ひと~マイライフ-人工呼吸器ユーザーの私にできること~インクルーシブ社会の実現をめざして

「新ノーマライゼーション」2023年1月号

折田涼(おりたりょう)

大阪府在住。1989年生まれ。脊髄性筋萎縮症1型により、生後6か月から人工呼吸器ユーザー。地域の保育所、小中高と進み、現在ヘルパー2人体制で自立生活を送っている。気管切開をし、食事は胃ろうからの注入。嚥下はできないが、舌に食べ物をのせて味わうのは大好き。特に、エビと桃が好き。

私は生まれた時から筋力が弱く、入退院を繰り返していましたが、生後6か月の時にミルクを誤嚥し、人工呼吸器をつけることになりました。当時は人工呼吸器はいつか外せるだろうと両親は思っていたそうですが、その後、脊髄性筋萎縮症だということが分かり、もう人工呼吸器は一生外せない、人工呼吸器が無ければ生きられないということが分かりました。そして、2歳まで生きられないと宣告され、気管切開術などの積極的な医療を受けることができませんでした。

ですが2歳の誕生日を迎えた頃、両親は人工呼吸器をつけた子の親の会(現:バクバクの会~人工呼吸器とともに生きる~)に出会い、人工呼吸器をつけて地域で暮らせることを知り、私と一緒に家で暮らす決心をし、1年間の人工呼吸器の調整と医療的ケアの練習などをして3歳の時に自宅に帰ることができました。

自宅に帰った後、家の天井を見て暮らすのではなく、地域で普通の生活をさせたいと両親は地域の保育所への入所を希望し、何度も行政と交渉して1年半かかりましたが地域の保育所に入所することができました。保育所では、人工呼吸器や重い障害があるからできないと言われたり、分けられたりすることはなく、どうすればできるかを考え工夫してくれたので、友だちと一緒にたくさんの経験をすることができました。

小学校入学の道のりも平坦ではありませんでしたが、教育委員会とも何度も交渉し、地域の小学校に入学することができました。小学校では、親の付き添いを4年間求められることになりましたが、学校生活自体は、先生も友だちもクラスの一員として普通に接してくれ、「できないではなく、どうやったらできるか」を常に実践してくれたので、より楽しく大切な場所になりました。どんな学校生活のどんな場面でも友だちと分けられることなく、ともに学び、ともに過ごせたことは私の人生を豊かにし、地域の中学校、普通高校への進学と、その後の自立生活へとつながっていきました。

現在私は、「NPO法人そらいろ」と「NPO法人ポムハウス」の代表理事をしています。そらいろでは、私を含めた人工呼吸器をつけた方や胃ろうや吸引などの医療的ケアが必要な方々が地域で当たり前に暮らせるよう2003年よりヘルパーの派遣事業を行っています。ポムハウスでは、2012年より第3号の喀痰吸引等研修を開催し、医療的ケアのできる人材育成を行っています。

さて、2022年10月7日国連の障害者権利委員会から分離教育の中止等を求める勧告が日本政府に出されました。世界的に見て日本はまだまだ分けられない教育(インクルーシブ教育)ができていないということです。その理由には行政や教育現場が変革に対して否定的であることや、人材を含めサポートする体制・設備が整っていない等がありますが、私は分けることは人権の問題であると考えています。私の経験からも人工呼吸器をつけていても、どんな障害があっても、地域の中でともに学びともに生きることは可能です。しかし、実際に人工呼吸器をつけた子どもが地域の学校から拒否されている現状があります。拒否されることの悲しみや苦しみ、つらさは当事者なのでとてもよくわかりますし、今も拒否されている子どもたちのことを思うととても心が痛みます。

誰もが障害の有無や種類で分け隔てされることなく行きたい学校に行けるよう、そしてゆくゆくはインクルーシブ教育だけではなく、障害があっても自分の住みたい場所に住み、自立して地域で生きられるインクルーシブ社会が実現するよう、これからも地域に根ざして暮らしながら、自分の経験を伝え、行動していきたいと思います。

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