レクリエーション新時代~みんなでからみんながへ~1-障害のある人の「レクリエーション」をどう考えるか

「新ノーマライゼーション」2022年7月号

日本福祉文化学会名誉会員
薗田碩哉(そのだせきや)

1.障害者はレクリエーションを拒まれてきた

障害とともに生きる人たちは、さまざまな生活上の不便や妨げを経験して生きてきた。そうした生活上の「障害」に対する支援のうち、第1に課題となったのは、生活の基本である「食べる」「寝る」「排泄する」ことを円滑に行うことであった。次いでコミュニケーションの問題に焦点が当てられた。見えない、聴こえない、あるいは言葉を発することができなかったり、大きな困難がある人とどのように意思の疎通を図るかということが研究され、さまざまな方法が開発されてきた。その次は「移動」という課題である。特に車椅子を使う人たちが街の中を自由に移動することができるように、道路のバリアフリーやバスや地下鉄や電車への乗降を可能にする仕組みがつくられてきた。

最後に残ったのがレクリエーションである。人が人として楽しく生きていくことができるように余暇や遊び、趣味、娯楽(?)、総じていえばレクリエーションというものが存在する。これらもまた障害のある人たちには長く拒まれてきた世界である。障害があるのだから、好きなように遊べないのは仕方のないことだ、衣食住が保障されるならば、遊びまでは手が届かなくても仕方がないのではないか、というのが多くの一般人の感じ方であり、障害者自身もそれを受け入れてきた面もある。この国では、遊びやレクリエーションは、運よく与えられる僥倖(ぎょうこう)であり、無ければないで我慢するのが当たり前とされてきた。レクリエーションは生活の副次的な要素であり、人が人らしく生きるための不可欠の営み、換言すれば生きる権利の1つであるという意識は希薄だった。

こういう発想の根源にあるのは、かつての社会福祉が強固に保持してきた「劣等処遇原則」である。19世紀の前半にイギリスは世界に先駆けて貧者や病者を救済する福祉政策を確立するのだが、その時に「救済を受ける者の救済の水準は一般の勤労者の最低の生活水準よりもさらに低いものであらねばならない」という原則が掲げられた。救済の水準が高くなりすぎれば、多くの人が真面目に勤労しなくなると考えられたのである。それを打ち破る新たな思想は、ようやく20世紀も後半になってノーマライゼーションというキーワードのもとで広がることになる。すべての人が「健康で文化的な暮らし」をする権利があり、それを実現するのが社会福祉の役割であるという考え方である。この考え方が浸透するに及んで、レクリエーションもまたノーマライゼーションの課題の1つとして認識されるようになってきた。

2.「障害があってもできる」レクリエーション?

レクリエーション生活の充実を目指す社会運動としてのレクリエーション運動は、20世紀の初頭アメリカで始まり、世界へ広がっていく。日本でも昭和10年代から「厚生運動」の名のもとに取り組まれるが、折からの軍国主義と結びついて国家意識の高揚を目指す運動に変質してしまう。戦後はアメリカの占領政策の一環として新たな「レクリエーション運動」が国の政策として推進され、地域や学校で、楽しいスポーツや野外活動やダンスや合唱などレクリエーション活動が活発に行われてきた。高度成長期には全国の工場や事務所で若年層のための職場レクリエーションが展開され、その後は高齢化社会の到来とともに高齢者向けのレクリエーションが老人ホームの欠かせないプログラムとして定着する。しかし、障害者に焦点を当てたレクリエーション開発は、遅々として進まなかった。

障害者福祉の現場でレクリエーションへの関心が芽生えなかったわけではない。しかしそれらは「障害があってもできる」やさしく取りつきやすい活動に限られていた。卓球のラリーを普通に行うことが難しければ、ピンポン玉を転がして受けやすいようにして卓球まがいのゲームを行うという発想である。障害者のためを思って、すべてを安易に、簡便にという障害者レクリエーションに衝撃を与えたのは、1980年代になって、アメリカで行われていたrecreation for handicappedのプログラムが紹介されたことである。そのメニューには一般的なスポーツから音楽やアート、ハイキングや山登り、果てはスキューバダイビングからスカイダイビングまで、要は一般の市民が楽しんでいるレクリエーションがそのまま並んでいたのである。

つまり、障害者レクリエーションという課題は、障害があってもできる簡易なレクリエーションを進めることではなくて、障害者も当然に望んでいるさまざまなレクリエーション・プログラムに参加できるようにするためには、どのような支援を行えばいいかという方法を考案することなのだ。車椅子利用者が山登りを望んだ時に、それに応えるためには、どんな場所がふさわしいかということから、どんな服装、用具が必要か、支援者はどれくらい必要で、どんな役割を果たせばいいか…というような諸課題をクリアしなければならない。さまざまな試行錯誤を繰り返して適切な支援方法を確立できるように考究するのがレクリエーション支援者の任務ということになる。障害者レクリエーションを推進するということは、レクリエーションを人間的な権利として位置づけ、その権利の実現を目指す条件づくりや総合的な支援活動を生み出していくことなのだ。この認識は、わが国の障害者レクリエーションの貧しさを痛感させ、それを根底から変えることを考えざるを得なくしたという点で、障害者レクリエーションのコペルニクス的転換と言ってもいい事態であった。

3.「みんなで楽しく」から「みんなが楽しく」へ

その後、障害者レクリエーションの理念は、それなりに理解されるようになったとはいえ、現場のレクリエーションがそう簡単に改善されるわけではなかった。何よりも日本の社会は世界でも名だたる「余暇貧国」であり、過労死を招くような長時間労働がいまだに後を絶たず、週末の休みや長期休暇の量は、先進諸国はおろか途上国と比較しても見劣りする低水準にある。一般の勤労者のレクリエーション水準が低迷している以上、福祉現場のそれが大きく改善されることは難しい。まずは「権利としてのレクリエーション」を根付かせる社会運動が欠かせない。

それでも、レクリエーションの雄である旅行については障害者の世界でも大きな改善が見られた。かつては車椅子で街路を進むだけでも道路の段差をはじめ、さまざまなバリアが存在したが、現在では公共の文化施設はもちろん、街のカフェやレストランでも車椅子対応ができる所が増えている。バスや電車も全部ではなくても車椅子で乗れるようになり、飛行機を使う旅行も、特殊な車椅子が開発されて可能になっている。視覚・聴覚障害者にも点字ブロックの設置や手話通訳者の活用など、移動とコミュニケーションのための支援が拡大し、レクリエーションの充実にも役立っている。

とはいえ、入所・通所の施設におけるレクリエーションは、現在も集団的なレクリエーションの提供が主流である。「レクの時間」と言えば、集会室に集まって「みんなで楽しく」ゲームをしたり、歌を歌ったり、クイズを楽しんだり…という集団レクのイメージが強固に存在する。「レクリエーションはみんなでやるもの」というのが当事者にも支援者にも浸透している。しかし、人の個性が多様であるように、人の楽しみもまた百人百様であって、みんなですることばかりがレクではないのは当然のことである。レクリエーションを人が人らしく生きるため欠かせない楽しみと捉えるなら、一人ひとりの遊びや趣味が大切にされなくてはならない。みんなで楽しむのはもちろん否定されるべきものではないが、一人ひとりがそれぞれに楽しい体験を得られることも考慮されるべきであろう。「みんなで」ではなく、各人「みんなが」楽しむ機会を持てるようにすることが障害者レクリエーションの究極の目標である。


編集部注:今月号から「レクリエーション新時代~みんなでからみんながへ~」が始まりました。薗田碩哉氏は、長年にわたり軽スポーツなどの身体活動やアート、野外活動、旅などのレクリエーションプログラムを障害のある方々が楽しむための条件づくりやその推進について研究されています。今後、不定期に連載していきます。

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