋地域の開発途上国の障害をもつ人々の社会自立とエンパワメントを支援することを目的に任意団体として設立した国際NGOです。1992年は「アジア太平洋障害者の十年(1993-2002)」の決議が採択された年でもありました。当会は1992年の団体設立以来、若い障害当事者団体の組織基盤を強くするためには、ロールモデルとなる障害者のリーダー育成が何よりも大事と考え、日本の障害当事者の方々を講師に迎え、障害者リーダー育成セミナーをフィジー、ネパール、カンボジア、バングラデシュ等、さまざまな国で実施してきました。

2.ベールに包まれていた国ラオス

1996年にセミナーでタイやカンボジア等東南アジアの開発途上国を訪問していた頃、隣国であるラオスの障害者情報はタイやカンボジアの障害当事者団体でさえも「ラオスは活動が全く見えない」と話していたのを覚えています。事実、ラオスは、1990年代から、やっと国際開発援助が本格的に始まった国であり、外国NGOもほとんど入っていない状況でした。

当会は1998年に初めてラオスに入る機会を得て、首都ビエンチャンの国立障害者リハビリテーションセンター(以下、NRC)で、「障害者リーダーセミナー」を実施しました。当時、障害当事者の小さな自助グループとして活動を始めたばかりのラオス障害者協会(以下、LDPA:1998年創設)を当会はいち早く支援し、LDPAの正式な団体設立・発展に大きく関わってきました。国際NGOの中では珍しく当会は長くラオスに根を張り、ラオスの中で発展してきました。長い活動の間、ラオスの障害者リーダー一人ひとりの「人間としての成長過程」にじっくりと寄り添えてこられたことは、NGOとしての当会の誇りでもあり、また障害をもつリーダーたちと厚い信頼関係を構築できたことも団体としての強みだといえます。

3.ADDPと障害者スポーツ

今年2020年は、日本中でパラスポーツに人々の関心が集まっています。当会はラオスにおいて2000年頃より本格的に障害者スポーツを導入し、スポーツを通じた障害者のエンパワメントを開始しました。ラオスの肢体不自由中心の若者たちは、障害がそれほど重くなくても、未来に希望が持てない状況でした。スポーツを通じて目標を持ち、仲間を作り、身心が鍛えられ、少しでも「自信の醸成」につながればと考え、道具も何もないところから、少しずつ「車いすバスケットボール」のチームを育てていきました。

日本から短期コーチを派遣し、また資金調達をして安価の車いすバスケットボール用の車いすをタイから購入し、自己財源やサポーターからの寄付等でチームの練習サポートを続けました。医療用車いすから車いすバスケットボール用車いすを手にするとチームメンバーは飛躍的に実力を上げていきました。

また、(社福)太陽の家の系列企業である「大分タキ」会長の故上野茂さんは、何年もかけて選手育成のサポートをしてくださいました。「1964年の東京パラで自分たちが先進国の欧米の国々に刺激を受けて頑張ってきたように、今度は私たちがアジアの国をサポートする番だ」と九州車いすバスケットボール連盟の皆さんや日本車いすバスケットボール連盟の元選手の皆さんが、続々と生まれたばかりのラオスの車いすバスケットボールチームを手弁当で育ててくれました。

そしてスポーツに夢中になり自信を深めた若者たちは、就労へと意欲を向けます。スポーツと就労の両面を充実させたいと願う選手が増え、社会自立へとつながっていきました。

4.収入につなげるための就労の取り組み

ラオスでは、国が障害者の就労について、法律による支援を全く行っていません。生活が困窮している障害者は、就労支援も少なく、障害者が社会自立の一歩を踏み出すことが難しい状況は変わらず存在していました。スポーツでエンパワーされた若い障害者もなかなか就労先を探せずにいました。また、ラオスで障害者の就労モデルとして成功した事例も少なく、「収入向上にしっかりとつながる本物の職業訓練はどのようなものか?」と考えるうちに、新しい形の障害者のビジネスモデルを思いつきました。技能訓練の場を「働く場」と考え、そこで日本の職業訓練の専門家から研修を受けながら、同時にビジネスとしてスタートさせ、研修生の収入向上を促しました。

当会が関わる障害をもつ研修生は、就労支援や職業訓練等の機会から取り残された貧困層の障害者です。教育も受けていません。そのため成人していても判断力、理解力、社会性の欠如が著しい研修生もいました。しかし、どんな障害者でも、必ず一つは自分の得意能力を持ち合わせており、その職業能力の開発に当会スタッフは時間をかけて取り組みました。これが現在のADDPのソーシャルビジネス「マルシェ・ド・ラオ」(以下、MDL)の原点です。

5.マルシェ・ド・ラオ(多様な障害者の働き方をディスプレーするラオスの市場)

初期の当会の職業訓練や就労支援の裨益者(ひえきしゃ)は、ろう者・肢体不自由のある研修生のみでしたが、2017年からは知的障害・発達障害の仲間たちも加わり、より多様でインクルーシブなソーシャルビジネス「MDL」の取り組みが2018年から始まりました。種別を超えた障害者(ろう・知的・発達障害・肢体不自由)が協働し、知的障害の仲間たちにはジョブコーチが支援し、障害のあるスタッフにより運営されている持続可能なソーシャルビジネスの始まりです。

手話の啓発カフェ3店舗、パン工房、クッキー工房、クラフト、美容院、有機野菜を育てる菜園などを運営しながら、ラオス社会に多様な価値を発信、また、ラオス企業家等とも連携し、障害者の働く場を増やしています。カフェの出店ラッシュが目覚ましい首都ビエンチャンでは、手話の啓発カフェは人気です。当会の就労に関わる障害者はもちろん積極的にスポーツに関わり、パラスポーツ選手として活躍している選手が何人もいます。まさに就労とスポーツが融合する新しいビジネスです。

6.ADDPのこれから

種別を超えたさまざまな障害をもつ人たちが、スポーツ活動や就労に平等に参加できることを目標にして活動を始めてから20年近くが経ちます。今日では、障害者スポーツと就労支援を通じてエンパワーした障害者のリーダーたちが、社会自立のロールモデルとしてさまざまな分野で活躍しています。ラオス社会で彼等の活躍が顕在化し、障害者への理解が大きく広がりつつあります。ラオスにおいてラオス人の手で団体運営の基盤ができるまであと少しです。当会の役割は徐々に薄れ、最終的にフェードアウトすることを目標に、障害当事者によるイノベーティブで多様性にあふれた事業の後方支援をあと少し続けていければと思っております。

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