視覚障害者の部屋探しについて

「新ノーマライゼーション」2021年2月号

障害者職業総合センター研究員 日本視覚障害者団体連合青年協議会役員
伊藤丈人(いとうたけひと)

ある言葉の意味について、知識として知っているということと、その内容を体験するということは大きく異なる。「けんもほろろ」という言葉は知っていたし、その意味が「人の頼み事や相談事などを無愛想に拒絶するさま」というように辞書的な把握はしていた。それが上っ面の知識であったことを、10年ほど前アパート探しをした時に強く感じさせられた。

小田急線のいくつかの駅周辺で不動産屋を訪ねた。学生が多くアパート暮らしをする街の店舗で、「単身のアパートを探しているのですが」と店主らしき男性に話しかけた。ところが彼は1つのアパートも紹介してくれず、どこかの大家さんに電話をすることもなかった。何かぼそぼそとつぶやいた後で、「紹介できるところはない」と告げ、その後全く対応してくれなかった。その時、「ああ、これが「けんもほろろ」ということなんだな」としみじみと感じさせられたのである。

このような対応を受けた主たる原因が私の視覚障害にあるということは、部屋探しを続ける中で明らかになっていった。同じく小田急線の大きな駅の近くで大手の不動産業者に相談すると、そこの窓口のお兄さんが非常に丁寧に対応してくれた。次々と候補となるアパートの大家さんに電話をかけ、私でも借りられる可能性があるか聞き、認められるように交渉してくださった。私はそれらのやり取りの一部を横で聞いていたが、「視覚障害がある」というだけで断ってくる大家さんが多いことに驚かされた。私はそのお兄さんのサポートのおかげで、数日でいい入居先を見つけることができたが、住居探しにおいて大きな壁があることを実感した。

おそらく冒頭の不動産屋さんは、私のような障害者に部屋を探すことを、手間のかかることと考えたのではないだろうか。障害者の入居を好まない大家さんたちと辛抱強く交渉するメリットはないと判断したのだろう。春になれば黙っていても新入学生が部屋を探しに来るその街では、面倒くさいお客さんを無視しても構わない状況だったのだと思う。

それから10年が経過し、「障害者差別解消法」の成立により、障害を理由とした「差別的取扱い」はしてはならないこととなった。そのため、さすがに不動産業者のレベルで「けんもほろろ」というのは減っているかもしれないが、大家さんたちの認識が大きな問題であり続けているのは変わらない。障害者が拒まれる理由とされるのが、「何かあったら困る」という漠然とした不安である。客観的リスクの大小が問われるのではなく、なんか危なそう、問題になりそう、ということが優先される。「目の悪い人なんて、火事を出しやすいんじゃないか」というのは率直な印象かもしれないが、確固とした裏付けがあるわけではないだろう。

昨夏、久しぶりに部屋探しをしたが、1つ目の不動産業者を通して行った入居希望が2か所連続で断られ、状況は基本的には変わっていないのだということを感じざるを得なかった。1つの物件について、不動産業者の担当者から聞かされた大家さんの断りの理由は、「階段が滑るから」というものだった。その担当者は大家さんの意向をこちらにただ伝えるだけで、入居を可能にしてくれるような交渉を行ってくれているようには感じられなかった。幸い今回も2件目の不動産業者の担当者が非常に協力的で、現在の部屋を借りることができたが、大家さんの理解を得るためには不動産業者のサポートも重要であると改めて感じた。

私より積極的に、視覚障害者に対する漠然とした不安の解消に立ち向かった知り合いがいる。A夫妻は共に全盲である。マンション入居の際に管理組合から待ったがかかった。「全盲の人は火事を出すのではないか」という不安が伝えられた。A夫人は揚げ物などの手料理を持参し、どのように料理をしているかということを管理組合の人々に説明した。すると、漠然とした不安は消え、マンションの人々はA夫妻に協力的になったという。

大家さんであれ同じ建物の住民であれ、私たちの状況を理解してくれ、協力的になってくれる人がいることは重要である。私も大家さんが同じ棟に住むアパートで暮らした経験があるが、何かと声をかけてもらい、非常に心強かった。「障害者は何か不安」という壁を乗り越えて理解いただいたところに、過ごしやすい環境と人間関係を構築できるのだと思う。

それでも、上記以外にもさまざまな障壁が存在し続けている。例えば、マンションの管理組合が盲導犬や介助犬を認めないという規定を設けることもある。マンション購入のための住宅ローンが組みにくかったり、契約の際の手続きが困難になることもある。実際、都内でマンションを購入した視覚障害のあるB夫妻がローンを組んだ際、契約書の代筆とそのチェックのために4人の親戚を動員しなくてはならなかった。

入居後にも、周囲の理解を得ながら進めていかなくてはならないことは多い。例えば、地域で生活するために必要な情報は墨字(普通文字)で提供されることがほとんどである。町内会や自治会などのお知らせ、回覧板などは、当然ながら全盲の私にとっては解読不可能である。アパートのエレベータが点検のために使えなくなる日時、年末年始のごみ収集の休暇予定も、エレベータやごみ集積所の近くに張り紙がしてあるだけであり、見えなければ歯が立たないのが現実だ。収集日ではない日にごみ出しをしてしまえば、近所の方々の不興(ふきょう)を買いかねない。

そこで引っ越した際に隣人宅に挨拶をし、「視覚障害があるので生活面での情報について質問するかもしれないので、よろしくお願いします」と伝えておくべきだろう。地域の事情にもよるが、町内会や自治会の役員の方にも挨拶しておくと、その後のやり取りが円滑になると思われる。個人的には、日頃の挨拶も重要と考えている。エレベータで一緒になった方やごみ出しでお会いした方には、勇気をふり絞って挨拶をする。なかなか先方から名乗ってくれることは少ないが、明るい声で挨拶しておくと、何かの時に声をかけてもらえるようになるはずだ。

部屋探しの際に感じる大小さまざまな障壁は、誰かが積極的に差別しようとした結果ではない。「障害者の入居はちょっとね」という判断は、何気なく、ごく自然に行われていることかもしれない。私が聞かされた「階段が滑るから」というものも含め、「うちはバリアフリーじゃないから」とか「何かあった時に対応してあげられないから」などと、全く悪気がないどころか、親切のつもりで断る場合だってある。

そうした人々の認識を変えてもらうのは生半可な営みではない。その努力は私たちの先輩方が続けてくださったことであり、次の世代のためにも私たちが根気強く続けていかなくてはならないことだと思う。それは日頃の挨拶のような小さな営みかもしれない。そんな小さな営みが、「共生社会」の実現につながるものと信じている。

※なお、公営住宅では障害者の優先的入居の制度がある場合がある。在住する自治体の公営住宅の入居条件等を確認し、参考とすることをお勧めしたい。

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