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1960年から1969年まで

1960年代は、積極的な活動の時代であった。委員会は、最初の2つの基準を発表し、患者向け医療情報図書リストの作成を開始し、視覚障害者向け録音図書の貸借に関する決議を採択し、この分野に関する大量の過去の文献の目録作成に着手し、入院患者に適した外国語による図書のリストをまとめ、IFLAの別の分科会との合同会議を初めて開催し、会則を討議した後、変更し、定期的なニュースレターの発行を開始し、委員会年次大会の論文と報告書を会員に配布する制度を開始した。

最初の基準は1960年に、Memoire indicateur sur les Bibliotheques d'hopitaux(49)として発行され、図書の収集、患者への図書の配布、職員の配置、設備、予算そして病院職員に対するサービスに関する勧告が盛り込まれた。2つ目の、『IFLA病院内図書館の基準(IFLA Standards for Libraries in Hospitals)』はその拡大版で、委員会が開発を検討していた病院図書館に関するマニュアルに代わる、一層実践的な内容が記されていた。(50)(51)これらはユネスコ公報(Bulletin)の一部として発行された。(52)

患者に医療情報を提供することを長く提唱してきた委員会は、次に加盟国の医師会に、患者が自分たちの健康についてさらに学ぶために役立つ人気図書のリストを求めた。(53)視覚障害者に対する図書館サービスにも引き続き関心を示していた委員会では、視覚障害者向けの録音図書の貸借に関するプレトリア州立図書館(State Library of Pretoria)からの連絡をきっかけに、そのような録音図書を製作している機関の世界的なリストの発行に向けて取り組むことも決定した。(54)

1964年にIFLAは新規約 を採択したが、その際に分科会(Section)と小分科会(Sub-section)が設けられ、病院図書館委員会は、公共図書館分科会(Public Libraries Section)の中の病院図書館小分科会(Hospital Libraries Sub-section)となった。その後まもなく、新名称の小分科会は、病院図書館の活動に積極的に参加していたイギリスの図書館司書、モナ・ゴーイング(Mona Going)に、長年検討していた国際図書目録の編纂を依頼した。(56)ゴーイングはプロジェクトを引き受けることに同意したが、それは最終的には彼女の同僚、アイリーン・カミング(Eileen Cumming)によって完成されることとなった。

患者が必要としている外国語による図書の入手が難しいことは、小分科会も懸念していた。そのため1960年代半ばに、通信員に自国の文献の代表作品リストを提出することを求める決定を投票により下した。その目的は、病院図書館司書が、患者が必要としている外国語図書のコレクション構築に利用できる図書選択用資料を作成することであった。(57)1969年に刊行された『リーディング・ラウンド・ザ・ワールド(Reading Round the World)』 (58)には22ヶ国の作品が掲載された。この資料は同年中に1000部販売された。(59)

「病院図書館」という言葉は、時間とともに「患者図書館」と同じ意味を示すようになっていったため、小分科会では、内容を膨らませた新規約をまとめる前に、1966年に投票により、その名称を変更することを決定した。そして、それまでの「病院図書館小分科会(Hospital Libraries Sub-section)」という名称に替えて、「病院内の図書館小分科会(Libraries in Hospitals Sub-section)」という名称を選んだ。これは些細な変更ではあったが、「現在多くの国で提供されているサービスをより完全に」網羅し(つまり、患者向けではないサービスも含め)示すこととなった。(60)

新規約には以下の内容が記された。

  • 本小分科会は、入院患者、病院職員および病院内外の障害(全盲、弱視、身体障害)のある読者に対する(一般的な性質の)図書館サービスに取り組む。
  • 本小分科会は、一般図書館サービスを担当する図書館司書によって組織・運営される医学分野の蔵書を少数取りそろえた、教育関係ではない病院における医学図書館サービスに関与する場合がある。これは、組織的観点からの関与に限り、医学文献の特異的問題は含まない。
  • 本小分科会は、公共図書館分科会の中の小分科会であるが、公共図書館を拠点とするサービスだけでなく、本小分科会が責任を負う分野の、あらゆるタイプのサービスに取り組まなければならない。(61)

1966年、情報の流れを改善し、小分科会会員間のコミュニケーションを促進するために、常任委員会は、もっとも古い会報の1つである、『ニュー・ブルテン(New Bulletin)』 の発行を開始した。また、年次大会で読まれることになっている論文のコピーを、大会に先立ち小分科会会員に送付するプログラムも開始した。(これらの論文の多くは、その後『リブリ(Libri)』および『インターナショナル・ライブラリー・レビュー(International Library Review)』に発表された。) 会議に参加できなかった会員には、(62)会議のフォローアップレポートが送付された。

最後に、1969年から1972年まで小分科会委員長を務めたM.ジョイ・ルイス(M. Joy Lewis)に、障害者向けの図書館の条件とサービスに関する彼女のエッセイを称え、セヴェンスマ・エッセイ賞(Sevensma Essay Prize)が1967年に贈られた。(63)