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電子書籍(EPUB 3)によってプリントディスアビリティに対処するための標準化動向

慶應義塾大学 村田 真

1. はじめに

紙の印刷物を読むことを困難にする障害をプリントディスアビリティという。視覚障害や学習障害はこれに含まれる。

プリントディスアビリティを抱えた人に紙の書籍は読めないが、電子書籍は読める可能性がある。電子書籍なら、その人の特性に応じたやり方で情報を提示することができる。例えば、文字の大きさを変える、色を変える、音声で読み上げることができる。情報の提示方法を工夫すれば読めなかったものが読めるようになることはDAISY教科書などのプロジェクトによって実証されてきた。

アクセシブルな電子書籍によってプリントディスアビリティに対処することは、社会的合意となりつつある。EUが公布したEuropean Accessibility Act(2019)は電子書籍・電子書籍リーダ・電子書店がプリントディスアビリティに対処することを義務付けている。日本の読書バリアフリー法(2019)もプリントディスアビリティへの対処を目的としている。

2. ウェブ技術と電子書籍の技術

人の特性に応じたやり方で情報を提示するという電子書籍の機能は、ウェブ技術と電子書籍の技術を用いて実現されている。

ウェブ技術の一つであるHTMLが、電子書籍のコンテンツを表現する。一つのHTML文書にさまざまの情報提示方法を適用することができる(読み上げも普通の表示も点字化も可能である)。もう一つのウェブ技術であるCSSは、HTML文書の表示を制御するスタイルシート言語である。文字の大きさを変える、色を変える等はCSSスタイルシートを取り換えることによって実現されている。

電子書籍の技術であるEPUB 3(その前身の一つはDAISY)は、HTMLとCSSを部品として採用した上で、さらに進んだ情報提示を可能にしている。

第一に、目次を利用して、読みたいページに移動することができる。これは、アクセシビリティには極めて重要である(とくに盲人にとって)。こうした移動を可能にするため、EPUB 3は目次専用のHTML文書を規定している。そして目次HTML文書と、本文を構成する他のHTML文書群とをまとめて一つのEPUB電子書籍としてパッケージ化している。

第二に、テキストの読み上げ音声を再生しつつ、読み上げられた文を順番にハイライト表示していくことができる(再生速度も利用者が変更できる)。これは、音声ファイルと、音声ファイルとHTML文書中の文との対応関係の記述ファイルとをEPUB電子書籍に同梱することよって可能になっている。

3. 日本語書籍固有の情報提示方法

ここまで見てきた情報提示方法の工夫(文字の大きさの変更など)は、どんな自然言語にも共通する。しかし、日本語に固有なものもある。それらは、縦書き、ルビ、分かち書きに関連する。

1) 縦書き

2010年ごろまでウェブ技術に縦書きは存在しなかった。しかし、縦書きがなければ、商用の電子書籍や国語の教科書に用いることは難しい。EPUB 3の制定に間に合うよう、W3Cという標準化団体でCSSの縦書き拡張が行われた。W3C勧告として完成したのは2019年だが、2010年頃から広く利用されている。

ここで指摘しておきたいのは、縦書きしか読めない人、逆に横書きしか読めない人が存在することである。利用者が求めるなら、縦書き用に書かれた書籍であっても横書きで表示する(あるいはその逆をする)必要がある。このために、EPUB 3では縦書きCSSスタイルシートと横書きCSSスタイルシートの両方を指定し、必要に応じて切り替えるための規約(Alternate Style Tags)を定めている。商用のEPUB電子書籍リーダでは切り替えをサポートしていないことが多いが、アクセシビリティを重視したリーダ(おもにDAISYに由来するリーダ)ではサポートしている。

2) ルビ

ルビはHTMLに取り込まれており、広く用いられている。しかし、アクセシビリティを向上させるために情報提示方法を切り替えることは、ほとんど行われていない。

ルビは漢字が読めない人の助けとなるが問題もある。たとえば、ディレクシアの一部には、ルビと親文字の切り分けができず、変わった草冠(くさかんむり)だと思ってしまう人がいることが知られている。また、弱視者にとっては通常の大きさのルビでは読みにくいという調査報告がある。電子書籍においては、ルビに色を付ける、ルビの表示を抑制する、ルビを大きくする(たとえば親文字と同じ高さで70%の幅の縦長とする) などの提示方法を利用者の好みに応じて使い分け、多くの人にとって読みやすいものとすることが可能なはずである。

どこまでルビが必要かについても、総ルビ(すべての漢字にルビ)、パラルビ(一部のみルビ)、ルビなしの三通りがある。総ルビを要求するDAISY教科書利用者は多いが、総ルビが必要なのは最初だけで慣れてくればパラルビで十分ということもあるらしい。電子出版においては、利用者の好みに応じて提示方法を使い分け、多くの人にとって読みやすいものとすることが可能なはずである。総ルビ専用の電子書籍、パラルビ専用の電子書籍、ルビなし専用の電子書籍を作る必要はなくなる。

3) 分かち書き

教科書は、小学校一年生用と二年生用では分かち書きされているが、三年生以上では分かち書きされていない。しかし、ディレクシア(読字障害)の一部は分かち書きをずっと必要とすることが知られている。

電子出版においては、分かち書き表示と分かち書きしない表示を利用者の好みに応じて使い分けることが可能である。分かち書きの候補位置は、あらかじめ埋めこんでおくこともできるし、自然言語処理によって自動的に判定することもできる(ただし自動判定には誤りがあり得る)。この切り替えを実現するためのCSS拡張が進行中である。しかし、現時点では、分かち書きについての提示方法の切り替えはまだほとんど実現されていない。

4. 仕様制定

ここまで述べてきたHTML, CSS, EPUB 3などは国際的な標準化団体が制定した仕様である。アクセシブルな電子書籍によってプリントディスアビリティに対処することは、こうした仕様があってはじめて可能になる。

3節で述べた日本語固有の事情についても、標準化団体の仕様で対応しなければならない。つまり、縦書き、ルビ、分かち書きについても、HTML, CSS,EPUB 3の一部として導入しなければならない。

1) HTML

最新のHTMLは、ブラウザベンダーが集まるWHATWGという団体が制定している。ルビについては、3節の内容を実現することを含めて、WHATWGへの働きかけを予定している。

2) CSS

CSSは、標準化団体W3CのCSS WGというグループが制定している。3節の内容を実現するために働きかけを行っている。

縦書き対応は、CSS Writing Module (Level 3)という仕様を制定することによってなされた。分かち書きは、CSS Text (Level 4)の一部として制定中である。さらに、ルビのレイアウトを制御するためのCSS Rubyという仕様を制定中である。

3) EPUB3

EPUB 3はもともとInternational Digital Publishing Forumという団体によって制定されていたが、IDPFがW3Cに吸収合併されたため、W3Cが保守を行っている(最新バージョンはEPUB 3.2)。一つ前のバージョンであるEPUB 3.0.1は、2020年にISO/IECの国際規格にもなっている。

4) EPUB Accessibilityとメタデータ

ここまで述べてこなかったが、EPUB Accessibilityという仕様がある。もともとIDPFで始まった仕様だが、現在はISO/IEC JTC1/SC34/JWG7において国際規格化が進んでいる。

この仕様は、EPUB書籍にメタデータを付与する方法を規定する。メタデータによって、アクセシビリティにどこまで対応しているか(たとえば読み上げ音声が含まれているかどうか)を明示することができる。

3節で示した日本語特有の事情についてもメタデータによる明示(たとえば分かち書き候補位置が埋めこまれているかどうかの明示)は可能である。しかし、そのためにはメタデータ自体(これはSchema.orgやONIXなどの団体が担当する)の登録、EPUB AccessibilityのJIS化をしていく必要がある。