ひと~マイライフ-「世界は広い」ことを忘れないために

「新ノーマライゼーション」2022年2月号

大下歩(おおしたあゆみ)

1996年、神奈川県生まれ。網膜芽細胞腫により2歳で両目を失明。筑波大学附属視覚特別支援学校中学部・高等部を経て、国際基督教大学(ICU)卒。大学時代に中米コスタリカに留学。現在は大阪府の日本ライトハウスで、点字の図書の校正に従事。また、ganas(ガナス)というウェブメディアのボランティア記者として、世界の国々についての記事を書いている。

「…よかったー!」

編集長が送ってくれたリンクを開いて、私はほーっとため息をついた。見出しに踊るのは、「フィリピンで活躍する日本人コメディアンがいた!日本のイメージを笑いに変える」の文字。マニラで活動するお笑い芸人さんに、私がインタビューして書いた記事だ。3度の書き直しを経て、ようやく今日、掲載された。

私がganas(ガナス)というウェブメディアのボランティア記者を始めて、もうすぐ1年になる。ganasが扱うのは、アジアやアフリカ、中南米などいわゆる途上国に関する話題だ。私が書いた中でこれまでに載せてもらえたのは、コロンビアの先住民の子どもたちに紙芝居を見せる活動や、カンボジアで牛やヤギを貸し出す家畜銀行の記事などだ。

週に一度は書きかけの記事を編集長に見せ、フィードバックをもらう。インタビューで聴いた内容を正しく、わかりやすく、しかも読者が何度もクリックして読み進めたくなるような面白い記事にするというのは、想像よりずっと難しい。あいまいな表現を避けようとすればするほど、自分の理解の浅さに気づき、「確認しておきます」を連発することになる。仲間の記者たちにもアドバイスをもらいながら、一文ずつ吟味し書き直す。そうしてやっと、ganasの「新着記事」として多くの人の目に触れる。

その時の安堵と達成感。それは、リレーでなんとか自分の番を走り切り、次の人にバトンをつないだ時と似ているかもしれない。インタビューをする時、私は相手からバトンを受け取る。その人が取り組んでいる活動や、それに対する思いだ。私は記事を書くことで、今度はまた別の人にそのバトンを渡している。

ボランティア記者を始めたきっかけは、大学時代コスタリカに留学したことだ。コスタリカは、スペイン語を公用語とする中米の小さな国。常備軍がないことや、ナマケモノなど珍しい生き物の宝庫として知られている。

生まれて初めて、知り合いが一人もいない外国で過ごした10か月。毎日が新しい出会いや経験に満ち満ちていた。そして実感したのが、「世界にはまだまだ知らないことがたくさんあるんだ」ということだった。

たとえばチョコレート。コスタリカの先住民に伝わる伝統的なやり方で手作りした。カカオの実から取った種を、1週間発酵・乾燥させる。その種をかき氷機のような手回し粉砕機に入れて、細かく砕く。それをまな板に乗せ、温めた重い石の棒ですりつぶす。すると種の油分が全体に行き渡り、すばらしい香りのするチョコレートペーストになるのだ。

その、楽しくも骨の折れる工程を知ったことで、カカオすら取れない日本で私たちが日々チョコレートを食べられる不思議とありがたみに気づいた。私たちの生活は、遠い国の知らない誰かの力無しでは成り立たない。帰国してからも、レストランやスーパーや服屋さん、いろんなところから地球の裏側に思いをはせられるようになった。

世界にはまだまだ私の知らないことがたくさんある。私が記事を書くのは、そんな当たり前なことを忘れないためだ。望めばいくらでも情報が得られる一方、望まない情報はいくらでも遮断できる社会だからこそ、今自分がいるところの外に心を開いていきたい。

こう書くと、なんだかすごいことをしているように聞えるかもしれない。でも実際は、記事の提出が遅れたり、同じ言葉の間違いを繰り返したり。編集長には苦い顔をされてばかりだ。

それでも、世界のことをもっと知りたいから、そして何より楽しいから、私はこれからも記事を書き続ける。

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