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初期

小委員会の最初の活動は、通信員(会員)に協力を求め、この分野に関する最新の情報をできるだけ多く収集することが中心であった。この両方を実施するために、病院図書館サービスに関するアンケートが作成され、27ヶ国の図書館、保健機関あるいは医療機関の代表に送付された。回答率は高く、東西ヨーロッパ、アジア、アフリカおよびオセアニアを代表する19ヶ国が回答し、18ヶ国から19名が通信員となることに同意してくれた。

ルメートルは調査結果を1932年のIFLA年次大会(ベルン)で論じ、さまざまな医師が小委員会の活動に関心を示していることがわかったと、特に指摘した。(22)その関心をさらに促したいと考えたルメートルは、国際連盟保健局と協力関係を築くことを提言し、この考えは当時IFLA会長であったウィリアム・W・ビショップ(William W. Bishop)によって承認された。ビショップはさらに、IFLA事務局長で国際連盟図書館司書のティエツェ・ピエトロ・セヴェンスマ博士(Dr. Tietse Pieter Sevensma)に、国際連盟の保健局長と「(そのような)協力の可能性」について検討するよう提案した。 (23)しかし、連携がもたらした具体的な利益については、その後の記録は明らかではない。

一方、ルメートルがかつて「疲れを知らない伝道者」と称した(24)ロバーツは、国際病院協会(IHA)によって採択された、一連の病院図書館決議の監修を行っていた。その一部は、以下の通りである。

  • 患者のための図書館は、すべての病院に必要不可欠な要素である。
  • すべての病院は、中枢的な患者図書館の維持に必要なスペースを提供しなければならない。
  • 図書は定期的に患者に配布されなければならない。
  • 各国は、国にもっとも都合のよい方法により、病院に図書を供給しなければならない。
  • 精神病院およびサナトリウム内の図書/図書館には、特別な注意を払わなければならない。

この決議はベルギーで開催されたIHA年次総会で採択され、1933年に小委員会が開かれた際に(シカゴ、アヴィニョン)ルメートルから報告があった。(25)

その後まもなく、基礎が築かれたこの時代の重要な出来事が起こった。ロバーツがイギリスで病院図書館司書組合(Guild of Hospital Librarians)を結成したのである。(26)組合の目的は、小委員会の目的と似ている部分もあったが(27)、2つの組織の構成は大きく異なっていた。IFLA小委員会は、図書館司書、医療機関および病院当局などの臨床の専門家らによって構成されており、一方、組合には、患者図書館サービスに関わる活動をしている者であれば、資格を問わず、単に関心があるにすぎない者も含め、あらゆる人が参加していた。要するに同組合は、「専門家とボランティア、そしてこの極めて重要な活動に関心を持つ、その他のすべての人々の絆」を結んだのである。(28)明確な目標を掲げた組合と小委員会は、ロバーツを非公式な連絡係とし、長年にわたり協力して活動を進めていった。

1930年代後半を通して、小委員会は患者図書館の活動に関する情報を、国際的に収集し続けた。(29)そして、以後何度も繰り返されることになるが、この時初めて対象を広げることが検討され、ホスピスの高齢者と受刑者という、施設内から出ることができない他の2つのグループも含めることになった。(30)特に受刑者についての検討がなされたのは、いくつかの国では、公共図書館で入院患者にサービスを提供している部門と同じ部門が、受刑者にもサービスを提供していたためで、対象の拡大が適切であると思われたからである。しかし、2つのグループに対して行動を起こすことは、しばらくの間見送られた。

ロバーツ自身も積極的に活動を続けていた。彼女は、IHAによる別の病院図書館決議の採択について、再度報告した。(31)そして患者のための図書館サービスの価値に関し、口頭と文章による発表を継続した。また、小委員会と病院図書館司書組合の連絡係も続けた。(その国際性をより正確に反映するため、同組合は1936年に名称を変更した。それは、「国際病院図書館協会、国際病院図書館司書組合(International Association of Hospital Libraries, International Guild of Hospital Librarians)」となり、IFLAに加盟した最初の国際組織といわれている。)(32),(33)