「山の学校」孤立を生まない共生社会を目指して

「新ノーマライゼーション」2022年10月号

NPO法人しんせい 理事長
富永美保(とみながみほ)

福島復興の着地点

しんせいは、2011年東日本大震災・原発事故の影響を受けた障がい者を支援するため活動をスタートしました。それ以来、私たちは障がい者の「孤立」とずっと向き合い続けています。頼りにしていた親戚や知人と離れたまま、避難生活を送る障がい者は少なくありません。しんせいで働く障がい者も避難所から仮設住宅、そして復興公営住宅へと居を移すたびに孤立は深まりました。自宅と福祉事業所の往復だけの単調な毎日に、「私は故郷のお墓に入ることができるのだろうか」「お正月、田植え、お盆、夏祭り…季節の行事は故郷が思い出されてニュースをみるのが苦しい」「ここ(避難先)では、しんせいの人と福祉関係者以外誰も知らない。淋しい」、時間が経つほど、そんな話が頻繁に聞こえてくるようになりました。生活が落ち着くほど孤立が身に染みて感じられるのでしょう。

けれど、障がい者の孤立は原発事故以前からの課題で、避難生活で孤立したとばかりは言い難いように思われます。もしかすると障がい福祉制度という高い壁に守られて、これまで一般社会と積極的に関わる努力をしてこなかったことが「孤立」を深めた原因なのかもしれないと私たちは考えるようになりました。しんせいは社会のさまざまな立場の方とつながることで、震災・原発事故後の困難を乗り越えることができました。福島復興では、所属、個性、文化、価値観が違う方々とパートナーシップを結ぶことの難しさと、それを上回る素晴らしい体験を幾度も経験しました。そのパートナーシップはコロナ禍でもしんせいを支え、強靭な環に成長しています。私たちはこのパートナーシップの環に、障がい者の孤立も生まない共生社会のヒントがあると確信して「橋架けプロジェクト」と名付けました。橋架けプロジェクトとは、所属、個性、文化、価値観が違う方々が行き交う橋を架け、その橋のハブ(hub)を障がい者(しんせい)が担うという意味です。しんせいが「東日本大震災・原発事故」で経験したこと、学んだこと、生まれたつながり、そのすべてを活かせる福島復興の着地点として、これから橋架けプロジェクトに力を入れていくことを決意しました。

橋架けプロジェクト~2019年「山の農園」スタート

震災・原発事故後の活動の中で、最も苦しかったのは2018年頃でした。復興特需は去り、福島復興に対する社会的な関心は薄れ、しんせいの売り上げもどんどん落ちていきました。「このままでは工賃を支払うことができなくなる。どうやって、復興事業から自立していこうか…」と悩む中、地域の農家である農地所有適格法人agrityと出会いました。「いつか故郷に帰って、農業の仕事につきたい」という夢を持つしんせいで働く障がい者に「一緒に農業をしよう」とagrityが協力を申し出てくれたのです。

2019年、agrityの協力のもと、しんせいは晴れて「山の農園」を開くことができました。山の農園の立ち上げに際しては、福島復興で関わってくださった首都圏の企業も駆けつけてくれました。日頃のスーツ姿からは想像もできないほど泥だらけになって土を運び、屋外の薪ストーブで豚汁をつくり、障がい者と一緒におにぎりを頬張りました。この思い出は語り継がれ「俺たちの農園」として、コロナ禍でも足を運んでくださっています。こうして立ち上がった農園では、これまで力を発揮できなかった障がい者もいきいきと活躍し「夢が叶った!」と仕事に励んでいます。

2020年には農園に加工場も建ち、近隣農家の出荷できない規格外野菜を使ってレトルトカレー作りの挑戦も始まりました。やっと復興事業から自立がみえ始めた2020年、コロナ禍が始まりした。震災復興以来、途切れることがなかった首都圏とのつながりも失うかと心配でしたが、あの日、泥だらけになって農園を整備した企業とのつながりが途切れることはありませんでした。「早くしんせいのみんなに会いたいな。コロナ禍が終わったら、農園で何をしようか?」と会えない時期も障がい者と一緒に夢をたくさん語り合いました。また、コロナ禍を機に、これまで弱かった地域でのつながりにも力を入れ、高校生(あさか開成高校)と研究者(国立環境研究所福島支部)という強力なパートナーが仲間に入りました。「コロナ禍が終わったら農園で何をする?」という首都圏の企業としんせいの夢に、地域のパートナー(農家、高校生、研究者)も加わり、みんなで「山の学校」を開くという計画を整えていきました。

橋架けプロジェクト~2022年「山の学校」スタート

2022年4月、満を持して毎月1回2日間だけ開校する山の学校がスタートし、持続可能となるよう事業評価も実施しています。

図拡大図・テキスト

山の学校のモットーは「ときどき先生、ときどき生徒」。参加する障がい者、学生、研究者、企業人の誰もが先生でもあり、生徒になります。金曜日は「しんせい」が共生社会体感プログラムを実施し、多様な方々で構成したグループで、作業(かまどでご飯を炊いたり、薪を調達したり、農作業や整備作業など)を行います。交流を兼ねた振り返りの時間は、グループで語り合い、一人ひとり文章にまとめていきます。「私は知らない人と話をするのが苦手でした。でも、山の学校で初めて会った人と一緒にご飯を食べたり、作業をするのがとても楽しくて…、本当は人と話をすることが大好きなんだと気が付きました」「こんなに笑ったのは久しぶりです。テレワークが中心の働き方になってよかったと思っていましたが、笑ったり、雑談したりすることを欲していた自分に気が付きました」などという感想もあがっています。

土曜日は研究者(国立環境研究所)によるフィールドワークや座学で、質の高い「環境学習プログラム」を受けます。質問コーナーは毎回、時間が足りず強制終了となりますが、「専門家と意見交換できるのがとてもうれしい」と休憩時間も研究者は質問攻めにあっています。また、高校生からのリクエストで「働くってなんだろう?」というグループワークも実施しています。このグループワークはNTT労働組合が中心となり、所属、個性、文化、価値観が違う方々の「働く」について意見交換を行います。「コロナ禍で、社会人とは学校の先生と両親くらいしか話す機会がありませんでした。いろいろな方の働くを聞けて、進路のイメージを持てました」という高校生からの感想がありました。社会人にとっても、仕事や人生の振り返りとなりたいへん好評なワークです。

先日、山の学校のステークホルダーが集まり前期の振り返りを行いました。アンケート調査の中で、金曜日の「共生社会体感プログラム」と土曜日の「環境学習プログラム」を受講し最後に、「私(参加者)は持続可能な未来に向けて何をすべきかを明確に提示してほしい」という要望が特に多かったと評価チームより報告されました。未来に向けてすべきことは何か? 活発に議論を交わした結果、「何をすべきか」は参加者一人ひとり違っているはずだ。山の学校は「私が何をするかを考える時間である」という共通認識を導きだすことができました。また、アンケート調査には「福島ならではの課題【放射能による環境の変化】について関心がある」「農園の環境を活かした自然エネルギー(風力・小水力・バイオマス・太陽光など)について学んでみたい」など、環境学習への意欲的な要望が多く寄せられていることも詳(つまび)らかとなりました。これらの要望を参考に、後期のプログラム内容も修正でき、「山の学校」はみんなでつくりあげていると実感したたいへんよい機会となりました。

橋架けプロジェクトの今後

山の学校は所属、個性、文化、価値観の違う方々が集います。美味しいご飯を一緒に食べて、いっぱい笑って、いっぱい話をします。お互いの距離がぐんと近くなり、自分と異なる考えに寛容になったという感想もあります。それぞれが行き来できる橋が架かり、その中心(ハブ)に障がい者がいることは大きな意味があると私たちは思います。2022年度は試験的に「あさか開成高校」と「NTT労働組合」にモニタリングのご協力をいただいていますが、2023年度は少しずつ間口を広げて参加者も募っていきたいと考えています。「山の学校」の次は「街の学校」。将来的には「農園」だけではなく、「街」にも学びの場を開き、橋架けプロジェクトを進行していく計画です。はてさて?どんな学びの場が街に開かれるでしょうか。みんなで夢を語り合い、わくわくの環も広がってきているようです。「東日本大震災・原発事故」から経験したこと、学んだこと、生まれたつながり、そのすべてを活かし、たくさんの橋を架けることで、しんせいは共生社会を目指していきたいと思います。

menu