GISOKU DE チャレンジ!

「新ノーマライゼーション」2021年10月号

切断者スポーツクラブ スタートラインTokyo 福岡支部長
茂木孝子(もぎたかこ)

私は21歳の時に事故で右足を失い(膝上切断)、GISOKU※1の生活をしています。それ以来走ることをあきらめていたのですが、2年半前に人生でやり残したことはないかなと自分自身に向きあった時の答えは「走ること」でした。走ることを実現させるために上京し、スポーツGISOKUをつけて走ることを始めました。走ることは想像以上に難しいものでしたが、現在は、トランポリンやカヌー、セグウェイなどにチャレンジしています。

スポーツGISOKUと同時に日常用のGISOKUの製作も依頼しました。いつもは、自分の好きな布地でGISOKUソケット(残っている足を入れる部分)を作っていただくのですが、好きな布地がなかったため、息子に私の大好きな桜柄をデザインしてもらい、そのデータをイギリスに送り布地にしました。

私は、このGISOKUを「自慢のGISOKU」と呼んでいます。今までの私は義足であることが大嫌いでした。ところが走れるようになると、桜柄のスポーツGISOKUを見た周りの人から「桜柄がキレイ!」と言われ、息子がデザインしてくれたことを話すうちに、いつしか「私のGISOKU姿」をみんなに見てもらいたいと思うようになりました。このことがきっかけとなり今まであきめていたことにチャレンジをするようになりました。

自慢のGISOKUは、ハイヒールを履くことができるためブーツを履くことにチャレンジしました。まずは、ショートブーツから始め、練習を重ねるうちにロングブーツを履くこともできるようになりました。

次に私は、「もう一度着物を着たい」という思いがわいてきました。私は草履で歩くことが難しかったため、ブーツに桜柄の着物を着て桜並木で写真を撮っていただきました。

この時の写真を担当の義肢装具士さんに送ったところ、義足を使用している女性たちの写真集のモデルに推薦していただきました。実際にモデルとして写真を撮っていただき、今年10月31日に発売予定の写真集「切断ヴィーナス2」に2点掲載されています。

今年4月にコカ・コーラ社が東京2020オリンピック競技大会の開会式でプラカードベアラーの募集をしていることを知りました。

私は自満のGISOKUを世界中の人に見てもらう絶好のチャンスだと思いました。また、同じアスリートとしてプラカードを持ち、全力で選手の方々を応援したいと思い応募しました。そして、6月の初めにコカ・コーラ社からプラカードベアラー任命の通知をいただきました。

私は、同社の担当者に桜柄のGISOKUを世界中の人にみてもらいたいという思いを伝え、衣装についても右足は特に短いショートパンツにしてほしいと、スポーツGISOKUを付けている写真を送ってお願いしました。

開会式では、担当した国のプラカードを持ちプラカードベアラーとしての任務を果たし、世界中の方々に私の姿を見ていただいて夢と希望を届けることができました。この大舞台で、そしてこんなにも早く夢がかなうとは夢のようでした。

今秋、ミセスコンテストのファイナリストとして大会に参加しました。この大会で着用したドレスは、息子がデザインした桜柄のサテン生地を使ってデザイナーさんに作っていただきました。

「いくつになってもやればできる」「GISOKUをチャームポイントに」。それが私らしく、魅せることのすべてだと思います。


※1 本来は、「義足」と表記しますが私は身体の一部と考えているため、表記をGISOKUにしています。

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