ひと~マイライフ-“支えてもらう”から“ササエアイ”を目標に、小さな活動を続けていきます

「新ノーマライゼーション」2021年3月号

Rie(リエ)

1966年生まれ。2019年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の診断後、ALSの啓発と難病者のコミュニケーション支援に関する活動を開始。日本ALS協会編集委員、難病交流会や介護生活の質の向上へのサポートを行う「icotto=イコット」を主催。WEBサイトnoteに難病に関わる人たちのインタビュー記事「いま・NOW」を掲載。

私の病名は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と呼ばれる難病です。2年前に確定診断を受けてからは生活が一変し、ALSという未だ治療法のない困難な敵と向き合う生活が続いています。

ALSは体を動かすための神経系(運動ニューロン)が変性する病気です。進行すると動くことが徐々に困難になり、呼吸さえも自力ではできなくなるという恐ろしい病。日本にいる患者さんは約1万人と言われていますが、まさか、自分がその1万人のうちの一人になるとは…。驚き、戸惑い、不安、恐怖。いろいろな感情がごちゃまぜになり、確定診断を受けた当初は、感情を出すこともできなくなり、心がフリーズしたような状態になっていました。自分の「今」を受け入れることができずに、ひたすら現実逃避していたのだと思います。

泣きもせず、笑いもせず、ぽっかりと心に空洞ができたような日々を過ごしていましたが、それでも家族と周囲の支えがあり、難病に負けずに闘う人たちがたくさんいること、支援する人々の熱い思いなど、これまでの自分とは全く縁のなかった多くのことを知ることができました。新しい出会いもたくさんあり、こんなにも生きることに懸命で、毎日を大切に生きている人がいることに心が動かされていきました。

あきらめたままで終わりたくない。笑って生ききりたい。

単純なようですが、まるで異世界にいるようで居心地が悪かった闘病生活は、見方を変えると新しいことばかりで興味がそそられるところもたくさんあるのです。心のスイッチがようやくONになり、それからは自分に正直に、やりたいこと、興味のあること、いろいろなことにチャレンジしています。

私は広告制作の仕事に長年就いていたので、この経験を生かしていきたいという思いもあり、日本ALS協会の千葉県支部運営委員と本部の編集委員に加えていただきました。ネガティブなイメージが先行するALSや難病に関して、前向きに力強く生きている人たちの存在を多くの人に知ってもらいたかったのです。それから、患者同士が気軽に集まり、情報交換をしたり、会話を楽しむ場の必要性を感じて、患者交流会を始めました。コロナ禍によりオンラインでの開催が主流となった交流会「イコットカフェ」は、SNSや日本ALS協会の協力、口コミで広がり、現在は全国さまざまな地域から参加があります。体が不自由になっても、人との繋がりをもちたいと思うのは普通のことです。たくさんの人との出会いは、たくさんの生きるエネルギーになり、心の支えにもなります。もっと多くの人が、こうした交流の場を積極的に利用し、孤独にならない方法を見つけてほしいと思っています。

こうした活動を続けていけるのは、私一人の力ではありません。賛同し、協力してくれる仲間がいるからこそできることであり、なくてはならない存在です。難病になっても、体が不自由でも、人との出会い、繋がりはとても大切で、その出会いを得るためには自分から動くことが必要だということを病気になり学ぶことができました。

そして、私のこれからの目標についてですが、今、支えてもらうことだらけなので、もうひと頑張り、ササエアイができる自分になることを目指していきたいと思っています。できないところは補ってもらう、けれど私にも力になれることがあるはず。そうしたササエアイの関係を持てる自分になりたいと思います。また、病気の人、障がいのある人、健康な人、それぞれの個性や能力でお互いを尊重し、ササエアイの関係が当たり前の社会になるよう、小さな活動を少しずつあきらめずに続けていきたいと思っています。

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