ひと~マイライフ-すべての人に夢と期待を

「新ノーマライゼーション」2021年6月号

板原愛(いたはらあい)

先天性角膜変性症により、両眼の視力が0.02程度で、点字とパソコンの音声読み上げソフトを使用して書字情報を処理している。1990年、大阪府岸和田市に生まれ、中学入学と同時に上京し、筑波大学附属視覚特別支援学校中・高等部を経て、青山学院大学法学部、早稲田大学法科大学院に進学し、2018年、司法試験に合格した。

現在は都内の法律事務所に勤務し、企業や個人の訴訟事件、交渉事件等を取り扱う他、学校、企業、団体等でのセミナーや講演で講師を務めることもある。また、日本弁護士連合会人権擁護委員会の特別委嘱委員として、障がいを理由とする差別禁止法制に関する特別部会で、障害者差別の撤廃に向けた法整備・制度整備に向けた活動を行っている。

私は、拡大すれば文字が読めたが、たくさんの文字を速く読むことは困難であったため、小学生の頃から少しずつ点字を習い、中学からは、実家のある大阪府岸和田市を離れて、東京にある筑波大学附属視覚特別支援学校に入学した。

元々、それほど勉強が得意ではなかった私だったが、中学に入り、数学と英語をはじめ、ほとんどの科目で挫折し、成績は下の下まで落ち込んだ。授業時間は睡眠か内職に費やし、寮では趣味の漫画やアニメに没頭し、勉強からは逃げに逃げた。その頃の私は、将来の夢もなく、大人になった自分を想像することも避け、楽しいことを探し続けながらも、落ち着かない、寂しい日々を過ごしていた。

そんな中、唯一の得意科目であった社会科と、偶然読んだ日本国憲法の本をきっかけに、弁護士になることを決めた。弁護士は人を助けることができる魅力的な仕事に思えたし、漫画やドラマの中で弁護士が格好よく描かれていて、お小遣いで買った重い六法全書を持ち歩いていると、弁護士になった自分が格好よく働く姿をイメージすることができた。

もっとも、その頃になっても成績は相変わらず下の下で、おまけに私はその新しい夢のために、何か努力しようと考えることもしなかった。「いつか私も頑張るだろう」と、他人事のように考えていたのである。

そんな調子だったので、高校進学の際も、私は内部推薦をもらえず、ひやひやしながら外部からの受験生と一緒に受験し、ぎりぎりの成績で合格した。進学が危ぶまれた瞬間だけは、「このままでは弁護士になれない」と感じ、まさにおしりに火がついたように猛勉強をしたのである。

そして私はこれと同じことを、高校でも、大学でも、そして、大学院でも繰り返した。遊びに趣味に恋愛にと、学生生活を謳歌(おうか)し、おしりに火が付いた時だけ勉強をする、その繰り返しであった。にもかかわらず、私の両親は、私が弁護士になることを信じ、司法試験に合格するためにはどうすればよいのか、一緒に考えてくれた。

そんな日々を経て、思うことがある。人が夢や目標を抱くためには、それを実現した自分のイメージを持つことが必要で、その夢や目標を叶えるためには、そのイメージを持ち続けることが必要だ。ところが、この国では、多くの場合、障害がある、勉強が苦手である等々、さまざまな理由で、親は子どもに、教師は生徒に、「無理だ」「無謀だ」と言う。言わなくても、子どもに期待をしないことで、「無理だ」と思っていることが子どもに伝わる。そうすると、子どもはそのような周囲の評価を内面化して、「私は障害があるから無理」と、自分の限界を自分で決めてしまうようになる。

2019年4月、東京大学の入学式で、上野千鶴子・東大名誉教授は、ノーベル平和賞受賞者であるマララ・ユスフザイさんの父が、「娘の翼を折らないようにしてきた」と語ったことに触れ、「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」と述べた。子どもが育つ中で、男の子には期待される進学や出世が、女の子にはもとより期待されないという、家庭における男女差別を指摘する趣旨である。

同じように、障害のある子どもたちも翼を折られてきた。障害があるから無理というささやきは、多くの場合、善意で投げかけられる。「無理をしないのがあなたのため」「元気に生きていてくれさえすればいい」といったように、一見優しい言葉で、抱く前から夢は奪われる。

しかし、大きな夢や目標というのは、本来、誰にとっても、やってみるまではできるかどうかわからないものであり、やってみたらできるかもしれないものである。そして、すぐには叶わないとしても、求め続ければいつか叶うかもしれないものであり、決してやる前からあきらめるべきものではない。

私は、弁護士になって未だ1年半ほどの新米であるが、これからの活動の中で、障害に基づく差別を一つ一つなくし、障害が子どもの翼を折らない社会をつくることを目指したい。これが新たな私の目標の一つである。

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