ボチボチ早くも11月もあっという間に過ぎて、カレンダーも残りの一枚と少なくなって来ました。もう一年が終わってしまいます。曇ったり晴れたりです。皆さんは片付けをしていますか。
部屋の中も少しはちょっと片付けして、きれいにしましょう。
それでは気力も治して、どうかよいお年を迎えましょう。
前の家から長く使っていた炊飯器は白い色で良かったけど、古くなっていたのでゴミにして、新しいのをアマゾンで買いました。届いたとき、母さんがいなかったので、重たいものはもてないので自分で持つよりは箱を足で押しながら、部屋に運びました。母さんに後はちょっと任せる事にしました。色が濃い黒っぽい感じで、どうもしっくりきません。
10月23日の日は暑いくらいの気温で、中原養護で母さんと一緒に働いていた先輩の人が、川﨑の宮前区に住んでいて、お庭にバラが咲いているから見に来てくださいと言われて、コロナになってから3年ぶりに母さんの車で、いつも出かける時に手伝ってくれる母の友人と三人で出かけました。宮前区に住んでいる人とは17年ぶりに会いました。私の事もよくしてくれる人がいる事が何よりもありがたいです。母さんと手をつないで、その方の好きなバラの花が咲いているお庭を見ました。お茶を飲んでお人形とバラのお花をもらって帰ってきました。いい一日を過ごせられて良かったです。
11月3日の日、横浜の桜木町のにぎわい座で、私の保佐人をしている「つなぐ」の人達が集まって、楽しいイベントがあって、「行きますか?」と聞かれて、いってみました。新しいヘルパーさんと、いつものヘルパーさんと母と4人で、鶴見までタクシーで、桜木町まで電車にのりました。
にぎわい座まで車椅子を押してもらって行きました。にぎわい座の地下のホールでケビンさんと言う芸人さんが西城英樹のヤングマン、フォンチュンクッキー、V6の輪になって踊ろう、などを前で踊ってくれて、私達も合わせて踊りました。楽しめられる時間があったので、よかったです。
11月4日から9日まで、レスパイトで病院でショートステイを一応は行って参りました。
病室は3階の305号室で泊まっていましたが、何回も泊まっているもので、昼間は自分でやれる物は、ぬり絵をやっていたり相撲の番付表を少しはちょっとやっていたりして、それぐらいは、自分でもやれるのでいいです。ちょっと自分でも弱くなっている足元を見ながら、少しずつ足上げしたり回したりしてよく直そうと思っています。
所員の人や、いろいろな人がコロナに感染してしまったと連絡が入って来て、いままで感染してしまう人はあんまりいなかったのに、結局11日金曜日のハロウィーンのパーティーがやれなくて、ダメでした。どうしてこうなったのか思ったくらいで、せっかく声かけてくれたのに残念ながら私達は、私はガックリでなりませんでした。なんでこうなるのかと思うくらいでなりません。母さんが可哀そうがって、作業所の中に入らないで、おみやげだけもらいに行きました。家に戻って来てもどうしようもないくらいで残念で、母さんにくっついて涙をふいていたくらいでした。
11月26日に大相撲九州場所の千秋楽がありましたが、平幕の阿炎関が初優勝しました。横綱照ノ富士は両膝の調子が今一つだったのを見て、初日から休場になりました。直すために自分で考えて決めた事なので、しょうがないと思っていました。
千秋楽は、貴景勝、髙安、阿炎の3人が並んで、優勝決定戦になって、最初に高安が阿炎の変化で、クラクラして負けて、
次に貴景勝も負けて、その中に錣山部屋の阿炎関が見事な初優勝をしました。「びっくりした、まさに新しい人が優勝した」見応えのある一番でした。もっと違う他の技で勝ってほしかったです。
今年の星取表です。
五日の月曜日に記念に二人で着物を着て写真を撮りました。とても良い写真です。年賀状に入れます。その一週間後に母さんが具合が悪くなって、一人で淋しく過ごしていました。
誕生日の日も母さんが病院に行っていたので、一人で待っていてパソボラの兵頭さんや、母の従姉妹の友子ちゃんや、保佐人のつなぐの根岸さんがプレゼントや買物して届けてくれました。
夕方、母さんが帰って来て、コロナでなくて点滴してもらって元気になったと言って、ハグしてもらって良かったです。