「住みづらさ」をなくす住宅提供の取り組み

「新ノーマライゼーション」2021年2月号

阪井土地開発株式会社 代表取締役
阪井ひとみ(さかいひとみ)

「家に住む」。当たり前のことですが、何だか当たり前でないのがこの世の中。日本中の誰もが、普通に住みたいのに、いつも肩をこらせて探しているのが家探しです。

本人と一緒に探す支援者の肩がこっていては、良い家は探せません。自分が住む家を探すように探してあげていただけませんか? 賃貸アパートは、何回でも家を変わることができるのに、終(つい)の棲家(すみか)を探していませんか?

私は、30年前父親が不動産業者に土地をだまされたことから、不動産屋に負けるものかと不動産業に飛び込みました。当時は無謀でした。右も左もわからない私は、アパートの管理業から始めました。管理していたアパートの入居者の男性が体調を崩し、精神科病院に入院したことがきっかけとなり、社会的弱者(住宅確保要配慮者)の支援をすることになりました。

当時、入院すれば退院するのは当たり前だと思っていましたが、精神科病院はそうではありませんでした。1年以上入院するのは当たり前の時代でした。また、家族も退院させることを望んでいませんでした。

退院する男性を誰が引き取るのかという話で男性のきょうだいが大変もめました。私には、何でそんなにもめるのか理解できず、毎月1回きょうだいが彼の様子を確認するためにアパートに来る、という話し合いで、大家さんもきょうだいも納得しました。

その後、この騒ぎを聞いた精神科病院の婦長(当時)さんが、精神科病院の患者さんや地域で暮らす患者さんの様子を教えてくださいました。患者さんの家を見せていただいた時、アパートの室内の様子があまりにもひどく、私は怒りを感じました。一目見ただけで、耐震基準が適合していないことや消防検査も不適合といったことがわかりました。もともと私は、建築や土木の仕事に携わっていましたので、人が住めないような家を貸すことが納得できませんでした。この時のできごとがきっかけとなり、その後の活動につながっています。

私の管理するアパートは、一時の「止り木」でよいと思っています。大海原を飛ぶ鳥たちが、羽を休める止り木のように思っていただけたらいいかなあと考えています。

人は、一生のうち4回生活の形を変えるという言葉を聞いたことがあります。まず初めは、生まれてから学生時代まで住む家。2回目は社会で働き始めて住む家。3回目は、結婚して住む家や子育てをする家です。4回目は、自分のための家で生涯を過ごす家をつくるといわれています。人によっては、それ以上に引っ越しをする人や、中には生活形態だけを変える方もいらっしゃるでしょう。なのに、家に自分を合わせたり、「障害があるからこの家」という考え方が、そもそもおかしくないでしょうか? 「ノーマライゼーション」という言葉を、わざわざ大きな声で言う必要性を疑問にも思いました。こんなことを言うとしかられるかもしれませんが、もう一度立ち止まって考えていただきたいように思います(生意気でしょうか?)。

人は何のために生きるのか、考えたことはありますか?大昔、人はお腹を満たすために狩りをして、洞窟の中で自由に暮らしてきました。今は、お腹を満たすことを一番に考えず、虚栄や見栄を張って生きているように私は思います。他人と同じ格好をまねしたり、不釣り合いなブランドを持ちそれをステイタスだと思っている人がいます。自分はそれでよいのかもしれませんが、ブランド品を買うためにお金がないからと、子どもにあんパン1個で一日を過ごさせたりする親もいます。いったい何のために生きているのかわからない家族を目にすることもあります。

人は住みたいところに住むことができるのが当たり前。自分らしく生きるために、社会と共生しながら生きることを少し勘違いしている昨今。

先日、ある社会福祉法人の事業所の方とお話ししました。まず一番に、事業所の運営のことを考えているのか、利用者本人のことを考えているのか…(笑)。「この人は、自分が支援してあげないと生きていけない」と考えていませんか?

人は自由に生きてよいもの。その人らしく生きるために家を提供するのが不動産業の仕事です。

中心部に近いからビジネスマンが住みやすい単身赴任用のマンション。スーパーや学校があり、子どもを育てる環境に適しているのが住宅街のアパート。それぞれのニーズに合った部屋を提供するのが不動産業の仕事です。そんな発想の中から、精神科病院に長期入院していた方が社会に戻れる家をつくる。社会も、医療機関も、本人の不安も取り除くために医療機関がそばに見えるアパートをつくりました。

アパートをつくるだけではなく、本人が住みやすい環境も整えました。生活をサポートしてくれる支援者やいつでも立ち寄れる居場所をつくったほかに、アパートの一角には、精神科病院から退院する前にアパートでの暮らしを練習できる部屋も用意しました。緊急支援する部屋など、今、その時、困った人が使いやすい部屋の提供。それを考えるのが、社会の役目だと考えています。私は社会福祉の専門家や医療従事者でもありません。お客様のニーズに沿った家を提供できるものとして仕事をしているだけです。

岡山でも、アパートを利用したグループホームがたくさん建て始められました。良いことだと思いますが、高等部を卒業した特別支援学校の生徒さんがそのまま入居されているようなケースも少なくありません。グループホームと作業所のセットプランです。このような施設から、「入居したくなかった」と本人から相談を受けることが少なくありません。入居されるご本人の気持ちを大切にしてあげたいと思うおばちゃんです。

今、新しい賃貸物件を提案しています。障害のある子どもさんと共に暮らせる住宅です。単身で障害のある子どもさんを育てているお母さんやお父さんが社会で生きづらさを感じている現状を知りました。せっかく社会で働いているのに、離職を考えることになる現実。そんなシングル家族を応援したいと家を用意しました。1階には、託児施設。上の階に住んでもらえるようなマンションです。そのほか、このマンションには訪問看護ステーションやヘルパーステーションなどがあり、医療や福祉がワンチームでかかわることもできるマンションです。

私は、岡山県の精神障害者の家族会にかかわっています。家族から口々に出てくる不安は、「親亡き後」という重い言葉です。そこで家族会が運営する外泊訓練施設の隣にアパートをつくりました。「子どもを一人で生活させるには親が不安」この言葉を受けて考えた家です。見守りが少しあるだけで、親も子も安心。親からの独立です。「母さんから離れて暮らせる!」ポロリと出た子どもの心の言葉。私もうれしい言葉でした。

私は今も、社会で暮らすことが苦手な人や住みづらい人が一人もいない世の中が来る日を願いながら、住宅を提供しています。最後になりますが、誰もが住みやすい「まち」をつくることが生きづらい人をなくすことだと考えています。「住みづらさが生きづらさ」だと思っています。

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