読み書きに困難のある僕がデジタル改革に期待すること

「新ノーマライゼーション」2021年5月号

慶應義塾大学環境情報学部1年
菊田有祐(きくたゆうすけ)

デジタル改革として、学校では生徒1人につきPC1台を配布するというGIGAスクール構想がちまたを騒がせている。これに関して、今まで合理的配慮として、PCで教育を受けてきた僕が、今思うことを述べたい。

まず、デジタル改革で、一様に障害に基づく困難がなくなるのかといえば、一概にそうとはいえない。なぜなら、当事者の数だけ、困りごとの種類があるからだ。例えば僕は、LD(学習障害)の他にADHD(注意欠陥多動性障害)、聴覚過敏、過眠症などの症状を持っている。LDと併発しやすい症状だが、そうした症状は他にも多く存在し、その組み合わせは何通りもある。だから、当事者個人に合った合理的配慮を考えていく必要がある。

また、たとえLDしか症状がない場合でも、PCを渡しただけで困難が解決できるとは限らない。その生徒がタイピングすらできなければ、支援にはならないからである。じゃあと言って、PCの代わりにデジタルペンシルを渡しても、それこそ本末転倒である。重要なのは、しっかり本人がPCを使いこなし、日常的に使用できるまで導いていくことである。

ここで、「PCを使いこなす努力をするくらいなら手で書く努力をすればいい」と思う人もいるかもしれない。しかし、書字障害の当事者にとって、手で書く努力とは未来のない努力である。だからこそ、僕たちは合理的配慮を求めるのである。支援する側はその人にとって、“未来ある努力”と“未来のない努力”を見極めることが重要だ。逆に、中にはペンで書く方が楽という人もいるだろう。その場合、デジタル改革後も、ペンで書き込める工夫が必要になるだろう。

個々に合った学びを実現するためには、教員一人ひとりが、生徒の使用する機器、入力方法、使用するソフト、リテラシー、また、合理的配慮について理解する必要がある。僕の中学生時代の例を一つ挙げよう。僕は合理的配慮として定期テストをPCで受けていた。そこで苦労したのが、A4サイズの試験用紙を入手することだ。僕が持参していたスキャナーでは、A4サイズまでしか読み込めない。ところが試験用紙はいつもB4サイズだった。だから僕は試験開始とともにB4サイズの試験用紙をハサミで2つに切ることから始めなければならなかったのだ。ようやくA4サイズで入手できたのは、中3の2学期、期末試験になってからだった。これは、先生方がスキャナーの性能について理解していなかったがために、A4の重要性を理解できなかったことに原因がある。

このようにお互いの理解で乗り越えなければならない問題点はいくつかあるが、このGIGAスクール構想には期待することも多くある。その一つとして、配慮開始のハードルが下がるということだ。僕は以前から配慮を受け始める時期は、なるべく早いほうが好ましいと思っている。自分が配慮を受ける“当然性”を早期に養うことが、その先の未来を切り開くと考えているからだ。未来を切り開くとは例えば、高校、大学受験などの配慮申請で、もしも配慮を断られたとしても、心が折れず、強い意志で「もう一度資料を揃えて申請しよう」と思えることである。つまり合理的配慮において、始まりにいかに強く「自分の意思」を持てるかが非常に肝心なのである。往々にして配慮開始時には、周りと違うことに嫌悪感が示されることがある。これは親や先生、周りの生徒だけではなく、本人も同じだ。しかし、GIGAスクール構想で、PCが生徒一人ひとりに行き渡れば、周りとの差異が小さくなることで、この嫌悪感というハードルが低くなり、より合理的配慮が導入しやすくなるのではないだろうか。

このように、デジタル改革は当事者に対して良い方向に作用することが期待されるが、それだけで、当事者の問題が100%解決されるわけではない。引き続き一人ひとりに合った合理的配慮の整備が必要になりそうだ。

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