令令和五年、新しい年の幕開けから、2月になって、いつもの生活に戻りました。
コロナも続いていてつまらない事ばかりですが、幸せな生活が送れるようになってほしいと思っています。少しずつですがいいように過ごせられるといいですね。
一月の始めは暖かくてぽかぽか陽気だったのが、急激になんと雪が降るような感じになってしまって、気温も低めになってしまって、あまりにも足の先や手から冷えているので、切なくなるような感じになって嫌になってきます。手首のところが冷えてしまって、看護師さんが来るときに手浴、足浴をしてもらって、温めてくれるのでいいものです。
1月18日の日は朝早くからリハビリセンターに行くので、いつもより早く起きるのもどうしようかと思っていたけど、あまりにもちょっと母さんに早く起きてよと言われるばっかりで私も嫌になって、ちょっとふてくされてタクシーに乗りました。新横浜のリハビリセンターに着いてから、新しい車椅子を作るために一度立ってみて母さんの手をつないで立たせてもらって、サイズ幅広くしようかとリハビリセンターの先生や車イスの会社の人といろいろと相談しました。最後に車イスのシートの色を決める時はすぐに決まらなくて、赤の線が入っているようなチェック模様にしようかなと思ってお願いして来ました。天気も曇りだったけど、あんまり寒くは感じませんでした。ラポールの食堂でピラフを食べて帰って来ました。新しい車イスが出来上がるのは3月すぎくらいで、もう一度リハビリセンターに行くようになっています。
1月9日から22日まで、大相撲初場所があって、結果の報告入れようと思っていましたが、遅くなって申し訳ありません。上位陣の奮起を願っていましたが、横綱の照ノ富士が両膝の調子がまだちょっと悪くて休場となりました。多分3月に入る前に少しずつ身体のならしをした後に、土俵に上がれるかどうかなと思っています。それ以外の力士達も、宇良、北勝富士、阿炎、玉鷲、琴ノ若、翔猿、若隆景達も伸びるかなと期待していたけど、でもダメでした。結局、大関貴景勝が久しぶりに12勝3敗で見事に優勝を果たして決めました。島根県出身の隠岐の海関が、もうちょっと白星がつくのを待っていたのに残念ながら引退しました。現役時代を振り返ってみると、楽しめられる相撲もあったなとインタビューを聞いて、淋しい感じになりました。
いつも一月の終わりにやっている全障研神奈川支部の冬の交流集会で会えなかったので、久々に私達世代の養護学校の教員をやっている人達二人と、母さんも入って4人で話したいなと思って、2月11日の二時からパソコンのズームで、おしゃべり会をやりました。
2002年の全障研神奈川大会に初めて私も参加した事や、奈良大会は「暑かったよねー」と話しました。台風が来た滋賀大会や鹿児島大会の話しを思い出しながら少しは話せました。
後はちょっと今やっている仕事が大変で困ると言う話を聞きました。40分でズームが切れちゃうので、何回も入りなおして4時までお喋りしました。最後に一度お花見をしたいねと言いながら終わりにしました。
朝から晴れている時は少しばかり歩くのもしています。マンションの竹垣がボロボロだったけど、きれいになりました。いつも散歩に出る時に通っています。
2月12日に「いちご大福を買いに行こう」と母さんに言って、駐車場まで歩いて車に乗って、梅ぞのに行きました。そしたら、なんと3月末で閉店と書いてあって、母さんはガックリしていました。車の中から潮田神社の梅を見れてきれいでした。
2月3日から8日まで、約一週間泊まって来ました。3階で一人で過ごしていて、やる事もなくて昼間は少しばかり水分を取ってもらいに行くなど、たまに看護師さんと付き添っては、お風呂に入ったりするなどしてもらいました。荷物を片付けもできるだけやれるところまでは、一応私がやっていました。