自分らしさを見せる

「新ノーマライゼーション」2021年10月号

独立行政法人国際協力機構(JICA)職員
石田由香理(いしだゆかり)

去る7月17日に、札幌で行われた「Love is All-共鳴」という、こどもホスピスを開設するプロジェクトへの寄付を目的としたチャリティーファッションショーにモデルの一人として、視覚障害者で唯一参加しました。この記事では、そのファッションショーに参加した際の経験を、全盲の私がどのようにファッションに興味を持つようになっていったのかを含めてご紹介します。

自分らしいファッションを見つけるまで

1歳3か月の時から全盲の私は、色やファッション雑誌というものを見た記憶はありません。小学校6年生までは、毎朝母親が出してくれた服をただ着て通学していました。12歳になる女の子が、自分の着ている服の色も知らず、身に着けるものにまったく興味がないのは問題だと思った当時の盲学校の担任の先生が、連絡帳に「由香理さんに持っている服すべての色を教えてください。その上で、毎朝の服を自分で選ばせるようにしてください」と書いたようです。そして先生は、私が自分で選んできたコーディネートについて、「今日の色はあなたに似合ってる」「今日の上下の色の組み合わせはちょっと変」など、1年間コメントし続けました。これが私が自分で洋服を選ぶようになったきっかけですが、当時は最後までファッションに興味を持つわけでもなく、うるさそうに先生のコメントを聞き流していたようです。

私が本格的にお店で服を選んだり、世の中の流行などを気にするようになったのは、大学生で寮生活を始めてからです。お店でマネキンが着ているコーディネートを触って確かめたり、ファッションに自信がある友達と一緒に買い物に行って服を選んでもらったり。その頃はまだ自分に似合うデザインや色がわからず、今考えればぜんぜん似合ってない全身黒コーディネートをしてみたり、突然ギャルのような恰好になって高校時代の先生方を心配させたり(!)していました。

ファッションショー参加のきっかけ

大学3年生くらいになると、ようやく自分に似合うメイクやファッションがわかってきました。まず、私には黒や真っ赤などの強い色よりも、薄めのピンクや白、水色、暗めの色を入れたいなら紺やグレーがいいとわかってきました。メイクも同様です。また私は小柄なので、ヒョウ柄や大きな柄の模様は似合わないと学びました。

目が見えていないので鏡で自分を見て確認するわけではありませんが、ファッションをチェックする際にこだわっているのが、洋服を着た時のシルエットやラインです。個人的には、フィット&フレアの形のワンピースが一番自分の体のラインに合うと思っていて、後ほど紹介するファッションショーのドレスも、その形のものを選びました。

さて、ファッションショー参加のきっかけは、仕事でラジオに出演した際、その番組のパーソナリティーだった女性から、自身が主催予定のファッションショーに誘われたのです。私たちは、障害者向けのファッションショーに参加する機会はあっても、一般のファッションショーから声がかかることはめったにないので、面白いから出てみようと思いました。モデルには事前に、ミス・ワールド・ジャパンファイナリストの吉野奈美佳さんによるウォーキングレッスンがあったのですが、主催者によると奈美佳さんも弱視で、当日どのように私がウォーキングをするかなど一緒に考えてくれると言うのです。モデルは、ドレスショーに参加する30人と、ペアで仮装ショーに参加する2組の合計34人。ドレスショーモデルのうち20人以上が、ミスコンのファイナリストや準グランプリの経歴がある人たちで、その他主婦が数名と、中学生高校生一人ずつ、そして私というメンバーでした。

当日までに、主催者経由でドレスと靴をセミオーダーメイドで製作し、当日は会場にプロのヘアメイク担当の人たちが来てくれました。

生まれて初めてのファッションショー

一般のファッションショーに全盲でただ一人参加してみて、やはりみんなについていくのが大変な場面はいろいろあると思ったのと同時に、何とかなることもわかりました。

会場はおしゃれな結婚式場でしたが、視覚障害者にとって難易度が高すぎるバリアがたくさんありました。2階建ての造りで、大理石の床にガラスの幅の狭い空間の空いた階段。立食形式で、ファッションショー出場者もお客さんも、自由にこのガラスの階段を使って1階と2階のフロアとテラスを行き来し、好きなところで軽食や飲み物を取ったり歓談ができます。おしゃれで自由で華やかな会場ですが、全体的に会場に鳴り響く音楽と騒音で、視覚障害のある私たちにとってもっとも状況が把握しにくい場なのです。

ウォーキングは、幸いステージは床と同じ高さだったので、万が一コースアウトしても、客席に突っ込むだけで落ちることはありませんでした。ただし、登場から最初に20歩はまっすぐ歩かなければならず、全盲の私にとって、バンド演奏の騒音の中、広い会場をまっすぐに横切るのは非常に難しいのです。真っすぐ歩くために私が利用したのが床のタイルの溝です。とは言っても、白杖の先でタイルの溝を探し当て、そこから20歩外れないというのはかなり神経を使います。

20歩歩いてポーズして、向き変えて左に4歩歩いてポーズして、また向き変えて4歩戻って最後のポーズをする。この向きを変える時に90度、180度が騒音の中でとれるかどうか、また、4歩動く時はもう、タイルの溝から外れるので、ここで角度がずれると会場の真ん中で迷子になります。なお、ポーズを決める位置に緑のテープが貼ってあるのですが、私は歩数だけを頼りにしていました。テープの下に紐を入れて踏んでわかるラインにしてほしいという要望は、会場側から却下されたそうです。

ウォーキングレッスンで2回、リハーサルで1回、計3回しか歩いていない状態で本番を迎えました。慣れで感覚をつかんでいく視覚障害者にとってはもう少し練習回数がほしかったです。きれいに歩くことや表情よりも、タイルの溝を見失わないコースアウトしないことに注意が向くので練習時はぎこちなく、誰かガイドと一緒に歩いたほうがいいのではないか、そうすれば白杖も置いていけるのではないかと主催者側から提案されたりもしました。

ただ私としては視覚障害者もモデルの一人として当たり前にファッションショーに出てくるのを見せることに意味があり、むしろ白杖を持って出ることが重要で、一見、ドレスショーで邪魔になる悪目立ちする白杖を、自分にしか使えないアイテムとして使用したくて、知り合いと一緒に、ポーズ3つはすべて、白杖もアイテムとして取り入れたポーズを考えました。

本番にお客さんが入った方が、広かった会場が狭くなるので私にとっては空間で真っ直ぐがとりやすくなるのと、ポーズするたびに拍手してくれるので、そのお客さんの位置から自分の方向を微修正できるという思わぬ配慮があり、本番が一番歩きやすかったです。

最後に、ファッションショーの裏側で一番うれしかったエピソードを紹介します。本番のウォーキング以外の時間、私と一緒に行動してくれたのが、ミス・アース・ジャパン北海道準グランプリの経歴を持つ女の子と、同コンテストファイナリストの女の子でした。準グランプリの子が私を連れて飲み物をもらう列に並んでいた時、「ごめんね、任せてしまって。ありがとう、お世話してくれて」と声をかけてきた女性がいました。その時の彼女の答えは、「いえ、別に。私たち、一緒に楽しんでるだけなんで」でした。なぜかファッションショーに障害者が出場する時、会場は驚きと感動と…のような空気になります。ただ、時間をかけて交流を重ねた時、「一緒に楽しんでるだけなんで」と言ってくれるモデルが現れる、自然と周囲が目配り気配りをして、私が一人になっていないか食べ物を取れているかなど、何となく誰かが見てくれている状況になっていきました。

今回はチャリティーファッションショーということで、必ずしもきれいに歩くということが審査基準ではなかったらしく、審査員いわく本番に一番オーラがあった私が、特別賞を受賞しました。

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