リウマチ患者の心のよりどころに~活動を次につなげる~

「新ノーマライゼーション」2023年11月号

公益社団法人日本リウマチ友の会 理事・長崎支部長
藤原節江(ふじわらせつえ)

はじめに

私は1999年に突然高熱が出て、全身が痛く解熱剤を飲むと熱は下がり、薬が切れるとまた熱が上がるという繰り返しが何日も続きました。また、寝返りが一人では打てない、羽毛布団を掛けることができなくて、その都度寝ている夫を起こしていました。病院で診察してもらっても、内科では風邪?整形外科では五十肩?手指が腫れていたので突き指?顎の関節の痛みも歯科では分からない。心療内科ではうつ状態?と言われ途方にくれ、最後は藁にもすがる思いでカイロプラクティックを訪ね治療を受けました。そこでは簡単に治せますと言われましたが、何日か通っても症状が改善しないので総合病院を受診するように勧められました。今考えるとお恥ずかしいのですが、医師に不信感があったのと「指がこわばる」という表現力を持っていませんでした。

総合病院での担当医師はそれまでの経過をよく聞いてくださり、4週間後に初めて「リウマチ」という病名を告げられステロイドを大量に処方されました(のちに知ることになるのですがリウマチ専門医ではなかったのです)。薬局に知り合いが勤めており、必ずこの胃薬を飲むのを忘れてはいけないと言われました。もしかしたらこの薬は怖い薬ではと感じ、帰りに「リウマチ」に関する本を購入し読みました。友人たちに「リウマチになった」と発信し続けると「リウマチ」の良い先生がいると教えられていたさなか、4週間後にこれで服用は終わりですと告げられました。その頃には痛みは取れていましたが、念のため友人に勧められた医師を受診しました。それまでの経過と服用していた薬を話すと「あなたはこのままだと死にますよ、大量のステロイドを服用して突然止めると」と言われ薬の説明を受けました。「大量のステロイドで痛みが取れただけで根本の治療をしていないので入院してステロイドの減薬とリウマチ治療を始めましょう」と言われ、初めてリウマチ専門医のいることを知りました。

入院した病院はリウマチ膠原病センタ―で、2週間に一度患者に「リウマチ」に関する講義があり、きちんと治療をすれば昔のように恐れる病気ではないと教わりました。ロビーに「日本リウマチ友の会」(以下、友の会)発行の広報誌『流』が置いてありました。『流』には「リウマチ」の詳しい説明や生活のヒントなども載っていて、入院患者に友の会のことを尋ねたところ、「自分の病気を知って治療を受けるほうが知らないで受けるより全く違うと思います。私は友の会の会員ですよ。賢い患者を目指しましょう!!」と話してくれました。私は退院後すぐに「日本リウマチ友の会」に入会しました。

日本リウマチ友の会との関わり

年に数回開催される広島支部の講演会や交流会に参加し「賢いリウマチ患者」になるべく生活をし、治療により病状は落ち着いていました。手仕事が好きだったのと母たちより譲られた着物があったので薬を入れる巾着袋などを作り傍にいる方たちに使っていただいていました。その袋物が当時長女が住んでいた長崎県島原市のギャラリーの目に留まり作品展をしてみないかと誘われました。不安と体調のこともありましたが意を決して作品展を開催をさせていただきました。そのことが友の会の『流』に掲載され、後日ギャラリーより電話があり「島原に来た時にぜひお会いしたい」という方がいらっしゃるとのことでした。その方が友の会長崎支部の委員さんだったのです。お互いリウマチ患者というだけのご縁でしたが、何度かお会いしていつも励まされました。数年後長崎県に移住をする際はリウマチ専門医の紹介等をお願いし、迷うことなく専門医に受診することができました。

長崎支部の講演会や交流会に参加していましたが、3年後に長崎支部が休会になり途方にくれました。本部がリウマチ医療講演会を開催した時に、そこで支部の存続が話し合われたそうです。支部長以外の委員は皆さん手を挙げてくださったそうですが支部長だけは決まらず、会長より「長崎支部長のなり手がいないのでぜひ引き受けてほしい」と突然電話がありました。全く寝耳に水で驚きました。私は他県から引っ越してきていて長崎のことが全く分からないし、パソコンなどの操作もできなくて、長崎支部のことも分からない私には無理ですと固辞をしました。長崎支部休会中に友の会は、一般社団法人から公益社団法人に変わったのですべて本部がバックアップをするからぜひにと説得をされ支部長職を受けることになりました。それが悪戦苦闘の始まりでした。

新しく委員になった方たちと何をするにも手探り状態でした。支部長を引き受けた私はそれまでは専業主婦で事務的なことは全くの素人で、例えば用紙にA4やB5といったサイズがあることさえ分からなくて、ずいぶん委員に迷惑をかけていました。講演会開催にあたり講師への依頼状、講演後の礼状、支部報に掲載をする記事の依頼状、礼状、支部報の記事の作成等すべて手書きでとにかく時間がとられ、その上シンプルに仕上がらないのが悩みの種でした。メールができない私は、講師の先生方への連絡手段は電話・ファックス・手紙でしたが、とても好意的に接していただきました。しかしこれでは効率が悪いのでパソコンを始めようとした矢先、バスを降りる際転び左膝蓋骨骨折し3か月入院しました。その際病室にパソコンを持ち込み説明書を片手に操作の仕方の勉強をし、分からない時は看護師の方々に尋ねどうにか操作ができるようになり、入院中に支部の広報誌『会報ながさき』の手配もできました。

全国的にいえることですが、長崎支部も会員の高齢化で会員は減少しています。その中でどのようにすれば「関節リウマチ」で悩んでいる方に情報をお届けできるかということに苦心をしています。幸い県内のリウマチ専門医の方々がとても協力してくださるおかげで年2回のリウマチ療養医療講演会・相談会を開催しリウマチ患者に情報をお届けしています(コロナ禍の時を除いて)。長崎県は島が多いのですが五島列島、また大村地区でも開催をしました。

結び

今年支部創立46周年を迎えました。これまでの支部長はじめ、委員や特別会員の医療者、会員家族、製薬企業等の方々のご協力に支えられての支部活動です。先人たちがどのような時も知恵を絞りながら運営をしてきたことに思いを馳せ、休会中の心細かった時のことを思い次につなげていかれればと、また「リウマチ患者の心のよりどころになりたい」との一心でもう少し活動をしていければと思っています。5年に一度友の会会員にアンケートを行い、その結果をもとに『リウマチ白書』を作成しています。『2020年リウマチ白書』に掲載されているアンケート結果の一部を掲載し結びにかえます(図1、2)。

図1 会員でいる理由 正しい知識と情報を求めて
図1 会員でいる理由 正しい知識と情報を求めて拡大図・テキスト

図2 入会後の変化の内容 正しい知識を得て不安が減少
図2 入会後の変化の内容 正しい知識を得て不安が減少拡大図・テキスト

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