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2004年CSUN カンファレンス「障害者と技術」:基調講演(抄訳)

ヴィントン・G・サーフ博士
MCI社 データ・アーキテクチャ技術部門 常務取締役

項目 内容
会議名 2004年 C-SUN会議(障害者支援技術会議”テクノロジーと障害者”)
発表年月 2004年3月 カリフォルニア州 ノースリッジ(アメリカ)
備考 英語版:原文

皆さん、本日はこんなに早い時間にお集まりいただきありがとうございます。昨晩私は、支援技術の利用や導入に私よりもずっと深く関わっていらっしゃる皆さんのような方々を前に、私のような者がお話しするのは、大変気が引けると申し上げました。ある意味で、私は、基調講演者とはいっても、既に皆さんによって全般的に提起されてきた以上のことは、示すことができないような気がしております。しかし私は、インターネットの世界で何が起こっているかについて皆さんにご紹介するため、最善を尽くしたいと思います。

今日の午前中の講演で、皆さんに一つだけ、これだけは覚えて帰っていただきたい言葉があります。それは、私の元上司、ボブ・ハチャリク氏の言葉です。ボブは以前Time Net社の社長でした。そして、MCI社で後に「MCIメール」といわれるプログラムを立ち上げました。私はこのプロジェクトのエンジニアでしたが、ボブにこの立ち上げの時に、「君達がこのプロジェクトを終えるまで9カ月ある。事実上何もないところから、商業用の電子メールサービスを作ってくれ。」と言われたのです。そしてボブはボードに「不可能なことを可能にするには、最初に、それが不可能ではないと信じなければならない。」と書きました。ある意味で、これはまさに皆さんが毎日やっていることです。つまり、不可能ではないと信じているからこそ、不可能なことに挑戦し、それを可能にしていくということです。そこで、今日は、「不可能なことを可能にする」、というテーマでお話しします。なぜなら私たちは不可能ではないと信じているからです。

それでは、まずインターネットの世界で何が起こっているかについて少し大まかにご説明しましょう。なぜなら、インターネットは、私達が毎日使っている、様々なことを可能にする数多くの技術のうちの一つだからです。

初めに過去5,6年の間にインターネットに何が起こったかについて統計的な情報を少しご紹介することから始めましょう。1997年中頃には、全世界でインターネットを利用する人は5000万人ほどであったと推定されます。そして2003年末の今、推定で8億から10億もの人々がこれを利用しているものと思われます。もちろん、実際の人数は分かりません。というのは、誰がインターネット・ユーザーであるかがわかるような、全ての利用者が登録しなければならない所が無いからです。また、インターネットの設備が共有で使われている場合も大変多いので、利用者数がはっきりとつかめないことが多いです。このあとすぐ、実際に、そのような例をいくつかご覧に入れましょう。インターネットがどこまで普及したのか、そして人々がどこでそれを利用しているのかという点につきましては、これらの統計結果から、かつて北米に集中していたのが、いかに短期間で世界中に広まっていったかをご覧になって、皆さんは非常に驚かれるでしょう。カナダ、アメリカ合衆国、ヨーロッパそしてアジア、環太平洋諸国、これらの国々には全てほぼ同じようにインターネット・ユーザーがあふれており、その数はそれぞれおよそ1億8千万人から1億9千万人に上っています。一方、南米、アフリカそして中東では、インターネットの規模は小さくなっています。中でもアフリカは、10億の人口を抱えているのに、現在推定で6百万人程度の人々しかインターネットにアクセスすることができないでいることから、非常に大きな課題を持っていると私は考えています。また、アジア太平洋地域では、ユーザーの絶対数が今後大きく増加するものと思われます。というのは、それぞれ10億を超える人口を抱えるインドと中国を含めば、この地域は巨大な人口の中心地であるからです。ですから、長い年月をかけて少しずつ、私の考えでは今後2010年までの間に、アジア太平洋諸国は、おそらくインターネットのユーザーが最も多い地域となるでしょう。この未来に向けた予測がこのまま実現すると考えるなら、2015年までには、約25億人から27億人のユーザーが見込まれることになります。しかし、その増加の仕方は、少し普通と異なるでしょう。約2005年或いは2006年までは、急激に増え、そしてその後は、増え続けはしますが、少しペースは落ち、おそらく2015年までに世界人口の約45%程度まで達するものと思われます。少しペースが落ちると考える理由は、インターネットをそれまで利用していなかった世界各地へ普及しようとする際には、まず経済的な問題にぶつかるからです。これは、比較的経済状態が悪い所、つまり利用可能な所得が他と比べて少ないところへ新たなコミュニケーション機能を導入しようとするからです。更に、世界の地域によっては、基本的なコミュニケーション・インフラストラクチャーが、未だに非常に不十分な発達しかとげていないという問題もあるでしょう。優れた電信インフラストラクチャーなしでは、インターネットサービスを導入することは難しく、私は次の10年間は更に難しくなっていくと考えています。しかし、それにも関わらず、ネットは成長し続けていくと思います。

次に、技術的なことに関する私の所見を述べたいと思います。これからお話しすることは、私達がインターネットでやろうとしているようなことに非常に深く関わっており、それを可能にする力を持っているからです。インターネットの重層アーキテクチャのうち、インターネット層は、二つの大変興味深い属性を持っています。一つ目は、伝送の仕方にこだわらないということで、インターネット・パケットは無線、衛星、光ファイバー、或いはツイストペアケーブルなどを通じて伝えられます。つまり、事実上、どのような通信システムでも、コンピューターの情報を伝えられるものならすべて、インターネット・パケットを伝えることができるのです。そしておそらく、更に重要な点は、インターネット・プロトコルが、伝送するものを選ばないということでしょう。ですから全てのインターネット・パケットは、ウェブ・ページやデジタル音声、又はデジタル映像、そして電子メールを少しずつ運んでいるといえるのです。インターネット・プロトコルは、デジタル化できるものなら何でも運ぶことができます。しかし、何を運んでいるかについては関知しません。ですからインターネット層のプロトコルは、基盤となる伝送環境からのアプリケーションは区別して扱うのです。つまり、アプリケーションが何かは全く関係ないわけで、これにより、規制や技術的なことに影響が出て来ます。基本的な伝送システムはもう関係ないのですから、インターネットは、事実上何でも移送することができるのです。

ここでもう一度確認しておきたいのは、もし適当な場所にインフラストラクチャーをうまく設置できれば、ちょうど壁にコンセントを差し込めば当然電気が得られると考えるように、人々はインターネットを身近に当然のごとくあるものだと感じ始めるということです。たとえば皆さんの中には車椅子が必要な方も多くいらっしゃいますが、そのような方々の立場で考えていただくなら、どこにでも皆さんが必要とするスロープがあるということです。こういうことを実現するために、私たちは一緒に取り組んで行かなくてはなりません。しかし、いったんこのようなインフラストラクチャーが適切な場所に設置されてしまうと、今度は人々がそれに依存して、頼り切ってしまうことに気がつき始めるでしょう。人々はインターネット・プロトコル層があって当然と考え、そしてそれを前提に更に新たなアプリケーションを作りだし、この構造的な層を成すプロトコル・アーキテクチャの頂点に安住することになるでしょう。

ところで、インターネット上には、非常に多くのアプライアンスが出現し始めています。それはインターネットに接続ができるもので、30年前、私たちが国防総省の研究プログラムとしてこのプロジェクトを始めたときには、このようなことは全く予期していませんでしたので、正直言って本当に驚いています。今ではインターネットに接続可能な冷蔵庫や、額縁、電話、その他多くの機器があります。これらのインターネットにおける存在は、この未来の技術がどのように展開していくかに関して、非常に多くの意味を持っているので、これについて少しお話ししたいと思います。

まずインターネット電話通信について少しお話ししましょう。これの興味深いところは、ここでは音声が、デジタル化が可能なもう一つの媒体に過ぎないという点です。このため、インターネットを通じて音声による情報を運ぶことができるということは特に驚くべきことではないわけです。しかし、私が皆さんに強調したいのは、インターネットが利用できる機器があれば、可能性の幅が広げられるということです。例えば電話でしたら、普通の電話の世界、つまり回線交換方式によるナローバンドの音声の世界では実際はアクセシブルではない分野への可能性も広がるのです。なぜ私がこのような大胆な意見を述べるのかと皆さんは思われるのではないでしょうか?いったん、ある機器を、インターネットが利用できるようにすると、それは事実上、インターネット上の他のどのインターネット機器とも、相互に伝達し合うことができるようになります。もちろん、両方の機器のソフトウェアが適合し、互換性があると仮定すれば、ですが。つまり、私たちが電話だと考えている機器を使って、インターネットに備わっていて、プロトコルのインターネット層を通じて入手できる、他のコンピューター関係の機能、或いは変換能力を利用できるということになります。ですから、電話のように見えるものを使って、二者の間の相互通信をはかるというその通常の機能を実行しながら、実際には非常に多くのコンピューター操作を行うことができ、また、非常に多くの変換を行うこともできるわけです。

自動的に中継サービスを提供し、音声対テキスト、或いはテキスト対音声という変換を行う機能が、端末相互間のコミュニケーションを補うために必要とされる場合、もともとインターネット・アーキテクチャの一部となっていて、これに備わっている機器を使えば、もっとずっと自然な形で実行することができるでしょう。私は皆さんにこのことについて考えていただきたいのです。なぜなら私は、インターネットが利用できる数々の機器は、この豊かでどんどん複雑になっているインターネットの環境下で私たちが利用できる他の機能全体を、氷山の一角程度の規模に簡単にまとめたものと考えられるからです。

それでは、このインターネットが利用できる機器が増えてきたという流れを受けて、既に今日見ることのできる、或いは確信を持って今後の出現が予測できる2,3の実例を少しだけお話ししましょう。現在では、インターネットの環境下で使われる数々のプログラミング言語が普及しており、JavaとかPythonという名前で呼ばれています。これらはインタープリター言語であるという特徴があります。そのために、インターネットを通じてソース・プログラムを伝達し、それを対象となる機器にロードし、少し前までは無かった機能を追加することが、実は非常に簡単にできるのです。機器が学習することに基づいて、その機器を改良するというこの機能は、ニーズもあり、また、非常に有効な機能であるといえます。

最近、RFID(無線周波数識別装置)と呼ばれる新しい技術が見られるようになってきていますが、これは現在、高速道路でよく使われています。車のフロントガラスの上に小さな装置を載せるのですが、これは受動装置で、料金所を通り抜けるときに無線でエネルギーを受け取り、その無線エネルギーが電気に変換され、装置自体が、皆さんもご存じとは思いますが、それがどの車に載っている装置で、どの口座番号から通行料を引き落としたらいいかを示した無線信号を発信するのです。私はいつも、これが本当のところどうやってうまく操作されているのか、どうして近くの他の車全ての分の料金を支払わずにすむのか不思議に思っていました。まだその理由は分かりません。でも、これまでの所、うまくいっているようです。

さて、皆さんがインターネットに接続できる自動車を持っていると、ちょっと想像してみて下さい。その車はGPS受動装置も備えていて、車のコンピューターは、車がどこにいるかがわかるとします。車の中には他にもインターネットに接続できる装置があります。例えば、ポケベルや携帯電話、或いはPDAなどです。そうなると、車の中のこれらの装置が集まって、インターネット技術を使って互いに通信できる、小さなローカル・ネットワークが作られるわけです。皆さんは道路を運転していて、携帯電話を通じて、インターネットにつながれたコンピューターに、「一番近いATMはどこ?」と尋ねます。さて、コンピューターは、皆さんがその質問をしたとき、どこにいるかの、或いはいたのかを知らない限り、その質問に答えられません。しかし、車の中にあるローカル・ネットワークの一部である携帯電話を使えば、GPSに「いまどこにいるのか?」と尋ねることができるのです。そしてそれを音声とともにデータとして、ATMがどこにあるかという質問を理解しているコンピューターに送ります。コンピューターは二つの情報を取り入れて、インターネットにつながれた、地理的な指標のデータベースを備えた別のコンピューターに送り、回答を得て、それを通訳し、音声で返信します。皆さんは、「2ブロック先の角を右へ曲がったところにあります。」というような答えを聞くことになるでしょう。そして同時に、車の中のナビゲーション画面もインターネットに接続することができ、IPアドレスを持っていて、そのIPアドレスも質問を理解しているコンピューターに送られるので、コンピューターが地理情報を得て、ナビゲーション画面に地図を送り返して来ます。

このようなことで、法外な額のお金をもうけることができるわけではありません。しかし、私が強調したいのは、これはインターネットに接続可能な機器が、グループとして機能を果たすよう、短い間ではありますが一つにまとめられた例であるということです。もちろん、これらの機器は他のニーズを満たすことにも使えるでしょう。このように、このインターネット接続可能機器による、瞬間的な共同作業は、考え方としても非常にその効果が期待されることから、私はこれが将来あらゆる種類の製品及びサービスの創造の原動力になるものと信じています。

少しばかげているように聞こえますが、サービスの記録、或いは経験したことの記録を残しておく必要があるシステムは多いです。長期間に渡り点検が必要な自動車のエンジンなど、この技術を使えばその点検記録を全て簡単に維持することができます。他にもこれに似たような分野がありますが、それは、インターネットに接続可能な衣服です。いくつもの利用例はありますが、中でも、バイタルサインを記録することに関心が寄せられています。ある特定の医学的な問題について判断するために、観察が必要な人に適用されるわけです。皆さんの多くは、そのような状況をよく理解していただけるものと思います。もちろん、宇宙飛行士を宇宙に送り出すときにも、そのバイタルサインを追跡し続けられるように、通常、衣服にこのような装置を備え付けます。

それでは、ここで少し見方を変えて、支援技術全体に焦点を当ててみましょう。私は支援技術の専門家ではありません。私はそれを発明する人間ではなく、それをどうやって使ったらいいか考える人間です。私は皆さんと、皆さんの製品を使うユーザーと、私の妻を見ながら、これらの支援機器がうまく働くようなインフラストラクチャーを供給する手伝いをしようとしているのです。とりわけ、私の妻、シグリッドの話は、それが実例であるという点で、非常に重要だと考えています。シグリッドは、3歳の時に聴覚を失いました。しゃべれるようになってから聞こえなくなったわけで、そのため多少は普通にしゃべることができますが、聞くことの方は、長い間全くできませんでした。

1996年に妻は人工内耳の移植手術を受けました。皆さんの多くはきっとこの技術をご存じのことと思いますが、驚くことに、これは外来でできる手術なのです。朝病院へ行って、移植をしてもらって帰宅するのです。2,3週間後、全て快復すると、装置を作動させます。重要なのは、患者はスピーチプロセッサー(言語合成装置)を持っているということで、それが実際には内耳、中耳及び外耳の機能を果たしているのです。このコンピューターは、本質的に、「聞いている」のです。そしてそれは、内耳の蝸牛殻の中の聴覚神経を適切な電子信号で刺激し、脳に、本当は違うのですが、耳が実際に機能していると思わせる方法を知っているのです。ですからこの小さなコンピューターは、人工内耳移植技術の仕組みの中では、恐ろしく重要な部分であるわけです。

シグリッドは移植を受けると、50歳のティーンエージャーになってしまったようでした。電話から引き離すことができなくなってしまったのです。これは信じられないことでした。電話会社からの勧誘の電話にまで出て、「どうやってその仕事を見つけたの?」などとおしゃべりをしていました。妻は特にAT&Tからの電話が好きで、15分くらいは楽しく話し続けました。そして最後に相手が、「電話会社をAT&Tに替えませんか?」と切り出すと、もちろん、「いいえ、夫がMCIに勤めていますので、それは無理です。でもお電話ありがとう。」というのです。しまいには、妻も夕飯の最中にかかってくる電話に少しうんざりしていましたが、それでも、50年間の溝を埋めるかのように、出られる電話には全て出ていました。このように、妻はスピーチプロセッサーに補助的に備わっている音声入力機能を、支援機器として利用していたわけです。

それから妻は、テープやCDに録音されている図書を聞けるようにCDプレーヤーを手に入れました。妻は図書館に電話し、「テープに録音されている図書を予約したい。」と話しました。そして、その理由として、これまで聞いたことがない言葉がどのように発音されるのかを聞きたいからだ、と伝えました。妻は、言葉がどのように見えるかは知っていましたが、一度も聞いたことがなかったからです。それで聞きたいと考え、もちろん、そのためには視覚障害者向けの図書を使わなければなりませんでした。妻は図書館に電話し、「これこれを読みたいのです。」と話しました。そして図書館の人は、わかりました、といって名前と電話番号を聞き、「それで、あなたは目が見えないのですね?」と言いました。妻は、答えました。「いいえ、私は耳が聞こえないのです。」(笑)さて、図書館の人が状況を理解するまで長いことかかりました。おわかりでしょう?「どうやって聞くのだろう?」と思ったのです。妻は1996年以来、これまでに480冊もの本をテープで聞きました。今では妻は他の人の間違った発音がわかるだけでなく、アクセントを聞くことに非常に興味を持っており、話し手がどこの出身であるかを当てようとする所にまで達しています。

これについて2つの点を指摘したいと思います。一つ目は、シグリッドはこのような技術を目に見える形で使うことを厭わないということです。ですから全く知らない人に会ったときでも、例えば、どこかツアーに連れていって案内してくれるような人に会ったときにも、妻はその人に人工内耳のマイクのケーブルをつなぐのです。先日、妻と二人で聖ペテロのバシリカ聖堂の地下室、法王達が埋葬されている地下室を案内してもらいました。若い聖職者が私達を案内してくれたのですが、妻が最初にしたのは、自分のマイクをこの人につなぐことでした。この聖職者は素晴らしい人で、直ぐに状況を理解し、私達はツアーをとても楽しむことができました。私が言いたいのは、妻はこのように人工内耳を人前で使うことを恐れないということです。そして私はCSUNの皆さんにも、またこの技術を利用する、或いは利用できる人々と関わる一人一人の人にも、このような技術を使うことを厭わないよう支援することを呼びかけたいのです。人によっては、このようなことは、人と違っていて、おかしく見える、そして、普通でないなどと心配することがあります。しかし、可能な限りどこででも、またどのようにしてでも、音をとらえなくてはなりません。なぜなら音は直ぐに消えてしまい、なくなりやすいからです。そして音をつかまえなかったら、聞くことはできないからです。ですから、CSUNで、聴覚障害者に関わっている、指導者、言語療法士、そして言語聴覚士の方達には、また人工内耳移植手術などを受けた人々には、このような支援技術を使うことを恐れずにいてほしいと願っています。

私はガロデット大学の役員をしていますが、役員会の時には、あらゆる可能な限りの、また想像しうる限りの支援技術が、一度に駆使される様子を目の当たりにし、本当に大変に驚いてしまいます。今この部屋でも行われているのと大変よく似ていますが、リアルタイムに字幕がつけられたり、手話から話し言葉へ、或いはその逆へと通訳をする人々がいたり、視覚障害者向けに通訳している人がいたりするのです。そしてこのチームワークの力こそ、私は大変感動的だと思うのです。というのは、このためには文字通り全ての想像しうる限りの技術を利用しなければなりませんし、また、それぞれの技術は、一度に一つずつしか使えないというわけではなく、ひとまとめにして全て同時に使うことができるからです。

昨晩お話しした中で、今日もう一度強調しておきたいことがあります。それは、私たちが、障害を補うよう人々を支援するために使う技術を全て主流にすることができれば、それには計り知れないほど貴重な価値が見出されるということです。実際、障害を克服するのを助ける技術に注目すると、その同じ技術が、いくつかの点で、普通の能力を持つ人がその能力を普通以上に高めることにも役立つ可能性が実はあるのです。ちょうどシグリッドと彼女が使っているインターネットに接続可能なスピーチプロセッサーのように。スピーチプロセッサーを使い、インターネットに向かって、文字通り、話すことができる、そして更にインターネットからの情報を自分の頭に向かって話させることができるということは、大部分の人間にとって、通常の能力を遙かに超えていることです。ですから私は、私達が共同開発した技術が、ある特別な困難を補うためにそれを必要としている人々だけでなく、普通の人々が更に能力を高めるためにも利用されるという考えに大変喜んでいます。もちろん、何かが主流となる主な理由としては、規模の経済があげられるのも事実です。いったん、ある技術が文字通り誰にとっても役に立つということなれば、単純に、もっとそれを利用しやすくしなければならないという理由から、コストが下がります。そして更に、それがインフラストラクチャーとなるのです。

このちょっとした実例をご紹介しましょう。ヨーロッパでは、携帯電話サービスのショート・メッセージ・システムが、特にティーンエージャーの間で広く使われており、彼らの間のコミュニケーション手段になっています。ティーンエージャー達は、お互いに会話していないときは、ちょっとしたショート・メッセージを送っています。アメリカ合衆国では、ポケベルやインスタント・メッセージのようなものの方が、同様なサービスとしてはより一般的です。Eメールは私達の多くが大変強く依存するインフラストラクチャーとなりました。いったんインフラストラクチャーとなってしまうと、誰もがそれを身近に感じ、それがあることに満足し、何か特別なものではなく、普通のものだと考えるようになります。そして、私達が開発した技術を普通のこと、当たり前のことにしてしまうことは、その社会的影響だけでなく、経済的な影響を考えても、大変有益なことだといえます。

さて、一つ私が注目していること、そして皆さんにもう一つ覚えて帰っていただきたい言葉があります。それは、英語で4つの単語からなる言葉で、信じられないほど力を持っている、「ついでに(while you’re at it)」という言葉です。このちょっとした表現を、私は家を建てているときによく耳にしました。皆さんもご存じでしょうが、それには副作用があります。「ついでに、いかがですか?」それが20万ドルかそこら余計に支払うことになるのです。しかし、支援技術に取り組んでいるときには、「ついでに」というこの考え方は、かなり刺激的です。ついでに、他にできることを考えてみたら。ついでに、ほかの支援技術も使ったら一緒に何ができるか考えてみたら。ついでに、インターネットや標準規格のこと、それからこの様々なシステムを一緒にして、それぞれのパーツ以上の力を発揮できるよう、お互いにうまく作用させる方法を考えてみたら。このように考えると、規制や標準規格は、時に非常に強力な手段となりえます。

規制は、時として必要です。皆さんはたぶん、あれこれいろいろと義務づけられるのを望まないことでしょう。しかし、時に企業は、誰もがしなければならないと規定されない限り、そして自分たちの企業が公平に扱われていると感じない限り、社会的な利益をもたらすことに取り組まない場合があるのです。そこで、規制がそれを達成する手段となることがよくあります。個人も、同様に、誰もが皆公平に扱われているように感じたいと考えます。なぜなら、私たちは皆、社会で活動するためには、自分が得をするために必要なものなら、それが何であれ手に入れるべきであると、通常考えるからです。

当然、極端な例もあります。私はそれをいちいち挙げるつもりはありませんが、しかし、ときおり、ADA(障害者差別禁止法)の目的を悪用する人々がいることは確かです。そして私はそれについて少々憂慮しています。なぜなら、もし誰かがADAを利用して自分たちの都合のいいようにコントロールできる何かを作ろうとするなら、ADAの助けなしでは手に負えないようなことがうまく働くよう、ADAを真に必要としているその他の人達を傷つけることになるからです。ですから私はいつも、少し敏感に見極めようと心がけているのです。しかし、全体的に、ADAの目的とその実施は、これまでのところ非常に有益であったと思います。が、だからといって、もっといい仕事ができないと言うわけではありません。支援について定めたADAやその他の規制は、何らかの重要な動機を作り出すと私は考えています。命ぜられることで、新たな機会がもたらされるからです。皆さんも、規制により、人々が支援手段を改善する新たな方法を発見していくことに気がつくでしょう。それは今後皆さんのそれぞれが個人的に関わっていくことになったり、或いはこの後直ぐにこの部屋で行われる展示を見て発見したりするのではないかと思います。

今後、最終的に、私が予測している最も重要なことは、標準規格が相互操作性を持つようになるということです。そして全ての新しい発明がそれ以前のものと相互操作できるような環境を作ることほど、強力なことは無いと思います。インターネットはそのようにしてこれほど迅速に発展してきたのです。全てが本質的に標準化されたから、可能だったのです。そして今後インターネットの頂点に位置する新しいアプリケーションを作るときには、適切な標準規格によって、その他全てと相互に作業できるようになる可能性が高いのです。

しかしここで、政策上のいくつかの課題があることに、皆さんの注意を促したいと思います。世界情報社会サミットといわれる、4年間に渡る活動があります。2003年12月にジュネーブで中間会議が行われ、2005年の11月にチュニスで最終会議が行われる予定だったと思います。このサミットは当初国際電気通信連合によって組織されていました。しかし今では、情報社会とはどのようなものであるか、特に技術的にどのようなものであるか、また、商業や、社会相互作用に関わるインフラストラクチャー、或いは学習や教育のインフラストラクチャーとして、情報社会をうまく機能させるにはどんな政策をとればよいかに焦点をあてたものとして、国連の管轄下におかれています。皆さんに注目していただきたいのは、この世界サミットでの議論において、支援技術について適切に述べられていたとは思えない点です。私は来週、3月25日にニューヨークの国連に参りますが、この点を指摘するつもりです。そして情報社会について考えている者だれにとっても、その支援技術の局面と、私達全てがそれを利用できるようにするために必要な手段に注目することが、いかに重要であるかをはっきりさせるために、最善を尽くそうと思います。

最後になりますが、私は、私達自身や私達を頼ってくる同僚達、或いは友人達を、技術のゲットーに閉じこめることがないよう、十分気をつけていきたいと考えています。どういう意味かおわかりになりますでしょうか?つまり、こういうことです。私は何年もの間、TTY(テレタイプライター)機器をめぐる問題に悩まされてきました。TTY機器は、聴覚障害者が電話を使えるようにした点ですばらしいのですが、TTY機器は5ビットのボー・コードを使った装置で、特に現代の8ビットのアスキー・コンピューターとは、互換性がありません。そのため非常に長い間、私はこのTTY機器を使っている友人達が、急速に進歩しているインターネットの世界、そしてコンピューターの世界から孤立してしまっている様な気がしていました。ありがたいことに、インターネットが利用できる機器が、どんどん安く手にはいるようになり、初期のTTY機器の代わりに使えるようになったので、時とともに状況は変わりつつあります。しかし、ここまで進むのに、20年かかったのです。そして私は、それはゲットーのようなものであったと思うのです。どんなに役に立っていても、多くの人々を、余計な力を費やさなければ抜け出すのが難しい所へ向かわせてしまったのですから。ですから、様々な支援方法を探ることで、このようなことが避けられるのなら、そうした方が役に立つでしょう。私の意見をどうぞどなたも誤解なさらないようお願いします。私自身もTTYから得るところはあったのですから。ただ、TTYはやはり、インターネットが完全に使える機器、或いは少なくともコンピューター・ベースの機器ほどは可能性が無いように感じられたということです。

では、最後に2,3のことを提案して、簡単に終わることにいたしましょう。現在、この情報通信技術社会は一つにまとまりつつあります。それは、支援技術の探求という点では、私達にとって豊かで、様々な機会に恵まれた世界であります。私達は、現在まだ無い、非常に多くの性能を可能にする機会に恵まれています。しかしそれをどうやって行うかを考え出すことは、大きな課題です。その課題の一つに、ソフトウェアがあります。私はソフトウェア業界で働いてきました。何年も前には、コードを書いて生計を立てていました。そして率直に言って、私はこれを終わりのない仕事と考えています。なぜなら、ソフトウェアは、プログラムの仕方をすぐに考え出すことができる単純なものだからです。全てのインターネット上のデバイスは、小さな入れ物で、誰かがその中にソフトウェアを入れてくれて、なにかをさせてくれるのを待っているように私には思えます。もちろん、JavaやPythonのようなインタープリター言語を使えば、一瞬ごとに新たなインタープリターソフトを提供し、何か新しいことをさせられます。ですから、ソフトウェアの世界では、創造性が本当に限りなく続いていくといえます。

最後に、技術を活用する機会に関して、様々な種類のニューラル・エレクトロニクス(神経電子工学)が大きく道を開くであろうと私は考えています。私達は既にそれを目にすることができます。先ほどお話ししました、人工内耳移植もその一例です。これは感覚神経システムです。他にも、現在研究されている視覚器官の移植について、考えてみて下さい。また、いつの日か実現するかもしれない、感覚運動器官の移植はどうでしょうか?私の知るところでは、様々な脊髄損傷の障害がある人々のために、神経信号を損傷部分を通り越して残りの神経システムに伝える実験が行われているとのことです。このように、感覚器官の側だけでなく、運動器官の側にも、進展が見られます。私達はその可能性を見出し始めたばかりです。そして、ナノテクノロジーが発達するに連れて、ますますこれらの機器を小さくすることができ、私達の神経システムに使えるようになると期待されます。これらのシステムは様々な有意義な方法で、私達の人生の楽しみを阻む障害を改善するために使うことができ、また、私達の持つ生産能力を高めていくことでしょう。これで私の話は終わりです。皆さんご静聴本当にありがとうございました。またネットでお会いしましょう。

提供:Able TV.net