困った人は困っている人。強度行動障害と呼ばないで

「新ノーマライゼーション」2023年10月号

一般社団法人全国手をつなぐ育成会連合会 副会長
小島幸子(こじまこうこ)

1. 強度行動障害と呼ばれてしまう息子の現在

私の長男(良太)は、32歳。最重度の知的障害がある自閉症で、障害支援区分は6、行動関連項目は22点で強度行動障害と呼ばれています。混乱すると大声を上げたり、近くにいる人を押したり、髪の毛を引っ張ったりの他害や過食、嘔吐、擦り傷を掻きむしり化膿してしまうなど自傷があります。またてんかん発作もあるので、常時誰かの見守りが必要です。生活介護事業所に週5日通い、訪問看護と訪問診療を月に1回ずつ利用しています。

良太は特別支援学校を卒業して生活介護事業所へ通いましたが、ある日から行き渋るようになってしまいました。困った私は「このままでは親子心中になる」と泣きながら相談支援専門員に電話したところ、父親が勤務先に行く前に施設へ連れて行くという方法(早朝の日中一時)を提案してくれて、ずっと継続して利用しています。

次に医療面のことですが、訪問看護と訪問診療を受けています。小さい頃は病気がちで年中病院に連れて行っていましたが、大きくなると丈夫になり、病院に行くことがなくなりました。いざ病気になると本人が強い拒否を示し、どうやっても病院に連れて行くことができませんでした。原因不明の高熱が続いた時「病院に行かなかったことが原因でこの子が死んでしまったらどうしよう」と、私は恐れるようになりました。そこで相談支援専門員に相談したところ市内の訪問診療、訪問看護を受けることができました。医師や看護師とそうは簡単に信頼関係を築くことはできず、医師とは1年以上ハイタッチのみで身体に触れることは許しませんでした。今では、コロナウイルスのワクチンも接種できるようになり、365日24時間、医療にアクセスできる安心感を得ています。

2. 強度行動障害と呼ばれてしまう息子の過去

良太は未熟児で生まれ、発達もゆっくりだと思っていたら、なかなか言葉が出なく、親の後追いをしない、抱っこしても身体をそらす、外遊びは、おもちゃのバケツの底に土をかけてそれをひっくり返すことを永遠に続けるなど、気になることがあり診察を受けたところ、3歳前に知的障害と自閉スペクトラム症があることがわかりました。祖父母と同居していて初孫だったのもあって可愛がられて育ちましたが、動きが激しく、かんしゃくもひどかったです。母子通園ホーム、言語療法、感覚統合訓練、市立保育園へ障害児保育枠での入園など、親としてできることは何でもやらなければ!と私は必死でした。特別支援学校に入学した時は、まだおむつも取れず靴を履くことも完全にはできませんでした。しかし、先生方の熱心な教育で身辺自立もだんだんにできるようになりました。今振り返ると母子通園ホーム、保育園、特別支援学校と多くの先生方に助けられてきたと、感謝しています。

私は、学校が家に近いということと学校に協力したいという気持ちがあり、小学部1年の時からPTA活動に関わりPTA会長は9年務めました。同時に「こんな重度な子どもの卒業後の進路はあるかしら」という不安から手をつなぐ育成会活動にも参加を始めました。PTAも育成会活動も先輩を含めて友達がたくさんできたことが私の財産だと思います。子どもの悩みから親の介護のこと、自分の病気のことなどを話せる仲間は心強いです。

中学部のあたりから、良太の精神面が不安定になり行動障害が見られるようになりました。私は主治医に「私の育て方が悪かったのでしょうか」と診察室で涙を流してしまったこともあります。主治医は「そんなことはない。一生懸命やってきたじゃない」と言ってくれました。そして「入所施設に申し込みした方がいいかも。すぐに入れないから」とも言いました。その後もいろいろなことはありましたが、飛行機に乗り沖縄に修学旅行に行ったりなど楽しい思い出とともに、特別支援学校を卒業して生活介護の事業所に通うことになり現在に至ります。

3. 強度行動障害と呼ばれてしまう息子の未来

良太と同じようなタイプの人のお父さんから「小島さんちは、将来どうするの? 直接聞いてみたい」とよく言われます。主人が定年を迎えて良太の送迎や身の回りの世話に協力してくれるようになり、余裕ができて息子も私も気持ちが楽になったと思っています。しかし、両親ともに無理がきかない年齢になってきたと実感しています。どちらかが良太の支援ができなくなったらどうしようという不安があります。

緊急時の対応については、栃木市の地域生活支援拠点である「栃木市くらしだいじネット」に登録しています。緊急時の良太の情報が冷蔵庫にあるカプセルに入っています。

そして相談支援専門員が自宅に予め用意してあるスーツケース(着替え、薬、お気に入りグッズなど)を持って良太と短期入所先に向かうか、緊急駆けつけで慣れた職員に家に介護に来てもらうか、になります。緊急時の漠然とした私の不安も冷蔵庫のカプセルやスーツケースという具体的なグッズを見るとスーッと落ち着くようになりました。

しかし、緊急時のことだけでなく将来の住まいの場のことも考えてしまいます。良太は、新しい場所、新しい人に慣れるまでにとにかく時間がかかりますし、大きな抵抗もあります。また「どこで誰と住みたいのか?」は良太の気持ちを聞かないといけません。

親は「この子のことは、私が一番良く知っている」と思いがちですが、施設では親に見せない表情をしているかもしれません。意思決定支援は良太をよく知っている人がチームで行わなければと考えています。将来の住まいの場としての候補は入所施設やグループホームがありますが、入所施設は常に定員いっぱいと聞きますし、第一聴覚過敏がある良太が集団生活に馴染めるか、と考えます。グループホームは、強度行動障害に対応できるところはまだまだ少ないです。良太は家で自分の部屋で過ごすととても落ち着いています。どうにかして親の支援なき後も夜間や休日は自宅で過ごせないか、重度訪問介護を利用できないかなどを考え、相談支援専門員とのモニタリングの時に話をしています。

4. 強度行動障害と呼ばれる人への支援で皆さんにお願いしたいこと

最近、私のもとに特別支援学校小学部高学年頃から行動障害が激しくなり、学校でも放課後デイでも2人の職員体制での支援を行い、相談支援専門員が入って短期入所も取り入れたりしているが両親の疲弊が激しいという相談がありました。同様のケースの相談が複数以上あります。

私は、幼児の頃からの専門家のアセスメントがとても重要であると思っています。医療は医師だけでなく作業療法士、言語聴覚士、MSWなどとの関わりが大切です。障害が見つかった時には、役所や保健所の保健師が初めての専門職でしょうか。そこから児童相談所、障害福祉課、担当の相談支援専門員、児童発達支援センター、保育園、幼稚園などその子どもの状態でいろいろな支援の方法があり、保護者の受容の仕方も人それぞれであり、一口に専門家集団のアセスメントといっても厳しい現実があるのが、今後の課題です。

また多くの人から「困った人」と言われている強度行動障害と呼ばれてしまう人たちですが、本人たちはいろいろな感覚に敏感で繊細な人で、どうやって表現していいかわからない「困っている人」なのです。強度行動障害という呼び名ではなくて本人やその家族が明るい気持ちになれる呼び名はないものでしょうか。

5. 最後に家族支援について皆さんにお願いしたいこと

強度行動障害と呼ばれてしまう人の保護者は自分の子どもが人さまを傷付けてしまったりすることを非常に申し訳なく思い、普通の精神状態でいられない人が多いです。またどこで子育てを間違ったのかなと自分を責め、自己肯定感の低い人も多いです。

さらにその状況を近くで見ているきょうだいも苦しい思いをしています。ぜひとも家族支援も考えていただけたらと願っています。

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