レクリエーション新時代~みんなでからみんながへ~2-コロナ禍が問い直す障害者レクリエーションのあり方

「新ノーマライゼーション」2022年9月号

日本福祉文化学会名誉会員
薗田碩哉(そのだせきや)

1. 3密と移動の禁止がレクに与えた打撃

2020年から始まったコロナ禍が国民生活全体に甚大な影響を与えたことは言うまでもない。それはもちろんレクリエーション生活にも深刻な阻害条件となったわけだが、その中でも「3密と移動」の禁止はレクリエーションの息の根を止めるように作用した。

福祉現場でのレクリエーションといえば、前回にも述べたように、集会室に集まってゲームをしたり歌を歌ったりして「みんなで楽しく」過ごすことが広く行われてきた。これこそまさに密集・密閉・密着の典型ともいえる活動なので、いっさい行うことができなくなった。もう一種のレクリエーションは、日常生活を離れて他の場所に移動する「旅」型の活動で、これも広く楽しまれてきたわけだが、これらも全面的にアウトになってしまった。レクリエーションはまさに八方塞がりの状況になったのであった。

禁止されて初めて、これまで特別意識することもなく、至極当然のこととして行われてきた「3密活動と移動」という行為が日々の暮らしを活性化する上でいかに大切なものであるかということを痛感させられた。私たちの日々の喜びは、気の合った仲間と親しく集まって、言葉かけから会話、共同の動作などによって心と身体のふれあいを体験することから得られていた。また、毎日の同じような生活の繰り返しを破って、たとえ近所にでも「お出かけ」を試みることで、心身のリフレッシュをなし遂げることができていた。それらがみなご法度になって、われわれはまさに途方に暮れた。自由な時間をどのように過ごせばいいのか。また、交流や移動によって得られていた「レクリエーション効果」を何によって代替させればいいのか。

一般の市民にとってもこれは深刻な問題になったが、障害を抱えた人たちにおいては、それは一層困難な課題として現れた。特に入所施設で共同生活を行っている人々にとって―これは高齢者施設で過ごしているお年寄りにとっても全く同じことだったが―集会の制限、移動の禁止は大きな苦痛となったことは言うまでもない。物理的にはごく近くに暮らしていながら十分な交流を行うことができず、また、決して広くはない居住環境の中に押し込められていることは、コロナに罹患することにも匹敵するような辛い毎日を生み出すことになった。

2. 「おうちの余暇」「私のレク」の再発見

コロナ禍のもと多くの勤労者も職場に出ることができなくなって自宅待機となった。学校も保育園も閉鎖されて子どもたちも日がな一日家にこもることを余儀なくされた。在宅で仕事や勉強をするにしても長い「余暇」時間が残ることになる。どこへも出られない以上「お家」の中で余暇を消費するしかなくなって、多くの人が依存したのはテレビ視聴であり、スマホでのやり取りやゲームであり、読書や音楽やビデオを楽しむことだった。障害者の場合もむろん事は同様で、他者と交流しなくてもいい、自分だけの余暇を見つけ出すことに注力することになった。いわゆる「おうち余暇」の追求である。

そこで浮かび上がってきたのは「レクリエーションの個別性」の再発見という事態である。「みんなで楽しく」が不可能である以上、「一人で楽しく」を追求せざるを得ない。そして一人楽しむためには、前述した「ネット依存」ばかりが唯一の方法ではない。自分の関心のあるテーマを見つけて調べ物をしたり、ものを書いたり、詩や歌や俳句を作ったり、あるいは絵を描いたり、楽器を奏でたり、編み物や手芸を楽しんだり、プラモデルや日曜大工に打ち込んだり、庭があれば園芸を試みたり、あるいは一人瞑想にふけったり、それぞれの趣味や嗜好を活かした楽しみの追求が始まった。もともと日本文化は茶道華道に代表される多様な趣味の世界を開発し、それは知識階級ばかりでなく一般庶民にも広く浸透していたことに特色があった。一人前の社会人なら人に自慢できる趣味の一つぐらいは持っているのが常識とされ、だからこそ履歴書の記入欄には学歴や職歴に加えて「趣味」欄が設けられてもいるのである。個人のレクリエーションとしての趣味活動は、その人を理解するために欠かせない必須のテーマとして重視されてきたのであり、コロナ危機においてそのことの価値があらためて見直されたと言ってもよい。

3. オンライン余暇の隆盛

もう一つ、この2年余の期間に急速に普及したものとしてオンラインによる交流が挙げられる。もともと在宅勤務のツールとして生まれたパソコンを介した相互コミュニケーションは、仕事を越えて余暇の領域でも活用されるようになった。パソコンの画面に相手の顔を映し出して話ができるということは、気楽なおしゃべりをコロナ感染など気にせず楽しむことを可能にする。複数の参加者が同時に参加して相互にやり取りができるZoomのようなソフトが一気に普及することになった。Zoomを活用して遠く離れた家族や友人と話し合ったり、それぞれが飲み物を用意して、各自勝手に飲みながら歓談したりする「オンライン飲み会」のようなスタイルも普及した。

Zoomのプログラムの中に「ブレイクアウトルーム」というものがある。多くの参加者を数人の小グループに分けて、小グループの中だけで話し合いができるというまことに便利な方法である。全体のミーティングと小グループの間は出入り自由なので、小さく分かれて話し合ったら全体で集まって報告し合い、また、別の小グループを作って話し合うということが際限なく繰り返せる。3密で禁止された小集団をオンライン上で復活できるというのは、大変ありがたいことであった。もちろんリアルな会合でのように、それぞれの息遣いを感じ合うところまではいかないが、少なくとも互いの表情を読み取りながらコミュニケーションできるのは素晴らしい。

オンラインによるコミュニケーションの普及はレクリエーション生活にも大きな影響を与えている。私たちはこの手法を生かした新たなレクリエーション活動をあれこれ模索してきた。例えばオンラインによる「小旅行」というプログラムがある。これはZoomを使って参加者を集め、案内役はいろいろな映像を組みあわせて観光スポットを案内するというものである。ネットで提供されている「Google ストリートビュー」というアプリは、地図の中に入って移動しながら、その場の実際の風景を画面上で見ることができるもので、使ったことのある人も増えている。これを応用して「日比谷公園を散策する」というプログラムを実施してみた。参加者は案内者のガイド音声に導かれて、公園の中を動き回る。まさに自分が公園の中に入るような感覚を味わいながら説明を聞く。資料映像で公園の昔の様子が映し出されたりもするので、時空を超えたバーチャル旅行ができるということになる。こうした手法で障害者のレクリエーション生活を豊かにしていくことには大きな可能性があると思う。

4. 新たなレクリエーションへの課題

3密と移動の禁止は、確かに従来のレクリエーション活動を大きく妨げたというものの、それによってレクリエーションが本来持っていた大きな可能性が前に出て来たことは、コロナの効用とさえ言っていいかもしれない。われわれがこれまで進めてきたレクリエーションは、あまりにも限定された狭いものではなかったか。特に障害者の日常におけるレクリエーションは、その個別性においてもっと重視され、また、新しいIT技術を活用して、もっと魅力的で奥の深いものに変革することができるのではないか。コロナが過ぎ去った後に(それがいったいいつの日になるか今のところ見当もついていないが)、元の木阿弥に戻るのではなくて、コロナを奇貨として、これまでに行われてきたことよりもっと人間的で、より奥の深いレクリエーションを生み出していかなくてはならない。そうでなければわれわれがコロナを体験したことの意味がなくなってしまうというものだ。

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