日本の初回審査とパラレルレポート

「新ノーマライゼーション」2021年6月号

立命館大学生存学研究所 特別招聘研究教授
長瀬修(ながせおさむ)

1.はじめに

障害者権利条約の日本による実施状況に関する初めての審査が近づいています。昨年8月に初回審査が行われる予定でしたが、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の世界的流行の影響によって延期されています。そして障害者権利委員会(以下、委員会)は暫定的に今夏、日本の審査を予定していますが、本稿執筆時点(5月10日)では流動的で未確定です。2022年に再度、延期になる可能性もあります。

基本である締約国自身の自己点検に加えて、世界の専門家が構成する委員会による国際的審査は、締約国である日本での障害者の権利の確保がどれだけ進んでいるかを改めて確認するチャンスです。普遍的な人権の一環である障害者の人権状況全般について見直し、障害者の権利をさらに推進するために、この審査を活かしたいものです。

審査において大きな役割を果たすのがパラレルレポートと呼ばれる市民社会からの情報です。障害者権利条約の交渉時によく言われた、障害者の参加を意味する「私たち抜きに私たちのことを決めないで」は、条約本体に結実し、国内における実施及び監視に関する33条で「特に、障害者及び障害者を代表する団体は監視の過程に十分に関与し、かつ、参加する」と規定されています。

2.締約国の報告と審査の根拠

障害者権利条約を批准した国は、条約の実施状況について報告する義務を負います。それは、「締約国による報告」(35条)として規定され、同条は、「各締約国は、この条約に基づく義務を履行するためにとった措置及びこれらの措置によりもたらされた進歩に関する包括的な報告を、この条約が自国について効力を生じた後二年以内に国際連合事務総長を通じて委員会に提出する」(下線筆者)としています。報告に求められているのは、条約を実施するために締約国が何を行い、どういった効果があったかという情報です。

提出された報告の審査は「報告の検討」と題する36条に基づいて、委員会が行います。障害者権利条約の事務局である国連人権高等弁務官事務所があるスイスのジュネーブで開催される、この委員会は条約(34条)に基づいて設置され、18名の条約が対象とする分野の専門家から構成されています。委員は毎年、国連本部で開催される障害者権利条約の締約国会議にて選挙で選ばれます。非常勤・無給のこの委員に日本からは石川准(静岡県立大学教授)が2017年から2020年まで選出され、後半は副委員長として活躍されていたのをご存知の方も多いでしょう。石川のように障害者である専門家が圧倒的多数を占めています。

3.審査のプロセス

以下、障害者権利条約の日本の審査を順を追って、見ていきます。末尾の表「日本の障害者権利条約初回審査タイムライン」も参考にしていただければ幸いです。

1.締約国報告の提出

締約国が報告を委員会に提出することが審査の出発点です。日本は2016年6月に報告を提出しました。内容は残念ながら、法律と施策の羅列になってしまっています。外務省のウエブサイトに掲載されていて、日本語でご覧いただけます。

なお、条約の実施全般の課題としては、報告を提出しない締約国が3割程度存在しているという深刻な問題があります。

2.事前質問事項の作成過程とパラレルレポート

報告を受け取った委員会は、事前質問事項と呼ばれる質問のリストを作成し、締約国に送付します。この質問作成に当たって、委員会はパラレルレポートの情報を重視します。

私は2017年秋に、台湾を統治している中華民国政府(国連非加盟)の依頼によって、同政府が国連システム外で独自に批准した障害者権利条約(注)の審査に携わる機会がありましたが、事前質問事項そして総括所見作成に当たっては、パラレルレポートは不可欠でした。

日本の事前質問事項に向けては、日本障害フォーラム(JDF)と日本弁護士連合会(日弁連)が包括的なパラレルレポートを出したほか、全部で9本のパラレルレポートが提出されました。

さらに、事前質問事項を採択する委員会の会期前作業部会において市民社会はパラレルレポートに基づいて、委員会に対してブリーフィングを口頭で行う機会もあります。JDFと日弁連をはじめとする日本の市民社会は、コロナの影響発生直前の2019年9月にジュネーブで開かれた作業部会に40名以上を送り、委員会に対してブリーフィングそしてロビーイングを丁寧に行うことができました。私もJDFの一員として参加しましたが、この時期以降、委員会は対面で開かれていないため、振り返れば、とても恵まれた機会でした。

3.事前質問事項の概要

日本への事前質問事項は7ページにわたり、69の質問から構成されています。質問数が多く、委員会として関心が高く示されたのは、危険な状況及び人道上の緊急事態に関する11条と表現及び意見の自由並びに情報の利用の機会に関する21条です。11条に関しては最多の5問が投じられ、東日本大震災や福島の原子力発電所の事故の影響についての質問があります。21条では、日本手話や情報アクセシビリティに関して4つの質問がなされています。

拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰からの自由に関する15条では、優生保護法訴訟の除斥期間に関する質問が含まれている点が注目されます。これはJDFのブリーフィングの成果です。

事前質問事項の具体的な例を2つ紹介します。約50万人の障害者が病院と施設にいる日本にとって重要な、「自立した生活及び地域社会への包容」(19条)について「いまだ施設にいる障害者,施設から退所した障害者と彼らの現状について,とりわけ性別,年齢,居住地,支援提供の有無によって分類した数値」に関する情報を政府に求めています。また、課題の多い教育(24条)については、「ろう児童及び盲ろう児並びに知的又は精神障害のある児童を含め,障害のある全ての者のために,分離された学校における教育から障害者を包容する(インクルーシブ)教育に向け移行するための,立法及び政策上の措置並びに人的,技術的及び財政的リソース配分」に関する情報が求められています。

4.事前質問事項への締約国回答とパラレルレポート

事前質問事項への締約国からの回答(本稿執筆時点で未提出)と、総括所見に向けた第2弾のパラレルレポート(本稿執筆時点では日弁連とJDFが提出)を基に、委員会は勧告である総括所見の起草作業を開始します。通常は、事前質問事項で取り上げた課題が勧告の内容の柱となります。

その起草作業の中心を担う委員を国別報告者と呼びます。現在の日本の国別報告者は、キム・ミヨン(韓国の障害者運動活動家:委員会副委員長)とヨナス・ラスカス(リトアニアの大学教授:同副委員長)の2人です。事前質問事項や総括所見の起草作業を他の委員会では、国連人権高等弁務官事務所職員が行うのが通例ですが、障害者権利委員会だけは委員自らが起草作業を行う慣行があります。

5.建設的対話と総括所見

締約国と委員会の建設的対話と呼ばれる質問と回答を経て、委員会は勧告である総括所見を採択します。6時間に及ぶ建設的対話では、委員からの質問と政府からの回答が口頭で行われます。この建設的対話が開催される以前に、総括所見草案はすでに作成されていて、建設的対話を経て、総括所見は最終的に採択されます。

委員会の審査は、コロナの世界的流行以来、停止されていましたが、本年3月にオンラインで再開されました。その初のオンライン審査となった北欧のエストニアに対して本年4月に出された総括所見において重点事項として指定されたのは、1.後見制度下にある人たちを対象に、支援付き意思決定への転換(12条:法律の前にひとしく認められる権利)と、2.障害児者の新規入所の一時停止(19条:自立した生活及び地域社会への包容)でした。また、総括所見として初めて、コロナに関する勧告が出されました。11条「危険な状況及び人道上の緊急事態」において、ワクチンの平等な接種や緊急的退所、コロナ対策への障害者組織の関与など4つの勧告を出しています(本稿執筆時点で人口約133万人のエストニアのコロナ死者数は1100人を超え、人口比では日本の10倍以上)。

4.国内における実施及び監視の課題:障害者政策委員会と国内人権機関

市民社会からのパラレルレポートと並んで審査過程で、非常に重要な役割を果たすのが、国内における実施及び監視に関する33条に規定されている「独立した監視枠組み」です。こうした国内の監視の仕組みに関する規定は、人権条約本体としては障害者権利条約が初めてです(追加的な選択議定書では、拷問等禁止条約が先行しました)。委員会による国際的監視に加えて、こうした国内での監視も重視する点は、医学モデルから社会モデルへの転換と共に、この条約の「もう一つのパラダイムシフト」とされています(1:85頁)。

日本では、内閣府障害者政策委員会(以下、政策委員会)がこの監視機関として政府によって指定されています。障害者組織の代表も委員として加わっているこの委員会は、すでに日本の報告にその意見を盛り込み、また、政府の報告の付属文書として第3次障害者基本計画の実施状況の監視を「議論の整理」という形でまとめています。政策委員会には、こうした取り組みを強化し、建設的対話に向けても独自の意見表明が期待されています。

障害者権利委員会は、1.締約国による報告と2.市民社会からの情報(パラレルレポート)に加えて、政策委員会のような独立した監視枠組みからの情報を非常に重視しています。そして、この独立した監視枠組みを担うのは、ほとんどの場合、国内人権機関であるため、そのサイトでは「国内人権機関からの情報」という項目が、1と2と並んで設けられているほどです。

なお、日本における障害者を含む人権確保の大きな全般的課題は、国内人権機関が設置されていないことです。国内人権機関とは人権を守るための独立した国の機関のことです。世界では100か国以上で設置されていますが、日本では2002年に小泉純一郎内閣、2012年に野田佳彦内閣が設置に向けての法案を国会提出していますが、いずれも成立せず、いまだに国内人権機関はありません。国内人権機関の設置は、日本における人権確保の推進のために重要な取り組みです。

国内人権機関が設立されたあかつきには、政策委員会のように障害者に特化した「独立した監視枠組み」と国内人権機関の役割の調整が必要になる可能性があります。その際にも、障害者組織の参加の確保と拡大は欠かせません。

5.おわりに:初回審査の意義

締約国による「継続的な自己点検の過程」が条約の実施の鍵であると、国連の障害者の権利に関する特別報告者であるジェラルド・クイン(アイルランド国立大学名誉教授)は述べています(2:74頁)。

障害者権利委員会による国際的な監視は、そうした国内的な実施の監視を補う重要な役割を持っています。そして初回審査は国際的な専門家によって締約国の障害者政策の課題が初めて明らかにされる貴重な機会です。さらに国連総会で進められている障害者権利条約を含む人権条約の審査改革の議論の結果によっては、2回目以降の審査実施までにはいっそう時間がかかる可能性もあります。この歴史的な日本の初回審査に障害者組織をはじめとする市民社会は大きな役割を持っているのです。

(敬称略)

表 日本の障害者権利条約初回審査タイムライン

年月 締約国日本 障害者権利委員会 市民社会
2016年6月 初回報告提出    
      パラレルレポート(事前質問事項用)提出
2019年9月   事前作業部会第12会期:事前質問事項採択 ブリーフィング
2019年10月   事前質問事項送付  
      パラレルレポート(総括所見用)提出
2021年5月
(*予定)
事前質問事項への回答送付    
2021年8月
(*予定)
建設的対話 障害者権利委員会第25会期:建設的対話 ブリーフィング
2021年9月
(*予定)
  総括所見採択・公表  

「追記」

本稿校正中に今夏の日本審査はないことが確定しました。障害者権利委員会は2021年8月から9月の第25会期における審査対象国をジブチとフランスの2か国のみと公表したためです。


(注)

中華民国の国会にあたる立法院が2014年8月1日に障害者権利条約の施行法(身心障礙者權利公約施行法)を成立させました。同条約は国内法の効力を有すると規定する同施行法は、同月20日に総統によって公布され、同年12月3日から施行されました。

【参考文献】

(1)Beco, G. D., 2011, “Article 33(2) of the UN Convention on the Rights of Persons with Disabilities: Another Role for National Human Rights Institutions?” Netherlands Quarterly of Human Rights, Vol. 29/1, 84-106.

(2)長瀬修、2018、「障害者権利委員会――報告制度」長瀬修・川島聡編著、2018、『障害者権利条約の実施』信山社、47-78.」

*本稿はJSPS科研費(18K01981)「東アジアにおける障害者権利条約の実施と市民社会」の助成を受けたものです。

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