ひと~マイライフ-以前の自分とは違うけど

「新ノーマライゼーション」2020年10月号

長谷川優(はせがわゆう)

1985年埼玉県生まれ、小4から愛知県在住。2001年(高校1年)アメフト部の夏合宿中に倒れ、頭部を打撲して救急搬送。後に高次脳機能障害と診断され、専門のリハビリを開始。2004年4月、高校卒業後、脳外傷友の会みずほが運営するみかんやま作業所に通所。2007年障害者枠で一般就労し、2015年退職。現在はNPO法人百千鳥が運営する就労継続支援B型事業所サクラワークスに通っている。

私は、高校1年生の時に高次脳機能障害者となりました。親の話によると、アメフト部の夏合宿練習中に頭を強打して倒れ、救急搬送されたそうです。幸いなことに翌朝の検査で命に別状のないことがわかり安心したものの、意識が戻るまで2、3日かかり、また意識が戻ってからも親のことも認識できず、むしろ身体の状態が良くなるにつれ、妄想のような意味不明なことを言うようになったそうです。この事故で脳に重い後遺症が残りました。

私がこの障害を負ってから困っていることがいくつかあります。

1つ目は記憶力の低下です。今は、話をしていても10分も経つと何をしていたのか忘れてしまいます。学生時代は、授業中は内容を理解していたのですが、授業が終了すると頭の中が真っ白になり何を学習していたのか忘れてしまい、大変困りました。

現在は平日仕事に行く時も、休日どこかへ出かける時も、常にやることや言ったことを記入したメモ帳を携帯しています。以前はメモ帳に記入しないと忘れてしまう、覚えていられない、ということを私自身が理解できておらず、「メモなんて取らなくても大丈夫」と思っていました。そのため、話したことややることなどを忘れてしまい、他の人たちに迷惑をかけていました。しかし、以前通所していた高次脳機能障害者の作業所で支援員さんがメモを取ることの大切さを教えくれました。さらにメモを取らないと自分は何をしていたのか記憶に残らず困ってしまうということを理解することができました。それからは、自分の行動以外に家族やほかの人が言ったことを『それはなぜ言われたのだろう』と考えて、さらにメモを取ってから行動するようにしています。

2つ目は感情コントロール力の低下です。以前は何か言われても笑って過ごしていたことが、高次脳機能障害になってからちょっとしたことでも自分に対する非難だと勘違いして、カッとなってしまうことがありました。

復学をしてから、高次脳機能障害のことをあまり知らない先生や級友、部活の仲間たちに多くの苦労と、恐怖を与えてしまいました。感情のコントロールができずに激しく怒るたびに、以前の自分を知る級友や同じ部活の仲間が『長谷川はやりたくてやってるんじゃない、障害なのだからしょうがないだろう』と言って守ってくれました。本当にその級友と仲間たちには感謝してもしきれないほどです。現在もたまにカッとすることがあっても、深呼吸をしたり場所を変えて一呼吸おいてまず謝り、それからその場に戻るようにしています。

今通っているサクラワークスでは、主に内職作業をしています。また月曜日は、職員さんたちと一緒に畑仕事をしています。それ以外は、月に一度高次脳機能障害者の当事者会やボーイスカウトの行事・国際委員として参加させていただいております。障害を負う前の自分を知っている団委員から『リーダーやらない?』と声をかけていただき、活動に参加させてもらっています。

現在は落ち着いて生活することができていますが、上記のような2つの障害特性があるためにいまだに就職はできていません。いつまでも家族に甘えているわけにはいきません。障害特性を理解してくれる環境で仕事につき、一社会人としての生活を送れるようになりたいと思います。

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