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平成20年度 DAISYを中心としたディスレクシアキャンペーン事業
~DAISY 教科書提供体制の確立を目指して~

セッション1 「ディスレクシア当事者のニーズと求められる支援」

ディスレクシアとマルチメディアDAISY ~当事者として教育者として~

講演を行う神山忠氏の写真

神山 忠(岐阜県立関特別支援学校 教諭)

ディスレクシアとマルチメディアDAISY

(資料1 説明)

皆さん、こんにちは。お休みの日の午後ということで、お腹もふくれて、ちょっとウトウトされるかなと思いますが、少しお時間いただけましたので、お付き合いください。先ほど会場からこんなものをいただきました。実は昨日の朝日新聞に、私が取り上げてもらえ、少し恥ずかしい思いをしているんですけど…。 でも、こんなふうに「読み障害」として新聞にも取り上げられるように、この「ディスレクシア」という障害が知名度を上げてきたのかななんて思うと嬉しく感じています。

そんな私がどんなふうに今まで来たかとか、学校現場でどんな支援をしているかなんていうお話を20分ばかりしたいなと思います。お付き合いください。

どんなふうにまず見えるかですけど、白いキャンバスに、こんなふうに黒大豆や黒ゴマがばらまかれているように見えるんですよ、文字を見たときに。これを見てパッと読める方もいれば、「え、何でこれが読めるの?」ってなる方もいると思うんですけど。今、読めた方、どのぐらいありますかね。あ、結構ありますね。はい、ありがとうございます。

「LIFE」という文字

ちょっとコツさえ分かれば、上下の邪魔な情報をカットすれば、「あ、“LIFE”、ライフか」と読めてくるわけで。でも読めない人は、「何でこれが読めるの!?」って、すごく心臓がバクバクしますよね。それで1時間、子どもたちは、授業を受けている、そんな状況だと思ってもらってもいいのかななんて思います。

上下の行を隠した「LIFE」

これも「文字だよ、はい読んで」って言われても、読めない人には、なかなか厳しい面がありますよね。でもこれも先ほどと一緒で上下を隠してやると「あ、なんだ、“ココロ”か」というふうに見えてくるわけで。どんなふうに見えて、どこでつまずいているかさえ分かってもらって、それに合った支援をいただければ、みんなと学習が進められる、そういう特性があるかなと思います。

黒地に白で「ココロ」

これも先ほどと一緒で、上下をちょっと隠してやれば「あ、何だ、“ヨロコビ”か」と。このままだとなかなか読めなくても、「こういうふうにするといいよ」というような支援さえあれば読めるわけで。まったく字が読めなければ、「こいつはバカやで。勉強しても無駄や」とか、そういうわけじゃない。必要な支援さえあれば学んでいけると、そういうふうに認識していただければなと思います。

黒地に白で「ヨロコビ」

こういうのも見ると、なかなか見えてこないんですけど、「ここに書いてあるから、ここちょっと注目して」と言われても、なかなか見えてこない。切り取って、ちょっと線を入れてもらうと、「あ、何か見えてきたぞ」と。

ちょっと色を付けたりすれば分かるんですけど、なかなかこういう素材と素地がゴチャゴチャのものというのも、見抜くのが苦手で、普通の文字を見ても、こんなふうに映っちゃったりします。

何かの動物がいるようだけどよく見えない。

これは本当の文章を見たときにもこんなふうに見えて、「水墨画かなあ…いや、これは文字だから」と思って目をこらしていっても、これだけギュウギュウ詰めだと読めないから、先ほどのように上下左右を隠していくと、注目すべきところが何とか見えて、拾い読みですが音声化することは何とかできるという、そんな状況です。

上下左右を隠したので「このような流れの中で、」という文字があるとわかる。

そんな私がこれを見たときに何て思うかと言うと、「DNAの配列かな」なんて思わずに、「あ、人の頭だな」とすぐに思います。つまり私の脳というか目は、文字として認識するのは苦手だけど、図として認識するのは得意な、そういう脳なのかななんて思います。

記号を使って描いた女性の絵

これも「数学記号が並んでいるかな」とは思わずに「あ、魚がおるなあ」なんて思うわけです。

数字記号を並べて描いた魚の絵

小学校のときに時計の学習でも躓いたんですけど、これを見て何時何分って分かった方、あります?

針がなく枠だけの時計板

しかし、これ(下の状態)だと「あ、今日のシンポジウムが終わる時間かな、5時ぐらいかな」なんて思うと思うんですけど、

5時の方向を向いている時計の針

この状態(下の状態)を見せられても、私の目には、まずこっちが入ってきます。「上下左右に大きめの八角形があって、間あいだにキレイに小さめの八角形が並んでいるなあ。ああ、素敵な図形だなあ」と思うと、もうこれから目が釘付けになって離れなくなって、いくら「針があるよ、こちら見て」と言われても、なかなか見れない。なおかつ文字盤と針との位置関係を読み取って何時何分って言うのは、すごいハードルの高いことです。

枠と5時の方向の針が合わさった状態

だから、どんなふうにやっていったかと言うと、針に色を付けて、なおかつ見えるところだけ、まずは短い針とその先だけ見える、こういう厚紙をつくって、そこだけ見て「何時」、それから「何分」というように情報を整理することで、やっと読めるようになっていきました。

長針は赤、短針は青にして、5の方向に向いている短針以外を隠した状態

あと、文字によっても読みやすさ、読みにくさがあるんですけど、明朝体はとっても苦手です。こういうのを見ると、まず気になるのが線の太さの違いです。これ、縦のほうが太いですよね。横は細いですよね。だから、南北の通りが優先道路で、こちらから来たら一時停止せなあかんかなとか、地図のように考えてしまったりして、マクロ的に見てしまったり、あと、何か端っこ端っこに三角形があるけど、この3つなら、これが一番カッコイイな、なんて、そんなふうに思ってしまって、明朝体だと、文字と認識するんじゃなくて、そういうマクロな部分に目が奪われて読みにくいです。だから丸ゴシックとかゴシック体のほうがまだ読みやすいです。

明朝体の「支援」

これは小学校2年生のときの話なんですけど、2時間目と3時間目の間にちょっと長めの休みがあって、「きょうはてんきがいいのでそとでたいいくをします」と、先生が黒板に書いて、休み時間出て行かれて、3時間目、私、これ、何とか拾い読みとしては読んだんだけど、意味理解に至らずで、外に3時間目出て行けずで、探しに来た先生に見つけられて叱られたということがあるんですが。「拾い読みできれば、耳で聞いて理解すればいいんじゃないの?」って言われるんですけど、それができないんです。もう目で追うことだけでいっぱいいっぱいで、意味を理解するなんてことは到底難しい、そんな感じです。

どうしたら理解ができるかって言うと、何度も何度も読んで暗記してしまうと、やっと頭でイメージできる。そういう余力が 出てきて理解に至るという感じです。じゃあ、どういう支援があるといいかと言うと、上の書き方じゃなくて、下のように分かち書きにされると、まだ分かりやすいです。

上は「きょうはてんきがいいのでそとでたいいくをします。」と書いてある。下は「きょう は てんき が いいので そと で たいいく を します。」と書いてある。

書かれたものを分かち書きにできなかったので、赤ペンで斜線を入れてやっていました。上の区切り方から下の区切り方でも分かるようになって、ちょっと時間が短縮できたんですけど、下の区切り方が分かるようになったのが中学校に入ってからで。きっかけがありまして、中学校に入ったら「I my me mine」とか、みんな覚える作業があったんですけど、そのときに、「I」一文字で「私は」なんだ、と思ったときに、今までは「今日」「は」とか、「私」「は」、別々にイメージを頭に浮かべて、くっつけて理解していたのを、「私は」「今日は」という、そのまとまりで意味理解を頭に蓄えていけばいいんだなというところに気が付いて、先ほどの下の区切り方でも分かるようになっていきました。

上は「きょう/は/てんきが/いい/ので/そと/で/たいいく/を/します/。」と書いてある。下は「きょうは/てんきが/いいので/そとで/たいいくを/します。」と書いてある。

これ、小学校3年生のときにあったんですけど、メモで「たいことばちをもってきて」と、こんなふうに書かれたものをいただいたんですが、私は前から一生懸命、意味のまとまりのあるところで区切っていったら、「鯛、言葉、血を持ってきて」。「え、今日は給食、鯛なの?、“言葉”は…図書館かなあ。“血”は理科室かな、いや、保健室やぞ」とか思って、どうやって回ったら早く帰ってこれるかなとか何とか思っていたら、音楽が始まるチャイムが鳴って、「本当に何やらせても使えん子やねえ、グズな子やねえ」と叱られたことがあるんですけど。なかなか正しいところで区切ることも困難な状態です。

そのころ「と」と「の」のイメージがしっかり持ててない状態で、周りの雰囲気から察していました。「あれ、今、太鼓の数は足りてるなあ、バチが足りないなあ、じゃあ太鼓のバチ持ってこ」とか、「あれ、両方とも足りへんなあ、じゃあ太鼓とバチ、両方持ってこ」っていうような感じで、言葉や文字から分からない部分は雰囲気から察してやっていたので、本当に廊下から一歩教室に入るときに、すごい緊張度が増すんです。教室の入り口で「よし!」と気合いを入れないと、廊下から教室に一歩を踏み出せない、そんな感じで、非常に緊張して教室に入っていました。

あと苦手なのが新聞の縦書きで、どうしても目で追えません。小学校の高学年から中学生にかけて何を思っていたかと言うと、朝起きたら目が縦に並んでてほしいなあ、なんて思っていました。分かりますかね、何でか。縦に目が並べば縦書きの字が読めるかもしれないって思ったんです。国語の教科書って縦書きですよね。国語の時間、本読み当てられるのが、もうすごく嫌で嫌で仕方がなかったんですけど。こうなれば、ひょっとしたら自分でも本を読めるかもしれんと思って、朝起きたらこうなっててほしいななんて思って寝てました。何か、多感な時期にそこまで思わせてしまう教育って、どうなのかな、気を付けなきゃいけないななんて思いながら、今、教育現場にいます。

これは上から拾い読みで、「T H I S I S A P E N(ティー、エイチ、アイ、エス、アイ、エス、エー、ピー、イー、エヌ)」と音読しましたよね。意味分かった方、どのくらいあります?

縦書きで"Thisisapen"

あ、結構ありますね。これ、拾い読みをしても意味が分からないというのは、こんな感じなんですよ。でも、横書きの分かち書きだったら、「あ、なーんだ」ってなりますよね。日本語ってこういう分かりづらさがある言語なのかもしれません。そういうところも、このマルチメディアDAISYというのはカバーしてくれるので、非常に有効なツールだなと感じています。

ディスレクシアの自分の理解の仕方を考えてみると、目で文字として認識したものは、頭で音とのマッチング、流暢さはないけれども、音とのマッチングをして、口から何とか拾い読み程度、詰まり詰まりだけど音声化することはできるかな。でも、音とのマッチングでは、意味とのマッチングじゃないので理解できないのかな。なおかつ、このマッチング作業だけでキャパがいっぱいいっぱいなので、耳で聞いて理解する、こんな回路は働かないから、意味も分からないのかななんて思いますが。

目で文字を認知して、脳で文字と音をマッチングするが、理解できない。口で音声化をしても耳で認知できないので理解できない

でも、文字じゃなくて、図と言うか字面として認識すると、あ、この字面はこの意味、この図とのマッチングやなあ、この図の意味やなって分かるので、意味理解に至るのかな。図とのマッチングだから、それは音読なんかには至らないのかななんて思います。

目で字面を認知して、脳で字面と図をマッチングすると、理解できる。口で音声化することはできない。

小学校4年生のときにあった話なんですが、班ノートっていうのが始まって、班でみんなで回し合うノートなんですけど、班に1冊ずつ先生が配って説明をし終えたなと思った瞬間、「あ、そうそう、神山君の班だけ、みんな平仮名で書いてあげてね」って言ってくれたんです。それを聞いた私は、すごく…「あ、今度の先生、すごい僕のこと、分かってくれてる、いい先生だ」なんて、思おうと思ったんですけど、到底思うことはできませんでした。もうその場から駆け出したい、それができないんなら机の下に潜り込みたい。何か新学期になって、4年生になって、友達もいっぱいつくるぞ、勉強も頑張るぞって思っていたときに「神山君の班だけ、みんな平仮名で書いてあげてね」っていう言葉は非常に辛い言葉でした。みんな、その言いつけを守って平仮名で書いてくれたんですが、平仮名の文章って、もう、とっても苦労すると言うか分からないんですよね。「あるみかんのうえにあるみかんをもっていって」。どうですかね。「アルミ缶の上にあるミカンを持っていって」なのか、「アルミ缶の上にアルミ缶を持っていって」なのか。いろいろありますよね。だから、その先生の配慮の言葉というのは逆の混乱を増幅させるきっかけになっちゃったので、やっぱりその子その子に合った支援というのを考えていかなきゃいけないかな。私の場合はカタカナ、漢字、平仮名が混在していたほうが意味理解につながるので、平仮名ばかりじゃない文章のほうが助かります。

つまりこれを「げた」と読めなくても、「あ、こういうマークは、この図と一緒やったな、この図のことやな」と、頭でマッチングして意味理解できるので、わざわざ平仮名で表記されるより熟語として出してもらったほうが助かるという感じです。

下駄を「げた」と読めなくても、下駄のイメージはできる。

皆さんも、これを見たときに歯医者さんを思うか、これを見たときに歯医者さんを思うかと言ったら、やっぱり上じゃないですかね。「歯科医院」という字面から歯医者さんをイメージしやすいんじゃないかなと思うんです。道中を車で運転していて2つの看板があって「あ、歯医者さんがある」って感じるのは、こちらの左側じゃないかなと思うんですけれど、平仮名表記がみんなに優しいかと言うと、そうじゃないというのもお伝えしたいなと思います。

「鹿野歯科医院」と「しかのしかいいん」、どちらが「歯医者さん」をイメージできるか

小学校の漢字には、習った漢字、習ってない漢字が混在した、この左側の表記になってて、どこがまとまりなのか、どこが切れ目なのかが分からなくて困りました。私のような特性だったら、初めから熟語表記で、なおかつ色を変えて振り仮名が打たれているとありがたいかな、なんて思います。

小学校の教科書では習った字を漢字で、習っていない字をひらがなで書いているので、却って困る例

(資料22 説明)

これが同じ色で振り仮名を打たれた場合の図なんですけど、この例えば障害の「害」の字のこれが、「あれ、竹かんむりの新種かな」なんて思っちゃったりもするので、色が違うことで、「あ、これがルビやな、これが文字だな」なんて分かるので、色を変える必要がどうしても出てきます。色が違うと、何か赤いフィルター、昔、そういう下敷きがあったので、それをかぶせて、本当に振り仮名打たなくても読めるようになったかなんていうチェックなんかもできたので、色を変えての振り仮名っていうのは有効な支援でした。

ルビが打たれた「発達障害」の漢字

あと、字面として見るので、「ナカタさん」と「タナカさん」とか、「ウコン」と「ウンコ」とか、「バンガロー」と「ガンバロー」とか、こういうのはよく間違える例の一部です。

これも娘に「お父さん、大丈夫?」って言われたんですけど、「え、コンソメ、ついに結婚?」とか読んでたら、本当はユンソナやったとか。字面として何か似ているので、こういうものもよく間違えちゃったりします。

職員会の資料なんかは、こういうスリットを準備して当てて、注目すべきところを見やすいようにして読んだりしています。今は職場でも自分のこういう特性をオープンにしているので、職員会の資料なんかは、職員室のサーバの中の私のフォルダがあるんですけど、みんなそこに入れてもらえるので、そこから引っ張り出して読み上げソフトで読ませて理解するというような、そんな対応をしています。

本の上に厚紙を置き、スリットを行に合わせて、左右を隠す。

そういう特性がある私なんですけど本当に辛かったのは小学校時代です。と言うか、学齢期がとても辛かったです。学齢期に何か支援があれば横道にそれずに来れたかなと思ったりもします。いろんなことで傷ついた経験があります。

友達と一緒にいろいろしようと思っても、本が読めなかったり、みんなの輪に入っていけなかったり、そんな思いで辛い思いをしたので、今の子どもたちには、そんな思いはさせたくないななんて思っていたときに、このDAISYとの出会いがありました。

字がにじんで見えたり、揺らいで見えたり、かすんで見えたり、点描画のように見えたり、鏡文字に見えたりする特性が、ディスレクシアの人にはあるんですけれども、こういうものも、斜線があることでハサミが全然見えなかったりするんですけど、コントラストさえ変えてやれば見えるので、マルチメディアDAISYとの出会いというのは、そういうものをすべて対応してくれていると言うか、自分が苦労して編み出した作戦が、ここに集約されているじゃないかと思って、このDAISYとの出会い、何か感動に近いと言うか、悔しさにも似た思いがあったんですけど。そういうものがもっと広まることで、子どもたちの困難さを軽減できればな、なんて思います。

薄い色で書かれたはさみに濃い斜線

黒いはさみに濃い斜線

マルチメディアDAISY

(資料27 説明)

外にもデモで見られたかなと思うんですけど、読まれているところが、ハイライトされて進んでいきます。「なし」だと、なかなか、「このへん読んで」とか言われても、目で追いづらいと思うんですけど、ハイライトされるだけで、仮にこんなふうに揺らいでいたとしても目で追えますよね。だから、このDAISYの表示というのは、いろんな見え方をしている子どもたちにも有効かな、なんて思います。

DAISYに出会って、自分自身もそうですし、自分が支援している子どもたちとのやりとりでも感じるんですけど、本当に本が苦労して読まなくても分かるようになってきたとか、本の面白さが分かるようになったとか、勉強が好きになったという子もいます。だから、このDAISYというのがもっと有効に活用される、そういう時代がやってくると嬉しいなと思っています。

ゆがんだ文字に黄色の反転を加える。1

ゆがんだ文字に黄色の反転を加える。2

これはうちのクラスのマサタカさんという子なんですけど、肢体不自由のお子さんなんですけど、左手が少し、手首から先が少し動くだけの子なんですけど、一生懸命タッチパネルのDAISYの、AMISの画面を押して、自分の気に入ったフレーズを何度も何度も聞いてやっているうちに、何て言うかな、手指機能もアップしてきたので、自分で読める喜びというのは、ディスレクシアの子だけじゃなくて、いろんな子にも共通する部分なので、そういう部分でもDAISYというのは、ディスレクシアの子以外の子でも対応できる、そういう可能性を秘めたシステムだと思います。教育現場だけでも早くこういうシステムが保障されていくといいかな、なんて思います。

本当に誰もが生きててよかったと、生まれてきてよかったと、そう心から思って、喜びながら人生が送れればいいな、そのためにDAISYが一役買ってくれるといいなと思っています。以上で終わりたいと思います。ありがとうございました。