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障害をもつひとと災害対策シンポジウム

災害時における精神障害者への情報提供のあり方

全国精神障害者家族会連合会  滝沢 武久

滝沢氏
最初に、川越さんのお話、わかりやすかったと思います。しかし、私がこれから話す、精神障害者という問題については、いつももどかしい思いをもってお話することが困難なものですから総論と各論に分けます。現在、連合会参与という形で、長く全国の精神障害者の家族の問題を見てきました。歴史精神の障害は心もしくは精神の病気ということで、歴史的にみて多くの方の理解を得にくい、歴史のなかではネガティブな方たちの問題でした。そういう中でやってきて、お話するときに、 例えば障害者福祉運動のときも、なかなか精神の病気の問題は伝えきれなかった。もうひとつは医療ではないかということで、発言をするときに、医者でない立場から発言しなければならなかったことで、理解していただきにくかったということを痛感しながら前置きにさせていただきます。

たまたま運動の中で今の川越さんと同じように、神戸大震災のときに全国組織から地元のほうに少しお手伝いをする体験を持ったことで私がここに出たわけです。レジュメに書いてありますが、神戸震災の教訓からということですが、自分が精神障害だということをいいにくい。手帳を持っていない。。。

一番に非難集合時の共同住居。きょうも三宅島の長年の被災生活のことをおっしゃっていましたが、集団生活がしにくい心の状態のかたがたが多い。長くなればなるほど、集団生活に適応しにくい特性をもっているというのはイヤですが、そういう状態で、やがて生活が長くなると精神科の病院に再入院していったということを、まずお伝えしたいと思います。

2番目に医療きかんにおいてはどうだったかというと、精神科の病院は割りと頑丈でしたが、地域の診療所がほとんど神戸地域の一番被害の大きかったところは、阪神淡路大震災の診療所がつぶれてしまって、日ごろの薬の管理ができなかった。弱いと思います。

地域で生活する家族本人に対して、今回の教訓は人間関係を含めた家族や当事者同士、非常に多くの人との友好関係がもちにくい。逆にそのネットワークからも漏れてしまっているという状況を見たので、これは精神の障害者の災害時の情報提供はなかなか難しいことです。

2番目に、例えば日本の精神障害の方は精神病院に治療が必要だという大儀で入院している方が33万人です。知的障害者障害の方が病気の方を含め、あるいはその治療が終わった方を含めれば、217万人というたくさんの数の方がいらっしゃるが、そのなかで多くの自立じえんをしている、社会的に自立している人がごく少ない。名乗らない。把握がしにくいわけですが、神戸のときにも問題になったのですが、アパートなど単身生活者のケアが難しかった。家族との同居しているけれども、多くは作業所やデイケアとか、無職の方が多かったので支援をしていくときに、対象として最後のところで結びつかなかった。ただ施設利用者へのアプローチということでは災害時の支援は、病院を単位としますからある程度集団化していますから、多くの行政などからの紹介があります。建物などが幸い建物が頑強でしたので大きな施設の利用者へは支援が少なくてすんだ。繁華街には精神科の病院がありませんから、今回比較的、繁華街で生活している人の多くは、そこから離れた精神病院に すからある程度集団化してい ますから、多くの行政などから の紹介があります。建物など が幸い建物が頑強でしたので 大きな施設の利用者へは支 援が少なくてすんだ。繁華街 には精神科の病院がありませ んから、今回比較的、繁華街 で生活している人の多くは、そ こから離れた精神病院に入院しているということが、被害を少なくしたといえます。3番目に、病院などの連携が重要なことがわかりました。それは、病気をもっている方は、働きながら、生活習慣病のように、かなり持続的に予防薬を含めて、薬を飲んでいる人が多いものですから、願わくば、ネットワークを濃くして、積極的にしたことがあります。2番目に、精神保健福祉センターというものがありまして、そういうところが神戸大震災のときには非常に機能して、言葉として最近有名になりましたが、心のケアという形でほかの障害の方も含めて比較的センターが機能したといえます。それから家族当事者間の連携ということで非常に難しいのですが、残念なことに精神病院は非常に閉鎖的ですから、わずか地域の作業所とか、デイケアなどしかない。先ほど言いましたようにたくさんいて、地域のケア施設は非常に少ない。結局は本人と家族などが連携して自分たちを守らなければならない。そういう意味では、震災の教訓としては当事者運動をより強めていかなければなりません。そんな感想です。

精神の障害の問題で、しばしば自閉症を含めて引きこもりとか、人との関係がうまくできないことが実は、日本の精神障害としていわれますが、性急な診断を含め、民間医療機関等で集団的・企業的で行われているものですから、そういう状況で行われているものですから、一人一人の悩みなどをもっている人々に対して、もう少しじっくりと話を聞いていくシステムを作っていかなければ 理解が広がらないと思います。それから精神障害は、対人交流がふえたといわれますが、精神科のソーシャルワーカーとしてはたらいておりまして、それなりの情報発信、ひきこもったりいろいろありますが、ゆっくりと話を受け止めていけば、かなりコミュニケーションもあるし必ずしも障害ではない。ものごとを早く解決していこうとする社会なので、自己表現が得手でない精神医学の教科書の中で対応されてしまい、それから誤解を受けながら対応されております。

次に、個別交流ならできるかというと、私も含めて、非常にゆっくりきちっと話を聞けば、知的レベル、情報レベルなど、いろいろな可能性をもっていますが、なかなか機会があたえられていないなかで、精神障害というのは誤解を受けてきました。ここにはいろんな形の能力があるならということがあります。ただし、ふかし的な障害、目に目えない、先ほど内部障害の話がありましたが、精神的な問題というのは、一番謙虚に目に見えない障害ですので、個別交流もなかなかされにくいのですが、わたしたちの家族体験や臨床体験からいうと、しっかりとコミュニケーションすればできると、私は感じていることをご報告させていただきます。先程来いろいろな話が出ていましたが、精神障害がようやく衛生法が保健法になって、優生保護法など制度がかわってきて、障害者対象ということで種別な形で招かれましたが、精神障害という言葉は、今までは、社会的事件をひきおこすかのごとくみられて、国際障害者年でも施策があまりひろがらなかった。その中で、それなりにいろいろな制度ができつつありますが、非常に理解を得にくいものであることを伝えていきたいとおもいます。人間の問題であるということで、尊厳、選択という次元にこの人たちを戻さなければならないと思っています。

それから具体的な話ですが、IT革命に云々ということですが、私は、精神障害が何をIT時代にもっていきるかとすれば、先ほどから話題になりました、携帯電話、PCなどはごく当たり前にもてる状況の福祉状態においたうえでしか議論できないと思います。

例えば職業リハビリの観点からいっても、現在は、精神の方たちは、かならずしも職業支援の施策が名目上は入っていますが、非常にごく少ない。そういう形でリハビリテーションができていないなかで、私たちは福祉制度を充実させながらやっていかないと議論しています。 それから手帳も精神衛生法から福祉法に変えたとき。217万の中で所持者は16万人です。 こういう施策のこととかで、その人たちの登録をどうするかなどがありますが、なかなか、その対象にうかびあがらないというのが、この人たちの問題に残りますから、やはり手帳があるなしにかかわらず、携帯電話やPCが何らかの形でできる生活状況にしたうえで、情報ネットの議論になると思います。

それらがきちっと行われた上でないと進まないと思いますので、実は、この場にたつことを考えました。障害当事者の方からアプローチがあって、情報の伝達に関する災害時の支援のシンポジウムがあるけれども、どうすると。彼女も困っておりましたが私はたまたま大震災のことをお伝えすることしかできないが、ということでここに立たせていただいております。 それから体感できない災害等は、精神の病気がふかし的な問題で、そういう問題に行政、施策がアプローチしていただければと思います。 質問ですが、災害時に情報通新機器はどんなふうになるのか。携帯電話が最近便利ですが、災害時に果たして現在の携帯電話などがどうなるのかということをNTTやNHKの方には教えていただいて、そういうふうな状況のなかで、私は精神障害の方がここの生活場面でどう情報伝達するのかということを考えていきたいとおもっております。

先ほどの話題の中で、障害者に情報を伝えるには、あの手、この手を使わないとだめだろうと思いまして、精神障害をもつ人にも、わかりやすい話でよく伝えていかないと、精神障害者に対する、災害時の情報伝達云々という議論以前の問題としてあるのではないかという印象をもって、今の2点に関してあとで議論していただければと思います。以上です。ありがとうございました。