バリアフリー観光体験inセブ

公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会 参与 上野 悦子

2018年11月にセブ島を障害のある人と訪問した時の記録。そこでリハビリテーション協会がかつて支援したセブ島での車いす制作事業のその後を見ることができたので紹介します。

旅のはじめに

成田空港から4時間40分後、セブ国際空港に降り立つと暖かい空気に包まれた。空港は2018年7月に大きくリニューアルされ、以前のローカル色の面影は全くない。空港はセブ州のマクタン島にあり、大きな橋を渡り、しばらく行くとそこにはセブ市が広がる。

セブ市在住のアデラさんユキさん夫妻を、香港のキムさんラムさん夫妻と共に筆者は夫と訪ねることになった。香港のキムさんは1987年にJICA障害者リーダー研修に参加、アデラさんは1989年にJICA障害者リーダー研修参加者だ。6人のうち、4人にはポリオによる障害があり、うち2人が車いすユーザーということからセブでバリアフリー観光を体験することとなった。

セブ州の人口は約463万人(フィリピン全体の人口は1億981万人)でセブ市は約92万人。マニラ首都圏に次ぐ大都市である。空港から約40分でCebu Century Plazaホテルに到着。このホテルはアデラさんの兄が代表を務め、家族で運営するJESA Management Corporationの経営で、色々な店やカジュアルなレストランが連なる一角にある。ホテルの部屋はシンプルだが広くてゆったりしている。部屋のハンガーは高い位置と低い位置の両方があり車いすユーザーも自分で服を掛けられる。バスルームの入り口には段差がなく、シャワーコーナーにはイスが置いてある。バスタブはもともとついていない作りだ。ホテルのアクセシビリティの改善は、車いすユーザーのアデラさんのアドバイスによるもの。この日から4泊5日の生活空間だ。

ホテルに到着早々、ユキさんとアデラさんの自宅へ向かう。到着すると早々5匹の犬たちのにぎやかな鳴き声に迎えられた。

集合写真

ドーナツの形をした家の2階は広いバルコニーで、私たちはそこでアフタヌーンティーに招待された。壁のない広い空間にいるとさわやかな風が頬を通り抜ける。

バルコニーでは、葉っぱに包まれたもち米を使った地元のお菓子やマンゴー、お茶がふるまわれ、リラックスした中で、とぎれることなく会話がはずむ。

リゾートホテルで遊ぶ

次の日は10時にホテルを出発し、車で約一時間のマクタン島にあるJPark Island Resortホテルへ。大規模のウオーターフロントのリゾートホテルだ。

景色

ビーチ

到着すると、日ごろからホテルのバリアフリーに助言しているアデラさんが外国の障害のある友人たちを連れてくるというのでホテルのジェネラル・マネジャーが歓迎してくれた。このホテルは施設をバリアフリーに改善したことで5スターホテルに昇格したそうだ。

早速アデラさんによるバリアフリールームのモニタリングに同行することになった。現在バリアフリールームは7つ。その一つのスウィートルームへ。バルコニーにもスロープがついていて外に出られてホテルの敷地内とその先の海岸を一望できる。

アデラさんは、バルコニーに車いすで出られるのはここが初めてだ、という。

部屋

バスルーム内のタオルの置き場所の位置が低い。これなら車いすユーザーでなくとも背が低い人にも届く。

バスルーム

またバスルームのドアの内側に小さな取っ手がついている。これは、ドアノブに手が届かない人が内側からドアを閉めたい時に使われる。「これは必要!」と皆が口をそろえた。

扉

他にも気が付いた点をマネージャーに伝えると真摯にメモをとっていた。JPark Island Resortはマレーシアにもあり、そちらのバリアフリーも検討するそうだ。

フィリピンにはアクセス法が1983年に制定されている。アデラさんによると実施はなかなか進んでいないということだが、一方セブ州ではアクセシブル観光条例が制定され、新しい建物のバリアフリーが進んでいるようだ。
ホテルの周りを散策のはずが、、

朝食はいつもはホテルと提携するオープンエアの食堂でとっていたが、次の日には、近くのカフェに行ってみようと思いたった。しかしホテルのある敷地を出るとでこぼこした歩道があり、上り坂。立ちすくんでいると、横の店で作業をしていたおじさんがにこにこして近づいてきて車いすを押してくれてあっという間に目的のカフェにたどり着いた。しかしあいにく開店前。やむなく元来た道を戻り、いつもの食堂で朝ご飯。プチ冒険はうまくいかなかったが、人の親切が心に残った。

歩道

車いす修理工房の見学

次の日の午前中に、ホテル近くにある車いす修理工房を見学。敷地は狭いが必要な機械や工具は備わっている。

前回筆者がセブを訪問したのは約20年前で、車いす制作の専門家(車いすユーザー)と一緒だった。アデラさんが当時代表を務めていたHACIという団体が車いす制作を始めたいという希望を受けて、日本障害者リハビリテーション協会が郵政省のボランティア貯金につないでプロジェクトが開始された時だ。プロジェクト終了後もHACIは様々な協力や資金をつないで車いす制作を約10年間続けた。フィリピンで当時車いすを作っていたのは、首都圏のあるルソン島にあるタハナン・ワラン・ハグダナン(段差なきセンター)という障害者が働く民間団体のみであった。7,000の島のあるフィリピンでは輸送が大きな課題のため地元で作りたい、と思うのは当然のことだろう。アデラさんたちボランティア貯金が終わった後も様々な資金をつないで継続してきた。しかし時の流れとともにHACIは22年の活動の幕を閉じることになった。その後気になっていたが、修理工房を見て「つながっていた!」と心から称賛した。それだけ必要性があるのだろう。

修理工房

修理工房内

工房にはスタッフが一人いる。北海道にある、「飛んでけ、車いすの会」という団体が派遣した専門家から修理の研修を受けたそうだ。「飛んでけ、車いすの会」は車いすを必要とする人に、旅行でその地を訪問する人に届けてもらう活動を実施している北海道にある市民団体だ。しかしアデラさんによると、修理工房はできたが車いす利用者がなかなか修理をしに来てくれないという。車いすに不具合が出ても、家にいてがまんしているのではないかとアデラさんは気にかける。必要な人に情報が届くといいが。

景色

見学を終えて、私たちはSMシーサイド・スカイパークという大きなショッピングモールへ移動。とても大きな建物で、スロープ、エレベーター、ユニバーサルトイレは完備。スカイパークという名前のとおり、遠くに山並みを眺めながら歩ける長いデッキがある。この日は天気も良く、気持ちよく歩くことができた。

デッキの突き当りにあるシーフード料理店がその日のランチ。手で食べる豪快な料理を堪能した。

料理

その後モールから戻る途中、旧市街のコロン通りを通り抜けた。この通りはフィリピン最古の道路と言われ、1960年代に建てられたという建物がそのまま残っているという。新しく開発された郊外のモールとの違いを感じながら車は通りすぎる。車窓からみると、車道と歩道の段差が少ない通りもある。限られたところだけを見てすべてを語ることはできないとつくづく思う。

旅を終えて

アデラさんは1989年に来日して以来(いやそれ以前から)、セブ島を中心に一貫してアクセシビリティの改善に取り組んできた。その実績から新しく建てられるホテルやショッピングモールからアドバイスを求められるようになっている。

今回のように障害のある人が旅に出かけることで多くの問いかけが生じ、不便さを受け止める人たちがいれば、次の改善につながっていくのではないか。何より旅には楽しめる要素がたくさんある。次はどこに行こうかと考えるわくわく感は障害のあるなしや年代に関わりなく同じことと感じた。

滞在中案内してくれたユキさん、アデラさんご夫妻には心から感謝している。

集合写真

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