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基調講演
「DAISYを利用したディスレクシア支援」

河村宏
国立障害者リハビリテーションセンター特別研究員

 

 皆さん、おはようございます。河村です。
これから、約30分ほどで、DAISYがどういうふうに環境を変えようとしているのかを中心にお話したいと思います。 本日は、この後、ご自身がディスレクシア、あるいはご家族、あるいは支援されてきた方から具体的なお話をして頂きます。 私は、どちらかというと、その前座として、では、周辺の環境については、どういうふうに考えてきたのか、どこまで今、来ているのかと言うことを、少しグローバルな視点からご報告したいと思います。

 まず、私自身の確信ですが、ちょうど、車いすの方達が、段差がある社会では一人ではどこにも行けない、誰かが手伝わないとどこにも入れない、自立ができない。それに対して、段差が解消している、あるいは段差があっても周りが自然に応援する、頼みにくさがない、そのような場合には、たとえエレベーターやエスカレーターがなくても、まぁなんとか、参加できる、やっていける、その社会に貢献できるということはこれまでに随分経験してきたし、社会も、法律でそういうアクセスを保障してきました。

 その意味で、1980年、国連の世界中で障害者の権利に関して、キャンペーンをした頃以来の国際的な取り組みは、大きく世の中を変えてきました。 環境の側の大きな進歩が、身体障害者、移動に困難がある人たちの生活の難しさを解決してきました。そのことがとても重要な、国際社会の障害に関する経験になってきている。 国連が障害者権利条約を制定し、これはもう国際条約として有効なものとして発効しました。日本政府は、調印はしましたが、これから批准に向けて日本の国内法を整備する、つまり条約が法律の上で、強制力が持つものなので、日本の国内法とこの条約が矛盾する場合はまだ批准ができないという状態にあります。 そして様々な国内法を整備して、批准をする。そのための誓約、日本政府はそれに努めますという公約をしています。それは国際的な公約です。国内外に対する公約です。

これは障害のある人が自立して参加する権利を保障していることが特徴です。自立して参加する。つまり、積極的に自らの判断で行動をし、決定に参加することを保障しているのです。そして、特に重要なのは最初に申し上げた環境の整備がとても大事だということを随所で強調していることです。本人の努力、家族の努力だけでは解決できない問題。元々環境の側も一緒に整備されなければ解決できない問題なんだと、非常に具体的に指摘しています。そして参加のための知識、情報をきちんと他の障害のない人と同等に得て参加することを保障しています。

このことが今日のテーマであるディスレクシア、あるいは学習障害など、現在、知識と情報へのアクセスを十分に保障されていない人々にとってのとても重要な支えになる内容です。 その意味で、国連の障害者権利条約は私達がこれからどういう社会を目指すのか、という上で、国際的に合意したとても重要な基準だと私は考えています。

知識と情報へのアクセスは実は出発点なんです。
アクセスという言葉は、それを使えるようになる、或いは手に入れること、あるいはそこに行くこと、参加すること、いろいろな意味で使われます。でも「知識と情報」と限定しますと、歴史的に見るとこれは必ずしも、今のように、出版物やテレビ、ラジオなどで保障されてきたものではありません。 一番最初は、おそらくまだ言葉も十分発達していない準備時代では、手真似や目と目の視線を交わす、そういうところからコミュニケーションがはじまり、親子のコミュニケーションで生きるための知恵、スキルが伝えられた。 そして、社会が構成されるに従って、様々な制度や規範が生まれる。 だんだん抽象的になると「ことば」、同時に「図」で、さらには「動作」で示すという、いろいろなコミュニケーション手段を使い、知識と情報が交換され、蓄積されてきました。 歴史的に見れば、随所にそういう証拠がありますね。 その中で、ではなぜ、現在のように出版物、本という形の情報、知識の集積と交換が社会の中心になってきたのだろうか。

その歴史的な転換点を考えてみたいと思います。
いわゆるグーテンベルグが聖書を出版し、民衆が、最初はドイツ語だったでしょうが、それまで手書きのラテン語でしか聖書を読めなかった時代から自分たちが使うドイツ語で、多くの活字の本が手に入り、あちこちで原典が読めるようになった。それが、私の知る限り、大きな本による革命の出発点だったと思います。

それ以前は、皆さん、映画で、「薔薇の名前」と訳された映画ですが、どこの国ともしれない、ヨーロッパですが、手書きの聖書をこっそり読んだ人が次々と舌が黒くなって死ぬというサスペンス映画がありますが、それはまだ聖書が本当に限られた人たちしか触れることができない宝物だった時代の話です。しかも、ラテン語で書かれていたのです。つまりみんなが普段使っていない言葉で、しかも特別な訓練を経た人しか得られない知識だったのです。

でも、活字文化が一挙に、それまで秘伝、あるいは本当に特別な人しかアクセスできなかった知識への自分たちの普段の使っている言葉でのアクセスの道を開いたのです。 本というのは便利なものです。そのため、世界中に図書館を作っておいて、書誌情報と言いますが、本の著者名、出版社、何年に出たか、そしてある本を特定して、その第何章とか何ページというように引用しておくと、引用が簡単に片付く。 いちいち、それをどさっと、次に書く本の中に引用しなくても、その図書館に行ってそこを読めばいいという感じで、とても便利に知識を集積して、次の人に渡していける。その上にまた新しい知識を積み重ねるというサイクルが非常にうまく回る形だったので、とても便利で、大多数の人に歓迎されました。

活字文化による約400年間、知識の集積は世界を支配してきました。
その中で、実は切り捨てられた人々がいます。 活字文化が支配するに至り、実は本当に重要な多くの人々が切り落とされました。この切り落ちされている人たちの中に、今日のテーマである活字を読むことに障害がある人が含まれます。

もう1つ、重要な切り落とされた人々としては、目が見えない人、視覚から情報を得ることができない人たちがいます。 その人たちは、当然本はのっぺらぼうで、触っても活字は読めないので、点字・録音でないと、本は役立たないのです。

そして人口で言うともっと大きなグループが切り落とされています。 少なくとも2つあります。

1つは非識字者と呼ばれる、教育の機会が十分なくて、読み書きができない人たちです。 今、発展途上国には、そういう人が多数います。
それから、先住民族と呼ばれる人の中で、日本ではアイヌの人たちです。自分たちの言葉で書く手段を持たない。言語として書く文字の体系を持ってない人が切り落とされています。つまり、活字として出版する方法がないわけです。今、アイヌの方たちは、2通りの文字で、アイヌ語を表記します。日本語の「仮名」と「ローマ字」です。でも、アイヌ語を本当に自分の言葉として覚えていた世代の時代には、日本ではローマ字が使われなかったので、その時代の人は、ローマ字で書くことができませんでした。そのため、仮名で工夫しています。 「たちつてと」の上に○を付けます。「ト」ではなく、「トゥイ」という音に近いと聞いたことがあります。これは、ワープロでは出ません。ISOという国際標準の中には、アイヌ文字の体系がありますが、日本のwordや一太郎では、残念ながら、この文字を出せません。マッキントッシュのソフトウェアでは、そこでなにか工夫をすればでてくるようですが、わたしはまだやったことがありません。

日本政府は、アイヌ民族は日本の先住民族であると公式に認めました。でも、アイヌの方は、自分たちの言葉をワープロで自由に書いて伝えることは、そう簡単にはいかないのです。日本ですらそうです。

これが、例えばオーストラリアの「アボリジニ」といわれる人たちや、南米のアマゾンのジャングルに住む先住民族、パプアニューギニアでは、何百という先住民族もいます。 アフリカにも多数ある。言語の数、世界中では、書く文字を持たない言語のほうが多いのですが、それが世界中で一つ一つ消えていっています。 この言語を自分たちの言葉として使っている人も、実は活字による出版が、知識の交換・蓄積のための体系として非常に栄えている中で、切り捨てられてきた人たちです。

このように、環境を考えると、実は、活字文化から切り捨てられてきた人は、たくさんいる。おそらく、世界人口の20%は軽く越す。非識字者、先住民族語を第一言語とする人を足せば、もっと多くの人たちになる。 そういった環境の中で暮らす、1つのグループが、ディスレクシア、読みに障害を持つ人たちということができます。

これは、私が27年間、大学の図書館で働き、その後もずっと図書館の世界に身を置いてきた反省も含めた、今の環境の何が欠陥で、何を切り落としてきたか、という、これから改めなければいけない点としてお話しています。 反省だけでは仕方ないので、ではどうしたらいいのか、ということになりますが、この知識・情報の環境をどうやって変えるのかというときに、まずは、切り捨ててきた人たちのニーズにきちんと耳を傾け、そして、何ができるかを一生懸命考えようということです。

これは、環境に責任を負っているみんなが考えなければいけないことです。
出版、著作を書かれる人たち、あるいはそれを流通している図書館、そして、出版物を教材として提供している教育の組織、それを担う先生方、みんなで、一回立ち止まって考えなければいけない。「環境の再評価」をしなければならない。それを国連の権利条約は要求をしているということです。

要求するだけではなくて指針も出しています。それが「配慮の平等」ということなのです。静岡県立大学の社会学の教授で、全盲の石川准先生が日本語では最初に言い出したと思いますが、「配慮の平等」。 これがいくつかのグループの人たちに対してはこれまで実施されていなかった、だから、配慮を平等にしてくださいということを主張するのだということでした。

国連の権利条約の中では、違う言葉でこれを表現しています。「合理的配慮」と日本では訳されています。「合理的配慮」です。 この言葉はこれからキーワードになるので、ぜひ、河村がこういうことを言っていたと、一つ覚えて頂くとしたら、この言葉を覚えておいてください。

「合理的配慮」とは何だろう、ということですが、その本山というか、社会に定着させてきたリーダーは、アメリカの社会です。そういう言葉で整理して実際に社会に定着させているのはアメリカです。英語では、「リーズナブル・アコモデーション(Reasonable Accommodation)」といいます。

アメリカで、大学に行くと、必ず、障害のある学生をキャンパスで支援するオフィスがあります。もし皆さん、機会があったら大学に行って、一番分かりやすいのは、ディサビリティ・サービス(Disability Service)です。それがどこかを聞くと、そのオフィスをどこか、教えてくれます。そこに行って、このリーズナブル・アコモデーションは、この大学ではどんなことを提供していますかと、聞いてみるといいと思います。 100%保証するのは、「DAISYを提供することが含まれます」ということばが返ってくるということです。

アメリカの大学ではとってもたくさんの本を読むことを強制します。そして、読んでレポートを書かなければなりません。読まないと、単位が取れず、卒業できません。読むことに障害があったらアメリカの大学ではやっていけません。そこで、読みに障害がある人には、必ず、読める環境を提供するのです。

それが、このリーズナブル・アコモデーションとして、提供されているということです。 合理的配慮というのは、「何かを考える」というふうに聞こえますが、私が理解するところでは、「環境をつくること」に近い。 つまりそういう学生が来たら、「図書館ではこういう端末があります、その端末を使うと、読み上げてくれます」と、それも1つです。

もう1つは、あるところにオンラインでアクセスすると、そこからダウンロードでファイルが手に入れられます、だからあなたが読まなくてはならない本があったら、そこで検索してダウンロードして、それを自分のパソコンなり、今日、外で展示されているようなDAISYの再生機器にコピーして読んでくださいと。
すると、耳から聞こえます。これも外で展示されていますが、ものによっては目でテキストを見ながら耳から聴くことも同時にできます、という環境を整備して提供します。 それは読みに障害のある人に対するリーズナブル・アコモデーションです。 当たり前の環境、特別な配慮ではないんです。

そういう環境があるから、自分にそういうニーズがある人は普通の印刷された本ではなく、そちらを選択できる環境ということです。 それはその人の個別のニーズに合わせて特別に作ったサービスではない、元々そういう環境を整備してある、ということ。 ここがキーポイントです。

では、なぜ、日本で教科書が読めない子どものために、その教科書を、ここに言えば借りられるよというサービスがないのか。 義務教育の教科書、教室で誰もが読んでいる教科書が自分の読める形で手に入る、それが環境です。 その環境が、アメリカの大学でできて、なぜ日本の義務教育の学校でできないんだろう。 それが今日の議論の出発点です。

今、その環境を作るために大変な苦労をしてボランティアの方達が何とかDAISY図書を作って提供している例がいくつか出ています。
またつい先日知ったのですが、青森県のある言葉の教室では担当の先生が独学でDAISYの作り方を勉強し、非常に簡単な作り方を身につけました。10人ほどの、読みに障害のある通級の生徒さんに指導している。技術的に見れば本当にシンプルなものなのですが、それで十分効果があるし、DAISYじゃないと、そういう効果が得られないというお話を聞きました。 いろいろな環境ニーズによって、それにあわせて選択できることが重要だと思います。 その先生もおっしゃっていたし、今日これから指導された先生からも報告がありますが、そういう環境によって子どもがどう変わっていくのか。それがとても大事なことだと思います。 もちろん1人1人の子どもに力をつけさせることが教育の大事な目標です。ただ、その力を付けさせるという努力と同時に、環境を整備する。それも学校だけではなく。学校はいずれ卒業しますので、卒業後、就職します。その職場でもみんなと同じように情報を手に入れ、自分から発信することが必要です。それも職場の環境をどう整備するかという課題がそこにあります。

アメリカでは大学だけではありません。職場においてもリーズナブル・アコモデーションは法律的な義務です。連邦政府は、そこできちんと基準を守らない企業とは契約をしませんという、リハビリテーション法によって、強力な指導力を発揮、企業も含めて環境を作っていくことで、バリアをなくす努力をしています。
その中で「読み」に関してはDAISYがスタンダード、基準としてアメリカでは、特に教科書に関する法律の上で明らかにされています。全ての教科書を出版する出版社は、DAISYの形式で必ず全国的なDAISY図書の集積場所に置かねばならないという義務を課しています。これは連邦法の強制です。

今現在、1万タイトル以上の義務教育の教科書がそこにあります。そしてそれとは別に様々な団体が、連邦政府から資金を得たり、チャリティー団体が寄付を得たりして、たくさんの専門書、教科書、教材をDAISYで作り提供しています。そうやってものすごい勢いで環境を整備しています。

ここで画面をご覧ください。
1つ1つ口でも説明します。多くのものは今日会場で展示されておりますので、ぜひ直接手で触り、体験して下さい。 上段の左からいきます。

CD-ROMを使った音だけのDAISYプレイヤーが2種類、写真があります。1つはCD-ROM、1つはもう少し小さい電子媒体、SDカードを使って、ものすごくたくさんのDAISY図書が小さいカードで収まって、何十冊という教科書を持って歩けるものです。 現物は展示してあると思います。

DAISYの今の使われ方の1つで、写真上段・左から3番目、パソコンを使うのですが、画面に教科書や元の本と同じ形の画面が出て、耳で聞いて、目でテキストが読みに従ってハイライト表示されていく。それを目で追います。そういった形のDAISYの読み方もあります。

その右側は、ごく最近出た物で、今日も現物が会場の外にありますが、「クラスメイト(ClassMate)」というおもしろい名前のDAISY再生機です。今は英語だけですが、テキストを画面に表示しながら読み上げてくれます。小さい画面がついています。6~8時間、バッテリーで使えるはずで、持ち歩くことができます。 DAISYの場合、分厚い本でも何ページというのをパッと開けますし、第○章というのも目次を使ってすぐに開けます。そういう、読みを支援する道具として、今アメリカでかなり売れ始めたと聞いています。

そして上段・一番右の写真。
テキストが音声と一緒に同期されているDAISYの場合は、そのテキストをピンディスプレイという点字を表示するディスプレイに表示すると、全盲の方にも同じ内容を読むことができます。

つまり、DAISYで絵もテキストも音も全部入れたものを1つ作っておいて、「これで教科書できあがり」としておくと、例えば、全盲の方、あるいは盲ろう、見えない・聞こえない、両方障害がある方でも、点字が読めればその教材が読めるチャンスが出てきます。 つまり、一つの物をみんなで使える。 これが環境を大きく変えるときのとても重要なポイントだと思います。

ここには出ていませんが、ヨーロッパでは、大活字の、紙に大きな文字が出ているものや、あるいは最近は、クリアプリントと言って、鮮明な印刷、という方法あります。これも、DAISYのファイルからオンデマンド、要求があれば、印刷して出せます。 すべてのマスターをDAISYにしておいて、それから、ニーズに応じて提供するというような技術開発が進んでいます。

中段にいって、左側、メーカーのWebサイトからとったものです。 NOKIAという、世界最大の携帯メーカーがあります。その中の機械で二種類あります。 携帯電話もOSを積んでいます。オペレーティングシステムというものです。 2種類あります。「シンビアン(Symbian)」と「WindowsCE」です。その2種類用にDAISYのプレイヤーが開発されています。 日本、韓国でも携帯電話のダウンロードでのDAISYの提供が始まっていますが、より一般に手に入る携帯電話のシステムとしては、NOKIAとスペインの会社のものを組み合わせると、DAISYの再生ができるという新しい展開も出ています。 携帯電話ではなく、小さく持ち歩きが可能であるが、パソコンでは大げさ、簡便に使えるものは? というときには、PDAがあります。

これが中段の右側にあります。
試作品ですが、市販のPDAで再生できる再生ソフトが試作中です。外でご覧になれると思います。 これは私が非常勤でつとめている、国立障害者リハビリテーションセンターが、シナノケンシと共同開発したPDA用プレイヤーです。 試したいという方には、多分、一定期間の貸し出しはできると思います。ので、ご関心があれば、後で私のほうまでお申し出ください。

一番下段、ここには、パソコンで読めるDAISY形式の説明画面のスクリーンショットです。縦書き、ルビ、なかなか解決が難しい問題も、皆さん今、一生懸命解決を図っておられます。

それから、一番真ん中です。自閉症の方たちにも、今、DAISYはいろいろな意味で高い関心を呼んでいます。「読むための道具」としてということと、もう1つ、最近、昨日ですが、フィリピンから嬉しいニュースがきたのですが、自閉症本人がDAISYを今作っているということです。そういう意味で、使って読むということと自分で作るということが組み合わせる領域があるということが分かってきました。

画面下、左から2番目。
「クラスメイトの応援の仕方」、ということで、自閉症のクラスメイトには、こうすると応援できるということを、子どもの視点で書いたものです。

コンテンツは差し上げられると思いますので、英語ですが、ご関心があれば、お申し出ください。
その下に、やなせたかしさんが書いた、マンガがあるスクリーンショットがあります。 「つなみまん」という、高知県の防災マニュアル用に、津波のキャラクターをあんぱんまんシリーズの中で描きました。 分かりやすい絵を使って、ポイントを絞って、津波の避難マニュアルを作るととても有効だということが分かってきました。

非常に積極的に協力してくれたのは、北海道浦河町の「浦河べてるの家」というかなり重度の精神障害者の集まりです。 その皆さんと、足かけ6年ほど共同研究をさせてもらっていますが、今、べてるの皆さんは、DAISYチームを作り、仕事マニュアル、避難マニュアルと、自分たちの手作りで、分かりやすい知識をDAISYで作って共有するというサイクルが始まりつつあります。

出版を自分たちの手でやってみようという試み、これは、これから、教材を考える上で、重要です。手作りでDAISYの教材をつくるのは、そんなに難しくはありません。 一番右下は、タッチパネルでDAISYの操作がどう簡単になるか、ということを示したものです。 これらの色んな工夫、世界中で工夫をして、環境を変えるという動きが始まっています。

もう一度、合理的配慮の考え方を、整理したいと思います。 一番良い例が、やっと日本がヒットを打てそうな状況が出ています。 著作権法33条の2、9月17日に施行されました。

 長い文章なのですが短く要約しますと、「発達障害により、教科用の図書を使用することが困難な児童に、必要な方式により、複製できる」となります。 要は、発達障害で普通の教科書が読めないお子さんにはDAISYで、教科書を複製できることが法律で明らかにされたということです。 実はこの改正は、すべての障害のある児童を含むという点で、画期的です。 なかなか世界中を見渡しても、このようにはっきり、すべての障害を含め、すべての形式を保障するのは、珍しいことです。これは日本が世界に誇っていいことです。権利条約を具体的に教科書で実践するとこうなるという見本だろうと思います。

 この結果、マルチメディアのDAISY版の教科書が、著作権者の許可なく作れることになりました。教科書であれば作って堂々と交換することもできるようになりました。では次は、どうやってこれを作り、手に入れるのか、交換するのかがステップになります。 最後に私が7月に出会って感銘を受けた全盲の、ものすごくアクティブな女性、インドに暮らしているドイツの人の言葉を引用します。

皆さんの中には、ビデオや映画で「ブラインドサイト(Blindsight)」をご覧になった人がいるかと思います。ご覧になってなければ、YouTubeでサブリエ・テンバーケン(Sabriye Tenberken)と引くか、あるいは「ブラインドサイト」と検索すれば出てきます。

彼女はこう言っています。「障害がある人は、その特徴をいかして社会に貢献しよう。そのために、権利を保障しよう」と言っています。彼女はそれを実践しています。 つまり権利の保障、さきほど国連の権利条約は「参加を保障するための条約です」といいました。その「参加」は社会の一員として、社会に貢献する充実した人生を保障するための権利の保障です。 1つは本人の力をつけていく、そのための教育。もう1つは環境を整備し、その環境をうまく使える、あるいはすべての人がどのように環境を整備したらいいかを学んでいく教育の中で実現していく。それが重要だと思います。
少し時間を超過しました。ご清聴ありがとうございました。