透明トンネルを抜けて~グループホームから地域生活へ~

「新ノーマライゼーション」2021年2月号

社会福祉法人はらからの家福祉会居住支援部 部長
作道康介(つくりみちこうすけ)

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」川端康成の小説『雪国』の有名な冒頭です。この冒頭を読んだ時、暗いトンネルを抜けた先に想像していなかった新しい世界が突然広がる情景を連想しました。期限のある通過型グループホーム。ここでの支援を続ける中で私は、利用者が通過していくトンネルのような、そんなイメージを持つようになりました。今までの生活から、グループホームというトンネルを通り、その先に待つ新たな生活へ進んでいく。ただし、このトンネルは透明で先までよく見通せて、いたるところに出入口が設けられています。常に外の世界を、この先の生活を意識しながら、たまに外側を歩いてみたりしながら、たっぷりと想像し、体験し、準備して進んでいくのです。

社会福祉法人はらからの家福祉会のグループホーム『ピア国分寺』は、精神障害の方を主な対象とした、期限が3年間の通過型グループホームです。定員は26名で、4ユニットに分かれて国分寺市内に点在しています。一般の賃貸アパートを借り上げたタイプと寮のようなタイプがありますが、いずれも居室は独立しています。利用する方たち皆さんが単身生活を目指して入居し、そのほとんどの方が地域での一人暮らしを実現して退去していきます。入居前は精神科病院に入院していた方、家族と同居していた方、別の入所施設にいた方などさまざまですが、皆さん単身生活を考えるもそれぞれの事情や課題を抱え、まずはグループホームという透明トンネルで準備やトレーニング、そして評価の場として取り組むことになった方たちです。

地域生活と住まいを借りることが今特集のテーマとなっていますが、家を借りる時、私たちのグループホームで何かテクニカルな支援があるとか、私たちにしかできないマジックがあるとか、そういった類いのものは全くありません。「家を借りる」ということを新しい生活の入り口ととらえるなら、私たちはその入り口に向かってただひたすらに、時間をかけて一緒に準備をするといったところでしょう。

ただ、家を借りる時、新しい環境に移行する時に大切にしていることはあります。ひとつは、当たり前かもしれませんが、本人が決めるということです。そのために、グループホームで確かめてきたこと、課題、不安なこと、希望や可能性、そういったものを本人とできる限り共有します。その上で本人が決めた環境で、本人の責任において、本人が精いっぱい生きる場所であってほしいと思っています。

そして、新しい環境をしっかりイメージして準備をすることです。それは本人にとってもそうですが、支える準備もそうです。グループホームとしての支援は残念ながら退去するまでが基本となっています。ですからグループホーム利用中に、他の支援機関や医療機関と連携を取りながら、単身生活移行後の支援体制について話し合います。場合によっては新たなサービスを早めに導入して、支援の隙間ができないようにしたり、退去後に想定される支援にグループホーム利用中の支援を寄せていったりすることもあります。

利用期限である3年間は、あっという間にとまでではありませんが、あれやこれやとやっているうちに訪れます。約3年間で一人暮らしをするためにあれもこれもできるようになる、今までのやり方や考え方を変える、それは簡単なことではありません。障害があるが故にそれがとても難しい場合もあります。ですからグループホームは、できなかったことができるようになる場というよりも、「何ができて何ができないかを分かるようにしていく場」でありたいと思っています。そしてどんな支援があると安心か、どんな暮らしなら安心かを考えて、そこに向けて準備をしていきます。

そしてその時ポイントになるのは、「できなくてはいけないことと、できたほうがいいことを区別すること」だと感じています。地域での暮らしをイメージした時に、これは大切になってくるだろう、という生活のスキルがいくつもあると思います。例えば、掃除や洗濯、片づけ、自炊や買い物、お金のやりくりや管理、手続き関係や周囲との人づき合い、生活リズムや体調管理…、数え上げればきりがありません。どれも生活に安定や豊かさを与える大切な要素です。実際にピア国分寺でも入居中そういったことに取り組んでいきますが、その人のこれからの生活を考える中で、必ずできなくてはいけないこと、変えなくてはいけないことというのは、実はそう多くはないのかもしれないと感じています。できたほうがいいけれど、できなくても生活に支障をきたさない、あるいは誰かに支えてもらったり環境を工夫したりすることでクリアできるのであれば、それはその人の生活スタイル、生き方になるのでしょう。

以前、ピア国分寺に入居していた男性で、コミュニケーションの取り方や考え方に課題がある方がいました。彼は入居前に住んでいたマンションで、奇異ともとれる言動により近隣住民や管理人から不審がられ、警戒され、最終的にはトラブルとなり、もうそこには戻ることが許されない状態になってしまいました。ピア国分寺での取り組みの中で、作業所に通い、息抜きの場所も作り、そこでの人間関係を通し(時には多少のトラブルもありながら…)、少しずつ自分の言動や置かれている状況と向き合っていったように思います。退去をひかえ、彼の住まい探しは、ピア国分寺で彼が築いてきた生活環境や支援体制を大きくは変えずに、この近辺で探すことになりました。近所の不動産会社で、当法人との長いつき合いもあって障害当事者の方にとても寄り添って考えてくれるところがあるので、一緒にそこへ行き、障害のことや心配なことをある程度伝えた上で、彼が住みやすい場所を探しました。そうして見つかったアパートへの引っ越し当日、アパートの隣に住む大家さんが出迎えてくれました。少し場にそぐわない口調で挨拶した彼に対し、「あんたぁ、なんかあったら気にせずなんでも言いなよぉ?」と言って笑った大家さんを見て胸が熱くなりました。彼は今もそこで、たまに大家さんと世間話をしたり、手料理を持って行ったりしながら暮らしています。

住まいを持って地域で生活すること。なんて、当たり前の響きでしょう。それを実現するとかどうとかそんなこと考えず、私も、地域で暮らしています。先に紹介した彼は、たくさんの準備をして、努力をして、壁を乗り越えて、それでも狭まった選択肢の中から、住まいを持って地域で生活することを『実現』しました。もちろんそれはとても素晴らしいことだと思っていますし、これまでの生活も含めて新しい地域生活を心から尊重します。ですが、そうして当然とはどうしても思いたくないのです。私たちが住まい探しの支援をする時、大家さんから断られてしまうことや保証会社の審査が通らないことがしばしばあります。彼が、理解ある不動産会社に相談しなくても、声をかけてくれる大家さんを探さなくても、素敵な住まいを見つけ、そこで安心して暮らし続けることができる、そうあってほしいと思っています。そのために私たちには何ができるのか。私も、透明トンネルの中から外を見つめながら、考え続けていきたいと思います。

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