当事者研究からみるSDGs

「新ノーマライゼーション」2020年4月号

東京大学先端科学技術研究センター 准教授
熊谷晋一郎(くまがやしんいちろう)

取り残されがちな2つのグループ

2015年9月、国連サミットで「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択された。その中で、国連に加盟する193の国と地域が、2030年までに達成すべき17のゴールと169のターゲットが掲げられた。それが、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」、略してSDGsである。

SDGsは、「誰ひとり取り残さない」と謳(うた)う。では逆に、取り残されがちなのはどのような人々だろう。ひとつにそれは、人々の認識に上らない人々だろう。「SはOを認識する(S recognizes O)」―ここで、Oの位置に入りにくい人々である。それは、国内識字率にカウントされない移民の人々であったり、ジェンダー指数に反映しない差別を受けているトランス女性であったり、子育てを中断して収監された薬物依存症の女性であったり、診断されていない発達障害のある人だったり、すなわち、人口に膾炙(かいしゃ)されたマイノリティカテゴリーから周縁化されたマイノリティや、いまだカテゴリーを付与されていない潜在的なマイノリティかもしれない。

しかし、Oの位置に入りにくいのは、そうした人々だけではない。Sの位置に入ってばかりでOの位置にはめったに入らない人々、言い換えると、他人を対象化するばかりで他人から対象化されることに慣れていない人々もまた、取り残されがちだ。それは、他ならぬマジョリティである。マイノリティに比べてマジョリティは、わが身を振り返ることに慣れていない。マイノリティを評価したり支援したりするばかりで、自分が評価されたり介入されたりすると動揺してしまうのが、マジョリティである。このマジョリティの位置には、健常者や男性、異性愛者のみならず、先進国やグローバル企業などを代入してもよいだろう。

このように、「周縁化・潜在化されたマイノリティ」と、「マジョリティ」という2つのグループが、置き去りにされやすいということが分かる。SDGsの革新性は、これら2つのグループを置き去りにしないようなさまざまな工夫にある。

SDGsに至る歴史

国際社会で持続可能性が主題化した歴史をさかのぼると、1972年、ローマクラブによる報告書「成長の限界」に行きつく。戦後、成長と繁栄を信じて先進国は高度経済成長を実現したが、1970年代になると、人口増加、南北問題や環境汚染など、その限界が見えてきた。そんな中、食糧、教育など、最も基本的なニーズを満たすことが、世界全体が一致団結して解決すべき課題とされた。しかし、こうした提言は先進国主導のもので、環境を多少犠牲にしてもまずは開発を優先すべき途上国の間に温度差があった。

この温度差は埋まらないまま、1972年の「人間環境宣言」と「国連環境計画(UNEP)」の創設、1980年の「世界自然資源保全戦略」における「持続可能性」概念の公表と続く。とりわけ「環境と開発に関する世界委員会(1984年設置)」による1987年の報告書「我ら共有の未来」の中で打ち出された「持続可能な開発」の概念は、SDGsのルーツとなった。さらに、1988年にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立、1992年リオデジャネイロで開催された「地球サミット」は、持続可能性の概念が世界的に普及するきっかけになった。

1997年第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)で京都議定書が採択され、環境対策が進む一方、開発分野では課題が多く残されていた。それを受けて2000年、国連はミレニアム開発目標、通称「MDGs(Millennium Development Goals)」をまとめる。これは、2015年を年限として、開発途上国の貧困・教育・健康・環境などを改善するための8つのゴールと21のターゲットを掲げるものだった。改善の対象はあくまでも「途上国」であり、「先進国」はそれを支援するばかりで改善対象(すなわちO)の位置に置かれていないのが、のちのSDGsとの大きな違いである。

MDGsは、1日1.25ドル未満で生活する人々の割合の半減、開発途上地域における教育の男女格差改善、5歳未満児死亡率53%減少など、一定の成果をもたらしたが、達成できない目標もあった。またグローバリゼーションが進むにつれ、先進国の都市においても貧困や格差、女性、子ども、障害者、高齢者、難民の社会的排除が問題になってきた。さらに「持続可能な開発のための資金に関する政府間委員会(ICESDF)」によれば、貧困根絶には約660億ドル、気候変動対策には約8,000億ドルが必要とされ、先進国による援助供与優先型の資金だけでは到底間に合わず、グローバル資本をも巻き込む包括的対応が不可欠であると認識されるようになった。

地球サミットから20年後の2012年に開催されたリオ+20では、エネルギー資源の有限性が明確化され、環境保全と経済成長の両立を目指す「グリーン経済」の重要性が確認された。そして、MDGsとリオ+20の2つが合流するようにしてSDGsが誕生した。

SDGsの特徴

17のゴールのうち1~6はMDGsを引き継ぎ、貧困や飢餓、水の衛生など、対象として途上国が中心であるが、5のジェンダー平等については先進国も対象となっている。ゴール7~12は、働きがい、経済成長、技術革新、クリーンエネルギーなど、先進国や企業が率先すべき課題が並ぶ。ゴール13~17は、気候変動、海洋資源、生物多様性などグローバルな課題で、16では世界平和、17では国、企業、市民のパートナーシップを呼びかけている。置き去りにされ、免責されてきた、パワーを持つマジョリティが、SDGsにおいては包摂されていることが分かる。

とくに、今や国家をもしのぐグローバル企業をパートナーシップに取り入れたことは大きな特徴だろう。先立つ1999年に世界経済フォーラム(ダボス会議)でコフィー・アナン国連事務総長(当時)が提唱し、2000年に発足した国連グローバルコンパクトには、世界160か国で1万3,000以上の団体(うち企業は8,000以上)が加入し、SDGsを達成する世界的な枠組となっている。「持続可能な開発のための世界経済人会議」(WBCSD)には約200社のグローバル企業が参加しており、「持続可能な開発目標CEO向けガイド」「より良きビジネス、より良き世界」を出版し、グローバル目標を達成することで、少なくとも年間12兆ドルの市場価値がもたらされ、2030年までに3億8,000万人近い雇用を創出できるという試算を発表している。日本でも2016年5月に「持続可能な開発目標(SDGs)推進本部」が設置され、2017年には経団連が7年ぶりに行動憲章を改定し、多様な組織との協働を通じたSociety5.0の実現とSDGsの達成に向けて行動すると宣言した。

SDGsと当事者研究

冒頭、「周縁化・潜在化された マイノリティ」と「マジョリティ」という2つのグループを包摂しようとするところにSDGsの革新性があると述べたが、日本で生まれた「当事者研究」は、その点においてSDGsと共通している。当事者研究は、既存のマイノリティ運動では周縁化・潜在化されたマイノリティの経験に、言葉と理論をもたらそうとする取り組みだ。また最近では興味深いことに、マジョリティの当事者研究も始まっている。2000年以降の急速な社会構造の変化によって、マジョリティの中に「新たな苦労を抱えた人」が多く発生している。苦労を抱えているにもかかわらず、自分の側にそれを説明できる特徴を持たない彼らは、どうして自分たちはがんばっても親世代のような生活をできないのか、その理由を探しあぐねるうちに、すでに苦労が可視化されたマイノリティのことを既得権益層と誤認し、敵意を持ってしまうことさえある。マジョリティの当事者研究は、マジョリティが自らの被害者性を弱者への加害へと転化させることなく、新しい困難を説明する言葉を編み上げ、苦労の帰属先を慎重に見定め、インクルーシブな社会へと水路づけようとする試みと言える。

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