「Learning Crisis」とは何か? −COVID-19下のインクルーシブ教育に関する調査から

津田塾大学 柴田 邦臣

新型コロナウィルス感染症(COVID-19))は、日本社会に大きな衝撃を与え続けています。そのなかでも、もっとも深刻な影響に直面したのが、学校教育だったことは、疑いもありません。

第三次緊急事態宣言もクライマックスとなった2021年5月中旬、少し体調を崩し休んでいた(結局、COVID-19は陰性だったのですが…)機会に、昨年2020年の春頃に撮影した、「Learning Crisisとは何か」動画を見直しました。そしてその既視感に…結局この一年、日本の状況が、特に教育の状況が、ほとんど変わっていないという事実に、空恐ろしく感じました。第三次緊急事態宣言は2021年4月25日から首都圏・関西圏を中心に、第四次は7月12日に東京都、そしてオリンピックの最中の8月3日には大阪府と首都3件で発出されました。先日、「リハ協会カフェ」でご報告させていただいた際には、第二次緊急事態宣言を受けていましたが、第三次の場合は、大阪市、北海道、沖縄県などで一斉での休校制限に追い込まれるなど、教育現場は今だ完全な正常化とは言えず、まだそう言ってしまうと、かえって問題を看過しかねない状態が続いているといえます。

確かにCOVID-19 Crisisが、予想外にもたらされたものでありことは疑いもありません。ただし、それが1年半にわたり続く中、私たちにはそれに備える時間がまったくなかったわけではないでしょう。にもかかわらず「危機」が続いているのであれば、その危機は、天変地異のような不運ではなく、ひとつの社会問題であると考えられるべきです。

私たちがこの問題を、「Learning Crisis」と呼称している理由は、その「危機」がもはや、COVID-19という感染症にのみ由来しているとは、考え難いからでもあります。確かに、特に、緊密な対面指導を長所としてきた特別支援・インクルーシブ教育において、COVID-19が強いる「新しい生活様式」下の学校教育は、大きな制約を受けつづけています。しかし、その制約が生まれてしまう仕組みや、その影響は、ひとつの感染症が長期化しているからに止まらない理由があり、ひとつの感染症が克服されれば(COVID-19がいずれ必ず打破されるであろうことは、ほぼ確実でしょう)、すべて解決するというものだとは、いうことができないからです。その問題は、一見、朗らかに登校している子どもたちの裏側に、日々、努力を重ねていらっしゃる先生方の背後に、看過し難い「危機的影響」として、むしろ定着しかねない可能性があると、思われるのです。

「Learning Crisis研究会」では2020年から、全国の特別支援学校にオンラインで調査を実施し、現場でのフィールドワークを重ねながら現実の把握を試みてきました。「リハ協カフェ」でご報告の機会をいただいたのち、2021年6月に最終報告書が公表されるなかで、その概要を簡単で恐縮ですが、お届けさせてください。

最終報告書では調査の結果を元に「Learning Crisis」の状況を、以下の3つにわけて整理しました。

まずひとつめは、(1)格差の拡大です。調査は全国の特別支援学校に対して行われましたが、例えば第一次緊急事態宣言における長期休校も、それが解除された時期は、地方ですと2020年5月上旬ごろ、一方で感染状況が思わしくなかった都市部では6月上旬までずれ込むところもあり、学校運営に明確な影響、差を与えていました。こういった地域ごとの感染状況だけではありません。同じ障害で同じ学校にかよう子どもたちであっても、家庭ごとの事情は千差万別です。調査でも色濃く表れていたその差は、子どもたちの学習量と質において、義務教育を揺るがしかねないほどの格差となったといえます。特にまさに軌を合わせて加速されたGIGAスクールは、オンラインの導入の可能/不可能、さらにはその程度という差は、子どもたちの「学びの経験」に、「分断」とまで呼びうる差となっているのではないでしょうか。

ふたつめに言及しなければならないのは、長期休校、短縮授業、分散登校などの明確な「危機」が過ぎ去った後で、それぞれの学校が、何を取り戻そうとしたのか、という点です。学校においてもっとも課題となったのは、学びの遅れ=単元の進捗度合いでした。そのため、大半の学校は、遅れた学習を取り戻すために、時間割や教科教育を優先するというスタイルで運営せざるを得なかったことは、調査結果にも明確に表れています。それは子どもたちにとってみれば、とりあえず学校が再開し、授業がはじまったが、まずはこなしていくのに必死、という(2)形骸化=「形だけ学校を取り戻す」ということになってしまってはいなかったか、という危惧につながると思われました。同時に調査の自由記述の中では、文部科学省や教育委員会から示される方向性に、どうしても左右されてしまう状況が、訴えられていました。中には、「危機を乗り越えるために繰り返し示される新方針や通知が絵空事」(調査回答より)となるようなコメントもありました。もちろんこの状況は、COVID-19によって強いられる状況ではあります。しかし、子どもたちにとっては時間割だけでなく、自分たちの「学ぶ内容」、「頑張って学ばないといけない内容とレベル」が左右されているように見えてしまいかねません。子どもたちの目線から、教育の「空洞化」をおこさない意識と工夫が必要だと考えられます。

みっつめの論点が、「新しい生活様式」の元で、自粛、自制をしながら学校生活や学びを続けることになることによる、生徒児童への影響です。実際に「学校を再開しても、休みがちになる子どもたちが増えている」(調査回答より)という状況が、調査の自由記述からもいくつも見えています。すでに1年以上にわたり、学校生活は、どうしても(3)「強制された自粛」に彩られてしまいました。そのような青春を生きる脱力感、先生でさえ「いかんともしがたい」という無力感は、調査の結果としてもいくつもの項目に現れています。そもそも、障害のある子どもたちは、各自の身体・精神・知的な事情や傾向により、「特別な努力」をして学んでいます。その「特別な努力をして学び続ける」意欲に対して、もし、障害のある子どもたちにある種の「無力化」をもたらしうることが危惧されるような状況が現出するのであれば、それをLearning Crisisと呼称することに、異論は少ないのではないでしょうか。

Learning Crisisは、私たちが主張した概念ではなく、UNESCOやWORLD BANKが今世紀に入って提示している概念ですが、その趣旨は主として発展途上国において、甘受し難い教育の機能不全と格差を示すものでした。Learning Crisis研究会の調査報告書は、それに類似しかねない格差や形骸化が、先進国であるはずの日本においても現出しかねない可能性を示しているともいえます。当時の議論は文章として:教育新聞・連載・「学びの危機」(https://www.kyobun.co.jp/education-practice/p20210126/)、音声・動画として:Learning Crisisとは何か?・津田塾IESチャンネル(https://www.youtube.com/channel/UCMvc0Fm4QRkJDAWeuAKJMow)などもあるので、アクセシビリティ対応を含めご参照いただけますと幸いです。詳細に触れられていますが、私たちが考えなければならない問題として、正対しなければならないと考えています。

2020年からの私たちは、それぞれがそれぞれの場所で最善を尽くしたはずではありましたが、子どもたちにとって、それは言い訳にはなりません。教育の責任は、「子どもたちの我慢」ではなく、「大人たちの覚悟」によって果たされなければならないでしょう。実際に調査では、危機感の自覚が、対応力の向上につながっていると見られる例が生まれていました。教育の現実を、単なる不運やキーワードで塗擦せず、Learning Crisisとして正視することで、その道は、切り拓かれるのだといえるのではないでしょうか。

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