障害学生である私が考える支援とコミュニケーション

「新ノーマライゼーション」2022年7月号

大学4年
山口直樹(やまぐちなおき)

はじめに

私は現在大学4年生の山口直樹と申します。中学2年の時に視覚障害者になりました。私の場合は弱視でまったく見えない訳ではないですが、眼鏡などで視力の矯正ができない状態です。視野の中心にモヤがあり見たいものを見ようとするとちょうどモヤが重なりよく見えません。顔の表情や文字など細かいものが特にわかりませんが、モヤがない周辺はある程度見えて白杖も使わないので視覚障害だと気付かれません。

大学に在学中の私が感じる大学の障害者支援の現状と課題について書こうと思います。見た目でわからない障害や、コミュニケーションに不安のある方の役に立てば幸いです。

大学の障害支援の現状と課題

私の大学の一例ですが、実際に受けてきた支援について説明します。

入学時にすべての校舎を歩きながら説明していただきました。授業面では座席の指定(授業中に席の移動が困難な場合や前の方に座る必要がある時)、授業資料の事前配布(授業中にスクリーンに映し出される資料は見えないため事前にメールで投影資料をもらって授業中に手元の端末で拡大して見るため)、テストや提出物の時間延長、提出期間の延長(文字を読むスピードへの配慮)、視覚の補助機器の使用許可などをしていただきました。

また、大学1年の時にアメリカの大学に留学した際も障害による苦労がないようにアメリカの大学と協力して支援していただきました。

次に私の感じる大学の障害者支援の課題についてです。

まず障害学生の就活支援は私の大学ではかなり弱いなと感じます。ただでさえ情報が一般的な就職より少ないので障害学生に特化した情報や支援が必要です。個人的には学校以外に外部のエージェントを活用して対策しています。

また、できない支援にはドライだということがあります。例えば、障害のある友人がコロナ禍でオンライン授業のサポートを申請したところできないと断られ、結果的に実家に帰り家族に助けてもらったそうです。

障害者支援室はハード面のみでなく相談しやすい体制、人材が必要だと思います。私の大学の障害者支援の部署に以前、とても気さくで障害のある学生をよく気にかけてくれる方がいました。その方と気軽に話すことで配慮をお願いしやすい面があったと思います。

ハード面の支援は大切ですが、障害者支援室と業務的な支援内容についてのみを話す関係だと、できない支援に対して一緒に考えて代替案を出すことなどは難しいです。それはお互いの理解がないとできないからで、普段からのやり取りが必要だと思います。

支援とは

実際に、より適切な支援を受けるには授業を担当する教授一人ひとりとのコミュニケーションがとても大切だと思います。具体的には初回の授業で必ず時間をとって挨拶をし、事あるごとにお礼を言い、会話を重ねることです。合理的配慮は障害者が実質的平等を得るための権利で保障されなければならないものですが、実際にその配慮をしてくれるのは人です。お互いの理解を深め遠慮をせず、正しく障害の自己開示を行ってどんな配慮がなぜ必要なのか伝えることが大切だと思います。

おわりに

私は現在(2022年春学期)休学しています。社会に出る前にやりたいことである音楽を本格的に行うためです。昨年の大学祭ではコピーバンドですが一番大きなステージに立つことができました。今もその仲間や友達にたくさん助けられています。

中学2年の時に目を悪くしてから突きつけられる現実は厳しいものですが、他人は自分が思っているよりも優しいのかもしれないと学びました。勇気を出して正しく説明すれば助けてくれる人はきっといて、それは大学のような組織でも友達関係でも同じことだと思います。

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