日本特殊教育学会第53回大会に参加して
埼玉県立狭山清陵高等学校 井上芳郎
○ はじめに
2015年9月19日から21日にかけて、仙台市の東北大学川内北キャンパスで開催された、日本特殊教育学会第53回大会に参加する機会を得ました。主にICTの利活用によるコミュニケーション支援、学習支援などに関する発表を中心に聴講いたしました。
三日間のプログラム内容としては、自主シンポジウム101本、口頭発表58本、ポスター発表589本のうち、ICT関連と判断できるのは、それぞれ、9本、5本、24本となっており、この分野への関心が年々高まっているように感じられました。また発表内容については、従来の実験・導入的な事例だけでなく、教育現場などでの実践・継続的な内容が増えてきているという印象を受けました。これらの発表の中から、印象深かったものをご紹介したいと思います。
東北大学川内北キャンパス
1. 自主シンポジウム「社会科副教材のマルチメディアデイジー教材の製作・活用の試み」
企画者:金森裕治(大阪教育大学)
小学校3~4学年の社会科の授業では、全国的に郷土学習をテーマにした社会科副教材を使って展開されています。これは文部科学省の「小学校学習指導要領」で、「自分たちの住んでいる身近な地域や市(区・町・村)について」学習するよう、定められていることによります。いわゆる「検定教科書」については、デイジー教科書製作ボランティア団体などの努力により、アクセシビリティ確保の取り組みが進められていますが、これらの副教材については市町村教育委員会が制作したものであり、「検定教科書」としての位置づけではないため、これまでアクセシビリティ確保の取り組みがほとんどなされてこなかったものです。このことは、来年4月施行の「障害者差別解消法」を根拠として、公立学校に対し義務化される「合理的配慮」提供のための「基礎的環境整備」が、各自治体に対して求められるという観点からみて、きわめて憂慮すべき事態であると考えられます。
このような問題意識から本シンポジウムでは、大阪教育大学・金森研究室、製作ボランティア団体である「所沢マルチメディアデイジー」、大阪府富田林市および奈良県香芝市の各小学校が連携協同し、社会科副教材のマルチメディアデイジー化に取り組み、実際に対象児童への学習指導に活用することで、どのような指導効果が得られたのか、その経緯と取り組みの概要について報告がなされました。
富田林市の副教材「わたしたちの富田林」(B5版81ページ・写真243枚・図表41枚)の製作には約7ヶ月を要したとのことで、これは写真や図表の取り扱いや、対象児童の学習特性などへの考慮など、実際の製作工数に加えて打ち合わせにかかる手数が大きかったことによるものだそうです。副教材に掲載されている「市歌」の歌詞や楽譜の取り扱いとして、実際の演奏音源を使用するなどの工夫がされていました。実際に指導に当たられた先生の感想としては、「地名や人物名では独特の読み方があり、漢字も国語科の漢字学習で習っていないものもある。マルチメデイアデイジー化したことで、音声で聞けることにより理解が進んだ(要旨)」との報告がありました。
香芝市の副教材「わたしたちの郷土香芝市」(A4版101ページ・写真212枚・図表23枚)の製作には約3.5ヶ月を要したとのことです。これは製作途中に定期的に会議をもち、製作過程で生じた問題・課題について討議し、解決しながら進めたことによるようです。実際に指導に当たられた先生からは、「対象児童はすでに国語のマルチメデイアデイジー教科書を、主に予習時に使うことで一定の効果が出ていたが、社会科では難しい用語の意味理解が困難で苦手意識があった。そこでマルチメディアデイジー化した社会科副教材を使うことで、読むことに対する負担が軽減され、単元の内容を理解することができた(要旨)」との報告がありました。
今後の課題としては、富田林、香芝両市の副教材ともに、内容の改訂が毎年されるため肉声で録音されたマルチメディアデイジー版の改訂に困難が予想されることや、仮に合成音声で読ませた場合の、地域独特の人名や地名などの読み間違いが生ずる可能性が指摘されました。また全国的にみるならば、このような地域教材のアクセシビリティ確保を「基礎的環境整備」として位置づけた取り組みが、ほとんど進められていないことから、今後「合理的配慮」不提供の事態が招来される危惧も指摘されました。
当然のことながら、本来であれば各市町村教育委員会の責任で、教材の発行段階においてアクセシビリティ確保がされるべきでしょう。さらには地方財政の格差が悪影響を及ぼさないよう、国による一定の財源確保も必要になるだろうと思います。いずれにせよ、「障害者差別解消法」施行が目前に迫った今、取り組むべき喫緊の課題であり、本シンポジウムでの検討結果は、今後各自治体で進められるべき取り組みの、いわばモデルを提示したものといえます。
【参考】香芝市教育委員会作成「わたしたちの郷土香芝市」
http://www.city.kashiba.lg.jp/kyouiku/siyougakou-dewa/fukudoku/
富田林市副教材「わたしたちの富田林」
2. ポスター発表「合理的配慮に基づくマルチメディアデイジー教材の製作・活用に関する実践的研究」(Ⅰ)-肢体不自由のある児童への実践を通して-
筆頭発表者:縄田登紀子(大阪府立西浦支援学校)
文部科学省の「特別支援学校学習指導要領」では、「自立活動の指導に当たっては、個々の児童又は生徒の障害の状態や発達の段階等の的確な把握に基づき、指導の目標及び指導内容を明確にし、個別の指導計画を作成するものとする」とされています。さらに来年4月の「障害者差別解消法」施行後は、「合理的配慮」提供の検討がされたうえで個別の指導計画の作成がなされることになります。
本発表の対象児童は、肢体不自由特別支援学校小学部2年生に在籍であり、マルチメディアデイジー教材以外にも、すでに学習支援などでデジタル教材を利用していたとのことです。しかし「自立活動」のための指導では、対象児童の個別的な実際の活動場面に即した教材が必要となるため、「合理的配慮」として独自のマルチメディアデイジー教材を製作したとのことです。
校外学習や買い物学習で活用するため、「おうだんほどうをわたろう」「はじめてのおつかい」という教材を製作し、ハイライトは対象児童の特性を考慮し「分かち書き」で設定したとのことです。なお製作に当たってはマルチメディアデイジー半自動製作ソフトを使用したことにより、製作にかかる手数を相当程度軽減できたようです。また両教材ともに保護者からの意見を教材内容に反映させ、対象児童の実態に合わせるよう家庭と学校とが連携しながら製作したとのことです。
当初は「自立活動」場面での活用でしたが、マルチメディアデイジー教材を使用して「音声を聞く」、「音声を追いかけて読む」、「音声を消して読む」、というように段階的に繰り返し指導したことで音読のスキルについても向上がみられ、紙ベース教材へのアクセス困難も少しずつ改善されたということです。このことは、事前・事後に実施した「特異的読字障害」用の各種読み検査の結果からも、裏付けられるとのことでした。
発表者自らの今後の課題としては、「対象児童の読みの学習特性を正確に把握するとともに、スモールステップで教材を提供していくことが必要」と指摘していますが、「半自動製作ソフト」の導入により工数の低減はある程度まで図られたとしても、やはり「個別」教材の製作は新たな負担になるものと予想されます。それが「均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」を理由とした、「合理的配慮」不提供につながることにならないよう、国や都道府県、市町村による「基礎的環境整備」の充実が強く望まれます。
ポスター発表会場
3. ポスター発表「合理的配慮に基づくマルチメディアデイジー教材の製作・活用に関する実践的研究」(Ⅱ)-知的障害のある児童への実践を通して-
筆頭発表者:西田福美(大阪府立枚方支援学校)
学校教育法の規定では「文部科学大臣の検定を経た教科用図書又は文部科学省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない」とされており、学校教育においては主たる教材として、いわゆる「検定教科書」の使用が義務づけられています。しかしこの原則によらず、文部科学大臣の定めるところにより、「検定教科書」以外の教科用図書を使用することもできるとされ、主として知的障害のある児童生徒に対して検定教科書以外の一般図書を、通称「附則9条本」として「検定教科書」に代えて使用しているケースがみられます。「検定教科書」のアクセシビリティ確保については、デイジー教科書製作ボランティア団体などの努力により一定程度進められていますが、「附則9条本」についてのアクセシビリティ確保については、実態の把握自体がほとんどなされていないようです。
本発表の対象児童は知的障害特別支援学校小学部5年生で、もともと絵本は好きであり、読み聞かせには集中して聞くことができるとのことですが、自力で読むことについては、一字一字を指差しながら拾い読みをしている状態であり、かなりの困難がみられたとのことです。そのため「文章を正しく読むこと」と「文章読解力の向上」などを指導目標に設定し、対象児童にとって身近な存在であった「自動販売機」を内容に含んでいる絵本、「ぽんたのじどうはんばいき」(作:加藤ますみ、絵:水野二郎、発行所:株式会社ひさかたチャイルド)をマルチメディアデイジー化し、教材としたとのことです。対象児童の実態を考慮し、「句読点でハイライト」する教材と「分かち書きでハイライト」する教材の2種類を製作したとのことです。なお製作に当たってはマルチメディアデイジー半自動製作ソフトを使用したことで、製作にかかる手数が低減できたようです。
マルチメディアデイジー化された教材は週二回の「こくご」の時間で使用し、はじめは「句読点でハイライト」のものを電子黒板に映し出して指導したのですが、あまり効果がみられなかったため、「分かち書きでハイライト」に変更し、さらに電子黒板に投影する際に、ハイライト部分を教師が指さしするなどのきめ細かい指導を続けることで、対象児童はハイライトや音声を手がかりとして、文字を一定のまとまりとして読み進めることができるようになったということです。「特異的読字障害」用の各種読み検査の結果からも、読みスキルの向上が認められたということです。
本発表で使用された一般図書は、「附則9条本」として指定されたものではありません。しかし仮に指定されていた場合には、当然に「検定教科書」と同等の位置づけとなり、そのアクセシビリティ確保については「合理的配慮」の段階ではなく、本来「基礎的環境整備」としてなされるべきものと考えられます。さらに付け加えれば、知的障害特別支援学校に限らず特別支援教育の多くの場面では、対象児童生徒個別の困難特性や支援ニーズを考慮して、独自の教材を使用することが普通に行われているのですから、このような教材についても「合理的配慮」提供が確実に行われるよう、少なくとも教材の製作環境の整備や製作に当たる人材の確保などについては、「基礎的環境整備」として早急に充実されることが強く望まれます。
マルチメデイアデイジー教材のタブレットでの実演
4. ポスター発表「マルチメディアデイジー図書を用いた読み書きに困難のある児童生徒の学習支援の実態に関する研究」(Ⅰ)-機能の活用方法の調査を通して-
筆頭発表者:西山寛弥(近江八幡市立安土小学校)
マルチメディアデイジー図書の有効性が知られるようになり、特別支援教育の場面を中心として活用が進みつつありますが、その機能の活用方法の実態や障害特性と活用方法との関係などについてはまだ十分に情報が蓄積されているとはいえないようです。本発表では、読み書きに困難のある児童生徒に対するマルチメディアデイジー図書を活用した学習支援システム構築のための、基礎的情報を得るために、通常の小中学校の特別支援学級及び通級指導教室、特別支援学校で指導されている教員及び指導対象の児童生徒にアンケート調査を実施したものです。
対象児童生徒の障害種やマルチメディアデイジー図書の主要な機能6項目、すなわち「ハイライト機能」「音声読み上げ機能」「文字の大きさの変更」「背景、文字、ハイライトの色の変更」「読むスピードの変更」「文章再生機能」について、活用の程度や活用方法などについて回答を求めたとのことです。調査期間は2013年11月~2014年2月で、マルチメディアデイジー図書を活用している指導者28名から、対象児童生徒49名分の結果を得たとのことです。
その結果、各機能の利用率は以下のようでした。すなわち「ハイライト機能」100%、「音声読み上げ機能」90%、「文字の大きさの変更」80%、「背景、文字、ハイライトの色の変更」12%、「文字を読むスピードの変更」59%、「文章再生機能」66%。また、障害種別による活用率では、「ハイライト機能」はともに100%でしたが、その他の項目では知的障害のある児童生徒の方が、「発達障害(疑いも含む)」のある児童生徒よりも、全般的に活用率が高い傾向がみられたということです。
発表者自らの今後の課題としては、サンプル数を増やすために調査を再度実施し、より細かな「障害種別」あるいは「困難種別」ごとの分析が必要であると指摘しています。そのことでより適切で効果的な、「合理的配慮」提供のための方策が立てられていくことになると期待されます。
ポスター発表会場
5. 口頭発表「ユーザーによる書き込み機能を有するマルチメディアDAISY/EPUB3プレイヤーの開発」
筆頭発表者:鈴木昌和(九州大学マス・フォア・インダストリ研究所)
従来から指摘されているように、ディスレクシアの人たちは、読むことの困難だけではなく、書くことの困難も併せ持つことが多いといわれます。そのことにより自分が書く文字もうまく読めないため、学習活動でノートテイクの場面などで多大の困難を抱えているケースが見受けられます。このような課題を解決するため、手書きの文字や数式を直ちにオンラインで認識し、合成音声で読み上げるインタフェースを、開発中のマルチメディアDAISY/EPUB3プレイヤーに実装し、ディスレクシアの児童生徒達に実際に使用してもらい評価テストを実施したとのことです。
もちろんキーボードからの文字入力によるノートテイクもありますが、タイピングスキルの獲得や、入力速度向上にかける労力などを考えると、特に初等中等教育段階では一般的ではないようです。これらを勘案し、手書き文字入力と文字認識・自動読み上げ機能を組み合わせて「書くことの支援」のシステム実装を行い、以下のような実証実験を行ったとのことです。評価テストは延べ三回実施し、被験者は小学生5名、中学生7名、高校生1名であったとのことです。
実証実験の結果、次のようないくつかの興味深い結果が得られたそうです。すなわちディスレクシアのある人の書字には、しばしばいわゆる「鏡文字」「偏と旁の入れ替わり」「漢字の一部欠落」などの特徴がみられますが、今回のペンタブレットでの手書き入力ではこのような現象がほとんどみられなかったとのことです。この原因については不明とのことですが、被験者の感想では、ペンタブレットでの手書き入力と同時に、文字認識が実行され、合成音声での読み上げがされることで、紙へ書くよりも書きやすいし、「書きたい」という意欲も高まるなどとの感想があったそうです。「書くことが嫌いで滅多に書こうとしない生徒が、今回の手書き入力インタフェースを用いて、楽しそうに長い文章を書く様子を見て、非常に驚いた(要旨)」という、日頃指導に当たっている先生からの事後アンケートもあったそうです。
発表者自らの今後の課題としては、特に「数式」での「添え字」については文字入力で筆記した場合、文字の大きさや位置関係によるものか、認識率が悪くなる傾向があるそうです。タブレットの手書き入力領域に「枠線」などを設定することなど、認識率を高める工夫について指摘されていました。今後の開発の進展と、各種デバイスへの実装に期待したいところです。
○ おわりに
マルチメディアデイジーに代表されるように、ICTの利活用によるコミュニケーション支援や学習支援技術の進展、また教育現場での実践の蓄積と深化には、今後とも大きな期待が見込まれます。しかしながら「合理的配慮」そしてそのための「基礎的環境整備」として、各教育現場へのこのような成果が十分反映されているかというと、大いに疑問が残るところです。「障害者差別解消法」の施行を目前にした今、解決に向け取り組まねばならない喫緊の課題であるといえます。
特に教科書・教材のアクセシビリティ確保については、大変重要な課題であるにもかかわらず、可視化されにくい側面があるためか、ICT利活用教育の議論の場でもあまり取り上げられることがありません。またいまだにアクセシビリティ確保の多くの部分を、ボランティア製作団体などに頼っている現状も看過できません。本来は国または自治体の責務でなされるべきものなのですから、すくなくともボランティア製作団体などへの財政的な公的支援が必要なはずです。
最近何かと話題にのぼることの多い、「デジタル教科書」を巡る議論の場においても、このようなアクセシビリティ確保の課題について、関心が薄い傾向があることは残念なことです。「教科書や教材をデジタル化することの最大のメリットは、アクセシビリティ確保にある」といって過言ではありません。今後各方面において、大いに議論が高まっていくことが望まれます。