再生

「新ノーマライゼーション」2023年1月号

鯖の味噌煮缶くん

私の生活が障害によって崩れていったのは高校2年生の夏頃でした。これは私の生活が崩壊し、そこから現実を見据えつつ夢を持てるようになるまでの話です。崩壊の兆しが見え始めたのは中学2年生の時でした。

中学校では1年生の時から吹奏楽部に入っていました。しかし同学年のメンバーとはあまり仲はよくありませんでした。そのうち先輩(当時3年生)と同学年(当時2年生)の間に亀裂が生じてしまい先輩たちと仲が良かったこともあり、板挟みになってしまいました。このことがかなりストレスになっていたようで、この頃から少しずつ自傷行為が始まっていったのです。この時はまだ自傷は酷(ひど)くありませんでした。音楽が好きで部活が好きだったからこそ、踏みとどまることができていたのでしょう。

高校1年生の時にクラス委員をやっていましたが、部活選びから少しずつ崩れ始めていました。元々は中学と同じ吹奏楽部に入ろうと思っていたのですが、それまでやっていた楽器をやらせてもらえず、部員も多くて嫌になり辞めてしまいました。そして合唱コンクールでもまた、やりたかった指揮をさせてもらえず学校生活のほとんどに嫌気がさし始めたのです。

2年生に進級してすぐから学校に行き辛(つら)くなってしまいました。この頃から無気力、自傷が酷くなっていきました。

3年生の時は、学校行事はおろか、授業にすら出ていませんでした。2年生の秋頃からメンタルクリニックに通ってはいましたが、これまでの症状が何なのかはっきりとはわからず、のちに現在通っている病院を児童相談所の職員に紹介されて行きました。そこで最初の入院となり、ここから入退院を3年程繰り返しました。

現在はグループホームで生活しながら就労移行支援の事業所に通所しています。私は現在通院している病院の主治医に「脱抑制型愛着障害」と診断されています。

「愛着障害」というのは養育者との愛着が何らかの理由で形成されず、子どもの情緒や対人関係に問題が生じる状態をいいます。そして「脱抑制型愛着障害」は愛着障害の中のひとつのパターンです。これは5歳頃までに発症し、周囲の環境が著しく変化しても持続する傾向を示す、異常な社会的機能の特殊なパターンなのです。私の症状では誰にでも無差別に愛着行動を示したり、注意を引こうとして見境なく親しげな振る舞いはするが仲間と協調した対人交流は乏しく、環境によっては情緒不安定になったりしてしまうものがあります。今ではこういった症状は和らぎ、顕著になることはなくなってきています。

最近は自分が撮ったゲームの動画を編集しています。ただ、同じような動画ばかり作っていてもこれを仕事にするとなるとさまざまなジャンルの動画を作れるようになったほうがいいと思い、通所している就労移行支援事業所のホームページに載せるための動画の編集もしています。この動画は事業所でやったイベントやプログラムの様子を撮影したものを使っています。今まではずっと生活リズムがずれて夜型と朝型を繰り返していましたが、通所しているうちに朝起きられるようになってきました。2023年の夏頃には就職したいと思っています。最近は情緒不安定や自傷等の症状が出なくなってきていて自分でも成長したな、と感じます。現在の私の目標はもちろん就職することですが、その先の夢があります。それは起業して自分の会社をつくることです。障害をもっている人ももっていない人も、さまざまな人が各々の能力を発揮できる会社をつくりたいと思っています。

ここまで長々と書いてきましたが、最後に私が伝えておきたいことを書きます。努力をすることにはちゃんと意味があります。頑張ればその分自分を変えられるのです。できる範囲で努力を積み重ねていけばきっと、やりたいことが見つかると思います。

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