阿辻志津代(あつじしづよ)
1981年、滋賀県生まれ。
22歳から腎不全のため人工透析を始め、1年前に移植をしました。現在は、調理師としてクリニックに勤務しています。一般社団法人滋賀県腎臓病患者福祉協会で青年部長をしています。
私は、16年間人工透析をしてきました。小学校6年生の時から腎臓が悪く、将来は人工透析をしないといけないと言われていました。母が人工透析をしていたのですが、人工透析がどういうものなのか、私は詳しくわかりませんでしたが、辛いことだけはわかっていたので、人工透析は絶対にしたくありませんでした。
私は、料理をすることがすごく好きで、中学生の頃から調理師になることを目指していました。そのために専門学校に通い、体調のよくない日もありましたが、料理の勉強を頑張ってきました。卒業する少し前から体調が悪くなり、卒業はできたのですが、決まっていた就職先で働くことができなくなりました。
専門学校卒業後は、自宅療養と入退院を繰り返し、2年後の22歳の時に、「人工透析をしないといけない」と医師から告げられました。すごくショックで毎日泣いていました。
人工透析をすることがどうしても嫌で、冬まで我慢しました。しかし、体調が悪くなるばかりで、もうこれ以上我慢できないと冬に人工透析を開始することになりました。
人工透析は週3回、4時間から5時間腕に針を刺し血液をきれいにするのですが、苦痛で泣いたりイライラする日々でした。
人工透析を始めてからは、病院に通うだけでなく食事制限や水分制限もしなければならないので、かなりのストレスでした。でも、母と一緒に通院をしていて母が励ましてくれていたので耐えることができました。
そんな心の支えであった母が亡くなってしまい、私は生きる気力を失いました。それでも人工透析はしなければなりません。この頃は仕事もしていたので、毎日不安とストレスで体調もよくありませんでした。
そんな私を父や姉が励まして支えてくれました。周りのみんなが励ましてくれたおかげで、徐々に立ち直ることができ、前向きに頑張ろうと、思うようになりました。
私は、調理師としてずっと働きたいと思っていましたので、人工透析は夜中に8時間行って一生懸命働きました。
人工透析を始めた時から転職を繰り返してきましたが、好きな料理を作れるという仕事を続けてこられて家族や職場の方には感謝しています。
人工透析にも慣れて仕事も順調になってきた頃、1年前に突然移植ができることになりました。16年間人工透析をしていて移植はもうできないかもしれないとあきらめていたので、突然で驚きましたが、うれしかったです。
移植をしてからは、生活が一変しました。通院をしないので時間が有効に使えるようになり、食事制限や水分制限もほとんどしなくてよいので、苦痛なこともなくなり気持ちが楽になりました。
時間が有効に使えるようになったので、今までやりたいと思っていたことに挑戦してみようと思い、調理師としてスキルアップするために資格を取ろうと考えています。
人生は一度しかないので、やりたい仕事をして充実した人生になればうれしいです。
いただいた命を大切にして感謝し、一生懸命生きていきたいと思っています。