ひと~マイライフ-生まれ変わったとしても もう一度この特性で…

「新ノーマライゼーション」2022年5月号

神山忠(こうやまただし)

読字障害(ディスレクシア)当事者。57歳。小学4年生から新聞配達を始め、早く正確に配達する家を覚え褒められる経験をした。高校卒業後は自衛隊に入隊。その後、教員となりカミングアウトをし、文科省のデジタル教科書の位置づけに関する検討会議の委員などを務める。現在は、小学校で校務員をしながら、当事者、保護者、教員、福祉事業所、行政等からの相談を受けたり、大学等で教員養成講座を受け持っている。

ディスレクシアの特性がある人は、文字がゆがんで見えたり、黒いモノが紙の上に散らばっているように見えたりします。人によって見え方はさまざまですが、文章を処理することが困難なのです。

そんな特性のある私は、子どものころから教科書の文章を読むのが苦手で、内容の理解に時間がかかりました。そのため、人から誤解され、悪口を言われ、自分の不甲斐なさを責めたことが何度もありました。

小学校時代のある日、こんなことがありました。国語の時間、配られた読み物を黙読しなさいと先生から指示が出ました。読むのは苦手でしたが、何とか読もうと、人差し指で文字を一つずつ押さえました。しかし、まったく頭に入ってきません。

皆が静かに読んでいる中、見まわっていた先生が足を止めて言いました。「神山くん、まだこんなところを読んでいるの?」先生の声が教室に響き、そのひと言で友達の視線が集まりました。「おまえ、何しとるの?」「おれなんか2回目、読んどるぞ」馬鹿にする声があちこちから聞こえてきます。私は悔しくて、文字を追いかけていた指が震え、気がつくと涙がこぼれ落ちていました。

何とか皆と同じように教科書をすらすら読みたいと思った私は、「分かち書き」のように文章を区切ってみました。しかし、何度やっても正しい位置に入れられません。書き直しを繰り返しながら、ようやく斜線を入れ、分かち書きを完成させました。ところが、その教科書を見た先生に、「神山くん、何で教科書に落書きしているの」と注意されてしまいました。読みたいと思って一生懸命に工夫したことが認めてもらえない悔しさと、文字がすらすら読めない自分への情けなさで、やりきれない思いになりました。

徐々に自暴自棄になり中学・高校時代は乱暴な行為を繰り返していました。いつの間にか仲間との間に距離ができていて、誰からも理解されない孤独を感じました。

そんな中でも、私自身の内面の良さを認めてくれる人もいたのです。先生に注意されて教室にいるのが嫌になり、学校の中をフラフラ歩いていると、校務員のおじさんが、「おお、また来てくれたか」と笑顔で迎えてくれました。そして、校務員さんの手伝いをするようになりました。

高校卒業後、自衛隊に入隊しました。訓練を受ける中で、どんなに複雑な構造の機械でも分解や組み立てを誰よりも早く正確に行えることや、その構造を部下に分かりやすく教えることが得意だということにも気がつきました。それで、訓練後夜間の短大に通い中学校技術科の教員になり、子どもたちに自信と誇りを付けたいと強く思い始めたのです。

教員となり、文字の処理が不可欠な日々を過ごしましたが「自分のように苦しむ子がいない学校教育にしたい!」という思いで頑張ってきました。そして、自分がディスレクシアであることをカミングアウトして、理解啓発活動を始めました。全国で講演活動をしたりテレビやラジオにも出演しました。その中で、こういう配慮があると助かるという声をあげ続けることは、より成熟した社会の創造につながることだと感じました。そして、私の心に浮かんだのは「生まれ変わったとしても、もう一度この特性で生まれてきたい!」と感じられる社会にしようという思いです。

このように自分が自分らしく存在しているのは、次のポイントだと思っています。

1.自分の好きなこと、こだわれること、苦にならないことを認められる経験2.違う立場の存在を排除するのではなく思いや感覚を共有することでよりよくなれると感じられた経験3.普通からの脱却―自分はダメだ!変わらないとダメだ!という意識から抜け出せた瞬間

「あなたは、あなたのままでいいんだよ」ではなく「あなたは、あなただからいいんだよ」こう感じています。

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