指伝話の利用と意見

「新ノーマライゼーション」2022年3月号

結ライフコミュニケーション研究所 研究員
茉本亜沙子(まつもとあさこ)

私のこと

1980年、私は中学への登校中に交通事故に巻き込まれ、脳幹部を挫傷、無表情で声が出せない全介助となった。脳外科医に「世界的に希少な症例」と言われた私は、頭にスタイラスペンをつけた自助具「ヘッドスティック」であらゆる機器を操作し、これまでコミュニケーションをとってきた。

1982年に退院、1991年に入った療護施設でパソコンを使い始めたことで世界が広がり、自信になった。

2005年には一人暮らしを始めたが、「パソコンで指示が出せるから」と私にはサービス提供責任者が不要とされた。結果、派遣されるヘルパーとの間に認識の差があり、意思疎通に奮闘する日々が始まった。

指伝話との出会い

指伝話を知ったのは2012年。音声が聞き取りやすい指伝話で、ヘルパーとの交流改善を試みた。ヘルパーも私もイライラしてしまう時は、指伝話でお喋りをしてムードを和らげ、私の知っている英語で依頼をしたり、英語情報を教えてもらったり、話に花を咲かせる。

自分の言葉を指伝話メモリに登録する作業をヘルパーと一緒にやることで、ヘルパーにも私を知ってもらう機会をつくっている。

ヘルパーとの関わり

スムーズに見えるヘルパーとのコミュニケーションは、「茉本さんは一人で新人ヘルパーに教えられる」とヘルパー会社に思わせる結果となったが、大半のヘルパーは私が期待するような成長ができない。さらに辞めていくのも残念に思う。

しかしミスされることを恐れずに見守ることで、ヘルパーがミスをしながら学習していくのを感じている。

今の私

ロボットスーツHALでリハビリをするセンターに行った時(写真)、HALを着て立って動いたことで血流が良くなり、体験後数か月は常時サウナに入っているように全身が熱くなった。筋肉が動き出した私は自宅での自主トレ、民間療法、サプリメント、食事療法(合わないものは避ける)を始め、少しずつ変化していった。「やっと回復期が来た」気がした。

指伝話の使い方も改良を重ね、初心者ヘルパーともスムーズに話せている。現在は生活相談員がいるので、ヘルパーとの関係も改善され、私の睡眠状態も良くなっている。ヘルパーの皆さんに感謝している。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真はウェブには掲載しておりません。

これからの夢

病院を出ても本人が要望する生活場所・生活状態を目指せるようになってほしい。その生活に関わるヘルパーに、気持ちよく仕事を続けてほしい。そのためにはヘルパーもICTを活用するのがキーである。

私が機器を操作できない時にヘルパーが行動に迷ったとしよう。Siri(*)で指伝話を呼び出して機器から指示を仰ぐ、なんて夢を描いている。やりたいことはたくさんある。


(*)SiriはiPadなどのApple製品に話しかけるだけで操作を手伝ってくれる音声アシスタントです。

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