ひと~マイライフ-「普通」という名の大きな壁~普通とは何ですか?~

「新ノーマライゼーション」2020年9月号

平山菜緒(ひらやまなお)

1996年東京都生まれ。社会福祉の道を志し福祉系大学に進学するも、3年生の時に発達障害と判断される。自身が支援される立場となったことに葛藤を覚えたが、自助努力と友人の理解を糧に社会福祉士(国家資格)を取得。現在は福祉現場に一般就労し、毎日を精一杯生きることの大変さと楽しさを利用者と共有することに努めている。

私には発達障害であるADHDとASD、さらにDCDと呼ばれる「発達性協調運動障害」があります。幼少期は忘れん坊で叱られることも多く、手先の不器用さや、ぎこちない体の動きから体育の成績はとても悪く、けがをすることも日常茶飯事でした。思ったことをすぐに口に出してしまうことから友達とのトラブルも絶えず、いじめに遭うこともありました。一方、親しい友達の悩み相談に乗ることがよくあり、一緒に悩みを解決できた時、うれしかったこともたくさんありました。その経験を仕事に生かして人の役に立ちたいと考え、福祉系学科のある大学へ進学しました。

大学に通い始めてしばらくすると、授業についていけないことに気がつきました。何ともいえない違和感から病院を受診したところ、突然、発達障害と診断されました。福祉支援を学んでいたのに、支援される側に回ってしまったことに罪悪感さえ覚えたほどです。しかし、それらをすべて払拭し、最大限工夫して生きていこうと、自分の障害と向き合う生活が始まりました。

大学の授業は、聴力に問題はないのですが、先生の声が聞き取れないために先生の指示や授業内容がわからずノートが取れない、聞くことが中心の授業についていけませんでした。周りからは「怠けている」「真面目にやれ」と言われ、そこに苦痛や生きにくさを感じていました。それからは、どんな些細なことでもメモを取り、言動については「言う前に考える」ように注意しました。大学の親しい友達に自分の障害について打ち明けると、理解しようとしてくれて、心の支えになりました。それでも心無い言葉を浴びせる人がいて辛い思いもしました。しかし、自分なりの工夫を重ねたことと友達の理解があったので、学生時代を乗り切ることができました。

「普通に見えるから大丈夫だよ」「そんなふうに見えないよ」。現在に至るまで私はこのような言葉を幾度となく言われてきました。「普通」とは何でしょう?発達障害は「困難さが見えにくい」ために、理解されにくい障害です。だからこそ理解してほしいのです。言葉にできない苦しさについて周りの理解が得られず、社会との溝を感じています。障害の程度や種類は違っても「普通」という言葉に苦痛を感じながら生きている方がたくさんいるのです。

一方で、「どう生きていくかだよ。生きていたら何か変わるから」と、当事者の方から声をかけていただいたことがありました。その言葉に救われた気がしました。その日から「普通の人」として振る舞うことを辞め、夢を持って、支援者でありながら障害者という面をもつ新しい私として生きていくことを決めました。感覚過敏などの苦痛を伴いながらも毎日を工夫して生きる意義は、発達障害も「個性」として理解しようとしてくれる仲間との出会いなど、新しい出会いの数だけ私の中の価値観が増えていくことが楽しいところにあります。今は「発達障害」でよかったとさえ感じています。

現在は福祉の現場に従事し、利用者さんの相談に乗りながら、日常生活を支え、必要なスキルを身につけられるように支援しています。今まで感じてきた苦しさの中身や普通とは何かなど、自分が問い続けてきたことを活かしながら働くことにやりがいを感じています。言葉にできない苦しさは家族も抱えていることがよくあります。その苦しさをいかに和らげることができるか。他者を完璧に理解することはできませんが、私も同じ苦しさを経験してきたからこそ利用者さんやその家族に精一杯寄り添って、一緒に悩みを解決に導くことはできます。私の障害のことを理解しようとしてくれた友達に救われたように、今度は私が「何かを変える」番です。そして「どう生きて、どう楽しむか」をこれからも問い続けたいと考えています。

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