沖縄の離島が挑戦する家族支援

「新ノーマライゼーション」2022年2月号

株式会社ビザライ 代表取締役
勝連聖史(かつれんせいし)

株式会社ビザライ(以下、ビザライ)が主な事業を行っているのは、人口5万5000人の沖縄県宮古島市です。ビザライが事業を開始したのは8年前ですが、それまでは宮古島に医療的ケア児を支援する施設が全くありませんでした。今回はそんな宮古島での現在の医療的ケア児の地域生活の様子をお伝えしたいと思います。

現在ビザライで行っている事業は約38事業です。そのうち重症心身障害児関連は、訪問看護ステーション、相談支援、居宅介護、重度訪問介護、移動支援、放課後等デイサービス、児童発達支援、保育所等訪問支援、居宅型児童発達支援、生活介護の10事業に加えて、入院時のレスパイト事業があります。その他の事業は、発達障害児へのサービス、就労支援、グループホーム、企業主導型保育園、生活困窮者の支援、若年妊産婦の支援、ニート・引きこもりの支援等、需要は多くありませんが地域の課題を解決するための事業ばかりです。

家族の不安を少しでも解消する

障害関連の事業の組み立て方としては、子どもたちの成長にあわせてサービスを展開し、利用者家族の将来への不安を少しでも解消することが目的です。

例えば、病院を退院したら在宅支援で訪問看護に訪問リハビリ、居宅型児童発達支援、居宅介護。家族のレスパイトや心に寄り添うために養育支援事業やピアサポート。体力がついてきたら、通所系サービスで児童発達支援。小学校に上がれば放課後等デイサービス、保育所等訪問支援。学校を卒業したら生活介護にグループホーム、就労支援といった流れです。これらの事業所のほとんどが一つの大きな建物の中にあるので家族にとっては将来の姿をイメージしやすいと思っています。この大きな施設も特徴的で、施設の中には障害児へのサービス(児童デイ)と健常児の保育園に訪問看護等が入っている医療と福祉と保育の多機能型施設となっています(図1)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で図1はウェブには掲載しておりません。

この施設をつくるきっかけとなったのはある医療的ケア児の保護者が、「この子たちを障害児の中だけでなく、健常児の中でも育ててあげたい」とつぶやいたことです。その想いをかなえるために保育園の運営と、関わるすべての子どもを1か所に集めるための大きな施設をつくりました。

子ども同士が可能性を引き出す

そこでの効果は想像以上です。歩行訓練を嫌がっていた子が、訓練中に保育園の前を通ると、年下の子にいいところを見せたいのか、嫌がりもせずに頑張って歩いていました。その結果、今まで自力歩行できなかった8歳の子がいきなり介助なしでも歩けるようになり周囲を驚かせています。さらには、保育園の子が医療的ケア児クラスに遊びに来たり、年上の発達障害の子が医療的ケアのある子に絵本の読み聞かせをしたりという想像以上の化学反応を起こしています。大人では伸ばしきれない才能は子ども同士で伸ばしあうんだなと感じています。

施設内では毎日いろいろなエピソードが出てきますが、そのうちの一つを紹介します。

口腔内を持続吸引している医療的ケア児と支援員がトランポリンで遊んでいるところに保育園の3歳児クラスの子が来ました。「おねえちゃん口に何がついているの?」と聞いてきたので、支援員は「なんて説明しよう?」と思い悩んでいるところに保育園の5歳児クラスの子が登場し「このおねえちゃんはこれが口から外れると死んじゃうから気を付けて遊んでね」と教えていきました。その後は一緒にトランポリンで遊んだようです。私たちはこのエピソードから「大人は遠慮や配慮といろいろ考えて物事を複雑にしているが、もっとシンプルに大事なことだけを伝えることの大切さ」を学びました。

家族の心に寄り添う

私たちが事業を行う上で大切にしていることは、「支援ではなく応援しよう」「私たちは、家族の戦友になろう」です。利用者と対等な関係を築き、通所している間だけの支援ではなく、できる限り家族の心に寄り添う家族支援を大切にしています。

家族がどのような決断を下したとしても、私たちはそれを受け入れていこうと考えています。私たちは、普通の暮らしを支えるプロフェッショナルでありたいと考えています。

そんな私たちが行っている普通の暮らしを彩るイベントを紹介します。

県立病院職員や救急隊員を巻き込んで医療的ケア児ときょうだいのためのイベントです。水上バイクに乗ったり、カヤックやサップに家族で乗ったり、人工呼吸器の子はバギングしながら、持続吸引の子は機械にビニール袋をかけながら海水浴をします。

地域のダイビングショップさんに協力してもらってのサンセットクルージングは、看護師と発電機を持ち込みながら行います。

エアコン完備の会場を借り切っての運動会やお遊戯会もあります。医療的ケア児のお母さんたちが自分の子のバギーを押しながら競争したり、玉入れや綱引き、リレーなどご両親ときょうだい児みんなが参加するイベントです。

その他にも健常の子だったら当たり前のイベントを医療的ケア児だからといって諦めさせずに地域を巻き込んで提供する。それが私たちの考える普通の暮らしです。

ここまで支援支援と書いておいてなんですが、私たちの仕事は直接支援をすることではなく、彼ら彼女らが普通の暮らしを送るための環境づくりだと思っています。子どもが幸せになるためには家族が幸せでなくてはならない。家族が幸せになるためには、家族だけでできないことを手伝ってあげなければならない。なので家族を含めた支援が大事だと思います。ここまでやったら終わり、ここから先は誰かの仕事ではなく、時にはハローワークになり、時には不動産屋になる。そんな何でも屋が私たちの考える仕事です。

医療的ケア児支援法に期待すること

この8年間で宮古島の医療的ケア児の生活環境は大きく変わりました。今までは、地域で生活できないという理由で環境の整っている都会へ引っ越していく家族がほとんどでしたが、今では逆に宮古島が整っているからと引っ越してくる人もいます。私たちがこの事業を始めてからは引っ越して島を出る医療的ケア児の家族はいなくなりました。

さて、昨年9月に施行された医療的ケア児支援法についてですが、この法律は医療的ケア児の支援を国や地方行政の責務とした点で画期的と評価されていますが、現状としてはまだまだ課題が多いと言わざるを得ません。

たとえば、受け入れるためには看護師が必要になりますが、地方は慢性的な看護師不足で、なかでも福祉看護師はほとんどおりません。医療的ケア児に対応できる看護師の育成次第で医療的ケア児支援法に中身が伴ってくると思います。

もう一つは、家族の就労についてはスポットを当てていますが、きょうだい児への支援については特に文言がないので自治体によって差が生じるのではないかと懸念しています。

この法律に対して家族や支援者からは地域の医療的ケア児に対する理解の広がりを期待する声が多く挙がっていますが、沖縄県での具体的な施策の実現はまだ議論も始まっていませんので、これからの動き次第となっています。

私どもとしましては、医療的ケア児支援法を一つのきっかけとし医療的ケア児とその家族が適切なサポートを受けながら充実した生活を送る社会の実現に向けて世の中が動き出すことを期待しています。

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