知的障害のある妹との向き合い方―きょうだい児としての家族―

「新ノーマライゼーション」2022年1月号

漫画家
吉田薫(よしだかおる)

はじめに

私の実家は北陸の田舎の方で幼少のころの娯楽は外で遊ぶかもっぱら漫画でした。もともと絵を模写するのが好きで描いた絵を周りから褒められるようになっていき、小学生のころから漫画家っていいなあってぼんやり思い始めました。

昔はジャンプやサンデー、マガジンの少年漫画が大好きでしたが、一番読んでいたのは親が教育の一環で買ってくれた「はだしのゲン」シリーズ全巻でした。きれいごとではなく人間の業や汚さ、純粋さ、希望や絶望、なにより現実が描かれていました。小学生の多感な時期にものすごく衝撃を受けたのを今でも覚えています。

小学生のころ、週一の授業で自由時間の枠があり、そこで僕は一年間かけて100ページを超える漫画を一冊描き上げました。内容は支離滅裂でしたが一つのものをコツコツと作り上げる達成感と楽しさを味わったのはこの時が最初だったように思います。それと同時に妹が知的障害者だということもこのころから認識し、兄として重圧を感じ始めていました。漫画家を目指し上京したのも今思えば妹や田舎の閉塞感から逃げたかったのかもしれません。

「血の間隔」を描こうと思った経緯

上京後、アシスタントを経て漫画家になりちょうど連載していた漫画がひと段落ついた時にあるニュースが飛び込んで来ました。津久井やまゆり園の事件です。事件の内容ももちろん大変衝撃を受けたんですが、加害者の言葉、考えが非常に当時の僕の心にはショックでした。

「障害者は不幸を作ることしかできない」

この言葉を聞いた時、僕は自分の妹とちゃんと向き合ってきたんだろうか?と、あらためて自問自答するようになったんです。

自分にとって妹の存在は不幸なのか?それを知るためにはまず妹自身を知ることから始めようとしたんです。妹との過去や当時の思いを振り返ったり、今の妹の仕事や人間関係に少しずつ触れたりして、漫画という方法で妹に対する自分の考えを見つめ直したいと思ったのが「血の間隔」を描くきっかけでした。

障害者の兄としての葛藤と重圧

漫画の1話目でも描いているんですが、小学生の時に妹がおもらしをして僕のクラス中にそれがバレてしまい帰り道に憤慨するシーンがあるんですが、これは事実をほぼそのまま描いています。これはほんとにひどい行為だったなと今でも思いますが、幼いころから障害者の妹をもつ兄というレッテルを貼られた当時の僕にとっての苦悩の末の行動でした。

この過去の出来事が大人になった僕の心の中にずっとわだかまりとして残っており、自分のしてしまった行為をやまゆり園の事件の加害者と重ねて苦悩したこともありました。もちろん、この過去も含め知的障害という題材を漫画にすることにも葛藤がありました。非常にセンシティブなテーマだし人それぞれの環境や立場、価値観が違う中で自分が描いていいものだろうかとも思いました。

しかし、過去を振り返りながら妹と向き合うにつれ、この漫画で本当に描きたかったのは「障害」や「きょうだい児」ではなく僕にとっての「家族」なんだと気づいたんです。

創作の中での変化

今回の漫画を描くにあたり妹の職場にも出向いたんですが、そこでは自分の知らなかった妹の一面や人間関係を垣間見ることができ、少しずつ妹の人となりが分かるようになっていきました。そして妹だけでなく、母、父、姉という自分と妹を取り巻く家族全員とそれぞれ意見を交わしたり価値観を共有する場をつくりました。

これにより自分が今後どう生きていくべきなのかという道筋が少しずつ見えてきた気がしたんです。家族のことを知ろうとすることで自分自身を知るきっかけになりました。

この漫画での主人公知幸はもちろん自分自身の投影ですし心理描写などはリアルに描いていますが、物語が進むにつれて話が過去から未来へと向かっていく中で、その未来の部分については僕がかつてできなかったことや願望を「知幸」というキャラクターを通して託した部分もあります。その反面、妹のモデルである「知恵」というキャラクターは僕の意思とか願望は一切入れず純粋で不変なものとしてできるだけリアルな妹に近くなるよう描いています。

全体を通して「血の間隔」という漫画はひとつの創作物ではあるんですが、自分にとってはエッセイに近い感覚で描いたように思います。漫画の中で知幸と知恵が成長しお互いを知っていくように、僕も妹と全く同じ感覚を体験しているように感情移入しながら描きました。

作品を通して伝えたいこと

障害やきょうだい児に対しての価値観というのは本当に人それぞれです。無関心の方もいれば日々悩み葛藤してる方もいらっしゃいます。ただ共通して言えるのは障害のあるなしに関係なく自分の周りにいる人を一個人としてしっかり向き合い知ることが必要なんじゃないかなと思います。今回の僕が描いた「血の間隔」は「家族」を知っていく物語でしたが、友人だったり、先輩、上司、さまざまな人間関係が存在する中で相手を知ればもっと自分や自分の周りの生き方が見つめ直せるんじゃないかなと思います。

ただ、もちろん知的障害というのは自分の範疇から逸脱することも多いです。相手を何とかして受け入れようとするのももちろん必要かもしれませんが、逃げたくなったら周りに相談し逃げるのも大事な選択肢の一つだと思っています。

相手をよく知り、自分を知り、自分にとって何が最良の選択かを見つめ直す。この物語はあくまでも僕の経験の話ですが、読んでいただいた方にはそれぞれご自身に立ち返っていただいて考えるきっかけになってもらえたら嬉しく思います。

障害がある人とない人の間隔。兄と妹との間隔。人と人との間隔。知ることによってその間隔をいかにしてつくり上げていくか。これと定まったものは何一つないと思います。人間関係の数だけ間隔があります。

今後もいろいろなジャンルの漫画に挑戦しようとは思いますが、この人間関係の間隔というテーマは僕の中で変わらず描いていきたいです。

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